第89話、反旗を翻したもの



 コォニー、ジェラルド、共に震撼する。


 カンタイアリの速度は予測を上回って素早く、側溝に飛び込む余地すらなく、壁や床のみならず天井をも埋め尽くす。


 そして歩み出る全長八メートルはあろう女王蟻。


「――ふ〜ん、君も魔王軍なんだ。奇遇だね」


 そして角兎を撫でながら女王蟻を肘置きにして立つ黒髪の男。


「水ゴブリン君も? 珍しいね。ま、俺にはもう関係ないけど」

「…………」


 抱えていた豊富な魔力を感じさせる角兎をサイレンターなる化け物に手渡している。


「……俺は道中で拾ったこの子達と新生魔王軍としてやっていくんだ。打倒セレスを掲げてね」


 辺りには猛毒有するカンタイアリが取り囲むように連なり、まるで男の指示を待っているかのようだ。


「よ〜しよしよし、なんか愛着が湧いて来たよ。昔から動物には好かれる体質なんだ。君らは?」


 上機嫌な様子で順に撫でるその男に、化け物達は小刻みに震えるばかりであった。



 〜時は三時間前に遡る〜



 圧倒的に朝。


 アルト王子からの依頼達成後、追加で購入申請をされた剣のこともあって、金に目がくらみ、協力者である師匠への手紙を鼻歌混じりに綴る作業に没頭して早朝になってしまった。


「…………」

「…………」


 頼みのマリーさん不在となったセレスの部屋は、気まずい雰囲気によりすっかり沈黙が続いていた。


 お空の魔術を眺める俺の背後で、青ざめた顔をして震えるセレスさん。


 どうやら目に¥を浮かべて帰宅したのを、怒って帰ってしまったのだと勘違いされておられるようなのだ。


「…………」

「っ…………」


 お陰で少し身動ぎするだけで、びくっと怯えられる始末。


 これは正しく、――パワーハラスメントの危機。


 落ち着け、それはマズイ。そこそこ組織が大きくなってしまったもので、社内告発などされようものなら俺のような戦闘型魔王などは数の暴力ですぐに退陣に追い込まれてしまう。


 魔王は魔王軍が今、何をしているか、誰がいるのか、今日の作戦概要、何も知らないのだから。


 スマイル、果てしなくスマイル、どこまでもスマイル。そして徹底した淑女へのイエスマン。


 そして今日の仕事も思いっきり手伝う。これでいこう。今は王都の一大事、魔王業務どころではないしね。



 ♢♢♢



 出過ぎた真似であった。


 主人に擦り寄る虫に苛立ち、排除しようと口を挟んだ事がこうも裏目に出るとは。


 おそらく何かの仕込みがあったのだろう。悪い癖だ。自分の読みで意味がないとなれば、それを基準に行動してしまう。


「……セレス」

「は、はいっ、お呼びでしょうか……?」


 平坦な声に打ち据えられるも、素早く側へ侍る。


「今日はとても忙しいらしいね。体調はどう?」

「っ…………」


 クロノの眩しい笑顔に不意を打たれ、純に顔を火照らせてしまう。


「何か手伝いがいるようなら言ってごらん。班長の渋る顔を乗り越えて休暇を取ったからね」

「…………」


 麗しい顔付きで距離を詰められ、比例して顔が熱くなり、あうあうと口の開閉を繰り返すばかりで声が一向に出て来ない。


「昨日のことは俺の対応が間違っていた。今からでも許してくれないかな」

「っ、そのようなこと有るはずが………………っ」


 怒りが杞憂であると安堵してすぐに、最悪と言える危機的状況に思い至る。場面を自分に置き換えると自ずと現状が明快となっていく。


(ぇ…………)


