第172話、閑話のような何か
スカーレット商会、会長室。
「…………」
そのシックな紅と黒の装いをした艶やかな黒髪の少女は、セレスティアと並ぶまでに愛らしく可憐であった。
童顔に似つかわしく無い胸や色香は抗い難く魅惑的で、何者にも媚びないその眼光に途轍もなく惹かれる。
しかし、
「…………」
「…………」
黙々と書類を確認する少女を前に、厳つい顔立ちのマルコと手伝いに連れられたクリスは緊張に真っ青だ。
カジノ『アーチ・チー』の経営をほぼ任されているマルコをして、ヒルデガルトという少女の圧力には内から震え上がるものがあった。
「――論外だな」
目を通した書類をデスクに放り、視線も向けずに淡々と告げた。
「し、しかしですねぇ、これはボスが決めてたことですんで、勝手に変えるこたぁ――」
「――黙れ」
ピリピリと針で肌を刺すようである。張り詰めていた空気が、女皇の眼光と覇気により更に冷え込む。
「誰が口を開いていいと言った。私は貴様に返答や弁明を求めた訳じゃない。“論外だ”と決定を通達しただけだ」
「…………へ、へぃ」
マルコの顔や体中に刻まれた傷痕は伊達ではない。
数々の修羅場を生き抜き、ジェラルドと共に何度も死線を潜り抜けた。
道を阻む者を手にかけたことも一度や二度ではない。
だがこの少女を前にしては、気をへし折られる。勝ち気も強気も、反論を口にする気すら押し潰される。
「でもっ、あの……」
「っ……!?」
隣の小さなクリスが声を上げ、マルコがぎょっとする。
「…………」
「どうした? 碌な反論が出るとは思えないが、試しに言ってみろ」
「……っ、ぼ、ボスが私達にお役目をと、試作品係を……」
「そんなものは料理人かあいつが直ぐにでも考えつく。不必要な部署は潰して当然だ。それから……この不透明な酒代の記載はなんだ」
書類を扇子で叩く。
それだけで、二人……そして扉辺りに待機していたカインの身体が跳ねる。
「……それはボスと兄貴が飲む酒ですわ。それだけは姐さん、勘弁してやくれやせんか……?」
「……言いたいことはそれだけだな?」
「いっ!? す、すいやせん!!」
「そのふざけた口を二度と開けなくしてやろうか……」
マルコの戯言と姐さん呼びに、紅い魔力を滲ませるヒルデガルトが手の内に強大な魔力を溜め、静かに憤りを表す。
三者三様に迫り来る激怒への恐怖に縮まりつつあった、その時である。
ノックが鳴る。
冷や汗流すカインがヒルデガルトへ目線で確認し、そっと扉を開いた。
「――ただいまぁ」
にこやかなクロノが姿を現した。
♢♢♢
「ただいまぁ、今帰ったよ」
お仕事中のようだから、窓ではなく扉からヒルデガルトに会いに来た。
「おぉ、みんな揃ってるね。遅くなっちゃってごめん」
「ぼ、ボス……」
……な、なんかマルコがやたらと安心したように脱力してる。
どうやらマルコ達と打ち合わせをしているらしい。
でも打ち合わせにしては、ヒルデ以外は顔が真っ青だ。
「ヒルデ、ただいま」
「ふん、不愉快だ。今すぐアホのふりは止めろ」
「してないけど!?」
アホのふり!?
