第5章、擬似聖槍編

第84話、王と遺物




 ライト王国の王城では、『王城設立祭』が開かれていた。


 スグェナ建築による魔術を駆使し、高く壮大に作られた王城。


 その中のパーティー会場の一つには、王国の名だたる面子が揃い、宴に酔いしれていた。


 ライト王国の貴族達を始め、国内外の富豪などの集まる恒例行事だ。


「――陛下、今宵は御招き頂きまして光栄の至りですわ」


 丸々と太った長身の老齢女性。


 過剰に厚塗りをした化粧。


 眩しい宝石などのラグジュアリーな指輪や腕輪などでその身を飾り付け、華美に極まるドレス姿。


 かの有名な、“マダム・リッチン”だ。


「其方にはこれまで経済面でこの国を支えてもらった。これからも招待するつもりだ。存分に楽しむがよい」

「まぁ、嬉しいですわぁ。あの娘に全てを持っていかれたお間抜けさんですけれど、そう言って頂けると無念に痛む心も和らぎますわぁ」

「う、うむ……」


 執拗にウィンクをかましてくるマダムに、ライト王もたじたじである。


 アルトに至っては、頭上の小さな王冠がヘニャリと萎えてしまっている。


「おぉ!!」

「……可憐だ」

「なんと……」


 その時、会場が湧いた。


 まるで火が着いたように、人々の心は熱くなる。


「…………」

「噂をすれば、当の本人が現れたようだな。まさか招待に応じるとは思わなんだが……何を言われるやら、怖いやら楽しみやら、複雑だな」


 小声で、独り言のように思わず漏れたライト王の言葉。


 ライト王や不機嫌になったマダムだけでなく、会場中の視線を集めるのは……。


「……悪くはない。良くもないがな」


 スカーレット商会会長、ヒルデガルト。


 結い上げた黒髪に、女性的な豊満さと若さ弾ける肉体を隠す……紅と黒のドレス姿。


 ライト王の宴に来て登場するには奇抜極まる彩色である。


 胸元と脚を大胆に露出させ、幼げな容姿とのギャップで会場の男達を虜にする。


 可憐さ、そして色気という相反する点では保護の為に軟禁状態のセレスティアに勝るとも劣らないやもと思わせる程であった。


「……陛下、あたくしはこれで」

「うむ、気を使わせるな」

「いえいえ、お気になさらずに」


 マダム・リッチンが丁寧に王へとお辞儀をした後、関わりたくない一心で黙っていたアルトへも一礼し、王達の元を去る。


 真っ直ぐ正面の出口へと。


 出口からは、共を連れて直線で王へと向かうヒルデガルトが。


 華美な髪飾りやアクセサリーを身につけ、大胆なドレスを揺らして、どこか似通っている両者の距離が縮まる。


 2人の因縁を知る誰もが、談話に花を咲かせている風を装い、視線は決して向けず、しかし思わず息を呑む。


「…………」

「…………」


 ヒルデガルトが上からの立場で、マダムを見上げる。


「まだ生きていたのか。のたれ死んだのだろうと思っていたぞ」

「……それが荒野でのたれ死にそうなところを救ってもらった恩人に対するセリフかしら?」

「貴様の口から“恩”とはな。金は力。力は権利。奪われた側が悪い。どれも貴様がこれまで潰して来た者達に、散々言い放って来た言葉だ」


 スカーレット商会は、以前は別の名でマダムがトップに居座っていたというのは貴族や富豪の間ではあまりに有名な話だ。


 しかし民の中では、スカーレット商会と名を変えて一層巨大となった為にヒルデガルトが一代で築いた組織だと思っている者も多い。


「……あら物騒。あたくしはあなた程危なくはないわ。そんな事では殿方が離れていくばかりよ?」

「くだらないな。私に会社を奪われた傷を、金で買った男で慰める毎日か」


 憐みの冷徹な視線。


 マダムのコメカミにとうとうビキリと筋が浮き出る。


「男も女も関係ない。人は皆、私を恐れ、逆らう事を許されず盲目的に従うのみ。他者に依存するなど……ふっ、弱さの証でしかない。その証拠に私は他人に惹かれた事がない。望むのは力だ。希望を叶える、力だ」

