第88話、奇妙な二人

 早朝の歓楽街。


 薄暗い裏路地を、筋肉の盛り上がった巨体を揺らして歩く。


 傷のある顔、雑に縛られた緑の髪、丸太のように分厚く膨れた腕と足。特に威圧しているという事はなく、ただ夕食を食べてから事務所への帰り道。


 しかしその者を知る知らないに関わらず、異様なまでの筋肉質な男に慄く。


 怪しげな店先に立つ薄着の女性達も、呼び込みの若者も、客として来た者達も。


 無意識の内に道を開ける。


「…………」

「ヒックっ、ぉ? おぉっと……」


 一人の酔っ払いが、覚束ない千鳥足で前方から歩いて来る。


 酩酊の証に赤い顔をして、焦点の合わない目線もどこを見ているか分からない。


「…………」


 巨体の男は周りの息を呑む者達の心配を余所に道を譲り、酔っ払いの若者とすれ違う。


「――――」


 サクリと小さな手応えを覚える。


「…………?」

「ッ!? 馬鹿な!」


 傷の大男が微かな・・・背中の違和感に振り向き、自分の背に切っ先の先端だけが刺さったナイフを見る。


「…………」


 次にナイフを突き立てた酔っ払いの男へ目線を移す。


 彼は“酔いどれフランク”。酔っ払いを擬態しているわけではなく、本当に酒屋で酒を飲んでから仕事を行っている。初仕事の際にそれで緊張を誤魔化してから、なんだかんだと暗殺を成功させて来た暗殺界のダークホースであった。


