第167話、俺達のやり方で決めよう

 

 執務室にて、デスクで物思いに耽るレンド。


 戦場へ送る兵や物資の指示を全て終え、セレスティアの温情により屋敷にいた。


 とうに戦が始まり、一部の強者による蹂躙劇となるであろう頃合い。


 邪魔をされないよう、衛兵や使用人を含めてほぼ全ての人員に出払う類の仕事を与えた。


 静かに立席し、とある建物へと向かう。


 それは廃れた教会。


 正確には廃れたのではなく、そう作られた教会。


 いずれニダイを倒す者が現れた際に、危険極まる宝剣グレイを封ずる為の建物であった。


「…………」


 無言で、最奥の教壇を縦横斜めなどの手順を踏んでズラす。ズラし方には定められたパターンがあり、現在これを知るのはソッドとレンドのみ。


 手に持つランタンの灯りを頼りに階段を降り、先日グラスを護衛に訪れたばかりの祭壇へと歩みを進める。


 肌寒い小部屋にあるのは宝剣グレイの突き立つ祭壇のみ。


 ランタンを祭壇の端に置き、グレイに手を伸ばす。


「――この教会だったのか」

「…………」


 突如として背後から聞こえる聴き慣れた声にも反応せず、グレイを引き抜く。


「封ずる場所についての記述は残されていなかったから。…………僕に驚かないんだね」

「……ニダイが討たれたあの日にセレスティア様から聞かされた。貴様が全ての元凶であることをな」

「あの王女、本当に察していたのか…………でも元凶だなど」

「ならば貴様が自身の兄シュギーリンを殺したというのは間違いか?」


 本来なら戦場へ向かっている筈のラギーリンが現れようとも、何の不思議もない。


 何故ならグレイを取りに赴けば必ず付いて来ることを知っていて、この場に来たのだから。


「何を吹き込まれたのか知らないが、そんな訳がないだろう? 兄は魔術の腕前もそこそこあった。他の仲間達もそれなりの修羅場を潜って来た経験がある」

「今まさにそこに来てるゴブリン達にやらせたんだろうって仰られてた。今まで平気な顔して騙して来た卑怯者らしい手口ね。それでよく殺してないって言えたもんよっ」


 ラギーリンの背後から挟み打つ形で、激情を押し殺すキリエが姿を見せる。


「それにあんたはっ……か、母さんまで…………母さんまで殺したんだろっ!?」


 未だかつて感じたことのない震える憤りのままに剣を地に打ち付け、流れる涙に構わず怒声を浴びせる。


「……彼女は間違いなく病死だろう?」

「どこかの機に処方を止めただけだっ! 病状の悪化具合からして……体力を奪う為に拷問じみた方法もしてた可能性があるって!!」

「…………」


 悲痛な声音にも、俯いて押し黙るラギーリン。


「まるで焼けた空気を吸ったかのように喉と肺の激痛が続き、終わった後も吐き気と倦怠感が数刻続く……。そう言えば貴様の調合する薬湯の中にそのような用途の知れたものがあったな……」


 何故あの優しい母がそのような地獄の苦しみを受けなければならないのか。


 宝剣グレイを握り締めるレンドの気迫は凄まじい。


 祖父ソッドや父ヤーバンを彷彿とさせるものだ。


「思い返せば妙だった。あの最後の日、皆に言葉を残すも共に病と戦って来た筈の貴様にだけは何も告げなかった。目も合わせなかった。何とか我等に伝えようとしていたのだ。一向にこのような屑に気付かぬ愚かな我等にッッ!!」


 治療を担当していることをいい事に常にレイシアを監視していたラギーリン。


 年頃の照れから誰もいない間にレイシアと面会していたレンドだが、その際にも隣の部屋からわざわざ毎回ラギーリンはやって来た。


 そして部屋の中には常に、レイシアの病状の悪化を知らせる目的だと宣う籠に入れられた妙な魔物の鳥が。


 どのような生物かは不明だが、都合の悪い真似を防止する監視目的だったのかもしれない。


「セレス様は、あんたがお兄さんを殺したのにお母さんが気付いてて、あたし達に何かする可能性を考えて行動に移れなかったんだろうって言ってた……」

「事実、貴様はブレンを二度も殺しかけている」


 殺す決意を固めたキリエとレンドに対し、ラギーリンは平然として言う。


「――君達の将来の為だ」


 ラギーリンは幼少期よりとある危険性を持ち合わせていた。


「まだ分からないようだけど、大人には子供を導く義務がある。正しき方へ導く義務が」


『独善』、それは異様なまでに確固なもので、それに気付いたシュギーリンは歴史学者をする傍らで弟を矯正せねばと可能な限り側に置いていた。


「君達には私のように時間を無駄にして欲しくない、絶対にね。だからこそ僕は、最後の最後までレイシア様を説得し続けた」


 しかしシュギーリンの愛情は、束縛や洗脳と捉えられてしまう。


 学者として、人として、兄は他の学者や知人友人に広く認められていたことも相まった。


「レンド君は賢い。自分から剣を置き、当主となる為の道を歩いた。キリエは……いつまでも才ある剣よりも絵を描いていたけど、君がやりたい放題だからブレン君が剣を止めないと説いたら気付いてくれたね」