「変わらないわね。本当に……哀しい子」


 明らかに劣勢のマダムが、せめてもの仕返しに鼻で笑いながら嘲る。


「哀しいと言ったか。結果はどうだ」

「……言っておきますけどね。あたくしはまだ――」

「貴様は終わりだ」


 ヒルデガルトにとって、既に彼女は実質的に相手にするまでも無い者である。


「色々と動いているようだが、金は増えたか? ……これも貴様のやり方だな。根回しをして、二度と刃向かえなくなるまで徹底的に落とし続ける。長年の豪遊癖は抜けないだろう?」


 会話はそれまで。戯れに付き合っていただけだ。


 もはや興味なしと、ヒルデガルトはマダムの横を通り抜ける。


「貴様は堕ちるのみだ。そうだな……これまで捨てて来た者達の怨念だと思って受け入れろ」

「ッ……!!」


 ヒルデガルトに対抗する為に買い集めたアクセサリー型の魔道具が、光り始める。


 様々な色合いで光り、虹のようにマダムを彩る。


「――――」


 ヒルデガルトが紅き魔力を僅かに滲ませる。


 会場のテーブルや食器が、耳障りな音を立てて震える。


 中には気を失うものまで出て来る始末。


 この広い空間全てを掌握して余る女皇の魔力の気配。内なる魔力を少しばかり漏らしただけで、この有り様となった。


「…………」

「その遊び道具で抗うつもりか? この私に」


 マダムは魔力量にも恵まれ、数々の刺客を自らの手で返り討ちにした過去を持つ。


 恨みはそれこそ星の数程ある身。


 それをこの歳まで致命傷なく生き抜いて来たのは伊達ではない。


 しかし……。


「……また会う気がするわね。それまでせっせと仕事に励みなさいな」

「大衆の前でかかって来れば、一思いに葬れたのだがな。残念だ」


 背を向け最後の会話を終わらせ、別れていく。


「本当に化け物ね……」


 相手はヒルデガルト。


 底知れない力の秘密も分からず、分かったところで到底届かない。


 今のままでは……。


「……あら? あなたは確か……」

「っ、お、おりぇ、僕は!」

「近衛騎士団長シーロ様の御子息でいらしたかしら」

「は、はい!」


 鬼の形相から瞬時に穏やかに変わったマダムに、ハクトがみっともなく怯えながら答える。


 経験乏しきハクトに少しでもこのような雰囲気を味合わせようとする王の計らいで、出口付近の警備を任されていた。


「ホホホ、ただの平民のオバさんに敬語なんて使うものじゃありませんわ。それより……なんだか、以前にお目にかかった時より勇ましくなられましたわねぇ」


 先程と打って変わって非常に好感を覚える対応であった。


「かの有名なマダムにそう言って頂けると、自信が付きます」

「……あたくしも、あなたのように純な志が必要なのかしら」

「……?」


 ハクトが軽く首を傾げ、少しの間マダムは目を瞑り何か考えを廻らせ……。


「……戯言ですわ。お忘れになって」

「はっ!」

「それでは、またお会いしましょう」


 ハクトに別れを告げたマダムが巨体を揺らし、会場を後にした。


 外に控えていた警護を引き連れ、威風堂々と去って行くマダムに、緊張しきりのハクトは全身の力が抜ける。


(……こ、怖かった。女皇どころか、あの人にも勝てる気しないぞ……。……ビンタされたら首取れるんじゃないか?)


