第168話、破滅
絶え間ない衝突に森が揺らぐ。
森の中を高速で移動する二つの影。
漆黒の刀と、魔力迸る片刃の剣が瞬く間に交差する。
「オオオオオッッ!!」
距離が空いた拍子に宝剣グレイに細い十数本の糸のような魔力が纏わせ、すかさずそれを振るう。
放たれたそれらは魔王へと不規則な動きで靡き、逃げ場も与えず柔らかな風で撫でるように吹き付ける。
「――――」
「グッ……!!」
魔王はむしろ前進し、必要最低限の糸四本のみを斬り裂く。衣服に擦らせながらも僅かな隙間を作り、潜り抜け、その勢いのままラギーリンの腹部を通り抜け様に浅く斬る。
駆け抜けた細かい斬撃の糸が、樹々を次々に細切れに斬り裂き、塩としていく。
ゾ=ウルトの一端とニダイの剣技、凶悪無慈悲な組み合わせは健在の筈であった。
「…………」
平原の時とは異なる魔王の強気な攻めの姿勢。
熱量が全く違う。
ニダイの剣技を持ってしても、魔王の刀が上回る。
「君のはニダイのものとは似ても似つかないな」
胸中を見抜いたのか、魔王は黒刃を振るいながら冷たく言う。
「まだ馴染んでいないのさっ!」
偽物と切り捨てられ、苛立ちを押し殺して咄嗟に言い放つも、剣の導きは消えていく。
あれだけ見えていた光の道筋が儚く消え行く。
「最後の試練が魔王か。定めだな……」
ラギーリンの足元から、塩の大地が広がっていく。
土も、木も、岩も、川も、何もかもがその有り様を変えられる。
この者を殺さなければ、これまでの努力が全て徒労に終わる。
気色の悪い唸る角が、左半身から更に生える。
「ガ、くぅ……!!」
魂を汚染され、命を穢されて強烈な怖気と拒絶反応に苦しむも……剣の導きの消滅がひとたび止まる。
「……―――――ッ!!」
動きに人間味が戻る。
ニダイを思わせる静かな踏み込みから、左手のみの斬り上げ。
受けようとしていた刀が引かれ、むしろ大袈裟に横に跳ぶ。
「…………」
クロノが振り返り、剣圧により広範囲に渡り塩の森が剥がれ、白い粉末となって吹き飛ぶのを目にする。
しかし大した関心も見せず、直ぐに血の涙を流しながら憎悪に染まるラギーリンへ向き直った。
「これが僕の覚悟だ」
「興味がないな。ただ全力を出してくれればいい。出し尽くしたそれを正面から捻じ伏せて……まぁそれで幕引きだ」
「やってみるがいいさッ!!」
できよう筈のないことをいとも容易く嘯く魔王への苛立ちは高まり、怒涛の剣戟にて攻め立てる。
探りも崩しもなく、真っ向から両断だけを狙う。
「ッ――!!」
ラギーリンの剣圧に足元が瓦解する中、砕ける足場を移しつつ漆黒の刃で迎え打つ。
烈火の如きラギーリンとは対象的に、静かに淀みなく振るわれる。
両者片手にて握る刃が、次々と火花を炸裂させる。
技には技を、刃には刃を。
これまでの独善が口から出なくなるほどに、認めざるを得ない勝ちでなくてはならない。
正面から間違いを認めさせる。魔王のその意思が伝わり、ラギーリンの顔面がより憤怒に塗れる。
ふと曲調が変わるようにラギーリンの剣の趣きが変化する。
足の運びや身のこなしが柔軟になり、独楽を思わせる回転から剣舞の如き動きを見せる。
「随分と荒いな……」
魔王はそれを目にすると大きくバックステップしながら吐き捨て、左手に闇色の魔力を宿す。
「受けられるのなら受けてみろ。――ッ!!」
ラギーリンを中心に斬撃の嵐が波動となって、球状に広がっていく。
「ッ――――」
対して魔王は、魔力を纏った左手を……強く握り込んだ。
………
……
…
激震が生まれる。
「うおぉっ!?」
「な、なんなんだ……」
それは平原からでも確認できた。
漆黒の魔力と黄色がかった魔力が膨れ上がり、拮抗するようにぶつかり合う。
高々と伸びた樹々を消失させ、ドーム状に巨大化した後にやっと霧散した。
「………………っ」
「こ、これのどちらかを相手しなければならないのか!?」
