第98話、受け継ぎ、受け継がれた言葉

 ベルナルドの死から七年後、父ジェラルド・アーチを前に旅立ちの日。


 背後には、変わらぬ道場。未だに祖父がいないことが不自然に感じられる。例えるなら、一色だけ色がかけているようであった。


「“変わりたい”っつって出て行く割には、変われるようには見えねぇな」


 父ジェラルドの言葉が、オズワルドの胸を抉る。


「…………」


 本当であればラナのように父を手伝い、道場や賭博場経営を盛り立てるべきなのだろう。いや、そうするべきかもしれない。そもそも旅で自分を変えることなどできるのだろうか。


「……言ってみろ。言いたいことがあんだろ?」


 父ジェラルドは、内面を見透かしていた。


「…………」

「……情けねぇ面だな。言う事がないなら俺は行くぞ。達者でな」


 大忙しのマルコの代わりに朝食を届けに向かおうとするジェラルド。


「な、なんですかっ、それは!! 弱いからこそ迷うんです!! だからっ……強くなりたくて……」

「…………」


 足を止め、切羽詰まった様子の苛立ち混じりに叫んだオズワルドに向き直る。


「……弱いなら尚更に迷ってる時間なんか無いだろ」

「ッ……」

「さっさと行く道決めて走れ」


 言葉が出て来ない。


 間違っているとは思わないが、あちらが間違っているとも言えない。


 これも、弱さなのかもしれない。


 正しいとしつつも反論出来ない弱さ。


 冷静になれない弱さ。


 決断すら出来ない弱さ。


 そもそも正面から立ち向かえない弱さ。


「今度は泣くのか?」


 手に負えないとでも言いたげだが、そんな事は自分が一番理解している。


 生まれつきの腕っ節で唯我独尊を貫くジェラルド。


 自分には何一つ誇れるものは無い。


 この魔眼でさえ、ラナを危険に晒し、祖父を死なせてしまった。


「父さんが迷わないのは……強いからです……。取り返しの付かない誤ちなんか、捻じ伏せてしまうくらいに強いから……」


 涙ながらに震え声で吐く弱音。


 現に凡人の祖父は凡人の自分とラナを守って死んだ。


 救ったのは……やはりジェラルドだ。


「守る側に守られる側の気持ちなんて、分かりません……絶対に……」

「…………」


 舎弟や組織を守り、少年期より皆の前を行く男。


 そんな格の違う男とは考え方も生き方も何もかもが違う。


 そう、思っていた。


「……今のお前は、明日のお前に誇れるか?」

「ぇ……?」


 蒼穹の空を仰いだジェラルドの呟き。


「今のは過去の君に誇れるか、君はそれで明日の君に誇れるか、これから胸を張って歩けるか……。昔、親父に言われたな」

「お爺様に……」


 祖父のベルナルドが、ジェラルドに助言らしきものを授けるなど……オズワルドは想像も出来なかった。


 澄んだ青空に、微笑むベルナルドを思い起こしながらジェラルドは続ける。


「俺は昔から売られた喧嘩は全部買って暴れてた。負けねぇから特に違和感は感じなかったな。小悪党が視界から減って気が晴れるくらいにしか考えていなかった……」


 オズワルドでも珍しいと思う程に、ジェラルドが長々と語る。


 その言葉の数々にいつもの力強さは無く、何処か弱々しいとすら感じられる。


「その後の事なんざ考えて無かった」

「…………」

「今のお前なら分かるだろ。……勝つのは簡単だが、半端にやればその後には恨みを買う。報復を返り討ちにすれば……標的が変わる・・・・・・


 ジェラルドに勝てないと察した者達が狙うのは、家族や舎弟。


 初めに狙われたのは……ベルナルドであった。


「まだガキだった俺は、親父が狙われて初めて気付いた。親父の腕から流れる血を見て、自分が何をしているのかを知った。……それからはどうすりゃいいか分からなくなっちまった。暴れるしか脳が無かったから当然っちゃ当然だ」


 途方に暮れる当時のジェラルドが、返り討ちにすればいいのか、逃げればいいのか、どうすればいいのか、どのように動けばいいのか、正解が分からず困惑したのは今の父の言から容易に想像出来た。


