第166話、知らない人に付いて行くべからず

 

 まるで何かに怯え・・・・・、慌てて逃げるように姿を消した眷属達。


 鬼や凶魔を前にしてもあれだけ自由奔放に暴れ回っていたのが、どうしたのかと皆一様に周囲を窺う。


 そして……。


 ……しばしの静寂の後に、突き立っていた大剣に人影が降り立った。


 柄と鍔を踏み、驚異的なバランス感覚で平原を見下ろす。


「……え、誰だ」

「旅人、いや曲芸師じゃないか……?」


 シンプルな仮面を付けてはいるが、あまりに平凡な黒髪の男。


 装いは上等、身綺麗に見受けられるが、それでも道楽に耽る金持ちの息子程度としか思えない。


 多くの注目を一身に集める当の本人は……。


「…………」


 集中する視線に構わず、静まり返る戦場を一通り見渡している。


「……魔王」

「ま、魔王……? あれがかっ?」


 警戒心を露わにするハクトの呟きにソウマが反応し、騒めきは広がっていく。


 アスラの放つ潰されそうな迫力もない。【沼の悪魔】のような青ざめるまでの禍々しさもない。


 しかし実際に相対した者達は、あれを魔王として身構えている。


「…………」


(……僕の許可なく剣に戻ってきた上に……何の反応もなくなった)


 魔王の登場に困惑する者達を他所に、説明できない現象を目の当たりにして理解に苦しむラギーリンの視線は宝剣グレイから離れない。


「いやぁ、心配だから全体を見ててくれとは書いたけど…………電撃参戦しちゃってんじゃん」


 抉れ、焼け、裏返る大地を目にした魔王が言う。


『いやこれには訳があるっちゅうか…………流れがあったんじゃよ』

「あ、あぁ、そう……たしかに流れって怖いよね。いつの間にか厨房に立つ羽目になってたりするもんなぁ」


 唯我独尊を貫いていると思われた【沼の悪魔】との会話を耳にした今となっては、信じざるを得ない。


 初めて多くの者達の前に姿を現した、【黒の魔王】。


「…………」


 幾人かがセレスティアを窺うも、凛々しさ漲る真剣そのものの面持ちで魔王の動向を見つめていた。


 ここまで余裕のないセレスティアは見た事がない。やはり魔王とは真に国においての危機なのだと、改めて思い知らされてしまう。


「姉様、避難しないの?」

「……今はまだ。戦力がここまで残っている状態で引けはしません」

「わ、分かったよ」


 駆け付けた妹にそう返すも、魔王の力量を体験したことのあるエリカ本人は戸惑い気味だ。


『陛下が来てしもうたのなら……本腰をいれようかのぅ! カッカッカッ!!』


 肌を焼く邪悪な魔力が爆炎の如く猛り、高揚する【沼の悪魔】が高らかに嗤う。


「その前にちょっと時間をもらうよ。だから君達は……何かしててくれる?」

『は? なんかとな?』

「なんでもいいよ、適当に。ただその人は俺が貰う。これには誰の文句も受け付けない」


 魔王が指差したのは……ラギーリン。


『ほぅ……』

「…………」


 一様に気にするのはやはり先程まで破格の力を奮って来たこの二人。


 しかし怒りに彩られ暴れ出す事態になるやもと肝を冷やす者達の予想に反し、あれだけ昂っていた【沼の悪魔】やアスラは気迫を収めて大人しくしている。


 むしろ魔王がどう動くのか、その一点を傍観している。


 強者のみ感じ取れる何かがあるのか、それとも……。


「……申し訳ないけど、可能ならばあなたとは争いたくはない。魔王ともなればおそらく【沼の悪魔】よりも強いのだろう? どうだろう、ここはお互いに出会わなかったことにしないかい?」