 これまでの殺人者数8名。


「ふざけるなっ、どんな体だ!」


 まるで大樹へナイフを突いたような感覚にゾッとする殺し屋フランク。


「くッ、――――ッ!?」


 魔力を通した刃から伝わる無力感に停止したその顔面が、特大の掌に掴まれる。


「懲りねぇな」

「ッ、ッ……!」


 頭を鷲掴みにされ、人形のようにぶら下がる。


「恨むなら雇い主なり俺なり好きにしな」

「ッ――――」


 レンガ造りの壁に暗殺者の頭部が埋まる。


「ッ、シッ!!」


 隣で身を隠していた暗殺者の仲間二人が、槍や鉤爪を手に次々と襲いかかる。


 “絡繰槍のミック”と“スピード違反カトー”だ。とある武芸大会にてタッグで出場し、総合三位を収めた猛者であった。直後に裏組織にスカウトされ、今回が初任務となる。


 これまでの殺人者数、絡繰槍のミック14名。スピード違反カトー51名。


「くそッ!! 動っ、かないッ」

「ナッ!?」


 横合いからの槍を掴み上げ、鉤爪に至ってはその太く固い指で挟んで止める。


 頑丈に過ぎる身体だけでなく、武の才能も天から与えられていた。


「帰って伝えろ。他人のいる所でけしかけるなってな」


 鉤爪の刃を握力で捻じ曲げながら告げる。


 柔らかな紙切れのように容易く曲がっていく爪。


 そして茫然と立ち尽くす鉤爪の男の腹へ、軽く蹴りを出す。


「ダフッ―――――」


 大砲で撃ち出されたように、路地の奥へ直線で飛んで行った。


「…………」

「生きてたらでいい」


 怪力と呼ぶにも限度があると、飛んだカトーに唖然とする槍使いの身体が流れる。ミックの胸ぐらを左手で鷲掴み、乱暴に上方へ投げ捨てた。


 男が去る。


 背後には、歓楽街の守り手により返り討ちに合った刺客の屍。


 壁ごと頭を砕かれ、路地の奥で不自然な体勢で力尽き、3階の壁まで投げ飛ばされ奇妙なモニュメントのように埋まり……。


 どれも人の所業とは思えない悲惨な状態だ。


 見る者が見れば、巨大な怪力の魔物トロールの仕業かと疑うだろう。


 だがその場には、一部始終を目にして腰を抜かす歓楽街の者達がいた。


 男の背に、不敗の歴史がまた一つ積み上がった。


「っ…………あれが……ジェラルド……」


 屍の転がる通路から、通行人が蚊の鳴くような声でその名を呟いた。


 しかし目撃者達の度肝を抜いた当の本人は何事も無かったかのように裏道を行き、カジノの裏口へと帰還する。


「あ、兄貴っ!!」

「ラナか……、何かあったのか」


 ディーラーの少女ラナが恐れもせずにジェラルドに駆け寄る。表情は嬉しげで、とても慕っていることが分かる。


「また例の怪しげなフードの女が、オーナー室で待ってるって言ってやがりました。偉そうに、あのアマぁ……」

「…………」

「うおっ、あ、アニキぃぃ……」


 歯軋りするラナの頭を撫で付けて通り過ぎる。


「……また明日にでもメシ行きましょうっ!!」

「あぁ」


 盛況に賑わうカジノの業務用通路を行き、二階奥のオーナー部屋に入るとラナの言うように一人の女が立っていた。


 来客用の上等なソファもあるが、腰を落ち着けるつもりはないらしい。


「――姫様からのご命令だ」

「…………」


 女……マリーの言葉に反応する素振りも見せず、ジェラルドは悠然と左手にあるデスクに向かう。


「ある人物を倒して欲しい。私や勇者達でも難しい相手だ。かなりの危険人物で、早急に始末しなければならない。具体的に言えば今日かもしくは明日中に」

「…………」


 少しの関心も見せず、置かれていた赤ワインボトルのコルクを無理矢理に引き抜いてそのまま飲む。足元やデスクの上には本日に飲み干したボトルが散乱している。


 そろそろ部下が追加の酒を用意する頃合いだ。


「やって損はない。またあの時のように姫様と私を相手に暴れられても困るからな。姫様が言うにはお前にとって悪いことにはならないし、ボーナスも支払うとのことだ」


 ジェラルドが一息に飲み切ろうという間にも、マリーは続けて語りかけていた。


 資金源としてセレスティアが目を付けたのは、ここ『賭博場アーチ・チー』。交渉に赴いたセレスティアとマリーであったが、ボスであるジェラルドは一筋縄にはいかずに戦闘に突入してしまう。


 容赦なく剣を振るう二人をして素手で迎え撃つジェラルド。斬り付ける刃は肉すら断てず、むしろ信じ難い膂力により苦戦を強いられた。


 結果として経営を任されることにはなったが、この者の扱いにくさだけは依然と変わらない。


「今は魔王陛下も王都におられる。あまり反抗的な態度を取れば…………分かっているな?」


 ごくごくと鳴る喉元に刃先を当てられても無関心。


 甘い話に耳を貸さず、脅しにもどこ吹く風で、金にも執着することはない。生まれてこれまで一貫して強き者であるジェラルドを動かすものとは何なのだろうか。


「……これは姫様の推測だがその者は、この歓楽街周辺の子供達を呪術の実験体にしているのではとも言っていた」

「…………」


 あと少し、ワインが空になる寸前、剣を収めながら苦々しく言うマリーに…………ジェラルドはボトルから口を離した。


 視線は向けず何もない壁を漠然と眺めながら、やがて呟いた。


「……続けろ」

「今回の件で調査する過程で、この疑惑が浮上した。姫様の計画の邪魔に――」

「あの小娘はどうでもいい。真偽と居所を言え」

「…………ほぼ確定だろう。居場所も判明している」


 あの小娘、と言われてコメカミに青筋が浮かぶも呼吸を二つ挟み、心を落ち着けてから答えた。


 その直後に丁度、ジェラルドの弟分である“マルコ”というスキンヘッドの強面をした男が、酒瓶を大量に抱える若い衆を連れて入室した。


 誰も彼もが人相悪く、派手なスーツを着用している。


「兄貴、追加の酒になります」

「これから出て来る」

「へ……? わ、分かりやした。なら一旦こいつはまた戻しておきます」

「ああ。……おい、ここらのガキどもは元気か?」


 引き返すマルコへそれとなく訊ねた。


「ガキですか? 五月蝿いくらいに元気そのものですわ。道場の方からの騒ぎ声が聞こえて来ますし」

「…………」

「ただやっぱり流行り病なのか、原因不明のあの病気になるやつはいますね。医者も何が何だか分からねぇってんで、参りましたわ」

「……そうか」


 数年前から小耳に挟むことの多かった子供達の病。しかもこの近辺のみ。性病や遺伝など酷い偏見が王都に広まり、歓楽街の者達が忌避されることとなった。周辺の出身というだけで子供達は差別されていた。