 憎きシュギーリンを始末し、兄という枷を失ったラギーリン。


「だがブレン君はどうだ。何度言い聞かせても、ソッド様に相手にされないにも関わらず、馬鹿みたいに棒切れを振り回す。折角それなりに優れた頭脳を持っているのにだ。才能と時間の無駄遣いも甚だしい……」


 穏やかな外面を保ち社会に溶け込むラギーリンが、再び独善の牙を剥いたのは……自身と違い、自主性を重んじて育てようというレイシアであった。


「僕に任せろと、何度説こうとも彼女は頑なに拒むばかり。まったく……咽び泣いて苦しむくらいなら、薬湯を飲まずに一言君達に正しき方向を示せば良かったんだ」

「もう黙れよっ……」


 皆に慕われるレイシアと、伸び伸びと育てられる子供達。


 ラギーリンだからこそ自身で決して気付けない、それは妬みであった。


「兄さん……」

「セレスティア様も貴様を我等の手で葬るのを黙認してくださった。…………苦悶の渦中にて死ね」


 あの母のことだ。拷問されても尚、自分達のことを憂いて泣いていたに違いない。


「宝剣グレイ……。愚かな……本当にグレイと契約して魔王軍を壊滅させるつもりかい?」

「っ……?」


 レンドより聞かされていなかったものを、ラギーリンを通して知る。


 ラギーリンを逃すまいと出口で立ちはだかっていたキリエが、レンドへ目を向ける。


「だからどうした。私は母から二人を任されている」

「あぁっ、君もか…………死して尚も忌々しいっ」


 武勲を立てれば、立場が上がる。王女二人を魔王軍から護ったとなれば、自分が死のうともソーデン家の爵位は上がる筈だ。


 家格が上がればそれだけ良い縁談、良き進路を辿れる。


「ち、ちょっと待ってよ!!」

「キリエ、ブレンを頼む」


 宝剣グレイに関する書物の記述に従い、右手の親指をグレイの刃に滑らせて血を吸わせる。


「…………っ?」

「安心して欲しい、キリエ。言った筈だよ、正しい道に導く義務があると」


 何の変化も起こらないと不審がるレンドの隙を突き、ラギーリンが刃を掴む。


 そして、左手薬指・・・・を滑らせる。


「勉強すべきだったね。ニダイが契約の危険を考慮して左腕を斬り落とした意味を考えるべきだった」


 全ての歴史書が真実を語ってはいない。契約に関する間違った書を選び、渡していた。


 左手薬指に流れる血が、グレイの中に染み渡る。


「君は、ニダイにはなれない」


 刃の脈動は大きくなっていき……。


「ガハッ!?」

「兄さんっ!!」


 まるで人が変わった。


 鮮やかな回し蹴りにて、レンドが祭壇へ叩き付けられた。


「――死ねッ!!」


 キリエの力強い突き。


 しかしグレイの剣先が突きの軌道を意のままに操り、音もなく床へ逸らされる。


 そして刃の半ばを軽く一つ叩く。


「…………」


 あまりに呆気なく、刃が真っ二つに折れてしまう。


「……いずれ君達にも分かる筈だ。僕の言動の正しさが」


 笑っていた。


 キリエの横を通り過ぎるその者は、胸のすく思いだとでも言いたげな満足感のある笑みを浮かべていた。


 母が死んでから時折目にするようになったものと同じ溌剌とした笑顔であった。


 ………


 ……


 …



 地上に上がったラギーリンが、勇ましく戦場の方角へ視線を向ける。


 やっとだ。やっと兄に拒まれ続けた警鐘を鳴らせる。


 取り返しの付かなくなる前に警告を響かせられる。


 天が祝福するかの如く、無敵を誇ったニダイが倒され、最も欲していたが完全に諦めていたあのグレイが手に入った。


(…………っ、何故だっ!?)


