第86話、アークマン

 静寂が尊ばれるライト学園の資料室で、埃を被る古いものから新しいものまで書物を読み漁る者がいた。


 王城や王宮のものは読み尽くし、王国内で他に得られるものがあるとするならばここくらいだろう。


 現在は授業中につきほぼ貸し切りともあって、十分に没頭できていた。


 メイドの姿を取るドッペルゲンガーのモッブが頃合いとみて口を開く。


「……セレス様、もう何時間も続けてお読みになられていますし、そろそろ一区切りされては如何でしょう」

「…………そうですね」


 古びた分厚い書物を慎重に閉じ、手袋を外して一息吐く。


「…………」


 あまり疲労を覚えることはないのだが、溜め息を吐き出すということは無自覚に疲れていたのだろう。


 夜の間に【沼地の王】と会い、すぐに王都へ帰還して調べ物に集中することとなり流石に少しの休息は必要と感じる。


 しかし最大の脅威であるエンゼ教を取り除く頃合いは今であると、セレスティアは強く考えていた。


 理由はエンゼ教最高司教であるベネディクト・アークマンの逃亡と、もう一つ。


「…………」


 カーテンの開かれた資料室の窓から昼間の空へ視線を向ける。


 白い線が刻まれ、大きな円状の魔術陣が構成されていた。


 まだ最中ながら王都の空を不気味に照らすその魔術陣の中心には、巨大な槍の穂先が形作られている。


 あの壮大な魔術が完成すれば、王都は最低でも半壊。王は退避を断固拒否して撤退抗戦の意思を表明しており、放たれれば事実上の王国危機だろう。


 中心にアーク大聖堂があり、エンゼ教が仕掛けた反乱であるのは明白。


 空の槍を形成する媒体のようなもの、そしてそれに魔力を注ぐ何者か。


「王都のどこかにいるその者を探し出さなくては……」



 ………


 ……


 …




 昨夜未明。


 王都にクロノを送り届けたミストなる青い怪物に乗り訪れたカース湿地帯。


 聞いていた様相とはまるで異なり、水は干上がり刺々しい植物は骸骨の魔物達により切り開かれている最中にあった。


 中には木材や岩を加工し、運搬し、土台にしようというのか敷き詰める個体まで見受けられる。


 まさに築城中という状態にある。


 その中で唯一何もせずに宙に佇む、骸骨の王を見る。


「……あなたがモリーですか?」

『いかにも』


 昏い緑炎の如き絶大な魔力を虚な内から滲ませて、【沼の悪魔】がセレスティアへ向き直る。


「っ…………」

『陛下から聞いておる。何でも訊ねるがよいわ』


 伝え聞く以上に強いことを視線を交わすだけで察するも、モリーは見た目に反して非常に協力的であった。


「……では早速…………ベネディクト・アークマン、この名前に聞き覚えはありますか?」

『ない。ただ……アークマンという名自体には思い当たることはあるのぅ』


 アークマンというのは、代々エンゼ教の最高司教が受け継いで来た名前である。


『もし儂の知るアークマンならば…………手を出すでない』

「…………」


 予想通りの警告。あの伝説の【沼の悪魔】が手を出すなとはっきり告げた。


 永く侵略者や強者に狙われながらも尽くを葬って来たこの者が強い口調で断じる存在。


「やはりベネディクト・アークマンは……」

『――――“天使”じゃな』


 最強種の一つにして、最も希少である『天使』。特別な権能を有し、通常の方法でその身を傷付けることが叶わない高次元生物。


 セレスティアの遺物でさえ手応えはなく、天上の存在は人間とは生命体として別格であることを示していた。


「……忍ばせた密偵からの情報によると現在の標的はアークマンの子供らしいのですが、倒す術を教えてください」

『天使は子を宿せん。下僕とする下位天使を作れるのみよ。そしてアークマンが第二世代天使であろうから、生み出せるのは第三天使…………まだ難しいのぅ』


 セレスティアが調べた限りでも、強いという問題もあれども天使に攻撃を通すことそのものがほぼ不可能とされていた。


『位が下がれば弱くはなるが、そもそも“衣”があるなら攻め手が届かん。高位の悪魔か龍か…………それこそ陛下でもぶつけぃ』

「…………」

『カッカッカ!! 冗談じゃ、戯れ言くらい受け流せるようにならんとのぅ!』

「配下が王に危険を強いることはあってはなりません。何か知恵を絞り出してください」


 無礼に憤りを隠し切れないセレスティアがいつの間にか首元に装飾剣を翳し、モリーを急かす。


『他に可能とするならば、対天使武器かの。専用に作られた物で……悪魔か龍関連ならばより良い』

「そのようなものをすぐには用意できません」

『天使を倒そうというのがそもそもの無茶な話よ。権能にも頭を抱えることじゃろうて。最善をというならば陛下を連れて逃げぃ』


 無関心に骨の手を振り、話を終えようという素振りを見せるモリー。建築に関心があるのか、顎を撫でて配下達の動向を見つめている。


「……ベネディクトならば他者の魔力を増加させるというものなのでしょうが、その権能が受け継がれたりはしないのですか?」

『何? ……いや、有り得ん。天使に限って、それは有り得ん』


 ふとした問いに、モリーが興味を示した。


「その有り得ないというのは、受け継がれないという意味ですか?」

『それも個別に異なるが、天使の権能が他者を強化するという話がじゃ。天使はそのような親切な存在ではない』

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