第164話、もはやこの二人が魔王
魔王軍幹部の登場による敗戦の予感が誰しもの脳裏を過ぎったのも束の間、今となっては誰もそのような不安を抱えてなどいなかった。
この鬼が負けることなど有り得ない。
「…………」
並ぶ者無き鬼の身体に、力みが宿っていく。
戟を一段と強く、握り込んだ。
「…………」
「っ……!!」
その様からエリカやクリストフの受ける印象は、抜刀。
たった今やっと、刃を抜き身にしたかのような気質が感じられた。
『ふぅむ、どういう皮膚をしとるんじゃ?』
心躍る【沼の悪魔】が念を送り、上位の魔物をアスラへと向かわせる。
五メートル程にもなる四足のスケルトン、『妄執なる屍兎』。
その異様なる純白の骨格はトロールの棍棒にもびくともせず、二足となった際に見せる一撃必殺の――
「ふんッ!!」
右脚から差し込む武に則った踏み込みで、ただ力強く右上から袈裟懸けに振り下ろす。
流麗かつ豪快に弧を描き、戟が通過した軌跡ははっきりと見て取れる。
抉り取られているかのように、歪んで見えていた。
得物の重さは力、頑丈さは力、扱う膂力は十二分。
『ふむ……』
黒戟に二分され、小気味良い音を立てて四方八方へと派手に飛散する『妄執なる屍兎』。
その鋼の骨片が弾丸となり、他の魔物を蹴散らす。
『…………』
少し先で骨片が盛大に弾け飛ぶのを眺めつつ、十剣を周囲に構える【沼の悪魔】。
一歩ずつ、ゆるりと散歩でもするようにそちらへ歩みながら適度に戟を薙ぐ。
殺到するスケルトンの手には刃物や鈍器、防具まで使うものまでいる。
それら鋼や鉄を含めた一切が、一振りにて粉々に砕け散る。
“防ぐ”、“護る”が全く意味を持たず、豪快な戟の圧により吹き飛ぶものまでいる。
蹴散らす、まさにこの言葉そのものであった。
「戦う度に強くなるとは訊くが、鬼族ってだけじゃ説明できねぇぞ……」
「…………」
あの魔物達の中には、この戦場においても紛う事なき強者の側に立つ者達が多くいる。
人や生物としての本能がそう告げている。
自分達では鍛えた刃を待ってしても欠損一つ入れられるか分からない存在だ。
だがアスラは間違いなくあと数十秒もせぬうちに軍勢の主に到達してしまうだろう。
『派手じゃのぅ……んんっ?』
一撃の突風が駆け抜け、一つの影が跳び上がった。
筋力の為に筋量を増やせば、重量が上がる。次第にそれはその者を鈍重にさせていく。
しかし、
「退屈そうだな。まずは一つ……くれてやろうっ!」
筋骨隆々の巨体にも関わらず二十メートルはあろう距離を一跳びで潰し、真上からの愚直な振り下ろしにて雷槍の返しとする。
『十剣よ……――――ヌンっ!?』
先の雷鳴よりも割れるように甲高く、しかし重く響く激音。
「……久しく思えるな、“手応え”と呼べるものを感じたのは」
戟を辛うじて受け止めてみせた十の剣を目にし、自然と唇の端に笑みを浮かべるアスラ。
『……やるのぅ。ここまで腕っ節に特化した者も珍しい。多少は堪えたわい。多少はのぅ……』
「ふっ、“拘れ、そしてあらゆる面で限界を作るな”……。旅に赴く俺に送られた至言だ」
まさかとの思いが、脳裏に過ぎる。
ここに来て初めて、アスラから魔力が感じられ始めたのだ。
「ならば俺は力と武に拘ろう。これほど痛快なものはない」
『…………』
カハンの十剣が防ぐ戟に、紫暗色の恐ろしく獰猛な魔力が惜しみなく込められていく。
「だがここまでだ。魔術師の間ではなくなった。終の一手は褒美をくれてやる」
『まだ余力があるかっ……!』
分厚い背筋が、また一段と膨らむ。
「ギッ……!?」
「っ……!!」
背から圧が放たれたように錯覚をした背後の者達が、反射的に息を呑む。
「お前ならばこれを試すに足る力量はあるだろう」
一段と腰を乗せると共に両の足が地に沈み、剣から伝わる重圧感が跳ね上がる。
「〈
『ヌゥッ――――!?』
アスラの容貌に鬼神の如き険しき皺が刻まれ、モリーが唸る。
剣へ通す魔力を跳ね上げようとも、押し寄せる紫の魔力漲る戟が止まらない。
「――憤ッッッ!!」
この日初めて、鬼が戟を振るった。
トロールやスケルトンなどにするように、ただ無機質に斬殺するのではない。
膂力をもって武の技として見舞う鬼の一撃は、大気が震える剛撃となる。
銀の十剣が微塵に砕かれる。
“防御不能の破壊技”。
剣が割れる瞬間に、反射的に全てのものが確信する。
決まった。あの強大なる魔術の主を、この鬼はこうも容易く破り去ってしまうのだ。
歓喜の時が訪れる。勝利を祝う喝采が生まれる。
誰もが息を吸い込み、備えて――――
「ッ――――――――」
鬼の逞しい影が、横合いにすっ飛ぶ。
小石を思わせる程、呆気なく。
『……十剣を薄氷を砕くが如くか。カッカッカッカッ!!』
あの鬼を目にした後での【沼の悪魔】の楽しげな高笑いに、耳を疑う。
『出でよ、〈
アスラをはたき飛ばした滑らかに薄黒い巨大な骨の手。
「っ…………」