「――どこにいやがる。殺してやる」


 重圧が襲う。


 マルコやマリーがゾッとする低い声音で、そのシンプルな殺意は発せられた。



 ………


 ……


 …



「しょっく、しょっく、しょ〜っくしょっく!!」


 踊り狂っていた。


 憎悪と怨嗟の青いオーラが渦巻く祭壇を中心に、巨躯の男が踊り狂っていた。


 樹木のようにずっしりと極太の身体で軽快なステップを踏み、鉄の教本片手に彼は踊り続ける。


 呪殺の大司教、ショック神父。



 ♢♢♢



 ジェラルドが旧地下水路に踏み入って十数分もした時、妙な気配を感じ取っていた。


 思い出すのはマリーから聞かされていた魔物の存在。


「…………」


 ふと添えた手を握り締めたジェラルドが、握力任せに石壁を抉り取る。


 そして左側に水の流れる側溝へと、石飛礫を投げ込んだ。


 すると、


「…………」


 一匹の水ゴブリンが、頭にタンコブを作って浮かび上がった。


 水ゴブリンは水辺に置いて非常に凶悪で、ゴブリンの中でも屈指の戦闘能力を有する危険な種である。えら呼吸と肺呼吸を兼ね備え、ヒレの付いた手の爪は頑丈で鋭く、岩を削る個体まで存在する。


 通常ならば国へ報告し、群れができていないかなどの調査も含めて駆除されるべきだ。


 しかしその水ゴブリンを目にしたジェラルドは、驚きに微かに片眉を上げていた。


「……コォニーか?」

「う、うむ……久しぶりだ、ジェラルド」


 父ベルナルドの友であった人語を解する稀有な水ゴブリン、コォニーであった。


 亜人型の魔物の中には飛び抜けて知能が高い個体が低確率で誕生することがある。ゴブリン王国の王などが代表的だ。彼もまたその一体であり、人間に友好的な世にも珍しいゴブリンである。


「……相変わらずの腕白振り。久しぶりだからと驚かそうとするのではなかったな、これは」

「何で俺んところに来ずに、こんなとこを泳いでる」


 コォニーを側溝から持ち上げ、同じ目線にして問う。


「無論、人の目を盗んで訪ねた。しかし見慣れぬ者達しかいなくてな。ベルナルドを探したのだが、見つからなくて困っていたところであった」

「……今は別の場所に店を構えてる。次からはそこに来い」

「やはりそうであったか。それで、ベルナルドは何処に?」

「親父はもう死んだ。随分と前にな」


 言い終わる前から、沈み込むコォニーの失意が手に取るように分かった。期待からの落差が大きければ、落ちた時の悲しみは応じて増してしまう。


「…………そうか、また会いに来ると言っておいたのだが。こんなに早く来てくれたのかと、喜びに綻ぶ顔が楽しみだったのだが。親しき者の死はやはり耐え難い……」

「仕事が終わったら墓に案内してやる。店の管理を任せてあるマルコはお前のことも知ってるから、先に店に行ってろ」


 ゴブリンであっても沈痛の面持ちは見て取りやすい。


 心の整理に時間がかかるだろうと提案するも、……やがてコォニーはジェラルドの手から飛び降りて言う。


「ふむ……、墓参りは重要だ」

「…………」

「しかしこのような場所でする仕事というのが気になる。ジェラルドが想像するよりも現在のここは危険極まるぞ?」

「ある男を殺すだけだ。手間じゃねぇ」

「……殺生は控えるべきと説きたいが、その殺意。何か事情があるのだな?」


 父よりも長く生きているだけあり、聡いコォニーはジェラルドの内面に燻る苛立ちを見抜いていた。


 そして同行を即座に決める。


「男というからには、人間と見た。ここを徘徊する魔物の討伐などと言い出されては敵わないところであったがな。今しがた、入り込んだ人間達を驚かして追い出し終えたところだ。吾輩も共に行こうではないか」

「……勝手に入り込んだ奴等なんざ放っておけばいい。またいつものお節介か?」

「助かる生命は多い方がいいだろう。国を出て流浪の水ゴブリンとなった身だ。もはや争う必要はない」


 自然と歩み始めたコォニーの後に続き、ジェラルドは地下水路を行く。


「ジェラルド、いざとなれば吾輩に掴まるのだ。泳ぐ必要がある。合図を見逃すなよ?」

「……水遊びって柄じゃねぇ」

「遊泳ではない。逃走目的なのだ」

「逃げる必要があるのか? お前と俺が」


 自分は負け知らず。そしてコォニーはかつてのゴブリン王国の戦士長であり、その実力は人間社会においても飛び抜けている。


 逃げる必要がどこにあるのか。


「悪魔の如き魔物がいるのだ。アルミラージとサイレンターは我等でも戦えるかもしれないが、カンタイアリだけはどうにもならない」


 見かけた瞬間に過去の壮絶な光景が脳裏を過ぎり、無意識のうちに水路へ飛び込んだという。


「あれを初めて目にしたのは山岳地帯であった……」

「…………」


 年寄りの長話が始まったとして、遠くに視線をやり聞き流す。


「旅の最中であった吾輩はその時、足ヒレの痛みと空腹に耐えかねていた。何よりも水分補給が必要であった。頭の皿が乾いて渇いて、辛くて辛くて……しかしあまりに何もない場所で、若かりし吾輩は目を血走らせて苛立っていた」


