第87話、騎士黒剣販売中
直面した王都の危機に、王城にも緊迫した空気が流れる。
籠城するアーク大聖堂を取り囲み、混乱する王都民を統制し、王子としてアルトは不眠不休で職務に努めていた。
その合間、大聖堂への強行調査に踏み切るために招致したある人物と顔を合わせた。
「――この非常時の稽古、有り難く」
「アルト王子もこの短時間で見事に我が技巧を修められた」
闇色の全身鎧に汚れ一つない黒騎士と、泥だらけのまま修練場で向かい合う。二時間の激闘を感じさせるのは自分のみ。分かってはいたが、次元が違う。
立ち姿のみでも圧迫感は押し寄せる高波のようである。
「…………」
「…………」
控える精鋭部隊の騎士達も、黒騎士の迫力に唖然として呑み込まれてしまっていた。抗い難き強者の貫禄、実力に魅了されていた。
「奴等は妙な羽を生やす。しかし動きはただの人間、急所も同じ、平常心で相対すのがよろしいでしょう」
「この剣に誓って、負けはしない」
黒騎士自らが試作した『騎士黒剣・凡』を手に勇んでみせる。重感著しい謎の黒い素材を僅かに使用し、その分だけ普段の大剣より小さく仕上げられている。
造形は単純ながら分厚く、頑丈で、何より魔力の通りが良い。
「本来ならば三つの魔力操作法を合わせたこの戦闘法を一日で習得というのは身体が付いて来ない筈だが、これまでの鬼気迫る鍛錬がそれを可能にしたようです」
「やれる事はやって来たつもりだ。……妹を、王位に就かせるわけにはいかない」
「仰る通り。大変なことになる」
「ん、やはり黒騎士も思い至っていたか……」
何もかも見透かしているのだろう。先日もそうであった。強くあろうと……、強く見せようと虚勢を張る自分を叱責したように、妹の本質も見抜いているのだろう。
「あいつは大切な妹であることに変わりはない。だが、あいつはあまりに多くを持ち過ぎている。そしてそれを己でも完全に把握し、理解している」
「ふむ」
「望むがままに全てを成してしまえるだろう。誰もセレスティアを止められない」
「…………ふむ」
あの美貌が恐ろしい武器だ。あの智慧が悍ましい凶器だ。あの武才が拍車をかける。言葉一つで万人を頷かせたという建国王を彷彿とさせる傑物だ。
そして本質は、……非常に我儘だ。
魔王よりも手の付けられない脅威となりかねない。
「セレスを王位にと騒ぐ者は後を絶たない。私も常にあいつが女王となるべきなのではという思いと戦っている。だからこそ、あらゆる意味で実績が必要なのだ」
「王女自身はなんと?」
「なるつもりはないと。もはや興味もないと。鵜呑みにはできないが、気休めにはなるな」
しかし、――幼き日の冷笑が忘れられない。
セレスティア、五歳の誕生パーティー。
『…………』
挨拶も終えて隣の椅子に腰掛ける人形のようなセレスティアは、じっと会場を眺めていた。
ふと、セレスティアが立ち上がる。そして会場を歩き回り、四人ばかりに声をかけて微笑み浮かべて数回言葉を交えた。
ただ、それだけだ。大人達も皆、でれでれと鼻の下を伸ばして受け答えしていた。祝いの日にはセレスティアも興奮するものだと漠然と考えていたことを強く覚えている。
『……あまりはしゃぐと疲れるぞ』
『はい、もう出歩きません』
軽い足取りで楽しげに戻って来たセレスティアが椅子に座り、再び会場を眺め始め、
……何かが変わっていた。
会場の何かが変わっていた。幼き自分には明確に言葉には出来なかったが、大人達の何かががらりと変わっていた。
側近に調査させ、愕然とする。
声をかけられた者達はあの誕生パーティー直後に……不倫発覚、違法薬物で逮捕、関わりすらなかった者同士の結婚、有り得ない状況からの破産と自殺、四人がそれぞれ様々な未来へと
どうやって?
何を囁いた?
あの子には何が視えている?