帰還早々にいきなりツッコむ羽目になるとは、やはりヒルデは恐ろしい。エリカ姫を上回る速度だ。目玉飛び出るかと思った。
「ま、まぁいいや……。今は何を話してたの? 結構白熱してるみたいだったけど」
「白熱などしていない。それはそれは穏やかなものだった」
「えっ……でもマルコ達の顔色悪いよ?」
標高何千メートルとかの山に挑んでる人の顔色だ。
「……おい」
「へ、へい」
今日も絶好調な美少女っぷりのヒルデが、お仕事熱心なマルコに威圧感ある低い声をかけた。
「こいつに任せておくからそのような用途不明な部署などができる。あとは私が直接こいつに言い付ける。貴様等は失せろ」
「へいっ、では……」
……あからさまに嬉しそうなマルコが、こちらをちらちら振り返るクリスを連れて退室していく。
「……そそくさと出て行くじゃん。何やったの……」
「あのクリスとかいう女共の部署は廃止にした。掃除でもさせた方がマシだ。ジェラルドとかいう輩の酒代も経費として認めない」
「ジェラルドのは賛成だね。……地酒のお土産を持って帰った俺が言うことではないけど」
でも彼女達についても丁度いいや。人手が欲しかったところだ。
「魔王陛下、申し遅れました。ヒルデガルト様の秘書を務めております、カインと申します」
「おっ……うん、よろしく頼むよ。俺が魔王だ」
仕事のできそうな男性に深々と頭を下げて自己紹介されるもんだから、対抗して魔王らしく大らかに応える。
「また暫く王都を留守にする予定だから、ヒルデを頼むよ」
「……留守にする?」
やたらと剣呑な雰囲気を醸す声に振り向くと、眉を寄せたヒルデが睨み上げていた。
「っ…………」
カインは息を呑んでいる。
「……おい、茶の支度をしろ」
「はっ、かしこまりました」
随分とキビキビとして、カイン君が部屋を後にした。
そして扉が閉まるなり、ヒルデは溜め息混じりに口を開いた。
「……どうしようもない奴だな。呆れて言葉もない。貴様はまた私に仕事を押し付けて、自分はふらふらと旅行をすると…………そう言っているのか?」
「いやいやいやいや、きちんとした業務だから!」
これは本当だ。よく分からない人から、よく分からない頼み事をされたのだ。
「思わぬところに問題が発生したもんだから、ちょっと自宅に寄ってから行こうと思ってるんだ。ヒルデも時間ができたらその内一緒に行ってみようか」
デスクに歩み寄り、
「……貴様の楽天的な思考がどこから来るのか、永遠の疑問だな。貴様と違って私は…………」
目を細めて軽蔑の眼差しを送るヒルデの黒髪をぽんぽんと撫でる。
「また少し寂しい思いをさせてしまうけど、すぐに帰って来るから機嫌を直してくれ、ね?」
「…………っ!!」
俯いてほんの少しだけ撫でさせてくれた後、ほんのり赤い顰め顔でキッと睨み付けつつ手を払い除ける。
「――っ、っっ!」
すかさず立ち上がり、背伸びして額に一つ、ほっぺを往復して二つ、扇子でツッコまれてしまった。
「……女の髪に馴れ馴れしく触れるな、馬鹿者め」
「よぅし分かった。ルールを決めようか。ボケ一つにつき、ツッコミは一回だ。魔王との約束だよ、いいかな?」
「…………っ!」
また一つ乾いた打撃音がおでこで響く。
「これはボケじゃないよ! いたって真剣だ! ……いやさっきのもボケと違うけどね」
けれど俺の言い分にお構いなしのヒルデは、デスクの引き出しから一通の手紙を取り出す。
「……これは何だ?」
待ちに待ったぞと言わんばかりに、腕を組んで叱り付ける準備を万端にして言う。
露出度の高い服でそう言う自信満々なポーズを取ってしまうと…………凄く可愛いけど過激というか、色々と心配だ。
でも言ったら扇子が飛んでくるから言わない。
「え〜っと……ああ、我がクロノスの『第三席』に任命するって手紙だね。おめでとう、ヒルデ」
手を叩いて祝福する。こんぐらっちゅれーしょん!