「そんな時に親父に言われたのが、さっきのやつだ」


 父親の柔らかく温かい笑みを思い浮かべてオズワルドへ伝える。


「俺が迷わない? んな訳ねぇ。俺が迷った時、正しいと思うならその道を行けといつも親父が背中を押していた。俺が守る側か? いつも尻拭いに走っていたのはあの親父だ」


 オズワルドどころか、おそらく誰も全く予想していなかった親子の絆。


「俺が取り返しの付かない誤ちを犯さないか? 悪党共に狙われるようになったのは誰のせいだ。お前とラナが狙われ……親父が死んだのは誰に原因がある」


 微かに目を細くして見下ろすジェラルドの視線と、唖然とするオズワルドの視線が交差する。


 誰よりもベルナルドの死を悲しんだのは誰であったのか、今初めて知った。


 誰よりもベルナルドの死に責任を感じていた事を、知ってしまった。


 声は震えていない。


 瞳も潤んでいない。


 だがオズワルドには何故か、ジェラルドが泣いているように思えた。


「……後悔はしちゃいねぇ。親父がそうであったように、俺は俺の生き方を死ぬまで通すだけだ。たとえ親父が死んだとしても、それは曲げねぇ」


 みるみる力を取り戻していくジェラルドの瞳。


「ガキ二人を守り抜いて死んだ親父は、どっか相応しい死に様に思えた。親父の生き様を表してた。自分の流儀を死んでも曲げなかった。……お人好しで、頑固で、ふざけた野郎で……」


