第94話、マヌアの呪剣
『——ここです、私の祭壇です』
全力疾走でマヌアと辿り着いたそこには、強固な錠で鍵をかけられた扉があった。かなり入り組んでおり、発見されずにいた意味を知る。
扉上部には小さな小窓があるが、ここからでも内側に渦巻く青い呪いのオーラが影として見て取れる。
「行くぜ、……よっ!!」
軽々と大剣を振り上げ、錠を斬り壊す。
『お見事』
マヌアの尻尾が心なしか嬉しげに振られ、何の警戒もなく中へと入っていく。
その背の向こうには、…………異様な剣が無骨な岩の祭壇の上に置かれていた。見るもぞっとする邪悪な剣が……。
持ち手と呼べる箇所がなく、剣と短剣の刃同士が繋がった鮮やかな青の剣。
『——“マヌアの呪剣”、そう呼んでください』
青黒いオーラを放ち、絶えず怨嗟の叫びを上げている。
続いて踏み入るも、——くらりと目眩に襲われる。
怖気により視界も歪み、中にいるだけで猛毒に侵されているような感覚に見舞われる。
『もう少し、もう少しだけ!! この剣の紐に魔力を込めて綻ばせながら千切れば、奴等をあっと言わせられるっ!!』
「っ……、く、そ……!!」
歩む足の感覚が遠のくも、剣を目指して一心に進む。
穢されていく。蝕まれていく。全身が外から自分でなくなっていく。
しかし、もう少しだ。
「っ……————」
急激に剣が遠のいた。
意識と身体に感覚が一気に戻ってくる。
「間に合って良かった……」
「オズワルド……?」
自分の背を支えていたのは、両眼に魔眼を浮かべるオズワルド。
「間に合って本当に良かった……!!」
「誰……!? なに、このゴブリン!!」
だが疑問は解消されないまま、漠然と味方であるということの分かるゴブリンと自分を置いてオズワルドは口を開いた。
「……マヌアさん、あなた意図的に僕達をショック神父と引き合わせましたね?」
………
……
…
ハクトの魔力はとても濃い。濃密であればあるほど、大気に溶け込むまでの時間は長い。
「次はこちらだ!!」
「はいっ……!!」
父と祖父の友であるだけあり、コォニーという水ゴブリンは優秀であった。
魔力の残滓を追い、一時も迷うことなく走り続ける。
「フッ、ハッ!!」
道中にいる魔力に釣られた魔物達でさえ、駆け抜け様にその爪で引き裂いていく。
その強さは自分の見て来た上位の者達に引けを取らない驚異的なものであった。
「王女殿はそのマヌアというのは、おそらく武器解放の為なら手段を選ばない。そう言われたのだな!?」
「はい……!! 呪いによる武器である以上、何らかのデメリットは存在するっ。それを伝えないならば確定的だろうと仰られていました!」
「なるほど……。オズワルド少年がいては冷静に対処されてしまうと考え、引き離したか」
物音を立てるなというも、全力で走らせる。戦闘は厳禁というも、時間を稼げと言う。
思い当たる違和感は少なくない。
きっと地下水路の様子を大凡ながら把握していたのではないだろうか。そう確信めいたものを感じていた。
「おそらく。でも……きっと、それだけじゃありません」
何を犠牲にしても確実に武器を解き放とうとするだろう。
「あそこだっ、あの扉の中だ!!」
コォニーが指差したのは、開かれて青い光が溢れる部屋。
「——っ、ハクト君っ!!」
もう魔眼は躊躇わない。コォニーという戦力もいる。
よろけながら剣に歩むハクトの背と、自身の右手の平に魔法陣。すぐに吸着するように飛び込んで来たハクトを受け止める。
「間に合って良かった……」
「オズワルド……?」
触れてもいないのに、疲労感を滲ませるハクトを目にして確信する。
「間に合って本当に良かった……!!」
「誰……!? なに、このゴブリン!?」
すぐ側でのやり取りを置いて、マヌアへと一歩前に出る。
「……マヌアさん、あなた意図的に僕達をショック神父と引き合わせましたね?」
『…………』
「ハクト君を、殺すつもりですね?」
『…………』
マヌアは言った、“天使は確かに存在する。私が知る限り、四体”……。
二体は確定している。ベネディクト・アークマンとナリタス。ベネディクトが第二天使というからには第一もいるのだろう。
ならばあと一体は?