 そんなハクトやマダムのやり取りよりも、会場中の注目は王とヒルデガルトに集まっていた。


「黒騎士、か。一度救われたからと、そいつをそれ程までに信用している貴様等の能天気さが、私には到底理解できないな」

「構わぬ。しかし、余等はかの者と【剣聖】リリアの報告通り、【沼の悪魔】が【黒の魔王】の手に堕ちた可能性が濃厚としている」


 誰にも聞こえないように配慮しながら、王とヒルデガルトは密談を交わす。


 王にしてみれば千載一遇のチャンス。


 普段は決して招待に応じないヒルデガルトを、秘密裏に渡した多額の金で釣ったのだから。


 ライト王国の余裕の無い現状でだ。


「これは我が国で最も影響力のある一人とされる、ほかでも無い其方には伝えるべきと思うてな。互いにとって、共通の脅威であろう」

「【黒の魔王】」

「うむ」


 ここまでは、王の予想通りの展開であった。


 敬いの心を無くしているヒルデガルトに物申す者はおらず、むしろスムーズに交渉・・が進む事に安堵していた。


 だが、次のヒルデガルトの言は、王やアルトのみならず言葉の届いた全ての者を驚愕させた。


「来たぞ」

「……………来た、とは。何がだ?」


 理解の追いつかない王達へ、ヒルデガルトが淡々と告げた。


「――【黒の魔王】なら、数日前に私の元に会いに来た。売り込みにな」

「……売り込み?」

「そう言っている。何度も言わせるな」


 ポカンとした間の抜けた表情の抜けない、ライト王。


「武器や食糧を金で買わないかとな。結局その話は破談に終わった。奴もそれきり姿を見せない」

「……ヒルデガルト様、それは私も初耳なのですが」


 今の今までそのような重大な会談の話を聞かされていなかったサーシャとカインも、目を剥いて驚いていた。


「口を挟むな」

「か、かしこまりました……」


 何故言う必要があるのかとヒルデガルトがサーシャを睨み上げ、二の句を強引に封じる。


「本当に魔王が、金を欲していたのか?」

「そう語っていたというだけだ。真に受けるな。口実に決まっているだろ。どこの馬鹿が魔王だと自ら名乗り、直接私に売り込みに来るんだ」


 訝しげなアルトの言葉に、聞くまでも無い事を訊ねるなと鋭く睨み返す。


アレ・・なら、どこからでも奪える。人の決まりなど守る必要もない。他に目的があるに決まっている」


 実際に目の前で対面したヒルデガルトの言葉からは、彼女をして強大と認めている節が感じ取れた。


「魔王の欲するもの……………なるほどな。ヒルデガルトよ、其方か」

「どうだろうな」


 顎髭を撫でながら思考したライト王が悩ましげに言うと、ヒルデガルトはつれない返答を即座にした。


 しかし、誰もが確信を持っていた。


「仮にそうだとしても、貴様らには関係のない事だ。それより、さっさと用件を済ませろ。あの金で得た時間はこうしている今も減っているぞ?」


 ドレスから飛び出しそうな程に張りのある胸が、その下で腕を組む事でより迫力が増している。


 周囲が反射的に顔を火照らせ生唾を呑む。


 しかし、王やアルトはそれどころではない。


 考えてみれば、セレスティアを狙うあの邪悪な魔王がこの女性に目を付けない訳が無かった。


 セレスティアが奪われる事はあってはならない。国の象徴であると共に、『遺物』を持つその点からも。


 だが同様にヒルデガルトも失う訳にはいかない理由があった。


「ヒルデガルトよ、本題だ。今宵呼び出したのはこの一言の為だ。……ライト王国に付いてくれ」

「懇願だな。笑えはしないが愉快な光景だ。王として恥ずかしくないのか?」


 ライト王が皆の手前に頭を下げないまでも、真剣に願う。


 対面するヒルデガルトにとっても、この提案は当然の事ながら想定済みのようだ。


 不敵かつ小悪魔のような艶やかな笑みを浮かべ、正に懇願する思いで提案するライト王を見下す。


「……【黒の魔王】とクジャーロ。これらを相手取る以上、スカーレット商会がいなければ立ち行かなくなる。いや、クジャーロ側に付かれては困難極まる」


 一時の屈辱よりも優先すべき事がある。


 スカーレット商会はクジャーロにも手を伸ばしている。


 大国であるライト王国との戦争の恐れのあるクジャーロ国が、スカーレット商会を……ヒルデガルトを抱き込もうとするのは目に見えていた。


「それで? この国はこの私に何を提示する。莫大な富か? 貴様を凌ぐ権力か?」

「無論、いくつかの特権を用意してある。しかし、今の其方にとって大きな利は、王都の不可侵の方かも知れぬな」

「…………」


 ヒルデガルトの鋭利な目が、更に細まる。


 背後のカインとサーシャが、ヒルデガルトの明確な不機嫌を一早く察する。


「飛び抜けて美麗な容姿の其方は、間違いなく【黒の魔王】の標的となっておる。この王都ならば、クジャーロからも決して侵略されず、上手くいけば【黒の魔王】も排除できる」

