第157話、凶刃は突然に

 

 夕暮れ時の待ちに待った稽古の時間。


 早朝から暫くはラギーリンの授業。それから昼までは出された課題に取り組み、昼からは姉の言いつけでマナーの復習に励んでいた。


 昨夜の晩餐会にて、王女等の前でナイフを落としてしまったからだ。


 木剣片手にブレンは裏庭に駆け込む。


 いつものように病床にいる祖父の部屋から見える位置にて、見様見真似で剣を構える。


 しかし――


「…………」


 気難しく厳しいソッドはこちらを冷ややかに一瞥し、すぐにカーテンを閉じてしまう。


 父が亡くなってから続く拒絶。日課となってしまったやり取りだ。


 会話もなく、厄介者を見る目で相手に出来ないとばかりの毎日である。


「……っ」


 慣れたと思っていたのだが胸の深くが重く痛み、思わず涙ぐんでしまう。


 夕暮れ時にできた自分の影を見つめ、また『情けない』と嘆息混じりに言われないよう懸命に耐える。


「…………」


 剣にしか興味を示さなかった熊のような父は、母と出会って一変したらしい。


 真逆と言っていい程の様変わりであったようだ。


 その父が誰よりも初めに、自分には才能が無いと告げた。


 事実、父母が亡くなり、祖父や姉が教えてくれないならと町の剣術教室へ通うも、案の定笑い者になってしまった。


 嘲笑に顔を赤くし、羞恥に耐えたあの一幕は生涯忘れることはないだろう。


 あの名家の息子がこれかと、期待外れもあったのか師範も早々に匙を投げている印象を受けた。


 ソーデン家の名を汚すことは避けなければならないことは当時のブレンにも分かっており、その日からは自分だけでの稽古の日々だ。


「…………」


 使用人達も含めて誰もが見向きもせず、上達の実感もなくただひたすらに剣を振る。来る日も来る日も。


 辛くない訳ではない。悲しくない訳でもない。


 しかし、生前に母からの言葉は幼いブレンの心に宿り続ける。


「…………っ、――っ!!」


 袖で乱暴に目元を拭い、孤独なれど元気よく木剣を振り始める。


 きっと久しぶりにまともに剣を合わせて楽しく稽古できたからこそ、今回は泣いてしまっただけだ。


 こんなことでは祖父が情け無しと断じても当然だ。


 決意新たにコクトの剣とアドバイスを脳裏に浮かべつつ、自分なりに模倣していく。


「っ、っ!! ……?」


 ふと視界の端……本館の二階辺りで、何か光が煌めいた。




 ………


 ……


 …







 ソッドは眉間に皺を寄せるも視線のみでメイドにカーテンを閉めさせる。


 部屋にいたセレスティアは微かに嘆息を漏らしつつも、多忙の中であっても普段と一切変わらない輝く美貌で問いかける。


「おそらく早朝か昼頃には戦いが始まるでしょう」

「戦い……? 魔王軍など、本当にいるのかも判明しておらんと聞きましたが」


 怪訝そうなソッドの問いに、セレスティアは一息に答える。


「現在のこの町を攻めるつもりならば、最低でもトロール級の個体が十体以上は必要です。しかしあの巨体を含めた軍隊規模を森には隠せませんので必ず遺跡に潜んでいます。森から遺跡への移動は無謀極まりないのは明白で、初めからシーバー山を越える経路で遺跡内に潜伏していると予想していました」

「……ならば森ではなく、初めから遺跡を捜索させれば宜しかったのでは?」

「効率的に解決するには混乱などを避けるような順序が重要で、尚且つ挟撃の可能性を潰しておきたかっただけです。その魔王軍と通じる者もほとんどの会議に参加していましたし、知恵が少しでもあるのならその策は容易に思い付くでしょう。実際にソウマさん達は五つの部隊を駆除しています。一匹も残して欲しくありませんし、より真剣に捜索してもらえるようとこの事は皆さんにはお話しませんでした」

