第153話、暗闇より現れる者達
当主の部屋に呼び出されたブレン。
青白い面持ちでデスクに腰掛けたレンドの言葉を待つ。
「ふぅ……そんなに怯えるな。別に叱ったりはしない。セレスティア様からも言われている。叱ればお前が言葉にせずとも勘づかれてしまうだろう。それが可能なのがあの御方だ」
目頭を押さえて疲労を滲ませながら弟に告げるレンド。
「だが皮肉くらいは言わせてくれ。私はお祖父様のようにお前が剣を持つことに反対することはない。今まで一度たりとも何も言わなかっただろう? かと言って先生のように口煩く勉強しろなどとも言ったことはない。……何が言いたいか分かるな?」
「……っ」
確かに叱っている訳では無い。
しかし同様の効果は与えていると言えるだろう。
誰の助けも求められないことを、ブレンは知っていた。
セレスティアやエリカの前では決して見せないが、大層着崩した装いのキリエも面倒そうにソファに腰掛けている。
ラギーリンは隅で心配そうにしてはいるが、ソッド同様にブレンが剣を持つことに否定的である為に今回ばかりは口を出さない。
「ただでさえ私は大変なのだ。王女様方がおり、宴もあり、更に厄介な状況に陥っている。これ以上に仕事が増えるのは…………と言う事だ。……もう行っていい」
「…………」
一度深く頭を下げ、とぼとぼと部屋を後にするブレン。
その後を兄への礼もなく追うキリエ。
「……叱ってるのと一緒じゃないか。わざわざ呼び出してまで言うことじゃない。あの子にはどうにも出来なかったことだろう?」
「可能な限りで気を付けろと、それだけの話だ。そんな事よりも先生に至急頼みたいことがある」
「まったく……それで、何かな?」
苦言をさらりと躱した上での頼みに嘆息しつつも、ラギーリンは眼鏡を拭きながら問う。
「――宝剣グレイとの契約方法を大至急、調べてくれ」
「…………」
長命種であるダークエルフの生の中でも、これ程までに不可解な願いはそうない。
「……一応、理由を教えて欲しい。でなければとてもではないが協力などできない。もし契約するなどと言われでもしたら、もっと協力できないけどね」
「ならば何も訊くな。領主として命じる。至急、グレイの契約に関する資料を集めるんだ」
「嫌だよ。僕が許してもソッド様が許す訳がない」
「当主は私だ。引退したお祖父様より私の意思を優先してもらう。遺跡や資料を研究する代わりに、ソーデン家を補佐する契約があるだろう。先生の側に拒否権などない」
それでも反論しようと口を開くも……妙案は出ない。
「分かったなら行くんだ。それとこの事を他言するのは禁じる」
「…………そこまで力を欲する理由って何だろうか。それだけは訊かせてくれ。でないと、この禁忌は犯せない」
「……ふっ、決まっている」
………
……
…
「あ〜あ〜、目が据わっちゃってたじゃん。やつれた兄さんが何するか分かったもんじゃないよ。だるっ……」
「…………」
怯えて俯くブレンを目の前に立たせ、廊下にあった椅子に座るキリエが髪をいじりながら機嫌悪く告げる。
ドゥケン卿の手先となった騎士達に囲まれ、一斉攻撃を仕掛けられ、しかし擦り傷のみで全てを斬り殺したキリエ。
真新しい切り傷が痛々しくも、その飛び抜けた才能は明らかにソッドの血を受け継いでいた。
「てかさぁ……もういい加減大人しくしてろよ」
「っ……!!」
一段と低くなった不機嫌な声音に、大きく震えるブレン。
「ふらふら木剣持って彷徨いてるから目を付けられんの。分かる?」
「…………」
苛立ちを露わにする面持ちで、気弱なブレンへ気怠そうに言う。
「あのガキ……余計なことしやがって」
「っ……!?」
祖父と同じく自分が剣を持つ事に否定的であるが為にコクトへ怒りが向かいそうになり、ブレンが慌てて何か言わねばと口を開きかける。
