第158話、早速二枚岩
「……ふぅ、この具合ならもう安心だね」
ラギーリンがベッドで荒い呼吸を繰り返すブレンの容態を診察、処置を終えた。
「じゃ、起きてもしばらくは寝かせておいて欲しい。まともに動けるようになるまでは絶対安静だ」
「分かりました。お食事は?」
「胃に優しいものを用意しておいてくれるかな。食べられるかどうかはまた診察するから」
「シェフに伝えておきます」
「うん。……あぁ、それと――」
鞄へと医療道具を片付けながらも、次々とメイドへ指示する。
「今のところ注意点はそれらくらいだね。当たり前だけど容態が変化した時はすぐ知らせるように――」
「――なんて可哀想なんだ。俺のお粥が役に立つだろうか」
去ろうと立ち上がったラギーリンの真後ろから、子供の声が上がる。
「……な、何してるんだい?」
「え? 暑くてしんどそうだから、せめて汗を拭いてあげようかと」
いつの間にか部屋に入って来ていたコクトなる平民の子供が、タオルを用いて器用な手付きでブレンの額の汗を拭っていた。
側らの【ニダイ崩し】を成し遂げたグラスの弟であるらしい使用人が、あれこれと補佐している。
「……雑魚のくせに木の棒持ってウロついてるからそうなんだよ」
子供に呆気に取られ、皆が一様に何をどう言おうか逡巡していると、あからさまに苛立たしげな声音が吐き捨てられた。
当然、その声の主であるキリエに全員の関心は移る。
何ら構わず鋭く細められた鷹の目がブレンを射抜いていたが、そっと視線を外して退出していく。
「なに今の!! あんなこと言う必要があるかねぇ!! 弟だぞ! 意味分からん! …………いややっぱり意味分からん!!」
この屋敷内で最も部外者にも関わらず、必要以上に激昂するコクト。
「わざわざ部屋に来てまで言う!? しかも苦しんでる病人にっ。……もう我慢ならん! 説教してやるっ!」
更に憤慨しながら腕捲りをして、その後を猛追して行く。
「……あ、あの子はなんなんだ……」
………
……
…
「…………」
メイドへ注意事項や処方の説明をした後に子供部屋を後にし、足早で王女に報告へと赴いた。
蝋燭の火が照らすセレスティアの部屋には多くの者達がおり、ラギーリンから伝えられる診断結果を辛抱しながら待っていた。
「……命に別状はなく、朝にも回復する……。それは良い報告ですね。一先ずは安心しました」
「……短剣が残されていたので毒の特定も容易でしたし、極めて微量なのでご心配には及びません。ご懸念されていた後遺症も残らないでしょう」
デスクで一息吐くセレスティアを前に、どこか剣呑な雰囲気を察するラギーリンやレンド達の心拍は高まるばかりだ。
「レンド、こうなったからにはブレン君にも護衛を付けます」
「い、いえ不要です! 遺跡を偵察したアサンシア達の報告では戦いは免れませんっ! 子供一人の為に戦力を割くなどあってはなりませんっ!」
「私が必要と判断しました。アサンシアさん、人選をお願いします」
レンドの強い反発を相手にもしないセレスティアの頑なな決定に、アサンシアは軽く頭を下げて了承を示す。
「セレスティア様っ!」
「あなたは明日に集中してください。……諸々、分かっていますね?」
「ッ…………し、承知いたしました」
鋭き威光を前にしては、容易く引き下がるのみであった。
「それでは私はこれから、
周囲の者達を和ませる微笑でそう告げるも……室内には緊迫感が張り詰めるままであった。
幸運なのか、明日の大規模な敵軍がまだマシにも思える重圧。
「…………」
こちらに背を向ける形で、一人がけの大きなソファに座す大男。
分厚い腕で瓶を傾け、ドワーフくらいしか好まない非常に強い蒸留酒を喉を鳴らして飲み干していく。
この者が居れば…………いや、この者さえ居ればそれだけで勝ち戦。誰もが高揚感に身体を熱くし、明日を心待ちにしている者さえいる程だ。
「……失礼。あの者を残して立ち去る事は出来かねます。あまりにも危険」
他国の者とはいえ既に忠誠心の芽生えていたアサンシアが、アスラの圧にも屈さず諌めるように言う。