「関係ないな。俺は君が気に入らないから倒すだけだ」

「ふむ……興味がある。僕は正しきを行いたいだけなのだけれど、どの点が気に入らないのかな」

「なら尚更じゃないか。魔王が正義を挫くのに何の理由がいる」

「…………やはり思う通りにはいかないな」


 王国にとって予期せぬ幸運。種火のような不安が消えないまでも、王国軍は内心の奥底で喜びに震える。


 明確かつ強大に過ぎる国の敵対者二人がぶつかる運びとなった。


 戦力を減らす事なく、強者の消耗を狙える。


『おぉ、そうじゃ。どうやらその者は悪魔の断片と妙な剣技を有しとるらしい』

「らしいね、知ってるよ・・・・・


 何気ない言葉を残し、大剣から軽やかに降りた魔王は一人の傭兵へと歩み寄る。


 何故だろうか、特に威圧感などもないのにも関わらず……動けない。


 ただ間違いなく、今この場を制しているのは魔王であった。


「……刀か。いくらしたのかな? 銀貨十枚くらいと見た」

「っ……い、いくらって……金貨五枚だけど……」

「いや随分と悪徳だな……。こんなの戦場に持ってくる代物じゃないよ。これは見た目は立派だけど、どちらかと言えば数打ち物の部類で、鍔の細工で豪華に見せているだけだ」


 刀の刃を掴んで品定めし、使えると判断したのか呆気に取られていた傭兵の手から取り去る。


「買うにしても信用できるところから買うといい。手頃な値段でもこれより良いものはたくさんある」


 すぐ様一振りし、状態を確認しながらラギーリンへと向かう。


「やれやれ。今これ以上、血に侵食されるのはマズいんだけど……」


 魂が澱んでいく未知の恐怖。


 アスラを相手にして力を引き出さざるを得なくなり汚染度を高めたが、胸中では予定外の侵食に焦りが募る。


 可能ならば少しずつ慣らし、完全に悪魔が復活する直前まで自分の意思を保ちたい。


「思ったより握りは悪くないな。よし、やろうか」

「……ははっ、今の君の言い方だとそれは粗悪品だろう? まともに戦えないのではないかな?」

「丁度いいじゃないか、粗悪に業物はもったいない」

「挑発か……。……相手に何ができるかも分からない状況だからこそ、挑発により感情的にさせ、手の内を出させようというのか。理に適っている。戦闘において学ぶべきことは多いな」


 おもむろにグレイを地に突き立て、逆手にて地を這う斬撃を放つ。


 それは半ばで五つに分離し、蛇を思わせる予測困難な動きで魔王へと殺到する。


「…………」


 けれど魔王は歩みのままに、不規則な斬撃をゆらりと躱す。


「……ニダイに匹敵する見切り。魔王を名乗るだけはある。実戦経験の乏しいことがここに来てかなり影響して来たか。僕もそれなりの覚悟が必要という訳だね」

「好きなようにしてみればいい。どうせそうやって来たんだろ?」


 魔王が左掌に火球を生み出し、何気なく放る。


「意味深な物言いをする。……だがこの剣の導きは相も変わらずこんなにも頼もしい」


 導かれるままに。突き出すというよりも、魔力を宿した切っ先を差し出す。


 ただそれだけで灼熱の火球は、触れた瞬間に形を無くし、散り散りになる。


「今のは結構凄いな…………っ」


 魔王の面に、長剣が迫る。


 明らかに自然の法則に反した動きであった。


 浮遊や、滑空を思わせる動き。しかし爆発的な加速を持つ。


「…………」


 それ故に今し方に響いた剣戟音が信じられない。


「今の僕の剣を受けるのか……。尾鰭がついていると鼻で笑っていたあの噂より強いことがあるなどと、実際に戦っていなければ到底信じられないよ」


 距離を置いたラギーリンが、感嘆するとばかりに言う。


 卓越した剣技が、斬り上げられた刀により軽やかに捌かれた。


 周りからは予定されていたもののようにも見える開幕。


「君に言われても嬉しくないな。それに君は俺が間に合った現状を嘆くべきだ」


 刀身が、黒く染まる。


「違うんだよ。まるで理解していない。僕の目的は魔王なんかじゃない。――――ッ!」


 大きな長剣を木の枝でも扱うが如く、豪快かつ軽快に振り回す。


 大剣術、槍術、剣術……おそらくは遥か古の技なのだろう。自分達の知るものとは一線を画すそれ等が混ざり、繋がり、調和の元に何の違和感もなく剣技として見事に完成している。


