第150話、魔王、魔王軍の存在を知る
他国より訪れていた凄腕の女傭兵アサンシアを連れたセレスティアが、玄関付近を歩む。
「……逆心を抱く者が、まだ他にいると?」
「はい、確実に。ドゥケン卿はその者の渇望に引き寄せられたのでしょう」
でなければ、わざわざ用意しておいたグンドウを使わず、平原で魔物達に襲わせるなどという面倒な方法を選ぶ筈がない、と。
「そしてその者は……非常に残酷です」
【枯れ木の道化師】ドールド・ドゥケンが接触しなければ、当然ながら知恵ある魔物の軍勢と内通者自身だけで事を起こさなければならない。
セレスティアの推察では『遺物』目当てで、取る筈だった手段は自分達の馬車が橋を通過した辺りで魔物の波をぶつけるつもりだと考えていた。
魔物達は野性のままに町まで雪崩れ込み全ての人族を殺め、又は家畜とするかもしれない。
どちらにせよ、どうなったにせよ、内通者は町全てと引き換えに遺物を奪取するつもりだ。
「思考も理解できません。慎重である面も見えるのに、ブレン君を拐わせるなど不可解なところもある。かと言って殺害する訳でもない。殺戮を企んでいたにも関わらず」
しかしそこから予想できるものもある。
「ドゥケン卿の際にはソウマさん、ランスさんも含めて最後まで絞り込めないままでしたが…………今回は、この人なのではという方がいます。しかし確証がありません」
凛とした顔付きで歩んでいたセレスティアの足取りが、鈍くなる。
「そして、もしあの人だとするのなら……非情な事実を知ることになりそうです。あまり情に厚くない私ですら、心を痛めてしまう程の……」
重々しいセレスティアの表情に、憐憫の色が浮かぶ。
透き通る澄んだ声音にも、怒りよりも悲しみが濃く表れていた。
「…………」
「……? ……どうやら無事だったようですね」
前方で疲れた面持ちをしつつも一見した限りでは壮健そのものの子供達を見る。
「ブレン君、無事で何よりです。疲れたでしょう。お部屋でゆっくり休んでください」
「っ――!!」
セレスティアが優しく気遣うと、ブレンは跳ねるように勢いよく騎士の敬礼で応えた。
「いい敬礼です。寝巻きですが高潔な精神を表していますね」
「っ……!!」
自分の姿を思い出したブレンが、恥ずかしさに赤面する。
「ふふっ。……ハクト君もオズワルド君も、怪我はなさそうですね。ご苦労様でした」
「有り難き幸せっ!」
「あ、ありがとうございます……」
無礼のないようにと気合いの入るハクトと、殆どをアスラ任せとなり何処となく居心地の悪そうなオズワルド。
「アスラさんは先に戻られたという報告を受けましたが、……他の方々はまだグンドウ達を捕縛しているのですか?」
「その、グンドウが重過ぎて難航している模様です……」
「そうでしたか。……それで、そちらは何事ですか?」
ハクト達と話すセレスティアの視線が、玄関からクリストフに横抱きにされてエリカがリリアや騎士を伴ってやって来た。
「だ、伊達男が現れた……」
「……はい?」
「姉様も気を付けて……気を抜いてはならぬ……」
きびきびとした敬礼をする騎士や見事な一礼をするクリストフが、助言を呟くエリカと共に通過していく。
グラスがニダイを討伐した報を受けていたセレスティア。クリストフ達からも話させようとしていたのだが、のぼせた様子のエリカが運ばれていく様を目にし、言葉を失う。
「――ブレン君!!」
「っ……」
「良かったっ! 何事もなく帰って来られて!」
一人で帰還したラギーリンが、ブレンに気付くなり駆け寄り抱き上げた。
「アスラさんやソウマ君達が向かったからには無事を確信していたとも。しかしやはり頭のどこかで万が一を考えてしまっていたんだ。愚かだったよ認めよう。頭脳派の僕では力になれないことを悔やんでばかりだったけど、今思い付いたよ。君も分かっただろう。剣だなどと野蛮なことはできる人に任せて、君には僕が頭脳でこの世を渡り歩く術を授けるんだワハハハハ!!」
「目が回るぅ……」
喜びのあまり矢継ぎ早に語りかけ、抱き上げたまま回転するラギーリン。
「……レンドやリッヒーはどうしましたか?」
「あ……こ、これは失礼をいたしました、王女殿下。リッヒー伯は私兵を連れてどこかへ向かいました。行き先は不明です。そしてレンド様は、グラスなる使用人と二人きりで宝剣グレイを封印しに向かいました。秘密の場所らしく、私も付いていくことを禁じられたのです」
「それは……とても興味深いですね……。とても……」
ブレンを解放し急にビクビクとし始めたラギーリンの言を受け、セレスティアが少しばかり思考する。
「……分かりました。戻れば私の元へ来るよう伝えてください」
「分かりましたっ、何を置いても優先します」
「はい、それでは私はこれで。行きましょうか、アサンシアさん」
「御意……」
ラギーリンから顔を逸らした瞬間、セレスティアの柔和な表情が氷の如き無表情となるのをアサンシアは目撃する。
背筋が寒気に震える。
人はここまではっきりと表情の仮面を付け替えられるものなのかと、人間とは全く違う生物を見た気になったのだ。
むしろ、ドゥケンなどの方が余程セレスティアに近いようにさえ思えてしまっていた。
その内通者は間違いなくこの女神により断罪される。
アサンシアは静かに……高揚していた。
