第91話、ベネディクトの権能



『――マヌアと言います』

「マヌアと言います」


 オズワルドには見えていないらしく、謎めいた青い猫との通訳を務める。


「……今、猫がそう言ったんですか?」

「確かに言ったな。通訳は任せてくれ」


 声も聞こえておらず、この役目は非常に重要だ。


「良かった、話が分かる方みたいですね。……えっとですね、僕達はあなたの協力を得たいと思っていまして」

『状況は把握しています。これほどに大胆なエンゼ教の動きは、これまでにも一度きりでしたから。……あの、ハクト殿、早く私に触れるよう言ってもらえません? それで普通に会話ができるので』


 陽炎のように体表から青いオーラを立ち昇らせ、青猫は言う。


「あ〜っと、……分かっています。これほど大胆な動きは今まで一度だけだったから」

『……………………あれっ!? ハクト殿……? 後半は? なんかアドリブ加わってるし』


 前脚で引っ掻きながら抗議されるも、青い猫が見つかってしまったのでは早々に仕事がなくなってしまう。


「僕達は王女様の命令で、あなたが造り出した“呪いの武器”を探しています」


 空の魔術を作っている者の捜査と聞いていたのだが……、あの話はどこへ行ったのだろうか。


『こほん……それも承知しています。私の祭壇にお連れしましょう。エンゼ教のいうところの“マヌアの祭壇”へ。そこに着くにはいくつか障害が存在しますが、辿り着き、封を解いたならば、私の武器が窮地を脱するでしょう。……この日の為に雌伏の時を過ごして来たのです』


 目を閉じ、昂る感情を押し殺して言うマヌア。


「連れてってくれるみたいだぞ」

『飽きた……!? 温度差っ! 通訳が面倒になっているじゃありませんか! ならさっさと彼を触れさせなさいっ!』


 初対面の猫に激しく叱られた。


 猫パンチが壮絶なのでオズワルドの手を取り、猫に触れさせる。


「――うわっ!? 青い猫がホントにいる……」

『どうも、マヌアと申します。私の祭壇にお連れしましょう。エンゼ教の言う“マヌアの祭壇”へ。そこに着くにはいくつか障害が存在しますが、辿り着き、封を解いたならば、かの武器が窮地を脱するでしょう。……この日の為に雌伏の時を過ごして来たのです』


 ……二回目も一言一句違わない。


「……さっき、同じのを聞いたけど」

『あなたはね!?』


 俺なら恥ずかしいからちょっとだけ言い方を変えるものだが。


 ……きっと久しぶりに他人と話すから感情の制御ができないのだろう。


『は、半笑い……? なにこの少年……』

「ハクト君はいいですからっ、早く案内してください!」

『お、おっとそうでした。祭壇は旧地下水路にあります。慎重に参りましょう』


 旧地下水路。一世紀以上も前に使われなくなった地下水路で、何もなく魔物さえ少なくなったと聞くが……。


 人の入り込める入り口があるのか、マヌアは当然とばかりに先を行く。


「あっ、すみません。王女様から確認しろと言われていたんでした」

『何をでしょうか?』

「あなたは、僕達の味方ですか・・・・・?」


 問いに振り返った青い猫のサファイヤ色の瞳が、妖しく光る。


 ♢♢♢


「……マヌアさんは大昔に粛清部だったんですよね」

『そうです。それは事実です。何人もこの手にかけて来ました』


 青い猫は偽る様子も、言い淀むこともなく返答した。


「なのに、えっと……何故ですか?」

『端的に言えば、天使に家族と友を殺されたのですよ。それ以来、天使を駆逐することのみを考えている。ずっと、ずっとね』


 怨みを少しも隠すことなく、尚も即座に返答する。


「すみませんけど……、ホントに天使なんているんですか? 僕個人としたら、いてもこんなに近くに潜んでいるとは思えなかったもので」

『天使は確かに実在します。私が知る限り、四体。人間の世界に溶け込み、与えられた存在意義を果たさんと暗躍しています。世に言われるようなものとはまるで真逆の、醜い人形がね』