本人を前にして、過ぎる程に直接的な物言いで皆の心臓は縮み上がる。
「アスラさんには重要な役割を任せる予定です。王国の機密に関わる事ですので、レンドの耳にも入れる訳にはいきません。それに彼が私に仇をなす者ならば既に行動に移しているでしょう」
「…………」
「お疲れでしょう。適度な休息を入れておいてください」
国家機密と示されれば、自国他国問わず反論は難しい。
ましてやセレスティア相手ともなれば、言論による説得など不可能であった。
「…………」
「…………」
無関係の面々が去り、リリアが給仕を務める中、低く長いテーブルを挟みアスラとセレスティアが沈黙して酒と茶を嗜む。
「ミストは後でね?」
「――――」
窓の外に呼びかけたリリアに応えるように、セレスティアの後ろ側にミストが姿を見せた。
「……そのお酒は水を飲むように空にしていくものではないのですが。常人なら一瓶で潰れてしまうでしょう」
「…………」
いつまでも黙々と酒瓶を空けていくアスラへと、打って変わった無表情で訊ねた。
「御用件をお訊きします」
「あの子供を狙った者を教えろ」
新しく注がれたカップに伸びていた手が止まる。
あの子供とはブレンだろう。しかし武に関する事以外に無関心であったアスラが訊ねるには非常に違和感を感じる。
「……教えたとして、その者をどうするつもりですか?」
「今から始末する」
「ではお断りします。理由は先にクロノ様へお伝えしますので」
「ならん。言え」
厳しく尋問するアスラだが、セレスティアはどこ吹く風と言うように紅茶を口にする。
しかしセレスティアとて内通者を放置などするつもりは毛頭ない。
このタイミングでブレンを狙うということは、アスラの強さを聞いて尚も勝算があるということになる。
もしくは、戦力を無視しても得たい何かがあるのか。
どちらにせよ、その者には確固たる意思があっての行動なのだ。
「…………」
だがそれでも、セレスティアは自分達の手による強引な決着よりも感情的に良いであろう解決法を選ぶ。
「あなたはあの子にも関心が無かったように見受けられましたが、何か心境の変化でもありましたか?」
「変わらん。あの子供は“武”に対して真摯だ。純粋に剣を見つめている。お前などよりも遥かにクロノ様のお側に相応しい」
「困りましたね。何故こうまで嫌われているのか一向に分かりません」
「くだらん」
一蹴。
分からないと
「貴様、俺を動かす為に……あの御方を利用したな?」
「…………」
鬼の厳しい眼光を向けられたセレスティアが、目を閉じた。
アスラの
“クロノを利用”、この意味するところを知る者ならば、実力の大小有無に限らず誰もが死人の如く青ざめるのは道理であった。
「…………」
酒の瓶を片付けていたリリアも、生まれた疑念に眉根が寄る。
僅かに燻る憤りから、自然に腰元のカットラスを意識していた。
それが真実だとすれば、決して許されることではない。どちらに付くかと問われれば、迷いなどなくアスラに味方するだろう。
「頭が空とでも思っていたのか? 俺を傭兵の元へ向かわせる為に、クロノ様が目をかけるあの小僧を俺の目の届く範囲に置いたのだろう?」
ブレン救出の際、聞く耳持たないアスラをけしかけるにはどうしてもクロノ直々の命令が必要であった。
「……クロノ様はお察しの上でお力をお貸しくださいました」
「そうだろう。無論、見通した上で協力されたのだろう。そのような事は言うまでもない」
不穏と呼ぶ段階はとうに過ぎ、見守るリリアも今にも爆発しそうな二人の敵意に息を呑む。
「だがそうではない」
「…………」
「クロノ様がおられなければ解決には至らなかった。それが…………いや、そもそも手段や戦力の一つとして数えているそれ自体が可笑しな話だ。違うか? お前は相応しくない」
能力の不足、それはこの者達にとって罪となる。
智慧に秀でた者、膂力著しい者、古い魔術に明るい者など多種多様な突出者の集まりであれど、頂きに座する王の役に立てなくてはならない。