「……今回も多くの情報をセレスが持ち帰った。此度も結局はセレスの策で我等は動く。明日の現場での功績は……、譲るわけにはいかなかったのだ……」
察しているのは、母のみ。しかしその母もある時を境にセレスティアへの接し方が変わったように思う。
「稽古を終えた今なら何も問題はない。意志と武器があり、技が揃ったのだから。王子の魔力量ならば、一人で三人はやれる」
「心強い。あとは再三ながら上の魔術についても頼みたい」
「任された」
時刻は夕方。万が一の備えも確約が取れた。王国の守護者は待機させ、自分達は明日の強行作戦に集中するのみだ。
「誰か、黒騎士を案内するのだ」
「はっ! お任せください!」
騎士隊へ命じると、護衛騎士として幼少期より仕えて来たクラウスが真っ先に名乗りを挙げた。
………
……
…
黒騎士は非常に理知的であった。
「こちらが東の庭園となっております」
「見事だな。煌びやかな世界と無縁な俺でも楽しめる」
初めて目にした彼は闇の騎士と見紛う邪悪さであったが、話をすれば真っ向から反する存在と分かる。
騎士や兵士のみならず、使用人からの評判もとても良い。今もメイド達が遠目に黄色い声を上げている。
「宜しければ私からも何か贈り物でも。ご希望の趣味を仰っていただけたら、ご用意できることもあるかと」
「趣味……俺は思い付いた端から試しているからな。あなた方の頭に浮かんだものならほとんどが該当するだろう」
「ほぅ、黒騎士殿も氷塊を叩き割る活動を? では私の別荘に招待――」
「この一連の会話だけナシにしてもらってもいいかな」
五名の騎士を引き連れ、辺りを一望できる庭園を行く。
「……これはアルト様のご意志と全くの無関係な話としてください。私個人からのお話です」
「話を聞くまで断言は控えるが、そうして欲しいのならそうしよう」
「アルト様のものほど立派なものとは言いませんが、あと数本……何人かの上級騎士にも同様の剣をお売りいただけないでしょうか」
アルト擁立派の騎士のみに渡すつもりだ。黒騎士ならば意味合いは理解していることだろう。
セレスティア派、アルト派が大半を占め、エリカ派と貴族派が次に並ぶ形となっている。近頃は貴族派の動きが怪しく、他にも王位継承権を持つ者はいるが、この先この四勢力の構図はほぼ変わらないだろう。
「……あの素材はかなり重い。王子の物でさえ少量なのだが?」
「アルト様に次ぐ腕力の者は極小数ながらおります。一般的な直剣ならば扱えるでしょう」
「ふむ……」
「金銭ならば言い値を飲みます。これからの良き関係の為にも、ご希望の価格をご提示ください」
「ほぅ……」
後一押しという手応えを感じ、すかさず畳み掛ける。黒騎士がアルト側に付けば、王位継承権を持つ他の者達は口を閉ざさざるを得ない。
「これは極秘なのですが、近く【旗無き騎士団】を国軍に取り込むという話が持ち上がっております」
「……あそこの傭兵団は、国境付近や外国などの国軍で手の回らない場所や手の出しにくい依頼を受ける為の組織だろう?」
「ご存知でしたか。国を“旗”として、無所属であると強調した上での組織でした」
だが黒騎士の登場と、クジャーロ国の大胆極まる騒動により事情は変わった。
「黒騎士殿の影響か、正義感持つ傭兵達が増えたこともあり、戦争を念頭に【旗無き騎士団】が難しい決断をしたのです」
「ふむ、それが俺とどう繋がるのだろうか」
「これまでのような黒騎士殿からの一方的な助力だけでなく、戦力増強に伴って正式に、制度として、こちらからも貴方の要請に応えられるようになる……とお考えいただきたい。アルト様ならば独断で即決されることでしょう」
黒騎士は破格の強さを持つ。そして【旗無き騎士団】の第一師団長もまた同類の反則的な実力を有している。一人の人間の中に反則を散りばめた存在だ。
この二つをアルト側に引き込めるこの機を逃す手はない。
「――クラウスともあろう者がまさかと思いましたが、それは越権行為ではありませんか?」
最悪のタイミングであった。
見晴らしのいい庭園を選び、騎士隊にも周囲を見張らせていたのだが、セレスティアは嘲笑うように突然に姿を現した。
黒騎士目当てだからなのか黒いワンピースを着ており、気を緩めれば取り込まれてしまいそうな美しさと迫力で歩み寄る。
「セレスティア様、これは私個人と黒騎士殿との商談にございます」
「白々しい……」
彼女の背後に控えるマリーが苛立ちを押し殺して呟く。
「たとえそうだとしても黒騎士様お手製の剣を持つ騎士隊があれば、傍目からは黒騎士様のお墨付きをいただいたと捉えられかねませんね。公平性に欠けるのではありませんか?」
「協力者の範疇である黒騎士殿とどのような取り引きがあったとしても、越権行為とはならないでしょう」
「では私と黒騎士様との取り引きも問題はありませんよね?」
「っ、それは……」
やられた。こうならない為に庭園を選んだのだが……。
「心配性なあなた方に今一度言っておきますが、王位に執着することはありません。けれど肩身が狭くなると感じたなら、その方々に
