第85話、祈るベネディクト


 王城、『王の間』。


 玉座に座るライト王レッド・ライトの前には、エンゼ教最高司教ベネディクト・アークマンが厳かな雰囲気の中で小さく跪いていた。


 たった一人、供を伴う事も許されず。


「ならん」

「…………」


 直接に放たれたライト王の言葉には、確固たる拒絶の意志を感じる。


 アルトとシーロはそのやり取りを固唾を呑んで見守り、警戒していた。


 公爵であるマートンの表情にも、一切の余裕はない。


「……エンゼ教排斥の御意志は変わらないと。おぉ、何という……天女様……」


 嘆きを表して組んだ両手を額に当てて拝むベネディクト。弱々しい老人のその姿は誰もが同情してしまうだろう。


「其方をここで捕縛すれば民の暴動が起こりかねん故に自制してはいるが、本音は今すぐにでも関係者全員を牢に叩き込みたいくらいだ」


 先祖からの怒りが募り、平時では有り得ない強い口調で責める。


「あまりに無慈悲な御言葉……。何かの些細な誤解の積み重なりであり、セレスティア殿下の推察が行き過ぎているのだと私は確信しております」

「余が教会を調査させた結果、少なからず王都の大司教数名の関与は確定している」


 冷徹な口振りを撤退する王がベネディクトへ釘を刺す。


「其方等の教会にある秘密の脱出経路も暴いておる。逃げる事も許さん」

「……」

「ただ粛々と沙汰を待てぃ」


 本来はアルトとベネディクトの会談。


 わざわざ多忙な時間を空け、自らで突き付ける言葉の刃。


 王の険しい眼光は、終始ベネディクト唯一人に向けられていた。


 その直後に王は退席して謁見が終わり、大勢の兵に囲まれたベネディクトが重い足取りで廊下を行く。


「……」


 前方より白銀を基調とした鎧姿のセレスティアが歩んで来る。


 ベネディクトの周りの兵士達が、ベネディクトをセレスティアから遠ざけようと動くが、控えていたマリーがハンドジェスチャーで制止する。


「ご機嫌麗しゅう御座います、セレスティア殿下」

「ご機嫌よう、ベネディクトさん。気落ちされているようですが、お父様に叱られてしまいましたか?」


 低姿勢でセレスティアへと礼をする。


 その姿は老いた者特有の緩やかさで、力強さなど無いに等しいものであった。


「何もかもご存知のご様子。……仰られる通りにお叱りを頂戴してしまいました……いやはや……」


 これ見よがしに俯くベネディクト。


「殿下、そろそろ……」

「えぇ、どうぞ」


 王より、直ちに出口まで連れ出し、監視役を追跡させよとの命令から、兵士がセレスティアへ伺いを立てる。


「では、御前を失礼しますので……」

「はい、どうかお元気で」


 兵士に囲まれたベネディクトが、セレスティアを通り過ぎていく。


 そして、九歩半。


 王城の一角が、別次元へと変貌する。


「……」


 歩みを止めたベネディクトの背後から、仄明るい風が吹き付ける。


 言葉にし難き現象であったが、言うならば光の粒子が空気に溶け込んだようであった。


 その一帯は、緩やかに流れる光の風に包まれる。


 慈愛のように美しくも、身動き一つ許さない無情な冷たさを感じる神秘性を纏った空間へと変貌した。







「――私はてっきり、コレ・・を確認する為に来られたものだとばかり……」







 ベネディクトがゆっくりと振り返り……ソレを目にした瞬間、目を剥く……。


「…………そちらはご立派な装飾剣ですが、魔剣の類ですかな?」


 冷静を装い手を指すは、セレスティアの手に収まる……漆黒の装飾剣。


「ふふっ、その様子だとあなたの方が詳しいでしょうけど、最近は手に馴染んで色々な事が出来るようになったのですよ?」


 神域を思わせる光の空間に、誰もがたじろぐ。


 しかし……。


「…………」


 ベネディクトは柔和な笑みを浮かべたまま。


「……殿下、皆様が苦しんでおられます。他者を敬う心を忘れれば、それは傲慢への火種となりましょう。徳と違い、それは生まれてしまえば容易く消えるものではありません」

