第159話、二枚岩をふわっと一纏めにする
街の外の騒動など知る由もない馬鹿騒ぎ。
無礼講とばかりに酒に躍りにと、酒場街から離れた領主館にも聴こえてくるほどであった。
「フンっ、フンっ……ふぅ、ヌンっ!」
その街の様子にも構うことなく、一心不乱にスクワットに励むハクト。
流れる汗もそのままにトレーニングに励むそれを壁に背を預けて座り、退屈そうに欠伸しながら眺めるオズワルドだったが、機を見ていよいよ口を開く。
「……何もこんな時にまで稽古しなくてもいいんじゃないですか?」
「明日はっ! セレス様も! 出陣なさる! 気合いをっ! いれないとっ! なっ!」
街灯により頼りなく照らされる門の外で、スクワットも程々に崩れた瓦礫の上に置かれていたタオルで汗を拭う。
「ふぅ……」
「でも僕達の隊はアスラさん主導で戦うんですよ? あんまり前に出ても危険だし、今回は任せておいた方がよくないですか?」
「……オレはあんまりアスラ任せに戦うっていうのは……どうかなぁと思う。怖くて大っぴらに言えないだけだ」
「エリカもさっき言ってましたね。背中越しに“他人任せに振るう刀なんて持っちゃいないよ”って、カッコつけて言われました」
「……アレ良くないよな。グラスさんの変な部分ばっかり受け継いじゃってるんだから。王女が言うにしては男前過ぎるだろ」
呆れたように愚痴を言うハクトが、続けて休む暇もなく折りたたまれていた梯子のような物を広げていく。
「よし、次のをやるぞ」
「……今更なんですけど、やるならやるで庭でやれば良くないですか? さっきからたまに通る酔っ払いがギョっとしてますから」
「いや、できればここがいいんだ。もしかしたらまた会えるかもしれない」
「…………まぁ僕は一向に構いません。その人には僕だって会ってみたいです」
黒騎士に技を教わった時のように喜びを露わにしたハクトは、謎の男について語った。
グラスや黒騎士のように魔力の扱いに長けた男で、破壊力抜群の新たな技もその男から習ったとのことだ。
アスラも含め、オズワルドはここ最近になり集中して出現した常軌を逸した強者達に、何か原因かもしくは何かの兆しなのではと一人密かに考えを巡らせる。
「――ッ――ッッ――ッ!」
気付けばハクトがトレーニングを再開していた。
訓練訓練と騒ぐエリカとハクトに渋顔を見せ、ものの五分程度で作って与えられたグラス特製ラダーを、特殊かつ軽やかな足取りで駆け抜けていく。
より速く、正確に、細やかに。
疲労を抱えた脚故に中々スムーズとまではいかないまでも、苦悶の更にその先まで追い込むように腿を上げてステップを刻んでいる。
(……明日が休日のように鍛えますね)
「はぁ、はぁ、はぁ……」
五往復はしただろうか。
汗を止め処なく流し、膝に手を付いて僅かな休息の間に少しでも呼吸を整える。
「――お前等、こんなとこで何してんだ?」
先に帰還したアサンシア達とは別に罠を数カ所仕掛けていたであろうソウマとランスが、馬に乗りやって来た。
「鍛錬だ。日々精進だからな」
「こんだけ毎日立ち続けに疲れてんのに鍛錬だぁ? ……気でもおかしくなったのか? 寝た方がいいに決まってんだろ……。俺だって寝たいっつんだよ」
「そんなことより報告を聞いたけど本当なのか?」
ソウマとの付き合いも慣れて来たのか、ハクトが淡々と訊ねた。
「ゴブリンだけでも千近くで、おまけに……トロールが、その……」
「マジだ。虫の大群みたいなゴブリンも、何体かのトロールも」
「っ……そうか」
あっさりと返答した。軽快に馬を降りるソウマが、内容に釣り合わない呑気な口調で即答する。
それを受けたハクトとオズワルドの表情が、数刻前と同じく再び険しくなる。
こちらの手勢は三百余り。
内にはブレンを狙う裏切り者を抱え、外にはゴブリンの群れと数種類の魔物達。
更には、人型の魔物の中でも捕食者と呼ぶに最も相応しい怪物であるトロールまで。
しかも最たる問題は、遺跡でアサンシア達が発見したそのトロールの死骸にあった。
「…………」
「……心配すんなって」
顔色の悪いハクトとオズワルドの頭へ順に手を乗せ、手綱を引くソウマが飄々として言う。
「お前等は死なねぇって。死戦を抜けて来た俺じゃなくても分かる。今回はかなり勝率が高い」