 水場から離れるなよ、そう思うもジェラルドは口を開かない。


「そこで見つけたのが、十頭もの飛竜の巣穴であった」


 ……どうやら、とても信じられないがその蟻は飛竜を襲っていたらしい。話の流れから、そう察していた。


「いいか? 心の準備はいいか? 続けるぞ? ん?」


 ちらちらと背後を振り返り、話の続きを焦らすコォニーを見下ろして思う。


 亜竜種は軍隊でなければ手に負えない程の難敵だ。しかも飛竜は群れを作る。かなりの広範囲に渡って狩りをする飛竜は、牛などの家畜を楽々と連れ去り、人間や亜人種さえもその標的とする。


「吾輩は危険を顧みずに近付いた。無論、死の可能性は濃厚。しかしこの飛竜達の血を飲まなければ死ぬのは吾輩だ。他に選択肢はあるか? いや、ない。狩るか、狩られるかだ」


 その言葉選びの知能で、計画的に行動できなかったのだろうか。


「ところがどうだ? 何か様子がおかしいぞ? もっと五感を研ぎ澄ませるのだ。吾輩は自身にそう命じた」


 一人で演劇ができそうな身振りで芝居がかって語るコォニー。さっさと蟻の下りにならないだろうか。


 ジェラルドはタバコに火を付け、吹かして劇の閉幕を待つ。


「飛竜は火を吹いていた。自分の身体や巣に向かって、悶えながらも灼熱の火を吹いていた」

「まるで狩られる側だな」

「その通りっ!!」


 長いので一言挟み、強引に省略させる。


「カンタイアリだ……。黒いモヤのように連なった無数のカンタイアリに襲われて、飛竜達がなす術もなく食糧とされていたのだ……」

「…………」

「あの飛竜がだぞ? あの飛竜が手脚や尾の先から血肉を食われ、骨となり、瞬く間に食い尽くされていったのだ。その光景たるや、壮絶であった」


 その鱗は竜種の例に漏れず、とても硬く発熱性を有している筈だがカンタイアリ相手には意味がないらしい。


「吾輩は恐怖のあまり駆け出し、崖から足を踏み外して転げ落ち、近くに流れていた川へ落下した」

「川あるじゃねぇか。飛竜に迷惑かける前によく探せ」


 指で火種の火を捻り消し、相手にできないとして歩みを再開した。


「…………あん?」


 数歩も歩まずして、ジェラルドは自身の歩みに違和感を覚える。


 見えない力に背後から引っ張られる感覚。脚が自然に前へ踏み出せない。


「……アルミラージだ。近いぞ……」

「…………」


 臨戦態勢のコォニーをジェラルドは初めて目にする。


 肌を刺す殺気はこれまで相対した何者よりも鋭く、その立ち姿には微塵の隙も見当たらない。


 これだけ見れば、父ベルナルドとは正反対であった。


「…………っ、背後だっ!!」

「っ…………」


 振り返ると、目の前にいた。


『――――』


 細身の手脚ながら自身を上回る巨躯で、白い怪物が目もなくで見下ろしていた。


 その圧迫感たるや、今しがた話に出た飛竜に勝るものがある。


「っ……挟まれたかっ!!」

「…………」


 魔物達が連携を取っている?


 完全に種族が違う魔物同士ならば意思疎通がそもそも不可能な筈。しかしこのサイレンターと思しき怪物は立ち塞がるように構え、その反対の通路からは夥しい何かが迫っていた。


 逃がさず殺すよう、上位の存在に指示されているのだろうか。


「……あれか?」

「あれだっ! 紛う事なきカンタイアリだ!!」


 コォニーほどの猛者が恐れる理由に納得した。


 通路を埋め尽くす黒い死の波が、上位者の命令により二人を呑み込まんと怒涛の勢いで押し寄せる。


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