「そのような者の指示のどこに信が置ける。御託はいらん。不穏な種を残しておく理由など無し。さっさと答えろ」
「では【第一席】として命じます。私が対処するので、あなたは構わず予定通りにあの者達を守護してください」
「…………」
「…………」
正面から脅し、正面から命ずる。
既に互いの戦闘可能領域内にあるにも関わらず、無防備に寛ぎながら敵意ある視線をぶつける。
「…………能ある者ならば多少は認め、王とも師とも呼べる同じ存在を仰ぐ者同士、従うこともあろう。だが…………」
アスラが立ち上がる。
重厚なソファの背もたれを握り、分厚い指が易々と革を突き破る。
例えではなく、百キロはありそうなソファが今にもセレスティアへと投擲されそうである。
「だが? だが何でしょう」
対するセレスティアは少しも動じることなく、凍てつく表情を僅かに傾ける。
「…………っ!」
唖然としていたリリアが、誰にも悟らせる事なく彼女の手元へ生まれていた黒い装飾剣に驚嘆する。
この鬼に勝てるつもりでいる彼女の心の内が、透けて見えているからだ。
「見た目が優れているからと驕ったか? お前の代わりなどいくらでも見繕える。クロノ様からも火種はあって良いとの御言葉もある」
「そうですね。私もそう思います」
獰猛な笑みを浮かべるアスラの腕に力みが宿れば、セレスティアの瞳や身体からも強い光が灯り始める。
「あなたの代わりは私が纏めて請け負います。なので安心して逝きなさい」
「火種はやがて爆ぜ、燃え尽きるのみ。俺を前に大言を吐いた度胸のみ買おう」
会話ではなく、己の言葉を一方的に突き付ける。
「ち、ちょっとっ。本当に戦うつもりですかっ?」
臆して静観していたリリアが、とうとう構え出す二人を止めようと……。
「――ただいま」
扉が開き、モッブを付き従えたクロノが入り込む。
クロノの姿が見えるや、怒気を纏っていたアスラや平然と寝ていたミストにも緊張が走る。
「おかえりなさいませ、クロノ様」
いつの間にか剣を仕舞い、内に渦巻く喜びのままに歩み寄るセレスティア。
「会議中に申し訳ない。楽にしてくれたまえ」
「はっ」
鷹揚にしながらも急ぐようにデスクへ向かう魔王時のクロノに、セレスティアだけでなくアスラとリリアもすかさず頭を下げて応えた。
子供の姿ではなく、着替えも済ませていた。
「俺は気にせず、会議を続けてくれ。え〜〜っと……おぉ、ありがとう、モッブ」
何か忙しなさそうなクロノの意図を察しているらしいモッブが、手紙を恭しく手渡し下がる。
(……あれは、今朝ブレン君がグラス様宛てにモッブへ渡していた手紙……)
「……………………セレス、会議を中断してるなら質問していい?」
「はい、何なりと」
手紙を確認するや否や、そう言葉を投げかけつつ手元でペンを走らせ始めた。
「今から明日のぉ……昼くらいまで町の外に出かけようと思うんだけど、俺いなくても大丈夫?」
「今からお出かけになられるのですか……?」
「うむ、ちょっと頼み事があるみたいだから」
頬杖を突き、軽やかにペンを走らせてメモなどを記載していくクロノ。
「ではお帰りになられるまでには全て終わらせておくよう、力を尽くします」
「焦る必要はないとも。君達なりのやり方でやってみるといい。それで、アスラはどう思う?」
視線は手元から少しも逸らさず、時折考えるような仕草も見せつつ問う。
「ご帰還の頃合いには、有象無象は塵芥と化しているでしょう」
「カゲハとミストにも別の仕事を与えるよ? ということは、この町にいる君達の戦力が減るということだ」
「何ら構いません」
「……本当? なんか揉めてたみたいだけど」
書き終えたメモを確認しつつ言うクロノに、戦慄が走る。
「ちなみに、参考までに訊きたいんだけど……」
手に汗を握るアスラだけでなく、セレスティアやリリアも硬直する。
「……例えばね? 例えばなんだけど――」
何の気もなく紡がれる言葉に、胸の内で畏怖が膨張する。
「――――俺が付けた席番に不満でもあるの?」
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