第171話、エピローグの三、塔の上の……
「――セレスティア様、緑茶のご用意ができました」
新たな騎士が、侍従から受け取った湯呑みを乗せたカートを押して寄る。
魔王軍との戦いから一夜明け、自室の窓から青空を眺めるセレスティア。
軍も到着し、強固な警備体制にてしばらく療養することとなった。
当然アスラを相手にし、息切れを見せつつも健闘したセレスティアの療養もあるが、それよりも……。
「……まさか、生き残った者がほとんどにも関わらず、あそこまで衰弱するとは。我等には想像が付きません」
「そうでしょうね。もしかすると、次からも立ち向かえるのはエリカ達くらいなのかもしれません」
純粋に驚きを口にする騎士へ、セレスティアはそれも当然といった様子だ。
♢♢♢
ランスやアサンシアまで加わろうとも、魔王の護りは崩れない。
「グッ……!!」
左前蹴りにて蹴り飛ばされたランスの側面より襲うソウマの追い突きを、魔王は上半身を逸らして紙一重で躱す。
引く拳にぴったりと合わせて上半身を戻し、返す左拳でソウマの鼻っ面を殴る。
「グハッ!?」
瞬きの内のカウンター後、すぐに振り向きハクトの強烈な大剣を弾き、更に跳ね上げたグレイを振り下ろして右方から迫るアサンシアの双剣をも受け止める。
「くッ――!?」
「……化け物めっ」
両手で扱って然るべき長剣グレイを、ニダイとは全く別ながら同等の軽やかさで操る魔王。
「っ……そ、そのまま押さえてろ!!」
「ん……?」
そのソウマの掛け声に、アサンシアが力を込め、ランスが突撃槍の柄頭から飛び出た鎖にて魔王の右腕を捕らえる。
「すぅ……ふぅ…………〈星華・破軍〉ッ!!」
正拳の構えを取ったソウマの右手の猛炎が拳の中に収まっていき、更に〈魔雷撃〉よりも激しい稲妻が走る。
「オオオオッ――」
「腕を取っただけじゃダメだろう」
魔王の足刀が、再びソウマの顎先を揺らす。
「カッ、クっ……!?」
脅威的な爆炎の連続。右拳が次々に爆裂して炎の華を咲かせていくも、脳を揺らされたソウマ自身はくらくらと千鳥足で下がっていく。
「もういいか?」
「なっ!?」
鎖で繋がれたまま緩やかにグレイを振り上げられる。それだけで踏ん張っていたランスが、自ら魔王へ引き摺り込まれた。
「させんっ!」
「できるのか……?」
「っ……!?」
仮面越しに黒い瞳を向けられただけで、アサンシアの強靭な闘志は沈下する。
即座に飛び退いてしまった。
「下がれ、ランス!」
「っ、……っ!」
ハクトの声音に飛び退いたランス。
それを見届けずして両手を叩き付け、魔力を地面に浸透させる。
「…………」
爆ぜる大地。魔王は抵抗もせず、舞い上がる土と白光に任せて空へ。
「ランスッ!」
「あぁ、流石に言われなくても分かるよ! 行くよぉぉ!」
ハクトの異変を察知して、ランスは臨機応変に対応していた。
鎖を全力で引き、魔王をハクトの元へ。
天啓。この状況でハクトに齎されたのは、起死回生の一撃。如何なる逆境も苦境も、絶体絶命の窮地も覆す会心の
〈白の
現在のハクトが有する魔力の全てが乗った右手で、落ちる魔王の胸元を打つ。
「ッ――――」
白光から伝わる熱量は太陽の如く。
決まったと、誰もが思った。
「…………」
ハクトの白光が収まる。
いや、呑み込まれる。
魔王の胸を打つ白き光は、正しく逆転の一手であった。
けれど黒く黒く渦巻く魔力により蝕まれ、呑み干され、取り込まれてしまう。
「くっ……」
「……一つ一つの芸が荒い。到達したと自惚れているようだが、お前達のそれは幼児の癇癪と大差ない」
ふらふらと後退りするハクトに構わずグレイを突き立て、気も楽に柄に手を乗せ、あらぬ方を眺めながら呟く魔王。
「く、そっ……もうこうなりゃ、一斉に行くぞ。同士討ちなんか気にするな。殺せる可能性のある技を叩き込め」
頭を振るソウマの提案に、冷や汗滲む各々が頷いた。
「…………行けッッ!!」
四方から猛者達が飛び出した。
だが何ら構わず、魔王は目線で何かを数える。
そして、
「――ここまでだ、来い」
最後の魔物が倒されたのを確認した魔王の合図に、グレイから暗い銀色の瘴気が勢い良く噴出した。
セレスティア達に光を感じつつあった平原が、また一段と冷める。
「くおっ!?」
「くぅぅ……!!」
いとも簡単に木端の如く四人を飛ばした瘴気は増大しながら渦を巻き上げ、同時に甲高い怨恨の歌を口ずさみ始める。
瞬間、瘴気に身の毛のよだつ人々の脳内が、削られるような激痛に晒される。
「〈歌怨危機・ゼナ〉、くれぐれも殺さないように」