静かになったのはほんの数秒。
間違いなく激化している。
『……派手にやっとるのぅ』
「…………」
アスラやバブーシャンの時をも上回る轟音が絶え間なく鳴り始める。
………
……
…
「ウオオオオオオオオオオオッッ!!」
なりふり構わず、ただ殺す為だけを念頭にグレイを振るう。
魔力渦巻く宝剣グレイを情け容赦なく振る舞い続け、余波により地も樹もなく舞い上がる。
「――――ッ!」
対して軽快に、それでいて鋭利に、足捌きも交えてそれらを弾く。
軌道を変えられた剣より、森林に亀裂が刻まれていく。斬撃が走り、物質を変化させながら分たれる。
「…………」
この技はクロノをしても非常に厄介であった。
単純な威力も段違いに上がるが、剣自体が荒れ狂う魔力の剣気を纏っていることもあり、かなり早めに弾かなければならない。
下手に受ければ剣気により刀が掘削される。
出来の悪い贋作と言える剣技であれども、それは変わらない。
更にラギーリンの腰元から二又のナメクジのようなものも生え、融合も加速する。
「ッ――――」
高速で追随するラギーリンにより、後退を余儀なくされる。
「フッ! ――っ!?」
剣戟の合間にラギーリンの横腹を蹴るその蹴り足が、ナメクジのような尾により呑み込まれる。
そして凄まじい速度にて投げられ、岩塩と化した樹々をいくつも砕き倒しながら飛んでいく。
「…………っ」
「はぁぁあああ!!」
追撃していたラギーリンの突きが、黒刀を滑り魔王の左隣へ突き抜け森を抉る。
更にグレイに追加の魔力を送り、剣技にてそのまま魔王を薙ぎ払い右方へ弾き飛ばす。
「ッ、うぉ……!?」
塩の大地に侵食された樹の幹に着地し、備えようとした魔王の足元が砂状となる。
相手の攻めを許さない戦術が組み立てられ、気付かぬ内に始まっていた。
「っ……!」
「まだ届かないか!!」
バランスを崩すも、必中と思われたグレイはしっかりと防がれる。
しかも剣が囁く。
これだけ効果的な空中での剣戟にも関わらず、相手が順応し始めていると。
刀の軌道や体捌きにブレが失われて来ていると。
しかし足場が無ければすぐにはまともに剣を払えるようにはならず、苦々しげなラギーリンにより面白いように幾度も弾き飛ばされていく。
右へ左へ、上へ下へ。
そして魔王を叩き落とす剣戟から、ラギーリン唯一のオリジナルで雌雄を決する。
「っ……」
「終わりだぁぁ!!」
ラギーリンが組み立てた必殺の戦略のその決め手となる。
次の剣撃を警戒する魔王に回避が間に合うことはない。
牙を剥き出しにするラギーリンが舞い降りながらグレイを突き立て、降り立った魔王の足元から千本の剣山を生やす。
それは魔力を過剰に込められて極めて強固となり、今までの――
「――――」
真下からの穂先を潰しながら、足踏みを一つ。
樹々よりも高くと意気揚々に芽を出した凶悪な棘の一切が、響くようにして地へ伝えられた魔王の力に先端から飛び出でながら砂状に散る。
「気に入ってるようだけど、これが一番くだらない……」
絵画を思わせる真っ白な光景の中、魔王が初めて刀を構える。
「ちぃ、来るがいいっ……!」
剣の記憶から囁かれ、反射的にラギーリンも剣を構える。
鼓動一つ分の時間。必要なのはその間だけで、構えた二人の神経は研ぎ澄まされる。
「――――」
「ハァァぁぁあああああああ!!」
対する二人が共に、目にも止まらない速度で踏み込み、刃を交える。
「ッ――――」
一つ。
一つ目にして、魔王へ攻めの機が渡った。
「くぅっ!?」
二つ、三つと、剣気漲るグレイを僅かずつ押し退けていく。
そして五太刀目――
「――グァッ……!!」
付け入る穴がなく繋がる連撃に、グレイの剣先が高々と弾かれる。
完成された六刀に届かずして、堅牢なる守りは破られた。
剣の導きは……もう見えない。
「――――――…………マダダッッ!!」
グレイがしかと両手で握られる。
