第154話、席

 

 暗闇の中での開戦間近の一時。


 聞き覚えのある声音に焦燥とし、全員の視線が限りなく俊敏に向けられた。


 寂れて廃墟と化した教会、その上部。


 さぞ鮮やかで大きなステンドグラスがあったであろうその窪みに優雅に座すその男。


 余程に暇を持て余していたのか、血色に透き通る液体の入ったグラスを手に、夜空を眺めていた。


 月の周りを気ままに漂う雲。


 戟の如き刃の鋭さと曲線で輝く三日月。


 どれもこれもが不完全とも言えるそれらと闇夜が合わさり、大自然が作る絶妙なコントラストとなった夜空。


「……さて」


 ずっとそこにいたようだ。


 月夜を背景に腰を上げ、立ち上がったクロノは感情伺えぬ双眸でこちらを睥睨する。


「御身をお待たせしてしまい、誠に申し訳ございません……」


 呆気に取られる者達の中にあっていち早く開口したのは……セレスティアであった。愛と畏れを胸に粛々と頭を垂れる。


「えっ!?」

「っ…………」


 魔王と対極、王国の最上位にある美姫が真っ先に忠誠を示す様を目に、リリアが思わず驚愕に声を上げ、カゲハはまさかと息を呑む。


「…………」


 厳つい顔付きのアスラですら、軽く目を見開いていた。


「彼女は我がクロノスの参謀だ。これまで俺の多くの活動を補佐してくれた」

「この身も心も遙か以前よりあなた様のもの。所有物なのですから、至極当然のことです」


 さも当然というように端的に返答するセレスティアに、リリアの空いた口が塞がらない。


 光と影のように対にあるべき存在でもあり、王国を支える象徴とも魔王の天敵とも言える存在。


 それが既に魔王の手中にあったことを知る。


「あ、あの……では……」

「あぁ、今から説明しよう」


 動揺の治らないリリア達へ告げ、頭上のクロノが一歩踏み出した。


 散歩に出るような気軽さで歩み出した体勢のまま、高所から着地する衝撃への備えもないまま無防備に落下していく。


 常人ならば骨身が砕ける高さであろうと、この存在にその心配はない。


 あっという間に落ち、踏み出した右足が地に着く。


「――話というのは正にそのことだよ」

「ッ……!!」


 腕に覚えのある者達だが、背後から生まれた声音に一様に畏れ慄く。


 最も驚愕していたのは……アスラ。


「もう気付いているとは思うけど、ここに集ったのは皆んな俺の忠実な部下だ。まぁ身内だね」


 振り返り目にする魔王の手には、赤ワインらしきものの入ったグラスと……自分がたった今しかと握り締めていた筈の『黒天画戟』があった。


 するりと手から抜け落ちる感覚であまりにも自然に奪取されていた。


「だけど不思議に思ったことだと思う。この中でセレスとモッブ以外の者達はその事実を知らなかったんだから」

「っ……」


 漆黒の矛で肩を叩きながら、悠然と自分達の間を抜けていく。


 それを見送ったリリアやカゲハが、自身と同じく魔王の配下であったセレスティアや……無双を誇るアスラに視線を巡らせる。


「それは今回の為だ。このレークを取り巻く環境において君達を測る為だ」


 巨大な戟の柄の端を持ち、小枝をそうするように軽やかに振り上げた。


「――――」


 剣の扱いで重量をまるで感じさせずに戟を振り、瓦礫や細々とした小石などを吹き飛ばす。


「ッ……!?」

「ウッ……!」


 突然の空圧に腕で目元を覆う配下達が次に視線を戻した時にそこにあったのは、地に突き立てられた黒き戟のみ。


「……君達には『席』を用意した」


 その降りかかった声の先には、先程までと同じく教会上部で寛ぐクロノが。


「以前からセレスに提案されていたことだ。組織には地位がいる。役職がいる。……序列・・が必要なのではないかと」


 黒き視線を向けられたセレスティアは優雅にお辞儀をし、王の元に歩み寄り敬愛と忠誠を表して跪く。


 慌てて続くモッブも、場にそぐわぬ瓦礫等が一掃された教会前に膝を突く。


「流石のセレスは気付いていたみたいだけど……俺はその序列を決める為にこの舞台を整えて、ここで君達がどう行動するのかを見ていた」

「序列……」