 いつもの溢れる男気で、子へ言い放つ。


「――俺が追いかけたのは、そんな男の背中だ」


 この男に憧れなどありはしないと、唯我独尊を信じて疑わなかった。


 祖父さえも先導し、皆を引き連れて威風堂々歩いていると誰もが信じていた。


 そして最後に父から、大きな熱の込められた言葉を送られる。


「今のお前は、明日のお前に誇れるか?」


 父から告げられたように、子に告げる。


 受け継ぐように胸に刻まれる。


 ジェラルドが今も尚、ベルナルドを誇りに思っているのは明らかだ。


「どうだ? どうする。まだここでメソメソ泣くか? 言いたい事があんなら聞いてやる。言ってみろ」

「…………」


 溢れる涙もそのままに、小さく頭を振る。


 受け継いだ言葉が、オズワルドを立ち上がらせる。


「行きます……」

「そうか、俺は飯を届けに行く」


 先程までのように問い返す事なく、ジェラルドが素っ気なく踵を返した。


「……ありがとうございましたッ!! 父さん!!」

「…………」


 涙を拭ったオズワルドが送る精一杯の感謝。


 照れ臭さの現れなのか、面倒だったのか、ほんの少し肩をすくめ去っていく。


 その大きな背を見送り、改めて走り出す。


「――――ッ!!」


 この日、オズワルドが旅立った。



 ♢♢♢



 あの日と似ている。


「…………」


 大聖堂へと脇目も振らずに走るコォニーとオズワルドの背を見送る。


 あの日、ふと振り返って目にしたオズワルドの背中よりも、ずっと大きくなっていた。


「……当たり前だな……」


 珍しく独り言を漏らし、暗闇に消えた二人を尚も見送った。


「リベンジでありゅ————!?」


 横合いから飛びかかったショック神父の顔面を掴み止め、そちらに視線も向けずもう少しばかり眺めてから、


「…………っ!!」


 目付きを変えて神父を殴り飛ばした。


「ぐひょ————!?」


 妙な呪術で返されることを恐れることなく、鉄塊のような拳がショックの横っ面を打つ。


 オズワルド達が去った方向とは逆に打ち飛ばし、背中合わせになる形でゆっくりと神父に向き直る。


「のホホホホホホホホっ、どのみちゴブリンと一般男児ではやれることなど知れているのである!!」

「……笑ってやるな」

「のホホホホホホ!!」

「あいつらは男をかけて何かを成そうってんだ。てめぇが笑うんじゃねぇ」


 ずんずんと歩み寄る二人。闘争心を剥き出しに、目の色を変えて。


 相手のする事、自分のする事、何が起こるのかまではっきりしている。


「第二らうんどであぁぁる!!」

「ッ————」


 倒れるまで殴り倒す、それだけだ。


 振りかぶった鋼鉄の教本と鉄拳が、打ち下ろされ、打ち込まれる。


「ぬがぅっ……、ふんぬっ!!」

「————ッ、……っ!!」


 受けては殴り、殴られつつも打つ。脚も止めて、力任せに本能のままに。


 血が飛び散り、骨肉を強打する痛々しい音が不規則に続く。


 力みから血管が浮かび上がる極太の腕で、固く握り締めた拳を振り回し続ける。


 ベルナルドのように器用ではない。


 腕っ節しか取り柄がない。


「教えを受けてみなさいっ、一度でいいからぁ!!」

「ッ――――……」


 岩を砕くショック渾身の一撃を、正面から頭突きで受け止めてしまった。


「……いいもん持ってんじゃねぇか」

「うそ〜ん、である……」


 頭から流れる血を拭い、ショック神父に鋭い視線を放つ。


 ダメージ的には、ジェラルドの方が圧倒的に重傷。


 いつ死んでも不思議ではない……筈である。


 しかし傷が増える度にジェラルドの闘志は比例して上昇していく。


「ぐぬ……ぅ、気のせいであるか……? 段々とパワーが上がっているような……っ————」


 腕を下げ、腰を沈め、武術的に構えた拳を突き出す。


 子供の頃に父から習った武術『ゲンブ流古武術』。


 攻め手を受け、苦痛を受ける度に、体内の魔力の流れを活発化。己を克己し、相手へ更なる強打を見舞う。


「————」

「ほははははぁ!! 溜まる溜まるぅ!!」


 狂人ショックとの無呼吸連打。


 殴られる毎に楽しみ、解放の時を心待ちにするショックを構わず殴る、蹴る。


 前に、前に、押し込むように殴る、頭突く。


「っ、ゲホっ、けほっ、ぬうぅん!!」


 前へ。


「っ、ぐっ!? ぬおおっ!?」


 前へ、前へと。


「ぐぬぅ……、――――カッ!?」


 人体の限界を超え、血を吐くショック神父。押し込まれるようになって初めて目前の死に気付いた。人体は死を訴えていたが、無痛がそれを邪魔していた。


 だがアレがある。


「……——どせぃ!!」

「っ……」


 至る所の歪む教本を広げ、突風を向ける。


 視界を庇ったところにそっと手を添えるだけ。


「〈応報呪撃衝ざ・ショック〉」


 これまでの衝撃を、一纏めにして呪った。


 傷だらけであった身体から噴出する血、全身に木霊した概念としての打撃波。


「…………」

「…………」


 一瞬の沈黙。


「はぁ……はぁ……」


 古武術の構えで死の衝撃を耐え切った様を、巫山戯ることなく驚愕する。一度目でさえ生存は有り得ない。


 何度も鋼鉄で殴打され、あげく二度目まで受けて生きていられるわけがない。


 そう物語る顔付きを真っ向から見返す。


 ——息子と友が男をみせている。ならば自分が倒れるわけにはいかない。


「すぅ……、すぅ……、……————」


 二つだけ息を吐き、三つ目の呼吸で——殴り返した。


 愕然とするショックが胸に抱く、呪いの教本を正拳で打ち抜く。


「………………こふっ」


 教本にめり込む拳が、鋼鉄越しにショックの胸をも穿っていた。


「……、……、…………ぁ」


 一歩、二歩、下がった後に倒木さながらの重量感で……仰向けに倒れた。


 無意識であろう何か言葉を紡ごうとした口元から、血が溢れる。


 何を言おうとしたのかは本人にしか分からない。しかし最期の表情は笑みではなく、失意とも妬みとも取れるものであった。


「…………」


 死体を一瞥し……口元を拭い、鉄屑を拳から引き抜く。仕事を終え、胸元からタバコを取り出した。


 血で苦戦しながらも口に咥え、火を——


『ギャハハハハハハっ!!』

「っ、グッ……!?」



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