 一転し、狼狽えるラギーリン。


 いる筈のものがいない。


 一体で全ての眷属を賄えてしまう最強の眷属、ココンカカの気配がない。


「……いや、そうか」


 例の湖の破壊はココンカカの自壊が作用し、何か及びも付かない現象が発生した可能性があった。


 自らでレンドに提示していた。


 それにあれは戦場と言えど決して解き放てないレベルの眷属だ。龍への対策が一つ無くなったが、特に問題はない。


 すぐに落ち着きを取り戻したラギーリンだが、前方から来る人影に笑みが消え失せる。


「はぁ……、はぁ……」

「…………どれだけの言葉を並べても理解はしてはもらえないのかい? ブレン君」


 失望を濃く表したラギーリンの冷たい眼差しを受けても、ブレンは強く睨み返して叫ぶ。


「姉さまたちはどこだ!!」


 木剣を構えたところを見ると、ラギーリンの手にグレイが手にある事実から大凡を察したようだ。


 授業を受けていたブレンはラギーリンがグレイの書物を研究していたことを知っていた。


 ここ数日で言えば、遺跡よりも関心を持っていた。


 そしてこの祭壇を開けるのはソッドかレンド。兄ならば間違いなくキリエを護衛として連れて行くはず。


「それだけ賢くて何故分からないのだろうか……逆に腹立たしくて仕方がないッ!」

「ッ――!?」


 脅迫するように隣の壁へ斬撃を飛ばして斬り裂く。


 轟音ののちに、竜の爪で抉ったような傷痕を残す。


「……っ、ね、ねえさまと、兄さまはどうしたっ!!」


 それでも、足が竦み震えながらも毅然と木剣を構える。


「……あぁ……あぁ……分かったよ、確かにそうだ…………あの女の血だ」


 無機質な瞳で虚空を見つめて呟き、何かを決意するラギーリン。


 見下しながら歩みを始める。


「ッ……! ……ヤァッ!!」

「愚者には仕置きだ」


 突きを放つブレンへ、ラギーリンは左腕を変質させながらグレイを振るう。


 無慈悲に、淡々と……。


「――っ!? ブレンッ!!」


 レンドの腰にあった剣を片手に後を追って出て来たキリエが、悲鳴じみた叫びを轟かせた。



 ♢♢♢



 宝剣グレイを挟んで真正面から睨み合い、問答をする二人。


「何で斬った。答えてくれ」

「……このままではブレンく――」

「気に入らないからだろ?」


 いや、問答ではない。


「俺も君が気に入らない。君だってそうだろう」


 答えなど必要なく、やる事は決まっていた。


 疎ましい兄を葬り、兄に従う仲間達を巻き込み、レイシアを殺した。


 ラギーリンに立ち向かい、病と戦い、日に日に弱り、あと少しの命と察していたことだろう。子供達は幼い。育つ姿が見たかったろう。成長を見守りたかったろう。


 ラギーリンと子供達を残すことに、どれだけの不安を抱えてこの世を去ったことだろう。


 ――気に入らない。


「だけど俺も君と同じだ。気に入らないだけで手を下している」

「誰に聞いたか知らないが僕を魔王と同じと思わないで欲しいっ……!」


 互いの怒りをぶつけ合うように、激情を込めて睨み合う。柄を握る人差し指の力は急速に弱められ、グレイを持つ者の力みは急激に上昇していく。


「っ……」


 魔王と同じ動機、手法と言われ、虫唾が走るほど我慢がならない。


 歯を剥くラギーリンが意地を通す為、悪魔に侵させていく。


「同じだよ。俺も君も、自分を通す手段は共通だ」

「ッ……!!」


 体内で血が混ざり合い、左腕の角は伸び、白く照り付く肌も右腕へと及ぶ。


「実力行使だろ? 俺達はいつだって力で我を通して来たんだ。それを今更都合良く変える事なんてさせないよ」

「僕は正しい……これには貫き通す価値がある。現時点で皆が認めざるを得ないだけの結果が確定している。あとは為すのみ……」


 瞑目して唱えるように自らの正義を口にし、神の意を得たと確信するラギーリン。


 グレイが緊迫する二人の気配を表すように、かちかちと震え始める。


「そんなことは知らない。はっきりしてるのは、俺は君の敵だってことだ」

「あぁ、分かるとも。その目が物語っている。でもあと少しで成就というところまで来たんだ、やっと。だから……消えてくれ」

「らしくなって来たじゃないか」


 自分の正義が通らぬ者。屈しない者。


 また目に付く邪魔者が現れた。


 ならば――


「もう後は決めるだけだ……」


 グレイの柄に込められる力が一段と高まったタイミングで、示し合わせたかのように跳び退いて距離を空ける。


「……あぁ、これ以上の論争は無意味極まりないとも」


 声量に反し、内に芽生えた憤怒と殺意は絶頂で。


 右腕も侵食され、人族とは言えないまでに二段も三段も変化を進めて剣を構える。


 最後の邪魔者として立ちはだかる黒刀持つ魔王を――排除する。


「生き残った方が、本物の悪だ」

「生き残った者が、真の正義だっ!!」

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