第99話、怒りのライト


 アーク大聖堂前広場。


 光の嵐が天使を巻き込む。その上から跳び上がったセレスティアが装飾剣にて斬る。


 一つの斬撃により光が半球に分たれ、淡い粒子となって拡散した。


 白の天女像に着地して振り向くが、斬り付けたナリタスの胸元は接触した痕跡すらない。


『…………』

「この光は停止させられないようですね。しかしやはり攻撃は届かない。少しだけ興味深いです」


 顎に指先を当てて小首を傾げるセレスティアは、研究者さながらの測る目付きでナリタスを見下ろす。


『……権能を恐れない人間は初めてだ』


【沼の悪魔】が天使は“倒せない”と言った意味を知る。


 権能と衣、これに尽きる。生物的に高次元であり、確かに存在の格が上である。


「確かに強大です。しかしあなたにはベネディクトに感じたものがない。少しも

『怖くない?』

「はい。憶測になりますが、ベネディクト・アークマンは“恐怖”を知っていた。だからこそ彼はあそこまで計算高く、それでいて積極的なのでしょう。この世界に自分が失われる可能性が存在することを知っていたのです」


 強烈な恐怖を知り、危機感が備わる。生命体としてより真剣に、必死になる。


 天使ナリタスは生まれてからこれまで感情に波紋は一切なし。


「あなたには生命としての未熟さが見られます。雑な擬似聖槍、成り代わる際の経歴作り、そして今」


 意義に忠実であれども、人間でいうところの熱意が完全に欠けているように感じられていた。


『分からない』

「そうでしょうね」

『しかしこの戦いが無駄なのは分かる。互いに』

「私の側は無駄ではありません。この機を逃さずに、あなたを葬ります」


 ナリタスを傷付けることは不可能。


 そしてナリタスもまたセレスティアやアルトを殺せない。


「天使が存在意義の為の人形であるならば、エンゼ教布教に心血を注ぐベネディクトの意義とは何でしょう。きっと、一人でも多くの信徒獲得が関係していますよね」


 絶大な人気を誇るセレスティアを殺したとあれば、エンゼ教徒は確実に衰退する。


 失態続きのエンゼ教は、ただでさえ信徒の数を減らしていた。これ以上はアークマンにとって危機的といえるだろう。


「セレスティアっ! 真っ向から向き合うなっ!! 奴の権能は度を越えてっ……危険だ!!」


 アルトが横合いから凄惨な風音を立てて迫る固定された水流から飛び退きつつ叫んだ。


 水流の端にある水滴が硬質な地面を掠め、難なく削り飛ばしていく音に遮られながら……。


「ナリタスには私達は見えていません。視界に捉えられないよう比較的安全な戦い方もしています」


 ナリタスを中心に不規則な軌道で旋回する固定された人間達。


 騎士、民間人、シスター、大司教二人、そしてルルノア。


「あとは逃がさないよう時を待つだけ」

『待っているのはこちらも同じ。これからのエンゼ教にとって、最も有害なのはアレ』

「…………」

『王は使う。そろそろ遺物を使う』


 ……セレスティアは目を細め、やがて何かを堪えるように瞼を下ろした。


 と、小さな影が広場に現れる。


「…………」

「っ、エリカっ……!」


 殺意凄まじいエリカが、居合いの構えを取る。


「何をしているっ。お前は待機だと言っただろう! 私達に何かあった場合に王族はどうなるっ!」

「…………」


 憤るアルトに対してセレスティアは咎めもせずに不可視を施す。遅れて追随しようとする騎士隊を光で押し留め、参戦を許容した。


「……お前でしょ? 殺せば絶対、

『解除される……のだと思う。しかしそれは現実的ではない』


 ナリタスは動かない口元で真実を告げた。


「…………何があった」

『怒っている。感情的になっている』


 嫌な胸騒ぎを感じるアルトに答えたのは、ナリタスであった。


『——王妃を停止させてあるから』


 空を見上げ、そう言った。


「…………」


 ……“セレスちゃん、最近よく笑うようになったね”……。


 温厚で、気弱で、争いごとに一切向かない母の柔和な笑顔が脳裏を過ぎる。


 セレスティアに昏い殺意が宿る。


「……愚かな、たかだか天使風情が」


 ライト王には、最愛の妻がいる。