 他でもない自分がよく、役目を終えた者に対する際の姿勢と酷似していた。


『つ、次はわたくしめは何をすればっ? 殿下の指示通りにいたしますのでっ』

『いえ、侯爵はよくやってくれました。あなたはこれ以上に何かをする必要はありません』

『へ…………?』

『今のあなた自身を顧みて、何か価値と呼べるものが残っていますか?』


 無価値となった人材はすぐに捨てるに限る。


 残しておけば自身も腐り、周りをも腐らせ、余計な真似を始めてしまう。


『お、お待ちくださいっ! わたくしめはまだ――――』


 微笑む自分へと響くはずもない喚きを続け、笑顔でやり過ごして後に少し強引な手段を用いて廃棄する。


 自分が何度となく行って来たことであった。


「そうだ、お詫びに今日の仕事は俺が動こう。詳細を話してごらん」

「…………」


 ……似ている。


 否、今の状況はまさにそのものであった。


「わ、私はまだやれますっ!! どうかお考え直しを!!」

「うん、その通りだね。セレスは凄い子だもんね。これまでの君の努力で今がある」


 必死の思いを伝えて胸元に縋り付くも、一切変わらない微笑みで頭を撫でられる。この残酷な微笑の意味を知らなければ歓喜に溺れていたことだろうが、そのような能天気にはなれない。


「だからゆっくり休んでみるのはどうだろう。王女の仕事もあるし、あとは俺がやるから」


 これまでの働きにより今の組織となった、ここからは自分で運用する。やはり間違いない、かなり直接的にそう告げている。


 今ここで参謀の座を取り上げようとしている。


 自分をして、ここまでの仮面は作り出せない。本心を完全に偽っていた。


「ではせめて私のこの躰を如何様にもしてくださいっ!! 望む全てにお応えしますっ!! なのでどうかっ、……クロノさまっ!!」

「うんうん大丈夫、身体仕事は俺の方が得意だからね。今日はゆっくりしていればいいから。詳細さえ教えてくれたら君の分も俺が動くからね」


 頑なにこの脳内にしかない計画の全てを語らせようとしている。


「モリーのところにも行って、帰って調べ物までして、絶対に休んだ方がいい。心配なんだよ、セレス君」


 捨てられそうになっている現実に恐怖し、脚が竦む。顔から血の気が引き切る感覚と同時に、無意識に口を両手で抑えていた。


「何かな、それは。さっ、話してごらん」

「…………」

「なんで首を振るの。悪いようにはしないって」

「…………」

「……大丈夫だってっ、休んでればいいからさっ! 君がいなくてもやれるから、俺!」

「っ……、っ!!」


 口を塞ぐ手を退けようとされるも、あの手この手で懸命に抵抗を試みる。


「……あっそ、そっちがその気なら俺が勝手に手伝うよ。ひとまず、あの空のやつを小突いて消して来るから」

「それは無用な一手かと」


 窓枠に足をかけたまま、背を向けて固まる。


「…………何故かな?」

「術を行使する存在が健在ならば、また繰り返しとなるでしょう。それにあれはおそらく、お父様の遺物を引き出そうとしているのでしょう。私の推測が正しければ、相手方に取っても可能ならば発動したくないものの筈。最終局面までどうこうなるものではありません」