「そうだ。彼女が提案したクロノスの中枢を担う俺の直属にあたる【黒下六席こっかろくせき】を決める計画だ」


 カゲハの無意識に漏れた呟きにも、威厳を感じる声音が返された。


「……それは既に王自らにより決定されたが故に、我等は召集されたという解釈で宜しいのですか?」

「決めたよ。元々の働きや能力もあるけど、君達がレークを訪れて今までの行動を元に俺が決めた」

「ならば……俺から異はありませぬ」


 魔王からの即答を得た鬼も戟を引き抜き、黒に堕ちた王女に続き跪いた。


「……リリア、我等もだ」

「っ……」


 ここで続かなければならないだろう。


「ッ――ッ――」


 姿勢低く怯えっぱなしで巨体を縮まらせるミスト。


 その隣にカゲハと共にリリアが跪く。


「よろしい。でもまずは、ここのところの君達の評価と……あとは反省点も伝えておこうかな。今後の役に立つかもしれないし」


 クロノが重い腰を再度上げる。


 その何気ない気配に、評価される配下達に緊張が走る。


「最初は、メイド長を担当してもらうことになったリリアだ」

「っ……!! リリアですか……?」

「うん。……これをあげるよ」


 魔王が放り投げたそれは、月光を浴びて紫色に輝きながらリリアの元へと流れ星のような軌跡で落ちた。


「っ……これは、魔石?」

「今回、君はとても良くやったと思う。周囲への警戒を怠らず、俺の正体を見破り……グラスへの気遣いも見せた。それは今回のMVPに贈る賞品だ」

「え、えむぶいぴー……?」

「最も評価された者、という意味だよ」

「そんなっ!! あ、有り難き幸せです!!」


 地に額を擦り付ける勢いで喜びを表すリリアに、主は微笑ましいとばかりの眼差しをくれている。


「めちゃくちゃ洗って磨いたから宝石にするのもいいし、それをどうするかは君次第だ。ただ……メイド長を六つの席に入れようか悩んだんだけど……」

「リリアはクロノ様のメイドであるだけで幸福なのです。どうかお気遣いなく……」


 下賜された紫の魔石を抱き、愉悦の中でリリアは王に平伏す。


「ふむ、分かったよ。君の意を汲もう。……セレスにはもう反省点を伝えたね」


 移るクロノの視線を受けたのは、秘めたる明確な嫉妬を実感していたセレスティアがあった。


「はい、自らの過信をご指摘いただきました」

「うむ。でも君は俺しか知り得ないこの計画を見抜き、アスラや手駒を上手く操り今日を乗り切った。その智謀、やっぱり見事だよ」

「……いえ……」


 褒められはしたが、要所の不可能を可能にしたのはクロノであった。


「それは殆どをクロノ様が――」

「主の評価に口を出すな。我々は平伏して頂戴するのみ。お前如きが烏滸がましい……」


 鬼の苦言に、セレスティアの柳眉が僅かに釣り上がる。


「じゃあ次はアスラにしようか。君は勇者等を救い、傭兵達との戦いでも強いとされる難敵を倒して子供の救出を手助けした」

「あれしき、容易い事です」

「けど一方で君には警戒心というものが非常に足りないように思える」

「…………――ッ!?」


 ぴくりと不穏な反応をしたアスラの眼前に、魔王が音もなく舞い降りた。


「具体的に言おうか? 君は少し周囲から情報を得れば、少なくともリリアが味方ということはすぐに分かったはずだ。リリアが黒騎士の弟子というのは有名だからね」

「……しかし弱者がいくら集まったところで何の足しになりましょう。我等強者にとって、枷以外の何ものでもなし」

「俺が心配なのは正にそれだ」


 魔王は憂い、鬼の肩に手を乗せた。


「君は驚くほど強くなったけど、今の君が何人いようとも決して届かない存在が、俺の知る限りでも俺以外にもう一人いた」

「ッ…………」

「嘘じゃないよ? セレスも知ってることだ」


 まさかと全身を強張らせるアスラはクロノの言と言えど未だ半信半疑だ。


 しかしセレスティアは脳裏に焦げ付いたあの男の強大さに、今でも魂が凍り付く。


「世界はまだまだ未知に溢れている。だからこそ楽しいんだけど、警戒もするべきだ。それが不要になるのは……そうだね。君がその視界に映る全てを滅せると断言できた時かな」