 表舞台にあまり顔を出さないながらも裏で献身的に賢王を支え、子供達に惜しみない愛を注ぐ情深き国母である。


『王の遺物。擬似聖槍を破壊できる術は、ここにはあれだけ。使用後、一定期間再使用できないことは判明済み。使用すれば王妃は解放』


 天使は嘘を吐けない。ならば解放するのだろう。


「こういう愚かな真似をしかねないからこそ、早期討伐を考えたのです」


 擬似聖槍を目にした時、脅迫目的ながらもこの者は最後には落とすことも有り得ると感じた。信徒のいる以上ベネディクトならばやらないが、ナリタスはやる。


 意義が違うからということも関係しているだろう。


 下手に王族に手を出せばエンゼ教の仕業であると、証拠を作ってでも民へ喧伝して減退を促せる。だからベネディクトは王族に対して慎重であった。


「卑劣なっ……」

「……落ち着け、まだ黒騎士がいる。たとえ槍が落ちようとも彼に任せてある。それに遺物は王国最後の切り札だ。魔王もいる上にベネディクトが何か事件を起こそうとしているのならば、父上があれを使う筈がない」


 心を沈めたアルトが、怒りを露わにするエリカを諭す。


「……いえ、黒騎士がいるからこそと、お父様が考えたなら……」

「使わない。あの人は王だ」

「……分かりました」


 珍しく殺意一色のセレスティアへ確信めいて告げると、アルトが騎士黒剣を力強く突き立てる。


「王国は必ず勝利する。舐めるなよ、天使……」


 ここに来てやっと、内なる激情で顔を染め上げた。


『……分からない』


 何の意味があるのか、理解できないのだろう。天使に立ち向かう意味が。絶望的な力を見せつけて尚も足掻く意味が。


 勝てる筈もない。王妃を救うには遺物を使うしかない。刃を構えるなど人間にとっては損でしかない。


 人間は死が怖い筈なのに何故、と。


『しかしこれでこの怒りならば君たちを殺したなら王は私に向けて使うかも。そもそも天使を目にすれば諦めるのが一般的な人間の価値観であるこ…………!?』


 悪しき方向に物事を考え始めたナリタス。言葉を紡ぐ最中に、異様な速度で振り返った。


 緩慢であった動きが嘘のように顔から身体を捻じせて、アーク大聖堂の扉を食い入って凝視している。


「……どれだけ感謝すれば良いのでしょう。——っ!!」


 膝を曲げて体勢低く、充分な溜めを作ったセレスティアが跳び出す。


『っ、っ……っ!!』


 駆り立てる者も無く急いだことのないナリタスが不恰好にその後に続く。


「————……」


 大聖堂の扉を光で解き放ち、それを目にする。


「…………」

「……ありがとうございます。犠牲もやむなしとしたことを心から謝ります」


 うつ伏せで倒れ伏すオズワルドに、そっと語りかけた。


「お陰で天使殺しが確定しました」


 セレスティアが見上げたそこには、——獰猛な青い剣が浮かんでいた。


 全ての天使を駆逐せよとしたマヌアの呪い。


 青いオーラを溢れさせながら、次第にセレスティアの周りを飛び交う。


 寄生させろ、そして自分を使用して天使を殺せと囃し立てる。


「天使を殺したいのなら、ただただ従順に従いなさい。己を持たず、私に忠実でいなさい」


 昏い双眸をしたセレスティアの魔力と呪剣が、繋がる。


 左手に灯る薄金色の魔力と同じものが呪剣から噴き出し、呪いの青と混ざり合う。


 憤怒するセレスティアの意を汲み、呪剣はその通りに飛び回り始めた。燕の如く。


『…………』


 焦る様子もなく、ナリタスはアーク大聖堂の中央で固定した人間を高速で飛行させる。


 不可視のセレスティア達を打ち付けようというのか、身を守ろうというのか。


「二人とも、呪剣で衣を裂きます。そこを狙ってください」


 装飾剣を胸前に浮かばせて、マヌアの呪剣操作と三人分の不可視の操作、更に光による攻撃とナリタス阻害を定点して行う。


「行くぞ、エリカ」

「参る……!!」


 中央に浮かぶナリタスへ、二人が橙色の魔力を炸裂させて襲い掛かる。


「——呪え」


 震える殺意で、呪剣が飛び立った。



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