「饒舌に語れるじゃないか。それで?」

「…………」

「またダンマリだっ。もやもやするったらないよっ。物の名前が思い出せなくて、覚えてる筈なのにぃってなるあの感覚と同じだ!」


 肝心な作戦について伝えてはならない。再び口を塞ぐ構えを見せる。


「…………」

「……なにっ、その挑戦的な目は」


 成果を示せば、きっとまた価値を見出してもらえるはず。


 計算通りならば特異ユニーク性を有する者、四名・・のみの死で万事解決できるのだから。



 ♢♢♢



 ここ数日、あらゆる場所にこの張り紙がされていたのは誰もが知っての通りだろう。


『急募・国軍のお手伝い(初心者歓迎)』。


 今にも火の海となりそうな王都であっても、傭兵、武芸者等はこぞって応募する。日給の為に。


 日が登ってすぐ、開けた軍施設の入り口付近に七つ並べられたテントにて、面接は行われていた。


「え〜、クロノ・マクさん。この度は応募をありがとうございます。では志望動機をどうぞ」

「はい、会社の人が一生懸命に働いている中で俺だけ仕事を割り当てられなかったので、腹いせにそいつら以上に王国の為に奉公してやろうと思い志願しました!」

「は〜い、意味分からなくてありがとうございます」


 ぶっ続けで面接をしているのか、壊れる手前のブリキを思わせる面接官の騎士さん。


 おのれ、セレスめ。自分だけの手柄にしようというのか、作戦すら教えてくれないとは。一人だって成果を上げて威厳ってものを見せつけてやる。


「え〜、……朝ごはんとか食べて来ました?」

「え……それは食べましたけど」

「へぇ、よかったがなぁ。ちなみに私はまだです。……うまかったかい?」

「はい。ナスをわさび漬けにしたものとお茶漬けを、それはもうたいへん美味しくいただきました」

「あぁ、そう…………じゃあですね、えっ、合格なんで今すぐ割り当てられた仕事場でですね、このぉいわゆるカードをっ、見せていただけたらっ、いわゆるお仕事開始となりますっ、えっ」

「これだけ!? もう採用決定なんですか!? 決め手はなに!? 俺の何を知ってるんですか!?」


 何十回と繰り返したであろうやり取りなのか、手慣れた様子で現場直行が決定されそうになる。


「なんか礼儀正しいし、元気だし、いけるっしょ。人手なんていくらあっても足りないんだから。水流かなんかで現場に直行するシステムでも欲しいくらいだよぉ。どんどん流して終わりにしてやるんだわ」


 吸い殻で剣山みたいになった灰皿にタバコを押し付け、吐き捨てる騎士さん。目の下のクマが凄い。


 やさぐれてらっしゃる。多忙のあまり、気が大きくなっていらっしゃる。


「失礼する。面接中申し訳ない、ちょっと」

「また何か問題か? もぅ、めんどくさ……ちょっと上の上司くらいだったら普通に殴るからな、今の私は。顎先あごさきをえぐってやるんだ、見てな?」


 他の騎士の呼びかけに過労気味の騎士が立ち上がり、俺へ不敵な笑みで宣言するとふらふらとテントの外へ。危険な目をしていたが、クビになった後に存分に休んでもらいたいものだ。


『ぼえぇっ!?』

「っ……!?」


 テントの外で突然に発生した面接官さんの大声にびくりと打ち据えられる。


『し、失礼をいたしましたっ!! ……いえ、顎先を抉るとかではなくっ、“欠伸あくびってえぇなぁ……”みたいな話で場を和ませていただけであります!!』


 ちょっと上の上司ではないらしい。


 すると……交代であったのか、代わりの面接官さんが入って来て対面へちょこんと腰を下ろした。


「よいしょっと」

「…………」

「……こほん。私はまだ座っていいとは言っていないんだけど?」


 お前かよぉ……。そう言えば仕事を手伝うとかなんとか言ってたな。


 面接官っぽさを全開にしたエリカ姫が、澄まし顔で注意を促した。


「聞こえているのかな? 私が座っていいよって言ってから座るように。こんなのどこでも同じだからね。私だから言ってるわけじゃないからね」

「す、すみません。面接官が代わったら面接状況までリセットされると思ってなくて……。一応、合格をいただいてたもんで……」


 姫の背後にずらりと並ぶ騎士隊に睨まれ、慌てて立ち上がる。この人達の一人が面接をすればいいのではとも思うが、どちらにせよ王女に警護兵は付くのだから変わらないか。


「…………」

「…………どうぞ」

「あ、座りま〜す」

「自己紹介の『どうぞ』です」


 き、厳しい……。部下であれ、弟子であれ、ライト姉妹にはこうも苦しめられる定めなのか。


「クロノ・マクです……。腕に覚えがあるので、日給もいただけるそうですし応募しました」

「お座りください」

「座ります……」


 お許しが出た。なんだこのちっこくも気難しい面接官は。


「では二、三質問をさせてもらうよ。まず扱う武器、武術、あとはこれまで倒した代表的な魔物を教えてもらおうかな」

「え〜、武器……武器はぁ……素手でしょうか。ですけど剣とか刀とかでも全然――」

「刀ぁ〜〜……?」


 お気に召さなかったらしい。


 もしくは得意分野の名が挙がって、お気に召したかだ。


 発言の矛盾に気付いた名探偵の如く、疑惑の眼差しで見上げられる。


「はぁ……、私の師も嘆いているだろうと思うよ? 片手間にやってる人に刀使いだなんて名乗られたりしちゃあね。この私だって毎日毎日、死に物狂いの特訓を課せられているのに」