「――あぁ、いたいた。ブレン君っ」
ラギーリンが忙しなさそうにしつつ、駆け寄って来た。
「さっき言い忘れてたよ。明日の授業は早朝になりそうなんだ。だから今日は早めに休んでくれるかな」
「わ、分かりましたっ」
「部屋まで付いていくよ。また庭で素振りされかねないからね」
そう苦笑いで言うと、ブレンの手を取りキリエの元より連れ去ってしまった。
「…………」
鷹の目を鋭くさせたキリエの視線をもろともせず、廊下を足早に歩いていく。
「あ、ありがとうございます……」
「いいさ、このくらい。それよりも授業の話は本当だからね? ちょっとまた一段と忙しくなりそうだから、剣など持たないでくれよ? 探す時間がもったいない」
「……はぃ」
♢♢♢
ニダイが宝剣グレイを手に、魔物の大群を撃破した時代。
その直後、現在のソーデン家裏手側に位置する生い茂る森に建てられた教会は、当然の如く廃れて朽ち果てている。
骨組みはおろか装飾も壁もほとんどが崩壊し、残骸すら疎らにしか見当たらない。
唯一まともな形を保っているのは、教会を象徴する鐘があった最奥のみ。
そこへ深夜、小さな影がやって来た。
「…………」
剣を片手に警戒しながら歩みを進めるリリア。
「…………っ!?」
教会跡の前まで辿り着いた辺りで、作法の茂みより不自然な物音を耳にし、そちらへ素早くカットラスを構えた。
「ッ――――」
「ミスト!!」
飛び出して駆け寄る大きな魔獣に一瞬驚くも、見覚えのある姿に即座に剣を引く。
霧の怪物ミスト。
最も懐いているだけあって、リリアとの再会に喜びを露わにはしゃいでいる。
「顔を見なかったのは僅かな間であるのに、やけに久しく感じるな、リリア」
「カゲハ、クロノ様は?」
リリアに嘴を擦り付けるミストの後ろから、カゲハも歩み寄る。
「それは分からない。ここへ集うよう、ミストの分と私の指示書に書かれていた。それだけだ。故に店を早退して待機していたのだ」
露出の多い“くノ一”なる者独特の装いのカゲハが、懐から二枚のカードを取り出して見せた。
「店? ……何の?」
「飯屋だ。主が考案した“ガーリックライス・トッピングステーキ”が大人気なのだ」
「……ふ〜ん、あっそ」
意味は理解できないがこれ見よがしに胸を張って自慢して来る友に苛立ち、リリアは不機嫌さを隠せない。
「それよりもリリア。是非リリアに聞いてもらいたいことがあるのだ」
「嫌」
「勝手に聞かせるがな。いいか? どうやらな。最近の主には何かご不満があるらしく、それを私にぶつけて発散しておられるようなのだ」
「はぁ?」
「意外だろう。だが事実、主は私へ
困っているという建前など初めから皆無。とっておきとばかりに自慢するカゲハだが、先程の主人はそのような不平不満を抱いているようには見えなかった。
至って平常通りという印象である。
「心当たりが無いなら一向に構わないからな? 私への気遣いは要らん。影である私はただ黙々と堪え忍ぶのみだ」
「…………」
「それに主は八つ当たりさえも勇ましい。何故かは分からないが、はっきり言って至福の一言だ」
明らかに喜悦故に気遣いを拒むカゲハに、リリアは冷ややかな視線を向ける。
やはり主人の特別だと自慢したかっただけの友人に、呆れてものも言えないといった表情だ。
「――――ッ!?」
突如、霧の翼を噴出させたミストが姿勢低く臨戦態勢となる。
「ミスト? どうしたの?」
「……リリア、非常事態だ。気を張れ」
短刀を既に抜き放っていたカゲハも、肌が焼けるような気配に冷や汗を流す。
その視線は、左方の茂みに集中していた。
徐々に濃くなるその影は、ミストを目にしても何ら警戒する事もなく茂みを抜ける。
