第163話、見つめ合う二人

 

 平原が灼熱の緑光により、一色に染まる。


 戦闘中だった友軍敵軍問わず、森から発生した稲妻の轟音に竦み上がった。


 同時に背や肌が、駆け抜けた熱に一気に焼き付けられ――


 ――――――…………。


 全ての者達が目を眩まし、熱せられた空気が喉を通らず呼吸もままならない状況下で周囲を見渡す。


 視力が回復しつつあるリリアが、最も早く視線を森へと向けた。


 すると直ぐに、迫る岩を突き破り、その先の張本人投擲トロールを纏めて消滅させた存在を捉える……。


『――これが今日こんにちの戦か……』


 怖気が身体を縛り付ける。


 森の暗がりから脳内を侵蝕する不気味な声音が発せられた。


 カタカタと薄気味悪い雑音を立て、スケルトンらしき軍勢が森から這い出てくる。


「……っ、な、何体いるんだ……」

「…………っ」


 現れるスケルトンの軍勢の中央より、――尋常ならざる邪気を纏わせる主が姿を見せた。


『気乗りせんと言えども指示には従わねばと、重い腰を上げて臨む外界……。しかし時の流れとは……誠に無情なことよ……』


 人は未知を恐れる。いや、ゴブリン等魔物でさえも……。


 分からないものや知らないものを遠ざけ、怯える。


『弱い……とも感じられるが、何より拙い。総じて拙い。戦いの場に持ち込むには、あまりに粗末なものばかりじゃ。戦の神がおるならば、さぞかし嘆いておるじゃろうて……』


 生きとし生けるものを忌み嫌い、一方で恋焦がれるが如くその命を貪る。


 強大な魔術の数々を有する伝説のアンデッド。


『のぅ……生者共よ』


 誰もが伝え知る骨身の凶魔。否応なく感じる押し潰されんばかりの魔力と、悍ましきオーラがその証明である。


 正真正銘の【沼の悪魔】であった。


「――下がれっ!! お前等は下がってろ!!」

「ううっ!!」


 バーゲストを奪い取ったソウマが、ハクトを抱えて前線より現れた。


 乗り捨てたバーゲストが骨の軍勢に突っ込んでいき……取り囲まれていく。


 一体同士ならばともかく、その数が異常だ。


「やられた……。どうりでとんとん拍子にことが進んでいくと思ったぜ……」


 噂に聞くよりも遥かに禍々しい【沼の悪魔】の全貌に、苦渋の顔に汗を滲ませるソウマが呟いた。


 挟撃だ。


 森側にわざと魔物達を数部隊放っておき、挟み撃ちの可能性を摘んだと思わせていたようだ。


 それがその実、単独で【沼の悪魔】などという王に次ぐ化け物を潜ませる布石であると誰が見破れるだろうか。


 信じ難いが、セレスティアより魔王に軍配が上がった瞬間である。


 おまけに単純に魔力量の次元がまるで違う。あちらの味方である筈のゴブリンやオーガですら震え上がって固まっている。


 勝てない。明らかに勝てる見込みが立たない。


 いやしかし、自分達には――


『まさかその白髪が……陛下の言っとった勇者か?』

「っ……!?」


 鋭い棘や突起らしきものが目立つ悪魔的な容貌の【沼の悪魔】が、ハクトへありもしない目を向ける。


『…………あの陛下・・・・が気にかける程のものかのぅ。特異と言えども人族なんぞの違いは分からんわぃ』


 酷く退屈そうに、酷く無造作に、虚空の魔術陣より鉛色の剣を十振り生み出した。


「く、くるぞ……っ」

「あれは……なんだ……」


 殆どの者達が一応の備えとして身構えるも、どうすることもできないことははっきりと自覚してしまっていた。


 緩やかに、滑らかに回転する剣。


 沼の悪魔を中心にゆるりと旋回し、周囲の宙を泳いでいる。


『〈カハンの十剣〉……。まぁきゅうより遅い上に全体的に性能は落ちるが……』


 宙で気ままに浮かんでいたその中の一つの切っ先が、ハクトを指す。


『……事斬り刺しに関してはこれが良い。ほれ、ちとこれでも凌いでみぃ』


 何か光った。


 兵士は勿論、ソウマやアサンシアでさえ反応ができず、瞬いた光を漠然と認識するのみであった。


「――――」

『ん……? ほぅ……』


 咄嗟に目を閉じてしまっていたハクトが、【沼の悪魔】の感心する声に片目を開ける。


「うぇっ……!?」


 頬を掠める軌道で眼前に迫った【沼の悪魔】の剣先が、摘み・・止められていた。


「…………」

「あ、アスラ……」


 親指と曲げた人差し指で、剣を挟み止めていたアスラ。


 じっと軍勢の主を視線で射抜いている。


『カッカッ、どんな握力しとるんじゃ? “素”の状態でそれか』


 今しがた放たれた剣は威力こそ球に及ばないものの、岩石などならば何の抵抗もなく貫く。


 それをほぼ“停止”と呼べる状態で、しかも摘んで止めたのだ。


『いやしかし、なんじゃ少しはまともなのも現存しとるじゃないか』

「……魔術師か、下等だな」


 この男を前にやたらと愉快げな【沼の悪魔】に対し、落胆とも取れる嘆息で鬼族は開口した。


『ふむ、何が言いたい?』


 人族風情がと憤るかと思いきや、物珍しさを感じている様子の【沼の悪魔】。


「魔物と言えど、魔術師では駆けて来た甲斐がなかったというだけだ。魔術など貧弱者のただの足掻きに過ぎん。刃はおろか柄の一当てで容易く砕け――」