「そうだね、ソウマさんの言う通りだ。何たって、頭と将が揃ってるからね」
ソウマに続いて、馬をゆっくりと歩かせるランスが言う。
頭とは頭脳でありセレスティアを指しており、将とは武将でありアスラを示しているだろう。
「大規模な戦だと、ほとんどは参謀役の策が勝敗を分かる。今回は自分達よりも遥かに強い一騎当千の将もいるから、間違いなく終始優勢で戦える。当然、勢いがあればその分だけ被害も減る」
自分達は心配すらしていないというランスに、少年二人は途端に胸の内が晴れていくようであった。
「おら、もういい塩梅には鍛えただろ? 俺達はまたこれから戦準備に戻るんだから、有り難く寝てくれよチキショウ」
「わ、分かりましたっ」
乱暴に背中を叩き、ハクト達を追いやるように館内へ送ってしまった。
「…………アスラさんの近くだから嘘は吐いてないよね」
「あぁ……お前は無理に戦わなくていいだろ? いいよなぁ」
「王女様方が戦死でもしたら、大陸を歩けなくなるよ。戦わなきゃいけないのは一緒だ」
男二人、慌ててやって来た兵士に一旦馬を預け、一先ずは食事に向かう。
「久しぶりに、やってやるかぁ……」
ランスを連れ立って歩くソウマの指先が、
「……ていうかよぉ……」
「……うん、風邪でも引いたのかと思ってたんだけど、ソウマさんも感じてるなら気のせいじゃないね」
どちらともなく長袖を捲り上げ、肌に浮き立つ鳥肌を見る。
「何でか知らんが、さっきから寒気が止まらねぇ。寒くもねぇのに……何でだ?」
戦前の緊張など最早慣れたものであるし、恐れることなど何もないはずである。
しかし街に滞在する戦士と呼ぶに相応しい全ての腕利きの者達はその時刻、一切に寒気を感じて身震いしていた。
♢♢♢
魔王の疑問の投げかけ一つに、水を打ったかのように静まる。
しんとする室内で、身動ぎすらなく立ち尽くす。
青褪めた顔色にて平時とは全く異なる美貌を見せる王女。
厳しい顔付きで腕を組み、瞑目にて逡巡する鬼。
視線を迷わせ、混乱する小柄なメイド。
魔王の力が今一度振るわれるのではないかと震える魔獣。
それぞれが独自に適切な言葉や行動を苦慮する。
「…………」
分厚いアンティークの
一通り読み終えたのか、問いかけに対する返答を待たずしてペン先にインクを付け、再び書き足し始める。
「……何か思うところがあるなら言ってみるといい」
重圧を与えるのには完璧に過ぎる間隔を置いて、魔王が再び語りかけた。
とうとう冷や汗が頬を伝う。
無意識に息を呑み込み、喉が鳴る。
自分なのか、他の者のものなのか、その感覚すら朧気である。
席番に不満があるということは、アスラ
「アスラ以外でもいい。ついでだから何か思い付くことがあるならこの際全て言ってみなさい。考慮の余地がありそうなら考えよう」
だが無機質にも感じられる魔王の声音に、誰一人として声が喉元から出て行かない。
呪いでも掛けられたように固まり、か細い震え声一つままならない。
「…………」
異様な重圧に怯む配下を他所に、黙々と手紙を完成させていく。
最後の呟きからまた暫く、沈黙が続いて行く。
煩く耳障りなまでに内に響く自身の脈動と、ペンの走る音にだけ耳を傾けるしかなく……。
「………………えっ? 独り言だと思ってる?」
「っ……」
最も恐れていた黒き視線が、何の予兆もなく突如として向けられた。
「いえ……そのようなことは……。申し訳ございません……」
「…………」
ふと顔を上げたクロノに、示し合わせたように一様に身体が跳ねてしまっていた。
「……うむ、ちょっと心配になるから返事はするように。……でもなんか揉めてなかったかな? あれは何か諍いみたいなのがあったからだろう?」
視線を戻し、手紙を封筒へ収め、セレスティアが座っていたソファへと向かう。
「言ってみなさい。俺に解決できることなら手を尽くそう」
悠々と腰掛けるクロノは、座して睥睨する王となる。
ただ大きく高価なだけのソファが、玉座と化していた。
「その…………お話しようとは考えていたのですが、ブレン君の事でご報告が遅れておりました」
アスラの自身への嫌悪には触れず、要点のみを知らせた。
かと言って仲間を気遣ったつもりなどはない。
