第152話、稽古からのカード

 

 日中の興奮のままに食べて飲んでと続ける内に日が沈み、夕飯時を過ぎた頃であった。


 既に酒気を帯びる程度には宴を楽しんでいたレークの町を訪れたライト王国の貴族達。


「まぁ、このように私がお伝えしたい事は多くありません」


 貴族を集めたリッヒーが自身で作り出した重苦しい空気の中、ブランデーをグラスの中で回しながら香りを愉しむ。自身は飲めないので隣の貴族にブランデーを返してから話題を続けた。


「既に事態は深刻です。言われずともここにお集まりくださった方々ならば、既にご理解いただけているとは思いますけどね」


 自分の伯爵の地位よりも高位の者もいる中にあっても、リッヒーの影響力は図抜けている。


「っ……」

「…………ふぅ」


 緊張から息を呑む者や、長い溜め息を吐く者。


 リッヒーを除き全ての貴族は、酔いが醒め、真剣な顔付きで座していた。


 この場を目にした者は、面々の素性を知らずとも一際異彩を放つ小洒落たスーツ姿のリッヒーが主導権を握っていることを自然と察することだろう。


「人は時に、片方を選び、片方を完全に捨てる選択を求められます。私なども一日の内に数え切れない選択をしています。例えば朝食……パンケーキかトーストか。ちなみに今日の私は、卵とハムをぶち込んだ乱暴とも思える名称不明なパンをいただきました。とても美味でした」


 目の前のテーブルに置かれた二種類の焼き菓子が二つ。


 リッヒーが初めて眉根を寄せ、手を彷徨わせてどちらの焼き菓子を取るか決めあぐねる。


 そして、ようやく左のジャムの塗られたものを手に取り……目線で残った方を隣の貴族へ勧める。


「…………」


 小太りの貴族は躊躇しながらも残りの焼き菓子を取り、リッヒーと同時に口に放り込む。


「ふぅむ…………これもまた美味ですね。……今のようにどちらともを取れない場合は殊の外に多い。しかも……まぁ無念ではあるのですが、皆様には今ここで決断していただきます」


 お酒が好きではないリッヒーが、一人紅茶を一口飲んでから続けた。


「飾らない言葉で確認させてもらいますが……こちらに付くか、あちらにするか……。敵は言わずもがな、中々に強敵ですが、どうですか? 決まりましたか?」


 リッヒーが、笑みを消して告げる。


「これは……現在、貴族派に属するあなた方に与えられた最後のチャンスです。殿下はもう間もなく貴族派を掃討することでしょう。裁きを免れたいのなら、今しかありませんよ?」






 ♢♢♢





「――っ」


 篝火だけが照らす中、ブレンが木剣を振るう。


 拙いのは変わらずだが、誰かとの稽古はより楽しいのか笑みを浮かべている。


 いるのはコクトと剣聖リリア、そしてハクト。


 この庭はソッドの部屋から見渡せるところにあるが、例の如く不機嫌を露わにした彼の指示でクリストフが渋々カーテンを閉めてしまった。


「ほっほぅ、これはあれだね。上手い人のを見たまんま無理矢理に再現しようとしてるから、動きがちぐはぐになってるパターンだね」


 何故か剣聖であるリリアの隣に立つ自分より僅かに年上といった子供が、自分の顎をすりすりとしながら言う。


「ここんとこは特殊だけど、基本くらいなら教えられるね。始めようか」


 てっきり剣聖に教えてもらえると思い、畏縮しながらも期待していたブレン。


「今日はこれだけ覚えてください。考え、改良できる者が勝つ。漫然と日々のトレーニングをする者が、頭も働かせて訓練する者よりも強くなる訳がない。身体の使い方を常に考えましょう。強い剣撃、優れた攻撃には必ずそうなる理由がある。常に進化への思考を続けるのです!!」

「…………?」

「…………あの、上手くなるように考えながら稽古しましょうって事です」


 熱く秘訣を語るもキョトンとされて、しょぼんとするコクト。


「はい、ではゆっくりやるので見て真似てみてください」

「コクト君が、やるんですか……?」


 ブレンの疑問を他所に、コクトが木剣を著しく遅く振る。


「――っ!?」

「…………」


 ブレン達の目に映るそれは“理想”であった。


 何という事はない、ただの斬り下ろし。


 だが伝わる力には一切の無駄がなく、極めて自然に流れていく木剣。


 目指すべきはここだと、はっきりと示していた。


「……剣だとこんな感じでいいと思います。これが出来れば、ソーデン家の特殊な剣でも振れるようになりますよ」

「…………」

「ほらほら、時間はあまりありません。ブレン様も疲れてるんでしょ? 早くやりましょう」


 ぽかんと呆けるブレンに、コクトは木剣を構えるよう促した。


「この次は突きもやっときましょう。正直、ソーデン家の剣でも突きが一番有効な技なので」


 それから細かな指導にてブレンのフォームを矯正していった。





 ………


 ……


 …






 二人と見守るリリアとを、二階の自室から無機質な瞳で見下ろすセレスティアとメイド姿のモッブ。


「……確かにあれを習得すれば、ブレン君の才能がどうのと騒ぐ人達の口を塞げることでしょう。難しいなどというものではありませんが、真似るだけでも充分に剣士として名乗れます」