「……噂の『遺物』だな」


 頷く王に偽りなど無く、誠意を持って利を語る。


「伝え聞く過去の『遺物』の行使からも、その威力は凄まじいんだろう。本当に存在するのなら貴様の自信も肯ける。……しかしだ」


 嘆息混じりに呆れの感情を強くして、ヒルデガルトは続ける。


「クジャーロはともかく、【黒の魔王】はどうだろうな」

「それならば心配するな。如何に【黒の魔王】と言えど塵も残さず消え去るだろう」

「なら何で使わない」


 返す刀で紡がれた冷淡なヒルデガルトの問いに、王が押し黙る。


「……侵略国家相手には使えるのだろう。だが……大方、その自慢の『遺物』所有者自身が、対象を補足しなければ発動できないとかなんだろう?」


 あるいは規模を限定できないからか。


「機密故、それは口に出来ぬ」

「聞かなくても分かる。あの魔王相手に行使できるならとっくにやっている筈だからな」


 初めは、娘であるセレスティアと共にいるから使用しなかったと考えていた。


 しかし文献などに残るデータからは、共にいたセレスティアを避けて行使する事も可能なようであったのだ。


 つまり、それ以外に使えなかった理由がある。


 ヒルデガルトはこの王が『遺物』所有者であり、例えば視認などをしなければ発動できないのだろうと予想していた。


 だからこそ神出鬼没の魔王にどう使用するつもりで言っているのかと、鼻で笑っているのだ。


「どう推察しようが構わぬ。だが決して余の口からアレの情報は語られない。これは其方がクジャーロに付く事になろうともだ」

「そうか、どのみち構わない。大して興味もないからな」


 本心からのヒルデガルトの言葉に、ライト王の片眉が上がる。


「用件は聞いた。金を受け取ったからには正式に返答はしよう。特権とやらは資料にして用意出来次第送れ。だが、結論までにある程度の時間はかかる」

「うむ、無論待とう。誠意ある態度に感謝する」


 ライト王との会談が終わり、ヒルデガルトが別れを告げる。


 次の日、入れ替わるようにしてまた大物が王城に現れる。


 それは王国にとって最も脅威となっている魔王と並ぶ程に厄介な存在。エンゼ教最高の指導者。


 ベネディクト・アークマンであった。



 ♢♢♢



「…………」

「その……宜しかったのですか? クジャーロから招待を受けている事実を伝えなくて」


 王族のものと見紛うヒルデガルトの馬車には、ヒルデガルトといつもの付き人2人が乗車していた。


「まだ協力関係で無いのに伝える必要などない。何にせよ、双方の条件を比較してからだ」

「方針は分かりました。……それで、いつクジャーロに?」


 上品な白のドレス姿のサーシャが問う……が、当のヒルデガルトは気のない返事を返した。


「運転手が変わっていたな」

「……よくお気付きで。行きの運転が乱暴だったので強目に叱責したのですが、どうやら逃げてしまったようです。なので急遽城の兵に代行してもらったのですが……気に入りませんか?」

「そうか、悪くない。運転手として勧誘しておけ」

「は、はい」


 サーシャの独断にも、大した関心も持たない。


 実力主義。


「貴様らも覚悟しておけ。優れているから残しているに過ぎん。使えない奴に用はない」

「無論、承知の上です」

「はい……」


 雨の降りしきる窓の外を見つつの、やり取り。


 情ではなく、完全なる利の為に重きを置いた会話を、最低限で終わらせる。


「クジャーロへの出張は前日に伝える。予定はそちらで合わせろ」

「かしこまりました……」


 クジャーロへの道中にあるホテルの予約や、あちらでの仕事のスケジュール調整が突然にやって来ることとなった。


 長年の付き合いである2人だが、ヒルデガルトの小悪魔のような容姿による魅力は絶大だ。


 しかし、それを完全に塗り潰す程の覇気とカリスマ。


 誰よりも身近で痛感し、その恐ろしさをよく知っている。


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