瘴気は巨大な美女の怪物となって現れ、魔王の背後に付き従う。
銀色の長髪に白い肌をし、ベールで顔を隠した瘴気の黒ドレスを纏った存在。
魔王が、悪魔の眷属達を従えた。
♢♢♢
――それが、平原にいた全ての者達の最後の記憶だ。
阿鼻叫喚に包まれつつ己も耐え難い苦痛に気絶した後、目を覚ますと辺り一面に細切れになった魔物の肉片と倒れ伏す兵達。
王女二人を迎えに来た軍と、戦を行った者達の面持ちはまるで違う。
刻まれた恐怖と絶望は途方も無く根深い。
「……おや? あれは……」
「ふふっ、ブレン君ですね。昨日の今日で早速鍛錬ですか。真面目な子です」
いつものように、木陰に駆け出して来たブレン。
同じく意気揚々と木剣を構える。
「……あのソッドさんのお孫さんとは思えませんね。こう言ってしまうと大変失礼ですが、そこまで興味を抱かれていらっしゃらないようなのがあの子にとって幸いです」
「あなたはソッドの部隊で鍛えられたみたいですね」
「はっ……、己にも他人にも厳しい方でした」
「えぇ、知っています。ですが今回の場合はそうではないのですよ。あれは興味というより…………」
素振りをしようとしていたブレンへと、人影が近寄っていく。
「ブレン、今日からはあたしが教えたげる」
「っ……!!」
「どうせ諦めてくんないし、もういっそ強くしちゃえばいいわぁって。……ほら、朝食まで軽くやるよ」
きらきらとした目で見上げるブレンに苦笑いしつつ、キリエが隣で長剣を構える。
「――ならん」
珍しくきっちりとした背広を着たソッドが、庭に出て来た。
一瞬にして緊張が走る。
見下ろしているだけの騎士の背筋すら正される。
「…………あっ!!」
歩み寄った厳しい顔付きのソッドが、怯えるブレンの木剣を取り上げた。
「……ふん」
しばらく眺めるも、無情に握り潰す。
「っ…………」
「お、お祖父様っ!!」
あっという間にブレンの目尻に涙が溜まり、キリエも堪らず声を張り上げた。
「…………」
「ぇ……?」
ソッドが無言にて、未だ使用された形跡のない木剣を差し出した。
「……倉庫から持ち出したようだが、これは私が幼少期に使用していたものだ。これを使え」
「…………」
恐る恐る、真新しい木剣へ手を伸ばす。
手に取った木剣は、これまで使っていたものよりも現在の剣のデザインに近い形状だ。
「キリエが教えることは許さん。未だ修行の身で烏滸がましいぞ」
「で、でもそれじゃブレンが――」
「その前にお前達に伝えておくことがある」
キリエの訴えの内容は承知の上で、ソッドは険しい顔付きで語る。
「お前達の父、ヤーバンを殺したのは私だ」
「…………い、いえ、あれは、ニダイが……」
湖の決闘にて、ニダイにより斬り殺された筈だ。
幼いブレンは別として、キリエは観客席から一つの剣で袈裟懸けに斬り殺されるのをしかと目にした。
「いかにニダイが相手と言え、一撃で死なぬよう横槍を入れることくらいは私にもできる。私がヤーバンをニダイに殺させた」
「…………」
「……な、なんで……?」
木剣を抱いて何がなんだか分からないブレンと、半信半疑のキリエ。
「奴はおそらく、いや間違いなく宝剣グレイを奪い、悪魔の力をもってレイシアを冥府より蘇らせようとしていた」
「っ……!?」
「今思えばラギーリンに唆されたのだろう。二人でニダイと対することを提案した際には気が付かなかったが、いざその場を迎えれば……」
思い返しても、ヤーバンの瞳は妖しく濁っていた。
「……ブレン、グレイを手にしたラギーリンに立ち向かったと聞いた」
「っ……」
叱られると察し、竦み上がる。
「ソーデンの血か……いや、あの両親だからか。……お前はヤーバンに憧れを抱いておるようだが、奴の影を追うのは止めろ。いずれ、間違いと知っていて尚もその目的の為に剣を振るうだろう」
そう素気無く言い、踵を返しソッド。
「……それが条件だ」
「……?」
背中越しのソッドが告げた意味を理解できず、ブレンが小首を傾げる。
「お祖父様、ご病気は……?」
「あれだけ寝ていれば治る。私は負傷したレンドに代わり王女様方ご滞在の仕事をこなす。それまでは、……お前がブレンの面倒を見なさい」
それだけキリエへ言い残し、ソッドが去っていく。
「…………」
「ふ〜ん、良かったじゃん」
「……?」
未だに理解が及ばないブレンに、微笑のキリエが祖父の言葉の意味を教える。
「お祖父様が直々に剣を教えてくれるって。セレスティア様達が帰ったら稽古ができるよ」
「っ……!!」
報われた事実を察して、止め処なく涙が溢れる。