 止め処なく溢れる激流を思わせる連撃が旅装の男へ見舞われる。


「……ふ〜ん」


 対して魔王は、光を呑み込む暗い黒刃にて軽く払うように剣に合わせていく。


 右手で振るわれるそれはあまりにも見栄え良く、流麗で。


 至近距離にて周囲から視認できない速度で絶え間なく攻め立てる化け物を、どこか魅せられる涼しげな立ち振る舞いにて凌ぐ。


 基本を元にしていたグラスよりも型にハマらない、自由な刀使いだ。


「……美しい。だが…………っ」


 クリストフの予想よりも早く、攻め手に棘が加わる。


 塩の大地に立てば、それはゾ=ウルトの断片を持つラギーリンの手の平にあるということ。


 ラギーリンの思うままにである。目にするのも怖い鋭さの棘が足下より強襲する。四方八方、どこからでも。


「ッ――――」


 悠々とした魔王の動きの度合いが加速する。それだけであった。


 空を行く雲の如く。


 棘は追い付かず、捉えて刺せども刺せども魔王はするりと躱してしまう。


 ハクト達が受ける魔王を無敵足らしめるこの印象は、まさにあらゆる攻め手が掠る気もしないところにある。


 アスラ達の戦闘に見られる異常な派手さは無くとも、やはり少し先の未来を見ているかのようにラギーリンの動きにぴったりと同調している。


 生え出る棘を避けながらも、変わらずグレイによる上段からの剣を受け止める。


「…………」

「ニダイには鍔迫り合いからの技も豊富にあるようだ、よっ!」


 魔王の足元が陥没する。


 重い魔力の衝撃を送り、全身の筋肉を硬直させて数秒間動きを停止させるニダイの剣技。


 更にアスラの戟を受け止めた腕力で押さえ付け、


「――終わりだっ」


 自らの腹部を貫き、塩の針を魔王へ伸ばす。


「っ……!」


 剣技の効果も感じさせず、身体を仰け反らせながら回避を試みる。


 その反応速度、柔らかな身のこなし、目を疑うものだ。


 しかし凶悪に突き出た棘は…………仮面を突き刺すまでに至る。


「ッ……!?」

「…………」


 戦場の数名が、有り得ないとばかりに厳しい顔付きとなる。


(魔王が苦戦してるのか……?)