「……お言葉で殴り返すようですけど、風に乗って飛んで来た噂だと、ほんの少し前までエリカ様は剣をお使いになられていたと聞きますけど? 特訓歴数ヶ月なのに、どの口で仰いました?」

「よっしゃあよく言ったもんだよっ!!」


 キレちゃった。


 図星を突かれてムキになってしまった。


 この子は一日に一回はなんらかのハラスメントに関わらなければ気が済まないらしい。


 凄いよね。俺なんて何のハラスメントになるか分からなくて、ハラスメントに怯えてハラスメントにハラスメントされている状態でハラハラしているっていうのに。


「…………」


 勝手に抜刀の構えを取る。これを面接と呼んでいいのだろうか。


「……………………キッ――」


 精神を研ぎ澄まして、これでもかと集中して、更に用心深く体勢を整えて…………たまに出る猿みたいな掛け声と共にテーブルの蝋燭へと横一閃。


 ……火は灯ったまま、蝋燭半ばが断ち切られ、一つの線が生まれるのみであった。見事。


「お、御見事ですっ、エリカ様っ!!」

「日に日に達人の域に近付いていらっしゃる……」


 この背後の人達にも問題があるだろう。どれだけ凄かろうと、彼女の本質を弁えずに褒めてしまうのだから。


「……刀使いというからには、このくらいはできなくちゃ。世の中のしがらみ、仕事や家庭の不満、カチンと来る知人の一言、悩みは尽きないだろうけど、静の心と培った技巧があればこの通りだよ」


 どれも無縁だろうに、そう言うと『試しにやってみな。できっこないから』という顔付きで刀を差し出して来た。ドヤという効果音が付きそうだ。


「鍛錬は嘘を吐かないよ。きっと私の心象をよくしようと刀だなんて言ってしまったんだろうけど、鍛冶研磨ということわざからも――」


 調子付いているので、エリカ姫を遥かに上回る速度で蝋燭を斬る。


 手元で刃部分だけを回転させるように抜き放ち、縦に断つ。


「…………」


 先程自分で斬った上半分の蝋燭が灯火ごと縦に割れ、左右に落ちるのを……目を見開いて凝視するエリカ姫。


「…………ぷっ。はい、では合格ということで、お邪魔しました。……ぷぷっ」


 小笑いが漏れてしまったが、意気揚々と気持ちよくテントを後に……しようとするも、すぐに騎士達に連れ戻されてしまう。


 無理矢理に椅子に座らせられ、エリカ姫に淡々と告げられる。


「君は不合格」

「何故何故どうして?」

「名前と経歴を偽っていたからだね」


 本名だ。珍しく本名である。王国に来て初めて名乗ったんじゃないか?


「君、クロブッチに連なる者でしょ? いるわけないんだから、こんなユニークな一族が他にさぁ」

「……ぐ、グラス・クロブッチは私の兄弟子ですけども」

「ほらね、またあいつだよ!! 気分のいい時は大体あいつに妨げられるんだから!! ふんす!!」


 いないのに癇癪を立てられるグラス。いやいるけども。


「でも名前は偽ってませんよ? それに俺はエリカ様の言う通りにしましたし」

「……不合格は取り消します。でもグラスの弟弟子ならかなり難しいところを担当してもらうよ」

「あ、それは構いません。むしろ一番危険なのを任せて欲しいくらいです」

「案内役から事情を聞いてから仕事を開始するように。決して過信することなく、驕ることなかれ、だよ」


 何やら書類にハンコを押して、エリカ姫に採用と辞令を言い渡された。いつでもこの子に雇われる側なのは、なんとも悲しいものである。


「お仕事は旧地下水路に入り込んだ人達の誘導ね。なんか不審な影があるらしくて、誰もやりたがらないの」



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