右腕からも気味の悪い角が飛び出る。
生物にあるまじき腕力にて、力任せに振り下ろされる。
技を手放し、悪魔の血により得た膂力にて剣を振るう。
覆う剣気は斬撃を宿した竜巻のようで。
樹々に岩塩に土壌に、森を構成するもの全てを吹き飛ばす一撃となる。
全霊と言える迫る刃を目前に魔王は……仄かな笑みを溢す。
「これに負けてたら笑われてしまうよ。なぁ、ニダイ……」
体重を乗せつつ左脚を前へ。穏やかに、左手も添えて刀を振り上げる。
刃を振るう際、加えられる力が大きければそれだけ剣や刀が応えてくれる訳ではない。
釣り合った技巧と共に振るう。最も重要なのは、調和である。
「――――」
完全なる一刀。
今ある技巧すべてを乗せ、それに見合う力みを余す所なく伝えて振り下ろす。
轟々と全てを圧殺するグレイと、振る間も見せない一瞬の閃きが交差した。
――黒刃が粉々に破裂する。
きらきらと二人の間で塵となった刃片が美しく舞う。
しかし一方で、その一太刀により生まれた衝撃は止まるところを知らない。
軽々とグレイを弾き飛ばし、それだけに止まらず大地が二人を中心に波打っていく。
「オオぁぁっ――――」
グレイが受けた衝撃の勢いのままに飛ばされたラギーリンが、体勢を立て直すと、
「――ぐ、……ガハっ!?」
踏み込んでいた魔王に、魔力の込められた柄頭にて強かに鳩尾を叩かれる。
腹元を抱えながら今一度飛んでいく異様な人影。
「ッ、……オオオッ!!」
地に足が着くと同時に、飛来する柄を咄嗟に斬り払う。
「がら空きだ」
「カッ――――――」
無防備に晒されたラギーリンの顎元に、魔王の脛がめり込む。
しなりの効いた見事な中段蹴りにて、もう一度すっ飛ぶ。
「――――……くっ、か……」
地面を幾度も跳ねた末に着地し、砕かれた顎を押さえ、揺らぐ視界の中でも否応なしに危機を悟るラギーリンが更なる力を……。
「…………っ」
顔を上げたラギーリンが、ゾッとして堪らず呻きを漏らす。
「…………」
眼前にて、魔王の黒き双眸が覗いていた。
無言にてそっとラギーリンの左肩と左手首に手を添える。
「……これは返してもらう」
………
……
…
平原の者が皆それぞれに、森林で巻き起こる大規模な激音に危機感を募らせる。
本能的に差し迫る命の危険を悟り、逃げ出したい衝動に駆られていた。
しかし意に反して足は動かず、為すすべもなく騒つくだけであった。
――森から、黒い影が飛び出す。
物凄い速度で突出して来たそれは……。
「クアアッ、あがぁぁ……!」
無敵と思えた能力を見せ付けて優勢を誇っていた筈のラギーリンが、大方の予想を裏切り無惨な姿で激痛に悶えていた。
しかも先程よりも醜く、それでいて桁違いに強大であることが一目で分かる魔に侵された風貌。
「――“脅威”だったか」
その声に全ての視線が吸い寄せられる。
仮面を付けながら平然と野へ歩み出る魔王は、想像を絶していた。
誰もが刮目し、その様のみに純粋に恐怖する。
「そんなものは俺一人で事足りる。俺以外は必要ない」
宝剣グレイを携えていた。
柄を握るラギーリンの異形の左腕をぷらぷらと揺らして……。
肩の辺りから無理矢理にもぎ取ったとしか思えない断面で、何の気もなく歩み出て来た。
「俺より弱い君は、ここまでだ」
「ち、違うっ!!」
宝剣グレイを手に、這いながら逃げようとするラギーリンへ歩み寄っていく。
グレイから零れ落ちたラギーリンの左腕が、塩となって崩れ落ちる。
「異議なんか無しだ。約束しただろ? 俺達のやり方で決めようって」
「考えてくれっ!! 考えれば分かることだッ!!」
魔王とラギーリンが言葉を交わす。
だが……。
「っ…………」
「…………」
ラギーリンの弁論を耳にするのは魔王のみ。
「幕引きだ……」
ラギーリンの目前にて、魔王が見下ろして言う。
「っ、き、聞いているのかっ!?」
声を張り上げようとも、その叫びは誰にも届かない。