「……〈福音〉を持つ者はどうですか?」
『…………』
やがてマヌアは観念したのか、
『……全て殺します。天使は完全に除去しなければならない』
唯一の使命を口にした。
『ハクト殿は、天使に連なる者ですよね』
「……僕達には分かりません。その天使というのも。けれど王女様は天使とは似て非なるものだろうと」
『しかし〈福音〉による偽物と明らかに異なる。私が見えるのだから。ならば天使に関する者。つまりは、何らかの存在意義を持たされているはず』
「僕達と変わらない人間です」
『人間が、急に怪力になるなどということがありますか?』
魔王との一騎打ち。最後の一撃から、ハクトにはアルトを上回る怪力が宿った。
「っ…………」
『地上のことも少しは知っています。特に彼は以前から目を付けていました。……奴等の魔力に目覚めた以上、彼は変わっていく。内に巣食う意義が何であるのかは分かりません。しかしアークマンやナリタスとも違い、おそらくは戦闘用です。彼は遠くない内に、意義に沿った戦闘用の化け物に作り変わってしまう』
「……それでも友人です。友をあなたに殺させるわけにはいかない」
復讐の鬼ではない。正義の味方でもない。人情により行動する。そう心に決めている。
『……ほぉ、しかし再びその時は必ず来ます。アークマンのあの様子では、それは近い。秘密裏に場所を用意してあるのでしょう。私の呪剣は必ず必要になる』
先程の話の続きをしよう、マヌアはそう言って機械的とも言える平坦な声音で続けた。
違和感に気付いた始まりは、呪殺の仕事をと新たに持ち込まれた一つの剣であった。朧げに見覚えのある、素朴ながら特徴的な儀式剣。
南側に棲む民族の一員である友の持っていた剣に似ていた。
『疑惑を抱いた私は、同僚であった剣殺と暗殺の粛清人にそれぞれ、アークマンと標的の詳細を調べてもらいました。私は呪いの祭壇から動けませんでしたから』
身に付けた物がなければ剣殺暗殺、しかし最適は不審死を装える呪殺。当然に呪殺の仕事量は多い。
それからも届けられる物の中に稀に混じる、どこか既視感のある小物や武具。まさかと思いながらも怪しまれないよう…………心を殺して呪殺に徹した。
『急いでくれとの願いはあれども、友らが気付かれては元も子もない。情報を共有しつつ、密かに調査していました』
しかし謎の力を行使するアークマンは天使であるとの決定的な情報を最後に、仲間達からの連絡が途絶える。
『私一人では何もできません』
これは民族の友達等のものではなく、よく似た他の地方のもので全くの気のせいなのだろうかと思い始めていた。いや、そうであってくれと思うようにしていた。
『でも違いました。剣殺と暗殺は、自分達が殺していたのが罪無き他宗教の重要人物であることを知り、裏切りに気付いたナリタスを相手に司教等と共にクーデターを起こしていたのです』
勘付いたアークマンが内部を見張る為に、ナリタスを魔殺人に成り代わらせて忍ばせていたのだった。
『共に立ち上がれたなら……、共に散っていたならと、今でも考えます……』
彼等は祭壇には近寄れもせず、マヌアに知らされることもなく……、ナリタスの能力一つに即死させられてしまった。
このままでは信仰心が薄まると感じたのか、ハルバド・アークマンは《聖域》を発動する。
あまりにも残酷で、無慈悲な権能を。
『……私だけが、生き残った……』
その日、人の命はあまりにも安かった。
周りの者等の頭から奇妙な光が抜けると共に、不自然に事切れて倒れていく。
教会に通い外で遊んでいた子供達も、それを見守る老人も、清掃員であっただけの主婦に至るまで……。エンゼ教に縋れば縋るほど、救いを求めれば求めた端から……。
異変を察して外に出た時に目にしたのは、どこかに収束していく魔力の流星群。
祈りが、王国に点在する生命の光が、アークマンの元へ集っていく。
『天使は……生かしておけない……。無数に流れる命の光を見上げ、その残酷さを目の当たりにして私は決めた……』
その教会に残ったのは、呪術との相性上〈福音〉を宿せず、尚且つエンゼ教への信仰心を失っていたマヌアのみ。
『脳を魔力ごと人間から抜き取るには、“合意”が必要です』
「その……合意ってのは、具体的な条件とかないのか?」
『祈る、それだけです。崇拝対象である“白き天女”に祈りを捧げる行為を持って、合意とみなされます』
「め、めちゃくちゃじゃないか……」
『合意すると脳のみが消失し、あとは空になった身体が残るのみ。福音を宿していれば、合意の必要すらない。どちらも魂や命を即座に失うと言って差し支えない』
「…………」
エンゼ教のいう意味合いでの祈りだ。過去は食前の感謝として、その時に黙祷することであった。
しかしそれでも失敗に終わった。だから“ベネディクト・アークマン”は、慎重に慎重を重ねて準備をしている。
どこに祈りが隠されているか分からない。王国にはあまりにエンゼ教が染み渡ってしまっている。
『例えば挨拶、マナー、仕草、ちょっとした定番のジョーク……エンゼ教徒が祈りを捧げた瞬間に合意と取られてしまいます』
挨拶一つで、脳が消失してしまう者がいる。
『肝心なあれで何をしようというのかが不明なのです。しかしあれだけの魔力を収束させたにも関わらず、
厄介なことに今回は、それでも最後には救われるのだと手段を知っていて協力する者もいる。
『今回は周到さが違う。前回とは比較にならない数の生命が“無意識下の合意”の元にアークマンへと集うでしょう』
「……その剣が必要不可欠であることは認識しました。では誰か人手を——」
『もう遅い』
「…………」
聖槍はすぐにはどうこうならないと聞いている。
ならば何が遅いのか。
『——地上に、天使が現れました』
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