黒騎士とは別種の迫力に歴戦の騎士達が口を噤んでしまう。
その妖艶な微笑に一切の嫌悪感や敵対心が生まれないことに気付き、それがいかに恐ろしいことかを身を持って痛感した。
「言い過ぎた際には、すみません。度合いに関しては気分によるところがありますので、先に謝っておきます」
時折アルトから聞くセレスティアの逸脱した能力。にわかには信じられないがセレスティアならば言の葉一つで誰しもを排除できてしまうと語っていた。
だからこそアルトを王位にと固い決意で動いていたのだ。
「さっ、もう充分でしょう? あなた達は下がりなさい。ここからのご案内は私が引き継ぎます」
まるで虫や石を眺めるような無機質な眼差しで薄く微笑むセレスティア。歩む度に、気圧されてじりじりと後退りする。
「では参りましょう、黒騎士様」
「…………」
「……黒騎士様?」
「上を見てみなさい」
誰もが羨むだろう。なんと腕を絡めようとするセレスティア王女を避け、黒騎士は腕組みをして顎で空を指した。
「君達はこんな状況なのに、身内でちくちくと言い合いか? 目の前で仲が悪いところを見せられる俺も居心地が悪かったぞ」
「…………」
どちらにも付かずとの意志表示だろう。黒騎士ならば王位争いの下準備がいかに大切かを把握しているのだから、本心から言っている筈はない。
「王女様なら尚更に分かることだろう。想像してみなさい。招かれて行った家で、友人と親がいきなり喧嘩し始めたらどうだ。それはもう複雑だぞ?」
「うぅ……」
しかし黒騎士の説教を受けるセレスティアの変貌ぶりに、自分を含め部下達が目を剥く。
しゅんとして俯いて身を縮め、許しを請うように上目遣いで黒騎士を伺っている。
「あとこれは城内の案内だったのか? 俺は出口への案内だと思って付いて来ていたが。どうりで全然帰れないわけだ」
「…………」
これは本当に誤解をさせていた可能性がある。あまりに大人しく素直に付いて来られるので、その場で交渉を判断してしまっていた。
クラウス、反省。
「忙しいのにあまり気を遣わせても悪い。というより俺はこのあと別の予定がある。ではまた」
「で、では出口までお供しますっ」
……引っかかる。
遠ざかる大小二人の背が、妙に気に掛かっていた。
「クラウス様、我々はどうしましょうか」
「…………」
部下の呼びかけに応えるよりも、考えを巡らせる。
セレスティア王女からの距離が不自然に近いように感じられた。腕を組もうとしていたが、男嫌いよりも我々への牽制を優先したのだろうか。
それとも……会うのは初めて、ではなかったのだろうか。
♢♢♢
アーク大聖堂、会議室。室内は闇夜の影も濃いが、ガラス窓から射し込む聖槍の輝きだけはとても強い。
互いの顔は分からないまでも粛清部の各長である大司教が一人を除いて四人、集結していた。
いや、旅立ったベネディクトに志願し、自らで王都に残った者達だ。
残ったのはエンゼ教『粛清部』に在籍する大司教達。『粛清部』は剣殺隊、暗殺隊、獣殺隊、魔殺隊、呪殺隊の五つの部隊からなり、背信者の立場や状況に応じて役目が与えられる。
この者等は隊のトップ。手法は違えど、ひとえに“排除”に長けた者等である。
「ナリタス様というが、本当にいるのか? ベネディクト様のご子息などと……」
「でなければ空の魔術が説明できない。大昔の粛清部魔殺人の者達は使えたと聞くけどね。今は私達ですら少しも扱えないよ」
「まさか落とさないよな。信徒もいるのに、それは教義に反するぞ」
剣殺隊の男は疑心を口にし、魔殺隊の女は合理的にナリタスの存在を肯定した。
「…………やる事に変わりはない」
「その通り。エンゼ教は強くなくてはならないんだよ。僕は僕で魔物を放ったよ」
無口な暗殺隊に同調し、獣殺隊の少年は不穏な物言いをする。
「……放った? どこに、何をだ」
「地下に、アルミラージ、カンタイアリ、サイレンター」
「なっ!? 自分がなにをしたのか分かっているのか!?」
どれも獣殺隊が飼育する中でも破格の危険度を誇る魔物であった。
対策を知らなければ空の魔術とは別に王都の危機だ。未だ少なくない数はいるであろう《白の天女》を崇拝する信徒の危機である。
「呪殺隊の援護だよ。手を貸して欲しいと言うから手伝ったよ」
「……あいつには関わるなぁ」
今ここにいない突き抜け切って変わり者の大司教を思い、全員が溜め息を吐いた。
「国軍による強制捜査が明日に始まるらしいね。獣殺は魔物がいなければ無力だし、呪殺がいないなら三人だ」
剣殺隊、魔殺隊、暗殺隊で国軍の侵入を阻止しなければならない。
「……問題となるのは、黒騎士とルルノアのみ……」
強者の訪れを感じた暗殺隊が、武者震いと共に呟いた。
「忌々しいセレスティア王女を忘れている。前線へ出て来るのがアルト王子とは限らないだろう。あの背信者め……」
「ウチらのことを嗅ぎ回ってる奴等もいるし、あの王女こそ油断ならないわね。ナリタス様でも危険かもしれない」
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