 地を見るアスラの視界の端で、グラスの赤ワインが気ままに緩やかに回転している。


「顔を上げてごらん」

「…………」

「今、君の視界に映るものは打倒できそうかな?」


 柔和な笑顔で温かく見下ろす魔王。


 しかし肩に優しげに置かれた手が一度握り込まれれば、昨日のような衝撃を生み、その真っ黒な瞳に激情が走ればどうのような悪も裁かれる。


「……以後っ、肝に銘じまする」


 呑み込まれてしまいそうな黒の瞳から視線を外し、酷く汗ばむアスラが改めて頭を垂れた。


「ん。あとは……ミストはいつもいい子だし、カゲハはぁ……」

「…………」

「……カゲハはなんか、ハクトへの当たりが強い以外はいいんじゃないかな」

「ぅっ!?」


 他の者達と比べてぞんざいな扱いに、カゲハは微かに震えてしまう。


「じゃあ、発表する」


 皆の前まで歩んだクロノが、相応しい『席』を授けた。


「俺に次ぐ第一席は、――――セレスティア・ライトへ」

「……誉ある第一席の名誉をありがとうございます。謹んでお受け致します」

「うん。俺は勝手に行動するから、君のような参謀には期待しているよ」

「お任せください。クロノ様の望み、その全てを現実としてみせましょう」


 使命感を新たにした女神が感情無き面を上げ、畏れすら感じさせる昏く鋭い眼光で告げた。


「うむ、大義だ。……では続けて第二席を、アスラ。オークの軍勢を任せる予定だね。第三席は置いておいて、第四席をモリー」


 予想の外れたセレスティアが、第三席を空席とした事に疑問と朧気な予想を抱く。


「第五席をジェラルドという王都にいる構成員に任命し、諜報部隊を率いてもらいたいけど一人しかおらず、ほとんど俺専属の旅仲間になってしまっているカゲハを第六席とした」

「光栄の至り」


 末席にも関わらず、専属という何ものにも変え難き席を与えられたカゲハ。


 歓喜する本人と反して、誰もが胸の内に暗い感情を宿す。


「以上だ。ただこれだけは覚えておいてくれ。……これは不変じゃない」


 ポケットに入れていた手を翳し、炎を灯す。


「この地位は影響力や戦闘力、そして功績を考慮して機を見て俺が変更する。魔王の組織だからね。成果や努力次第で地位を奪うことは可能とする。火種があった方がそれっぽいだろう?」


 下克上、それを魔王が許すのならと燃え滾る者は多い。


「そして、これが最後だ……」


 配下達に冷たい震えが走る。


 炎を軽く握り潰した魔王の眼差しに、明確に力が宿った。


「……みんなも知ってるだろう? この町の近くに魔王軍を名乗る輩がいる」


 手にしていたグラスに、亀裂が入る。


 主人は、特に力を入れているようには見えない。


「リリアとカゲハは覚えがあるだろうけど、最近は魔王の名に群がる悪党が出て来てる」


 ひび割れたグラスから、濃い色の赤ワインが滴り落ちていく。


 頭蓋から血が流れるように……。


「――潰せ」


 魔王の命が下され、グラスが赤を撒き散らしながら弾け飛ぶ。


 同時に、痺れたように配下達が小さく跳ねた。


「クロノスとしての初任務だ。魔王の名を騙る目障りな不届き者を許してはならない。いいね?」

「御心のままに……」


 第一席のセレスティアに続き、戦慄する一同が一斉に怒る魔王へ了承の意を示した。


「最近思うんだ。この程度に魔王自身がわざわざ出張るのはどうなんだろうって。一応心配だからこの町に待機してるけど、あとは任せるよ。……じゃ、ミスト、散歩に行こうか」


 畏怖に震えるミストを連れた魔王が去ってしばらくは、誰一人顔を上げられた者はいなかった。

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