木剣を抱き締め、膝を突いて泣き崩れる。
好きな剣を続けられる……続けても良いのだ。
「……っ」
それを目にしたキリエも、陰から見ていた使用人達も涙ぐむ。
「うぅ……っ……」
母が元気な姿を見れば、その人も元気を貰えると言っていた。
その言葉を信じて苦しく辛い日々も元気に剣を振って来た。
するとやはり、祖父の病も嘘のように治ってしまった。
今し方目にした祖父は、ブレンが幼少の頃より憧れたソッドそのものであった。
「……ソッドは何処にでもいる孫に甘い祖父ですよ」
慈しむ微笑で見下ろすセレスティアが言う。
「ソッドが一言剣を取り上げるように命じれば、ブレン君の意思に関わらず剣を諦めざるを得ません。直接ブレン君に剣を止めろと告げられないからと、仮病を装ってまで教えるのを拒んでいたのです」
「……あのソッドさんが……信じられません」
「かなり前からブレン君用にあの木剣も用意していたようですし、今頃は裏で泣いているかもしれませんよ?」
「……なんと不器用な。いえ、ソッドさんらしいのかもしれませんが」
セレスティアが、涙するブレンを抱くキリエを見る。
そして柔らかい風が吹き込む中、掛けてあるお気に入りの絵画へと目を移す。
穏やかな笑顔で描かれたヤーバンとレイシア。
まるで夫婦で窓から庭を覗き、ブレン達を見守っているような……温かい笑みを讃えていた。
………
……
…
ハクトがロードワークの折り返し地点と定めたニダイ湖へ到着する。
「お〜い、坊主! 危ないからあんまり近寄んなよ!」
「あぁ! ここまでにしとくよ!」
崖崩れの危険性がある為に船場への階段を一から作る職人の一人に注意される。
見渡す湖は、もはや原型などなく崖が崩壊してしまっている。
ハクトは感慨深い思いで景色を眺める。
「は、ハクトくんっ、待ってくださいよ!」
叩き起こして無理矢理に付き合わせた寝起きのオズワルドが、重たい体でやっと到着する。
「昨日の戦いの翌日くらいは休んだ方がいいですって!」
「まったくお前ときたら……ブレンを見習えよ。出る前にすれ違っただろ? 病み上がりなのに、立派なもんだ」
「いやあれも通常は休んだ方がいいんですって!」
しかしオズワルドも、朝日に照らされた早朝の湖の眩い景色を前に、文句も忘れて見入ってしまう。
「…………まぁ、いつ帰還となるか分かりませんし、これは観ておけて良かったですね」
波打つ透き通る水面が万華鏡のような光を放ち、周囲の崖や緑と合わせて壮観な光景となっていた。
「……っ、……あんまり休んでも身体が冷えますし、また明日も来ればいいんです。そろそろ折り返しますか」
「そうだな。…………?」
身震いしたオズワルドの提案に振り向きつつあったハクト。
ふとした違和感を感じ、視線を何気なく湖中央の古城跡に向ける。
――――……。
身体中に蟲が這うような感覚を覚えた。
四つある湖から突き出た沈没した古城の塔。
その左奥の塔の上に、小さな老人らしき人影を見る。
見慣れない装い……どちらかと言えばクジョウ辺りで見るような装いに、口元を覆う長く白い髭。
異様に飛び出た鼻に、五つに枝分かれした長い剣。
明らかに異質な風貌を目に、ハクトにこれまでとはまた違う言い知れぬ恐れが渦巻く。
『…………』
「ッ……!!」
目が合った、実際はどうあれハクトはそう感じた。
殺され――
「――――ハクトくんっ! 聞いてますか!?」
「え……? あ、あぁ……」
肩を揺さぶったオズワルドにより、我に帰る。
そして再び塔へと視線を戻すも……。
「…………」
……そのような人影は一切見当たらない。
周りも誰も気が付いていない様子だ。
「気の、せい……だったのか?」
「ハクト君、やっぱりなんか疲れて見えますよ? ゆっくり目にさっさと帰って、美味しい朝食をいただきましょう。ね、ほらほら」
「あぁ……そう、だな」
レンドが特別に用意したシェフの料理が気に入っているオズワルドに背を押されて急かされ、ハクトは腑に落ちないながらも湖を後にした……。
〜・〜・〜・〜・〜・〜
連絡事項
はっはっはっはぁ!
はい、八章でした。このあと間話などを公開。九章、十章『英雄と怪物編』は、既にあるのでじきに公開されるでしょう。
サポーターの方は色々と仕掛けた内容をご存知なわけですが、くれぐれもネタバレにはご注意を。
十一章はまだ全然整っていません。変えようかと思っているくらいです。
それでは、ありがとうございました。
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