それどころではない。
「…………」
色彩が、失せていく。
平原に生まれた、ただ一点の『黒』。
魔王の右手に持つグレイに集う『黒』により、その他の存在が薄められていく。
(アレが、来る……。……いや、アレよりも……)
初めて黒騎士と対面する際に感じた破滅の気配に酷似していた。
「言い訳をするってことは、負けを認めてるってことだ。そうしたら幕を引くと言っておいただろ?」
「ッッ……!?」
強烈な『黒』に色を奪われゆく世界には、音もない。
収束されていく黒い魔力からは、徐々に悲鳴にも似た甲高い高音が発せられ始める。
悪魔の眷属……または魔力が意志を持ち、耐えられない悲哀と苦痛に慟哭を上げているかのように。
まるでこの行為自体が禁忌に触れるかのように。
やめてくれ……。
もうそれ以上はやめてくれ……。
凍り付く矮小なる者達の祈りは届かない。
(……黒騎士の時よりも……)
人の小さな手に収まろう筈もない闇黒の魔力は、あろうことかより濃く膨大に黒手へと吸い込まれていく。
そして次第に悲鳴は、絶叫へ。
凡ゆる“終わり”を予期させる極黒の魔力を、造作もなく刃に押し込み、更なる圧縮を為す。
気も楽に佇んでいた魔王は、何気なくラギーリンの頭を掴む。
「僕は認めないッッ!! このような結末はあってはならない!!」
「ならこうしよう……」
「ナッ――――!?」
見るも軽く放られたラギーリンが、空高く飛んでいく。
自然と、生きとし生けるものの呼吸が止まる。
解放の時が来た。
「これを耐えられたなら確かに脅威だ。あとは好きにするといい」
魔王がラギーリンの方面へ、グレイを突いた。
それを合図に、込められた黒い魔力は本来の姿を取り戻そうと切っ先から膨張を始める。
魔王の支配から解き放たれ、歓喜の産声を上げた。
破滅が誕生する。
――アア嗚呼ああァァァぁぁぁ…………!!
グレイから放たれた黒き閃光に呑み込まれた異形の男。
『アアッ!? ガァああっ、————カァぁあああーッ!!』
悪魔の血を取り込んだ無敵の身体が滅んでいく。
天へと景色を衝く漆黒の中で……いや……。
『オオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
再びの変貌。
破滅の黒の内部で、身体が不気味に膨張していく。
破滅をも貪るようにして強大化している。それがこの世ならざる者の力である。
『ヤッテヤルっ!! ここまで来てフザケッ…………』
ラギーリンの顔付きが変わる。
内側で、“虚な眼”がこちらを見ていた。
悪魔の血が宿主の消滅に反応し、彼の意思に反して魂を急激に蝕み始めた。
穢れた魂は決して元には戻らず、摂理より外れる。
その意味を魂に喰らい付くように顔を覗かせた悪魔の気配により知る。
『いゃ、イヤッ、タスケ――』
「報いだ」
『――ッ!?』
死の気配。
一段と魔力が解放され、何倍にも濃密になった破滅の奔流により消滅が加速する。
「これは君が受け入れるべき、報いだ」
『ッッ――――――――』
声も発せられない破滅の圧に、悪魔の形相と化したラギーリンの身体が崩壊していく。
危機を察した悪魔の血に内から魂が穢され、黒の魔力に外から滅ぼされ、この世には存在する筈のない苦痛に晒され、幼児のように喚き泣き叫ぶも決して誰の耳にも届かない。
『ッーッッ!? ッ、ッッ――――――――』
表現すら許されない。
「ぁ…………」
「…………」
目の前に現れた超常的な光景が、人には受け入れられない。
それは十分過ぎる程の時間、この世にその威を示し……。
――――……。
「見ていてくれたかな……」
破滅の黒が終わる。
そこにあったのは、誰しもの予想通りの結末。
黒が通った道には何もない。
残るものなど、何も有りはしない。
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