「…………」


 これで説明は十分かとばかりに沈黙する王女。馬車の襲撃からここまでを見据え、必要な情報を協力者と内通者に与え、人材に自覚もないまま解決へ導く。


 寒気すら感じるその知能により、既に内通者も特定しているようだ。この後の展開も含めて全ては彼女の意のままなのだろう。


「……陛下がその才を発揮された際には、贔屓目もあったのか麒麟児が生まれたと騒いだりしたものですが……まさか続けて、龍が生まれようとは……」

「女神などと可笑しな例えをされることはありましたが、龍というのは初めてです。ソッドはやはり変わり者ですね。それに……とても不器用です」


 小さく控えめに笑い合う二人だが、やがてそれも静まり本題へと戻り行く。


「再び剣を取るつもりはありますか?」

「…………くたびれた者の剣など不用意に戦場を掻き乱すのみ。クリストフをお送りください。今の奴には特別な熱が宿っている」

「…………」


 セレスティアの垣間見せた不思議な気配の変動を、ソッドは横目でしかと見る。


 初めてであったかもしれない。


 どのような感情であれ、この王女が微笑の仮面を越えて突発的にでも内側を悟らせるなど。


(これは……妬みか? いや……有り得んな。このセレスティア様にあっては)


 気付かれない程度に頭を振り、セレスティアがクリストフへ示すにはあまりに考え難い可能性を追い出す。


「……頑なですね、あなたは。……ここも必ずしも安全とは言えません。内通者には用心するのですよ?」

「私の前に現れるようであれば既に相見あいまみえておりますよ」

「誰か思い当たる者がいるのですか?」

「……誰も。姫様ではないのですから、私如きが暴くことなど出来ようはずもありますまい……。ただ……」


 鋭利な鷹の目が、虚空を睨め付ける。


「……ソーデン家の者がそうであった場合には、当然情け容赦は不要。首を刎ねて然るべき。お気付きの通りレンドなどは、あのヤーバン馬鹿息子に似ており、目的の為には手段を選ばない類の愚かな男です」

「過激な物言いですが、そうさせてもらいましょう」

「…………」


 頷きを持って返しながら、端にいたメイドに灯りを用意するよう顎で指示した。


 僅かに射し込む夕陽の光はどんどんと薄くなり、今のやり取りの間だけでも部屋の中は細部が視認し辛い程に暗くなっていた。


「何れにせよ、もう明日には――」


 だからこそ、異変に気付かなかった。


『キャ――――――――!!』


 窓を細かく揺らす甲高い悲鳴は、そのすぐ近くから響いている。


「ッ……!!」

「私が行きます」


 床から飛び出したソッドが素早くカーテンを引いて窓を開ければ、黒の装飾剣を携えたセレスティアが瞬時に跳び越えて行く。


 その背を見送る険しい目付きのソッドの手にはいつの間にか、枕元に飾られていた長剣が握られていた。


「っ、で、殿下っ、ぶ、ブレンさまが倒れてっ……!!」

「えぇ、あなたはすぐに医者の手配を。屋敷内の警備も増やすように。不審者の可能性のある者は迷わず拘束しなさい」

「かしっ、かしこまりました!!」


 仰向けに倒れ伏すブレンから目を逸らさず、若いメイドに淡々と命令したセレスティア。


 荒い呼吸で苦しむブレンと、近くに落ちた短剣。


(……毒……)


 手に取った短剣の刃から覚えのある匂いを感じ、微かに視線を細める。


 こちらへ駆け寄る多くの足音を耳にしつつも、気を失ったブレンを下手に動かさないよう気を付けながら思考を巡らす。


 それは単純にして難解な疑問。


 何故ここまで執拗にブレン君を狙うのか。


 足元に落ちた木剣から、ブレンは今日も稽古に励むつもりであったのだろうと容易に予想できた。


 わざわざ狙う意味があるとは思えない。


 ブレンを狙う必要もなければ、今である必要性も皆無である。


 いずれにせよ、セレスティアの胸の内に確かな憤りを感じていた。

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