 才能がないと見捨てる者こそが教える才がないとばかりに、見違える程に形が改善されていく。


「……こうなると妬ましくも思えてしまいますが、レイシアの面影もあるのでいい方向に進んで欲しいと思っていました。私が肩を持つと要らぬ嫉妬を向けられるかもと関われないでいましたが、クロノ様のお目に留まるとはやっとブレン君も幸運に恵まれたということなのでしょう」


 硬質かつ淡々と語るセレスティアが、自室に移させたキリエが描いたブレンの両親の絵画へ目を流す。


「レイシア様ですか。私はお目にかかることはありませんでしたが……。とてもお優しい方だったと、マリーさんを始め色々な方から聞きます」

「身体が弱く苦労が絶えない中でも優しく、とにかく明るい方でした」


 お淑やかな居心地の良い人柄で有名で、家族は勿論のこと使用人や領民からも非常に慕われていた。


 キリエやブレンを産んでからは体調を崩すことが多くなり、床にいる時間がほとんどであった。


 しかし一時は薬学の知識を持つラギーリンの処方する薬により快方へ向かっていたのだが、ある時病状が悪化しそのまま亡き人となった。


「レイシアはキリエやブレン君のやりたい事を積極的に後押ししていましたし、これでブレン君の待遇が変わるきっかけになれば彼女も喜ぶことでしょう」


 実戦形式で木剣を軽く打ち合わせ始めた二人を今一度眺める。


 久しく見ていなかったブレンの笑顔を目にして彼の将来を憂う。


「…………」

「どうやらエリカ様方が着替えを終えて合流したみたいですが……」


 何故かキリエはブレンをどこかへ連れて行くようだ。


「おそらくレンドの元でしょうね。予め責任を持つべきはブレン君ではないと釘を刺しておいたのですが、程度が低いと聞き分けもないようです」


 微かに目を細めたセレスティアから殺意が醸し出される。


 楽しげな二人の邪魔をしたこと。何よりクロノの妨害をしたことに。


「よし、コクト君。どこからでもかかっておいで! 王女だからってお姉ちゃんに遠慮は無用だよ!」

「いやいいです。ちょっと腕前を魅せて自慢してやろうって顔に書いてありますもの。嫌な感じぃ」

「そ、そんなことないよ! 地元の子供との交流も王女の仕事なのっ!」

「……俺とだけ交流し過ぎですって。エリカ様の交流が俺だけに集中し過ぎですって」


 下で新たに騒ぐ声を耳にしつつ、セレスティアがそっと窓から離れる。


 言い争いを苦笑しつつ、モッブがそっと窓を閉めた。





 ♢♢♢





 適当にエリカの相手をし、屋敷の廊下を行くコクトとリリア。


「あの子は評判のいい母親似で、使用人の多くからは慕われているようです。ですが一方で厳しい接し方をする者もいるようです」

「まだ子供なのに大変だね」


 あの子とは言うまでもなくブレンである。


 主が気にかけていることを知ったリリアが、短い時間でそれとなく情報を集めたようだ。


「領主で兄のレンドは彼に無関心。教師役のラギーリンは熱心に頭脳面を育てようとしているみたいですが、問題は祖父のソッドと……」

「あぁ、やっぱりそうなんだ……」


 予想の付いていたコクトが問題を一先ず置いて、懐に手を入れる。


 そして一通のカードを肩越しに背後に付き従うリリアへ。


「……えっと」

「勿論、君にもね」


 困惑するリリアに、主人はいつもの柔らかな笑みを見せた。


 それから数刻……。


「…………」


 戟を存分に振るい、鬼気の漲るアスラが寝るだけの自室へ戻る。


 屈まなければ潜れぬドアを開け、中に踏み入る。


 室内は要求通り質素で、大きなテーブルいっぱいに十人前の食事が所狭しと置かれている。


 だがそれらに一切構わずアスラが注視するのは、……枕元に置かれた一枚のカードであった。


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