 息も詰まる戦闘を凝視していたハクトも、何故かそうなる事実があって欲しくないという心境であった。


 未だラギーリンには傀儡と化した魔物達や、強力極まる眷属がいる。


「ッ――――」


 地面と平行に高速に回転しつつ仮面を奪い返し、すぐさま顔を隠す。


 その必死さを見れば、今のが今までのような遊びでないのは明らかだ。


「――ハァッ!!」


 塩の岩盤に、グレイを突き立てた。


 千本の棘が地面より突き出る。


 アスラ達へと見せた示威的な行為と同じく、魔王の回避を許さないよう一帯から一度に生やす。


「――――」


 だが見通していた魔王は、二メートルはあろう鋭利な剣山の上へ先んじて飛び退いており――


「やっとまともに当てられそうだ」

「それか……」


 同じ宙に並んだラギーリンの構えのみで察した魔王が、嫌そうに言う。


 懸念があるとすれば当然ニダイの剣技。その中でも群を抜いて危険とするのは、突き。


 それは模倣をして尚、最上級。


「ははっ、段違いにしっくり来るじゃないかッ!」


 針の穴を通すよりも正確緻密な五連発を、相手方の後の動きも予測した剣の導きに従い、放つ。


 薄い黄色の魔力が螺旋を描き、ひたすらに鋭く、疾く、魔王を狙い撃つ。


「ッ――――」


 一つ目の突きを斬り払うも空中では威力を殺せる筈もない。


 閃光の如く猛追する二の突き、三の突きを捌くに連れて魔王は森の奥へと凄まじい加速で弾き飛ばされる。


 次なる戦闘の場は森林となるらしい。


 僅かにラギーリンが優勢のように感じられるが、問題なのはここからだろう。


 平原に残された者達の関心は、森を出て来た時にどちらが勝利し、その勝利者がどれだけ疲弊させられているかであった。



 ………


 ……


 …






 深く、深く、森を行く。


 最後の突きを斬り払い、背の高い樹々に囲まれた薄暗い中、適度な広さのある場所へ着地する。


「…………ふぅ」


 肩の力を抜きつつ仮面を仕舞いながら一息吐いた。


 すると自分の通って来た道筋を辿って、森が轟く風音を立てて急接近する者がいた。


 明らかに異常な速度だ。


 魔王が振り返ると、片刃は既に迫っており――


「――――うぐッッ」

「ナメられたもんだ」


 魔王の首元寸前にて、急停止する。


 行き場を失った剣気により、空気が破裂し周囲に圧が拡散する。


「……君、俺を倒した後のことを考えながら戦ってるでしょ。今からは止めた方がいい」


 取り囲むようにひらひらと舞い落ちる葉にも構わず、目を疑うラギーリンは手元と魔王を数度見比べる。


「学ぶべきことは多いらしいけど駄目じゃないか。優勢に思えたからって知らない人にほいほい付いて来ちゃ」


 振られた宝剣グレイを持つ左手真下の柄。


 そこに鉤爪のように曲げた人差し指を引っ掛け、無理矢理に剣を止めていた。


「くっ、っ……!?」

「ここなら落ち着いて話せそうだ」


 人差し指を握り込む魔王により、剣は微動だにしない。


 もはや握力というには不自然な力である。


「本当は彼等に全部任せるつもりで、ここに来る予定はなかったんだ。でも君にいくつか訊きたいことができたから急いで来た」

「……はぁ、いいだろう。流石は魔王と言ったところか。どうせ侵食度を高めなくてはいけないみたいだから、その前にお喋りに付き合うとしよう。なんだい?」

「助かるよ。じゃあ……さっきは何であんな真似をした」


 あんな真似……?


 どれのことを指すのか咄嗟に思い当たらず、ラギーリンの片眉が上がる。


「……察するに、魔王軍を名乗らせたこと……ではないか。さっきという事は、魔物達にしたことかい?」

「…………」

「そう言えば何で君にはこの眼の力が効かないんだろうか。魔王とはそう言うものなのか。恐慌状態にさせる他に、視界に捉えたものを塩に変質させるくらいのことはできるはずなんだが。もしかすると噂に聞く魔王の魔眼の中に何か――」

「そういう分析はいいから、続きを」


 真っ向からこちらと目を合わす魔王は、〈ゾ=ウルトの虚眼〉を直視している。


 ラギーリン自身も試すも、生物を穢す力の効果は見られない。


「……悪魔という脅威となって、龍と戦うんだ。戦力は多い程いいに決まっている。だから魔物達には手勢となってもらった。僕は龍を少しも甘く見積もっちゃいないさ」

「訳が分からないな」

「人類の下がりつつあるレベルを引き上げるんだよ。いざと言う時の為に」


 益々理解できないとばかりの魔王に、落胆の溜め息が漏れる。


 未だ大きく余力を残しているとは言え、悪魔の身に近付く自分に比肩している魔王がこの程度の知能なのかと。


「人々は過去の者等の強さを理解していない。僕は悪魔になり、そして――」

「魔物どうこうも興味はあるけど、いま俺が訊きたいのはそれじゃない。君がここに来る直前のことだ」

「…………というと?」


 心当たりでもあるのか、ラギーリンが眉間に皺を作る。


 魔王は平坦な声音で言う。


「――なんでブレン君を斬った……」

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