軽やかな着地から仁王立ちのまま地を滑り、やがて停止したアスラは……笑っていた。
「……ふっ、出せるものがあるなら初めから出せばいいものを」
暗くどろどろとなった【沼の悪魔】の足元より、これまでとは比べるのも馬鹿げた巨大な影が姿を見せる。
魔力昂ぶる【沼の悪魔】のような悍ましさや禍々しさというよりは、生々しい凶暴性が見て取れる本体。
『やれやれ……、あまり派手にやっては方々から口煩く言われそうじゃったのにのぅ……』
あえて似たものを挙げるなら……狒々だ。
猿よりも凶悪な骨格で、緑の炎をたてがみや関節に燃やす巨大なる骨の狒々。
『いやしかしこれは僥倖。……さぞ難儀したことじゃろう。時代にそぐわずして、ここまでのものを身に付けおったのじゃから……』
【沼の悪魔】の空の眼窩に、妖しい光が灯る。
戦意の芽生えた証であった。
『退屈したことじゃろう、鬼の子よ。ほれ、これくらいのものなら存分に遊べるじゃろう?』
子と呼ぶ。
このアスラをして、未だ格下と見る凶魔。
「遊べるかはともかく、見せ物としては中々だな」
『おうおう、まだまだ吠えよるわ。カッカ! やれぃ、バブーシャン!』
牙を剥いて咆哮し、アンデッドにあるまじき凶暴性を見せて駆けていく狒々。
人の争いの場に、突如として不釣り合いな怪獣が現れた。
そして怪獣は小さき人影へと飛び掛かり、持ち得る筈のない野性のままに殴りかかる。
「フンッ!!」
正面から、戟にて迎え打つ。
何度も何度も……弾き返す。
「…………っ」
ソウマの師が彼にただ一度だけ見せた二本の棍棒を鎖で繋げた武器、ヌンチャク。
あのような軽快な連撃が、降り掛かる怪獣の拳を弾いている。
『バブーシャンとまともに打ち合うか……ん?』
「所詮は屍か、芸がないな」
サイズの差など物ともせず、一つ大きく弾いてみせると戟を地へ突き立てた。
牙を見せて悔しさを表し、振り下ろされた拳槌を避け、
「ッ――――!!」
無理矢理に投げ飛ばした。
鞭のように振り上げ、刀のように振り下ろしてしまった。
武を感じさせる美しい力技。
龍を思わせるバブーシャンの巨体が、地に埋もれる程に強かに叩き付けられる。
「そろそろッ――――」
『儂を探しとるのか?』
戟を手に今一度の剛撃をと振り返った眼前に、ぞっとする悍ましき魔骨の顔面があった。
『――〈トリゴールの雷網〉』
細かい線状の無数の緑雷が、前方へと拡散するように撃ち出された。
その威力たるや、広く地を抉り鬼を吹き飛ばす。
「クハハハッ! 随分と芸達者なことだ!」
『カッ……? じゃからどんな皮膚なんじゃ……?』
溢れる鬼気にピリピリと大地が痺れる。
地を滑り、煙を上げながらも大したダメージも見せずに戟を巧みに操り、轟々と回転させる。
万物を砕かんと左回りに渦巻く魔力が、刃の辺りに蓄積されていく。
どこまでも紫暗の鬼火は勢いを増していく。
力をぶつける鬼の御技。逃さずに溜め、流させずに突き進めと、それだけの力技。
〈
「ならばこちらも、くれてやるッ!!」
暴虐の塊が突き出された。
破壊的な魔力の嵐はその通り道の全てを砕き、巨大な狒々さえも弾き飛ばす。
『ヌゥゥンっ!? ……ふぅむ、なんちゅう出鱈目な技よ』
雷さえも掌握する【沼の悪魔】が、躱した後に感嘆の溜め息混じりに呟いた。
平原を寸断してしまった“暴力”を目にして恐怖一色に青ざめるも、凶魔のみは愉しげに声音を弾ませていた。
「練りがまだまだ甘いか……。だがまだ楽しめそうだな。そろそろっ……」
狒々の拳を魔力宿す左腕にて受け止める。腕力を誇示するが如く、真正面から楽々と。
「…………」
『もう一段と、過激に……か?』
実に楽しげな両者。
平原の他の者達は常に死の危険に晒されていると言うのに。
運良く被害が出てはいないが、迂闊に動けばその余波により死に直結するだろう。
その異次元の戦いぶりは、もはや魔王としか例えられない。
「…………っ、な、なんだ?」
地面が揺れる。
地震や噴火とはまた別の、何か巨大なものが地の下で蠢くような……。
「まさか、注意されていたあいつか!?」
「……ど、どこから来るんだ……」
事前に聞かされていたソレは、遺跡からは現れなかった。
セレスティアとアサンシアがその正体を予測したのには、いくつかの理由があった。
その一つは、トロールを喰い殺す程の大きな魔物であるのに、遺跡のどこにも破損らしき破損が見当たらなかったこと。
山の内部へ進むように作られる遺跡である為、空からの侵入とは考えられない。
ならばどこから遺跡へ侵入したのか。
「……ッ!!
アスラも含め、総員に通達された注意喚起がある。
“出現時、決して呑み込まれないよう警戒せよ”……。
アサンシアが渡って来た広大な砂の海“ゴロン砂漠”には、ある災害が棲息する。
全貌を目にした者は一人としておらず、現地では自然と同一視される砂に棲まう魔虫の一種。
『
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