「貴様の命運もこれまでだ」
「え、俺死ぬの?」
スーパーヒーローがラストに言うやつを言われた。これを言われたらラスボスは終わるっていうやつだ。
大層ご立腹のヒルデさん。背後にメラメラと不動明王様が見えるようだ。
「もしかして、なんか不満だった? 初回っていうのもあるし、変動制だし、加入時期とかも考慮に入れたから、三席ってかなりいい待遇だと思ったんだけど……。ぶっちゃけ、ちょっと贔屓したし……っていうのも書いたよね」
「私が一番でない時点でどうかしている。初めからどうかしている貴様であっても度が過ぎている」
「どうかしまくってるじゃないか、俺……」
椅子の位置を変えて座り、真正面から睨め上げて続ける。
「まぁいいだろう。間違いは正せばいいのだからな」
「うむ、それは一理あるね」
愛らしい顔して、鋭いながらくりくりな目で見上げて言う。
「今回で言えば正すのに大した労力は必要ない。単純極まりない話だ。私を第一席とやらにすればいい。それでこの話は手打ちにしてやる」
「…………」
「…………」
「…………えっ!? もしかして今俺、不正を持ちかけられてんの!?」
なんと、白昼堂々不正を持ちかけられた。
♢♢♢
素早くヒルデガルトと魔王の茶器や湯を用意して入室したカインは、自らの目を疑った。
「馬鹿者、誰がそんな真似をするか。不正などではない。人聞きの悪いことを言うな」
「あっ、そうだよね。ごめんごめん」
決して男を近寄らせないヒルデガルトと魔王が、近距離にて談話している。
「貴様は私が言った通りに言えばいい。分かったな」
「うん……?」
「魔王の自分が馬鹿者で…………んっ」
あのヒルデガルトが、あの女皇が……子供っぽさの見える表情と口調で魔王に催促している。
女性としてヒルデガルトに一切の興味が無いが故に選ばれた自分さえも、これ以上ない可愛らしさだと思えてしまう程だ。
それは異常と言える光景である。
「ま、魔王の自分が馬鹿者で……」
「間違えてあの女を第一席にしてしまったが」
「……間違えてあの女を第一席にしてしまったが」
「それはやはりどうかしているので止めて」
「それはやはりどうかしてるので止めて」
姿勢良く座して腕を組み、仕方なしとばかりのヒルデガルトの言う通りに、続けて魔王が復唱している。
「ヒルデガルトを」
「ヒルデガルトを……?」
「第一席に」
「第一席に」
「する」
「めちゃくちゃ不正じゃないかっ!」
誘導に気付いた魔王が、驚きのあまり堪らず声を張り上げた。
「ダメだってば! 貢献したら順位を上げる制度なんだから不正は止めようよ!」
「相変わらず物分かりの悪い奴だ。これは不正ではない、訂正だ」
「いや言い方の問題ではないんだよっ?」
「ふん、魔王のくせに不正を恐れるな。弱虫め」
「ああっ止めて止めて! うっかり騙されるかもしれないから、それっぽいことを言わないでくれっ! それ以上攻め方を探らないで!」
椅子に座る小さなヒルデガルトが、悪戯に魔王を追い詰めているようにも見えてしまう。
「喚くな、茶が不味くなる。……おい」
「っ……はっ、ただいま!」
特段目付きが変わったようには見えないが、こちらへ茶を要求するヒルデガルトの視線は平時の突き刺すような鋭利なものであった。
「……どうぞ」
「…………」
毎日と同じルーティーンにて、熱い紅茶を口にするヒルデガルト。
「……普通にお茶飲み始めたんだけど、この子。どれだけマイペースなんだろうか」
「魔王陛下も宜しければこちらを」
「あ、ご丁寧にどうも」
魔王らしくなくお礼を言うもので茶器を少し鳴らしてしまうが……どうやら気にする素振りはない。
安堵しつつ、カップを魔王へ手渡し距離を取って控える。
「……うわぁ、美味い。よく分かんないけど、すんごい高そうな香りだこれ」
「それで? 問題とは何なんだ」
「ん……っ。……あぁ、問題ね。そこまで大したものじゃないよ。黒騎士としてちょっと人前に出るだけ」
カインの息が詰まる。
今の物言いでは魔王であるこの者が黒騎士であるかのようではないか。
筆舌し難き寒気が背筋を駆け上る。
「でもこっちで何か問題でもあったらすぐに知らせるんだよ? 何を置いても駆け付けるからね」
カインの内心とは反するように、親しげに会話する二人。
洗脳されたのではと疑わざるを得ないヒルデガルトだが、
「……問題だらけのやつが言うな」
「たしかにぃ……」
口調はやはり彼女にしては信じられない柔らかさだが、この様子だ。
かの魔王をしても、ヒルデガルトを易々と扱うことはできないようであった。
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