 加熱する国軍と粛清部の戦いによる激音が二人と一匹を急かす。


『必ず消去する……、この世界から……』


 悔いていた。そして何より、天使を恨んでいる。


『……確かに私は復讐の鬼です。しかしお約束します。私は、あなた達の味方です』

「…………」


 真っ直ぐにオズワルドを見上げてマヌアは告げた。


「………………分かりました。その祭壇へ案内してください」


 青い猫は納得して一つ頷くと、音も鳴らさず塀の上を歩き始める。


「オズ、これは秘密なんだが、あいつ何か怪しくないか。いや、怪しいぃ……」

「…………」


 盗み見ているつもりのハクト君が顎を撫でつつまぁまぁの声量で言ってしまう。隣の人だけに告げる声量調整を二段階くらい見誤っていた。


 ……案の定、ぴたりと猫の動きが止まる。


「そもそも何で猫? そこから怪しいだろ。人型を手放す意味が分からん。不便さたるや凄いものだぞ、だろ?」

『…………んんっ。……そう言えば生前は猫好きだったなぁ。“生まれ変わったら何になる?”の質問でいつも猫と答えたものなぁ……』


 聞き耳を立てていたマヌアが、独り言風味を聞かせてきちんと返答を始めた。


「そうだ、あいつに取って来させようぜ。口があるからいけるだろ。上手く煽ててさ。そっちの方が安全じゃないか?」

『う〜〜ん、呪いの武器は封印されていて、この姿だとどうにもできないから、お二人と出会えて助かったなぁ』

「ぬっ? ……んなら万が一にでも裏切った時の為に爆弾でも背負わせるとかどうだろ」

『そ、そう言えば今の私は魔力体なんだっけ。あっ、それと地下だから爆発物とか厳禁ですからね。崩落しますよ? ふと今、思い出したから言うんですけど』

「くっそ、そうなのか……」


 もはや本人と会議してしまっているハクト君だが、お陰でどうやら付いて行くしかないということが判明した。魔力体に何かしかけるのはとても難しい。魔術的知識や特殊な道具でなければならないだろう。


『……あと第三天使ナリタスに命じられて一人の粛清部が祭壇を守護しています』


 気を取り直して歩き始めたマヌアが重大な情報を思い出したように言う。


「……呪殺人“ショック神父”ですよね。どのくらい強いかを説明は難しいでしょうが、僕達で何とか太刀打ちできそうですか?」

『お二人では厳しいかと。なので彼の守護を潜り抜けて持ち去るしかありません』


 万に一つも勝ち目はない。そう断じられる程に力量差があるのだろうか。


『そもそもなのですが、戦闘そのものが厳禁です。その者だけならともかく現在の地下水路には極めて危険な魔物が放たれています。戦闘音がすれば寄ってくるので、どちらかと言えばそちらが問題です』


 マヌアの話では、サイレンター、カンタイアリ、アルミラージの三種の怪物が地下水路を彷徨いているという。


 自分が知るのは、アルミラージのみ。角を持つ兎のような魔物で、生物を軒並み退けてしまう特性である。


『サイレンターは聴覚と腕力に優れ、物音一つを頼りに襲いかかって来ます。カンタイアリは出会ったらお終いだと考えてください。かなり毒性のある針と強靭な顎を持っていますが、何より数十万という数と羽を持つ個体の速度が飛び抜けています』


 川沿いを行く歩みが止まる。


「……軽く言ってくれますけど、危な過ぎます。魔力体のマヌアさんはともかく、僕達だけでは辿り着ける気がしなくなりました」

『しかし行動する者は少ない方が見つかり難い。それに私の武器は必ず必要になります。ナリタス、そして何よりもベネディクト・アークマンを放っておけば――――』


 流れるように紡がれた。


『――また・・数多の王国民が死ぬような事態となる。確実にね』



 ………


 ……


 …



 旧地下水路への入り口は新地下水路からとなる。


 少し寂れた住宅街の橋下にある穴は成人男性が楽に入れるまでに広く、雑草の生い茂る川沿いから入り込むこととなった。


『狭いからその大剣や弓などはそこら辺にでも隠しておいてください。土とか雑草とか被せて』

「マジか。分かった」


 言われた通りに背の低い雑草を引っこ抜き始めるハクト君。


「持っていけばいいですよ……。何の為にグラスさんから狭い場所での戦闘訓練を頼んでいるんですか?」

「でもエリカに結構な加減でボコボコにされたし………………くそがっ!!」


 いつもの口喧嘩を皮切りに勃発した勝負で、確かに『蟻を食べるチンパンジーでももっと上手に道具を使うよ』という捨て台詞で泣かされていた。


 思い出して文字通り地団駄を踏んで憤慨するハクトを置いてマヌアに疑問を発した。


「……先程の話ですが、ベネディクトは倒せないというのは本当ですか?」


 ベネディクト・アークマンは倒せない。


 復讐に取り憑かれるマヌアでさえ、そう断言するほどであった。


『現状では残念ながら規模が大き過ぎて倒す姿は想像できません。あまりに異質が過ぎる。戦闘用に生み出されてはいないながらも、本来なら悪魔などと同じく地上にいていい存在ではないのです』