『な〜んも分かっとらん。この世の道理が何も分かっとらんわ、この小僧は』

「…………」


 鬼が剣を放り捨て、巨大な黒戟を肩に担ぐ。


 その際の戟が空を切る重底音が、寒気を覚えるまでの重量であることを物語っていた。


『世は“魔”によって成り立っておる。主等も魔力に依存し、魔力により競い、生存を求め、価値を示すのじゃろうが』


 世の道理を説いている反面、別種の好奇心のようなものを覗かせている。


『その中において、“魔”を“術”とまで昇華することがどれ程の所業か分かるか? そしてそれを扱う者がどれだけ崇高で尊ばれるか、理解できんのか?』

「話にならんな」


 説破するつもりがあるのかないのか、鬼が唇の端を微かに釣り上げて【沼の悪魔】の主張を切り捨てた。


「魔だの、術だの、言葉遊びが過ぎる。所詮は己を高めることに違いなどない。肉体を鍛え、武を修め、貴様の言う魔をも解する。比重の問題だ」

『…………ほっほぅ?』


 びりびりと、確かに肌が痺れている。


 鬼と凶魔を取り巻く景色が蜃気楼のように歪んでいる。


 誰もが確信していた。


 この比肩する者なき強者二人は、今からぶつかり合うのだと。


 アスラの巨大かつ濃密に鍛え上げられた肉体に漲る鬼気。


【沼の悪魔】が纏う死を予感させ、致命的とも感じさせる邪気。


 だが何故か今か今かと嬉々として高まる闘志に反し、緊迫感に恐怖する自分達を置き去りにして、中々それが始まらない。ただの問答に止まっている。


「お前の理屈ならば、俺には更に武術がある。ふっ、魔と武術を合わせ持つ俺がより優れていることになるな」

『言うのぅ。急所、病、死……弱点多き下等種族の風情で……カッカッカ!!』


 この瞬間、ある者から場違いな愚痴が漏れていた……。


「……ふぅ」

「はっ、な、何かございましたか、セレスティア様」


 遠くで起きた異変と共に現れた、異形の怪物を注視していたセレスティア達。


 二人の会話はまるで聞こえないが、この異常事態にもセレスティアは落ち着いているようであった。


「まるで誰かに言い訳・・・をしているような雰囲気ですね。どうにかして闘う理由を見付けたいだけなのでしょう。互いに受け皿となりそうなので、有り余る力の捌け口としたいのです。……本当にくだらない」


 近衛兵が覚えがないほど冷淡に苛立つセレスティア。


 しかしその不貞腐れた様子は周囲に彼女を珍しく人間的に見せ、場も状況も弁えず見惚れる者を増やしてしまう。


「……これだから主人を第一としない者は許容できないのです」


 だからこそ、この呟きも聞き逃してしまうのだった。


『ふ〜〜む、困ったのぅ。堂々巡りよ。いつまで経っても意見が交わらんわぃ。のぅ……?』

「…………」

『これはあれじゃな。仕方なし。最後の最後、自らの掲げる“芯”を貫くには、もう実際に――』


 人もゴブリンもトロールも、種族など関係なく同様に注意深く動向を伺う。


『――比ぶるしかない。術比べじゃ』

「ふっ……」


 気配が変わった。


【沼の悪魔】が骨の掌に緑雷を宿し始める。


「おい、マジかよ……」


 先程の超常的な現象を何度も行使可能いう事実に、また一段と更なる恐怖を覚える。


 だが少しの迷いもない様子のアスラは地が凹みそうな重さで、一歩、また一歩と骨の軍勢へと歩みを開始する。


『行け、雷槍よ』

「ふん、どうやらこの俺に大層な説教を吐くだけのことはありそうだ。直ぐには終わってくれるなよ」

『カッカ、こちらの台詞よ。避けられるもんなら避けてみぃ。……あぁ、ちなみに……同じ人族に、これを掌一つで制した者がおる。傷一つ負わんとのぅ』

「……ふっ、そうか」


 雷を掌握する凶魔の挑戦的な一言を受け、鬼が純真にも思える笑みを溢す。


 だがその台詞を耳にしていた者達は心中で悪態を吐く。


 稲妻から逃げる術などあるものかと。


 自然の猛威は天命だ。


 避けも出来ず、こちらの意思に左右されず……。


 それを魔術として意図的に為せる者など、魔物の域を超えている。


『不恰好でも良い、凌いでみせぃ。ほれ――――』


 今一度、毒々しい緑光が閃いた。


 宣言通りアスラを突いたとしても、炭となって背後の人や魔物が塵と化す。


 自分達は向けられようとも逃げられる訳もない。


 今はただ、【沼の悪魔】の気が変わることを一心に祈るのみであった。


「クハハッ、上等だな」


 この者以外は。


 ――――――――……。


 轟音により音が消え、熱波が平原を駆け抜けた。


「…………えっ!?」

『カッ…………!!』


 最低限の隙で視界を確保したソウマが目にしたのは、大きく口を開けて間抜けな顔で驚きを表す【沼の悪魔】と……。


「…………」


 鬼が、左手を翳していた・・・・・・・・


「……ちっ、焼かれたか」


 煙を上げる分厚い左手を顰めっ面で眺め、機嫌悪そうに呟く。


『…………』


(いやぁ、確かに陛下は傷一つ負わんかったが……。……そんな馬鹿みたいに真正面から受けろなどと、いくら儂でも言わんぞ………………カッカ!! これは暇を潰すくらいにはなるかもしれんわぃ)

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