有り得ないとは思えどもこの場でアスラがクロノにより処されては、明日の戦闘にてある程度の苦戦が強いられる可能性が生まれるからであった。
やはり帰結するところは、クロノの命令を完遂するただそれ一点のみ。
「…………」
「ブレン君? ふむ、聞こうか」
アスラからの細められた横目を感じながらも、気にも留めずに主へと報告の義務を果たす。
………
……
…
「――あぁ、それは興味深いね」
クロノの声音が一段と低くなる。
「っ……」
「…………」
先程までが極楽と言える程に冷めた声に、敏感に怒りを感じ取ってしまったのか微かな震えが止まらなくなる。
口調も本来のものとなり、魔王と呼ぶにも遥かに恐ろしい主の本質を僅かだけ垣間見る。
底無しに深く昏く、ただただひたすらに力強い気質。
「それが本当なら…………いや、よく考えたらやっぱり俺が真っ先に怒るのも筋違いだな。そうだなぁ…………ちなみにリリアはどう思う?」
「っ……! わ、私は…………」
「ゆっくりでいいよ。彼女の話を聞いてどう思った?」
憤りがなりを潜めた魔王の問いに、リリアは可能な限り私情を頭の隅に追いやり、最善と思われる答えを探す。
「…………私は、王女様の仰る方が良いと思います」
「なるほど」
恐る恐る紡がれたリリアのその答えをどことなく納得したクロノは、決定を通達する。
「俺もセレスの案を支持したい」
「ありがとうございます」
安堵の溜め息をぐっと堪えて優雅に返礼するセレスティア。
その所作はリリアが不覚にも見惚れてしまう程に完成されたものであった。
「やっぱり君に任せて正解だったよ。アスラの言い分はもっともだけど、今回はセレスの言う通りにしよう。アスラはどうだろう」
「御意に……。御身がそう決めたのなら何一つ異はなく」
「うむ、ありがとう。まぁもしそれで問題が発生したら俺が何とかするから」
「それには及びません。そのような瑣末な問題には俺が対しましょう」
平時の漲る鬼気で見下ろすアスラに、クロノは満足げに頷き思い付いたように言う。
「うむ。……あとさっき小耳に挟んだんだけど、信じ難いから一応確認するよ?」
「はい、何でしょうか」
「……トロールが食べられてたって本当なの?」
この中で最も一般的な、いわゆる民の価値観を有するリリアならばクロノの言わんとするところは直ぐに理解できた。
トロールと言われれば、街の近くに姿が見えれば大騒ぎとなる程の強力な魔物だ。
オークやオーガなどよりも遥かに大きな身体で、食い意地の張った性格から森の奥にいる熊や猪などを主食としている。
つまり大抵の場合、彼等は常に捕食者なのだ。
「アサンシアからの報告では確かなようです」
「随分あっさりと言うけど、トロールだよ? 君等強いから勘違いしてない? あれって結構強力な部類だし」
俄かには信じられないというクロノだが、その原因はトロールの死骸の有り様によるものであった。
「
トロールの肌は岩に例えられる程度には強固である。
苔の生えた分厚い皮と脂肪に覆われ、槍などの刃物と言えど血の一滴を見ることも難しい。
「そのようです。ですがご心配には及びません。既にトロールを食い殺した魔物の見当は付いております」
「らしいね。信じられないって言うのは、むしろその魔物の名前を聞いたからこそなんだけどね」
静かに目を閉じて耳を傾けていたアスラが、おもむろに開眼する。
「……本当にこのような緑ある地形にアレがいるのか、俺も甚だ疑問には思っておりますが、お任せを」
「もちろん君等なら大丈夫だとは思ってるけどね。砂漠には噂に聞く例の凄いのがいるから…………旅立つのに少しだけ不安は残るよ」
モッブが用意した蒸留酒のグラスを揺らし……香りを堪能した後にゆっくりと口に含む魔王を、静寂を守りつつ固唾を飲んで見守る配下達。
「…………うむ、いい樽の香りだ」
どこからともなく、安堵の溜め息らしきものが微かに生まれる。
主の叱責を回避したセレスティアもやっと胸を撫で下ろし、給仕をしていたモッブから蒸留酒の瓶をひったくるリリアを視界の端で捉えるまでに気を落ち着かせていた。
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