 あのような残酷な人形など……、そう蚊の鳴く声で続けたマヌアからは計り知れない激情が感じられた。


『……しかし彼の《聖域》という権能。これだけは多少なりとも仕掛けが判明しています』

「《聖域》……?」


 天使が持つ特殊な能力、それが権能と呼ばれることは知らされていた。


 そしてベネディクトの権能を知れたどころか、マヌアはまるでその目にしたかのような物言いをしている。


『はい。ベネディクトは過去に一度だけこれを発動させ、そして失敗しています。その際に大量の死者が生まれてしまったのですよ』

「……聖域で人が死ぬのか?」

『死にます。どこに隠れていても、護ることも、祈ることも出来ません』


 ハクト君に即答したマヌアへ、辛抱堪らず催促する。


「僕も人が死ぬような能力の名前とは思ませんけど。それにてっきり僕達は、《福音》と呼ばれる信徒に魔力の翼を授けるものがベネディクトの権能とばかり予想していました」

『…………』


 地下通路の天井に一定間隔で付けられた発光石の灯りのみを頼りに進むも、ふとマヌアが足を止める。


『……あれは《聖域》の七つある能力の一つ、下準備です。言うならば信徒の魔力を効率的に集めようとベネディクトが作り出した冷酷な策』

「俺は会ったことあるけど、とても悪人には見えなかったんだけどな……」

『悪人……? そうでしょうね、悪人というのは有り得ない』


 感情の昂りを発した際に、身体の青い揺らめきに黒い怨嗟の色合いが混じる。


 だがすぐに邪悪な迫力にたじろぐ自分達に気付き、何気なくさっと自制してから続けた。


『……悪人ならば更生の可能性がある。しかし奴に……天使に限ればそれがない。人間にとっての悪いことを悪いと思わない。与えられた意義に忠実で、死や苦痛さえ躊躇わない。しかもそれは自他問わずです』


 それはナリタス、そしてマヌアしか知らないベネディクトの真実であった。


『ベネディクトには何らかの目的があり、その為に人間の脳を魔力と共に集めるただの人形です』

「脳……!? 脳みそか!?」

『はい』


 信頼される為に、そして打倒ベネディクトへの決意表明として、マヌアは知識を曝け出した。


『当然に〈福音〉というのも魔力回収に繋がるものであり、過去の彼はあれを使い……王国民を動力に《聖域》を強行しました』

「動力というと、奴隷か何かに貶めて使役したのですか……?」

『いえ、単純にエネルギーにしたのです』


 マヌアの言うベネディクトの権能である《聖域》の能力は、判明している限りで以下の通りとなる。



 一つ、己以外侵入不可な領域を構築する、ただし仮の姿が剥がれ、代償も必要。


 一つ、脳を魔力と共に抜き取る、ただし領域構築後に合意が必要。


 一つ、他の生命体を領域守護の兵器へと変換できる、ただし詳細は不明。


 一つ、人間から好意を引き出せる、ただし絶対的ではなく、同じ姿で百四年経過後から。


 一つ、分け与えた魔力を人間と同化させる、ただし事前の同意が必要。



 穏やかな老人の記憶は剥がれ落ち、死神を思わせる怪物へと塗り替えられる……。


『以上が、私達が調べ上げたものです。けれど〈福音〉などと言いますがベネディクト自身にある第二天使の魔力を分け与えて植え付け、無理矢理に擬似的な天使に近い何かに至らしめているだけです』

「ま、待ってください……! 司教だけでも王国中に数百人ですよっ? さらに格上の大司教も数知れず、彼等全てに分け与える量なんてっ……そんな魔力は有り得ません!」


 空を覆えるのではと思える魔力量ということになる。


『それがアークマンという天使です。司教や大司教が王国中で嬉々として奮っているあの力は全て、ベネディクト・アークマン自身の魔力そのものなのです。加えて本人自身はそれでも《聖域》の為に有り余る魔力を温存しています』

「…………」

『これだけ調べようとも、尚も推し量れるレベルを超えていました。何ができてしまうのか、どのような実力なのか、全くの不明だからこそ倒せないと言ったのです』


 その生命体は、正しく天上の存在であった。


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