「ッ…………」
「――今すぐここから去れ。見逃してやる」
重くのしかかる低い声音と、気圧される眼光。
ミストが隣にいて尚も大きく感じる巨体に、分厚い手に握られた黒の戟。
「あ、アスラ……」
緊張からあやふやな震え声で、リリアが小さく鬼の名を呼ぶ。
この町にあって……いやこの一帯にあって、間違いなく二番手を譲らぬ強者。
無敵と思えるミストですら軽く屠ってしまうのではと考えずにはいられない。
「ッ――!!」
影を絶つ速度で駆け出したカゲハ。
戟を地に突き、身構える事なく自分達を睨め付けていたアスラへ。
下手なことをさせる前に、首を斬り付ければ人族は殺せる。
瞬時に鬼との距離を詰め――
「――ッ!?」
地を抉りながら跳ね上がった戟の柄が、咄嗟に危機を悟り仰け反ったカゲハの顎元で空を切る。
「クッ、ッ……!!」
「カゲハっ!」
緊急的な離脱で後方に飛び退くカゲハを他所に、轟々と長く重厚な戟を巧みに回転させる。
戟の質量を表すように空気が震え、擦れば人肉など軽く爆散してしまうだろう。
「……先に言った通り、一度は見逃した。次は殺す」
柄で地を叩き、再び不動の構えで眼差しだけ向けるアスラ。
「ッ――――」
「ッ、ッ……」
唸るミストの嘴を小さな
カゲハの速度を容易く見切り、暴力的な膂力を持つ。ソウマ達の大袈裟な物言いは決して誇張ではないと分からされてしまった。
「怖気付くことを責めはしない。だが来ないのならさっさと失せろ」
「…………」
明確な死であろうとも、如何なる恐怖であろうとも、カゲハ達にその場を動く気はないようだ。
少しばかりの疑問は残れども、鬼には取るに足らない弱者にこれ以上の救済を与えるつもりはなかった。
「……機会はくれてやった。ならば逝け」
黒の戟を、肩に担ぐ。
そしてまずは世にも珍しい異形の獣へと、獰猛な笑みを浮かべて踏み出す。
「…………」
だが、僅か二歩にて足を止めた。
鬼の歩みを止めたのは、ミストでもカゲハでもない。
リリアでもなく、それどころか二人と一匹の視線も鬼と同じ方へ向けられていた。
「――こんばんは、良い夜ですね」
何故ここに、この者が。
誰もがその疑問と共に驚きに目を剥く。
リリアは勿論、カゲハやアスラですら一目で分かるその美しき容貌。
「ブレン君救出の手助けに対するお礼がまだでしたね。ありがとうございます、アスラさん」
「…………」
初めて警戒心を持ったアスラの逆立つ眉が、ぴくりと反応する。
世に広くその名は知られていた。
大国であるライト王国第一王女、セレスティア・ライト。
黒の魔王と対立する【光の女神】と称される女性が、従者らしきメイドを伴って現れた。
だが、
「ですが月夜の静寂に武器は無粋ではありませんか?」
いつもの微笑みはなく、感情がまるで見えない。その瞳も恐ろしく冷たく、生気すら感じられない。
まさに人形のようで、だからこそその“美”は完成されていた。
「……王女様、ここに何か?」
状況を把握できないまでもアスラの敵意を買ったらしいセレスティアにこの鬼を擦り付けようと、意を決したリリアが口を開いた。
「私はただ何を置いてもここに来なければならなかったから来た。それだけです」
「…………」
この酷く危うい均衡で成り立つ緊迫の場にあっても変わらないセレスティア。
底知れないものを感じ、いよいよ担がれていた鬼の戟が下される。
その穂先が、崩れぬ無表情のセレスティアへと向かう。
不気味に思いながらも、当然に気に食わないアスラからは紫の魔力が滲み……。
「…………」
「…………」
いよいよ張り裂ける時が来る。
――集まったね、待ってたよ。
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