「少し我儘な方が、女性として魅力的ではありませんか?」

「……これは困りました……」


 麗しき微笑の仮面に苦笑いの仮面を向け、冷たい視線を交差させる。


「……ふふっ」


 光が一瞬で消え去る。


 異次元と化していた王城の廊下が、普段の空気を取り戻す。


「うぅ……」

「っ、ふぅ……」


 無慈悲なる『光』の去った後の天から射し込む日光は一段と温かく、兵士達から自然と安堵の溜め息が漏れる。


「それでは、殿下。老いぼれを揶揄うのも程々に、改めて御前を失礼いたします」

「はい。道中お気を付けて」




 ………


 ……


 …





「……彼は底が知れませんね」


 笑みを崩さないセレスティアが、見えなくなったベネディクトの印象を呟く。


「平然としていましたが……本当に老人なのでしょうか」

「……そもそも人間では無いのかも知れません。生物とも思えません」


 黒剣を仕舞い、微笑の仮面を脱ぎ捨てる。


 凛とした鋭い気配で、冷や汗を流すマリーへ語る。


「ほんの少しだけ、彼に干渉しようと『光』で探ってみましたが何の感触も感じられませんでした」

「……」

「何か理由があるのでしょう。能力なのか、魔術なのか……いえおそらくは……」


 一瞬にも満たない睨み合いの最中、悩んだ末に見逃す選択を取った。


「ここでエンゼ教を終わらせるつもりでしたが、あれではまだ手の内を隠しているでしょう。口惜しいですね……」


 手応え次第では、ここで決する腹積もりであった。


 鎧姿で臨んだエンゼ教最高位との接触。


 武力的衝突は無く、ちょっとした皮肉の応酬となった。


「……行きましょう。やはり準備をしなくてはなりません」


 セレスティアは弾む足取りで自室を目指し、マリーは微笑ましく思いながら後を追う。


「どのような、準備なのでしょうか……」

「やはり現状で最大の敵はエンゼ教です。葬る為の道筋は今の対話で見えて来ました。しかし必要な情報がまだ足りません」


 まず初めに行く先は、彼の地だ。解決への糸口を持っているとするならば、古くより生きる…………いや、存在するあの者だろう。



 ♢♢♢



 ベネディクトがアーク大聖堂に帰還して翌日に、王国の軍隊が出入り口を塞ぐ。


 エンゼ教の教会騎士達が憤りに塗れるのは必至であった。


 白の天女に最も近きベネディクトをまるで罪人扱いし、愚かにもエンゼ教を消滅させようなどとしている。


 エンゼ教徒からすればおかしくなってしまったのはレッド・ライト王に他ならず、狂王と呼ぶ者も少なくない。


「…………っ」


 憎たらしげに歯を食いしばる教会騎士が、天へ聳えるアーク大聖堂の見下ろす広場から入り口付近を睨み付ける。


「ベネディクト・アークマンを出すんだっ!!」

「身の程を知りなさいっ……!! 輪廻の中で敬称を忘れて来たのですか!?」

「どの口が言うっ!! 頭上を見上げてみろ、貴様等は見捨てられたのだ!!」


 静かな激憤を表すアルトが指差す先に従い苦々しくも空を見上げる。


 しかし……いつ如何なる時にも人々を癒して来たどこまでも続く蒼穹は、無粋な線によりその全貌を阻まれていた。


 巨大な魔術陣。


 純白の光線により徐々に構成されていく神罰の如き魔術であった。


「ベネディクトが不在だなどと戯けた物言いをするわけはないだろう。自分だけ避難して貴様等や信徒を残してだなどと、今更に言ってくれるなよ?」

「っ…………」


 魔術式は解読不可能。魔力の供給源も大凡の中心地であるアーク大聖堂ではないかという大雑把な憶測しか立てられていない。


 少しでも多くの情報入手が尊ばれていた。


「これがエンゼ教のいう救いとやらか!? 王都に住まう全ての民が脅かされ、不安に震えているっ……!!」



 ………


 ……


 …




「…………」


 一軒家からクロノもまた空の光線を見上げていた。


「……わぁ、綺麗。なんかの催しかなぁ。心なしか洗濯物も早く乾くし、ワクワクして来た」

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