♢♢♢
『封の間』から帰りエントランスへ入って早々に、レンドがグラスへ向き直る。
「では、あそこで目にした事はくれぐれも内密に頼む。セレスティア様のご推薦であるし、心配のし過ぎだとも思うがくれぐれもだ」
「分かりました。肝に銘じます」
「うむ」
ニダイの剣を名も知らない男と二人でこそこそと隠しに行き、そのままこの領主の屋敷まで護衛をさせられたグラス。
「レンド君っ! 帰って来たね! 王女様がすぐに来るようにと!」
「……そうか、分かった」
二階から叫ぶ無作法も咎めず、険しい顔付きのレンドが目礼してグラスの元から去る。
「…………」
「げっ!? 伊達男!!」
「誰が伊達男ですか。褒めても何も出ませんよ?」
去って早々に、騎士達を連れたエリカと出会ってしまう。
クリストフの姿は見えないが、その中にはリリアがいる。
先程からグラスの話をしきりにエリカへ訊ねていた。
そのリリアが、いつものどこか冷めた様子から一変、恐る恐るグラスへ問いかけた。
「っ……お、お兄さん。お米はお好きですか?」
「え、えぇ、好きですけど……」
「お漬物は……?」
「好きですね。というかお米に合うものは何でも好きです。お味噌汁や卵焼きなんて、神の主食と言われても信じます」
「……ちょっと失礼します」
「…………」
グラスの手を取り、先のエリカがされたように顔元へ近付ける。
「……っ!! ……あ、ありがとうごじゃいました」
「ごじゃい?」
何故か冷や汗の滲むリリアが、頭を下げて後退りする。
その様を騎士もエリカも不審に思うが、剣聖としてニダイを破った者に思うところがあるのだろうと誰もが少々強引に納得した。
「…………」
「お詫びにご用があればリリアにお申し付けください。お望みなら何でも叶えてみせますっ」
感情の起伏の感じられなかったリリアの熱烈な奉仕への姿勢に、意外そうな顔をしたグラスは騎士達から羨望の念を受ける。
男ならば誰しもこのような愛らしい少女にここまで尽くされる事を夢見てしまうものだ。
「……むぅぅ。リリアちゃんに手を出したら黒騎士にやられちゃうからね!」
「王女様、リリアはメイド病なる奇病にかかっているのでたまには誰かにお仕えなければ身体が痒くなるのです」
「マジで!?」
素気無く言うリリアに、エリカは驚きを隠せない。
「ま、まぁいいや。じゃあグラスを連れて行くからあなた達は休んでてよ」
「……い、いえ殿下っ、我々無しで外出など有り得ませぬ」
熟練の老騎士が、毅然と言い返す。
「えぇ……でも……みんなよりグラスの方が強いし……」
「ぐぅっ……!」
「最近あなた、なんていうか……よぼよぼ歩いてるし」
「ヨボヨボっ!?」
老騎士だけでなく、他の騎士も目尻に涙を浮かべる。
「ご、ごめんね? 他に言い方を思いつかなかったの……。でもこうでも言わないとみんなは休まないでしょ? それであとは……」
「謝りつつもまだ攻撃の手を緩めないのは何故ですか……」
見ていられなくなったグラスが、申し訳なさそうにしつつも論破しようとして止まないエリカを止める。
「昨日中止になっちゃったから、絶対にコクト君を晩餐会に呼んであげたいんだよ。平民の子なんだけど、グラスみたいに歪んだ受け答えをする子で、今のうちに美味しいものを食べて心身共に元気になって欲しいの」
「な、何故に先程から触れるもの皆、傷つけるのですか……?」
まさか自分にも矛先が向かうとは思っていなかったのか、ショックを隠し切れないグラス。
「……そのコクトなる子は私が呼びましょう。ニダイとの戦いで内側からガタガタ言っていますので宿に帰るつもりだったのです。丁度良いですね」
「えぇ〜〜〜〜っ……、ここにいればいいじゃん」
「もうまともには戦えません。足手まといになりますし、あとは引き続き休暇とします」
「…………」
唇の尖るエリカに、グラスが先に参る。
「……またご挨拶に顔を出します。コクト君も必ず来させますので」
「……分かった。あの『シャシャシャシャ』ってやつも教えてもらうから……」
「シャシャシャシャ……? シャシャシャシャ……? えっ、それ私が知ってるやつですか?」
♢♢♢
エリカの計らいで出された馬車での帰り。
優雅に足を組むグラスの対面には、……小さくちょこんと座るリリアがいた。
「……確信しているようだね」
「はぅっ! は、はい!」
今までと全く気配の違うグラスに、リリアが気圧されながらも懸命に答える。
「見事だよ。これは加点だ」
「加点、ですか?」
「そろそろいい頃合いというところだ。君達には十分な時間を与えた。その中でリリアは成果を見せたということだよ」
「えっと……身に余る光栄です、クロノ様」
「うん」
姿は違えども落ち着いた知的な気質と王に相応しい威厳を持つ主に褒められ、全てを理解できずともリリアは酷く胸を高鳴らせる。
「いい場所も見つけたし、今夜だな……」
ふと呟くグラスが、今までとは見え方がまるで違っていた。
どこかに潜入していることは知っていたが、まさか国の中枢である王女の懐にまで食い込んでいるとは考えもしなかった。
「あの……魔王軍を名乗る魔物達ですけど、あれもまさかクロノ様がご用意されたものなのですか?」
「……魔王軍?」
「はい。私達を襲った、ゴブリンやオーガの」
「…………あぁ、あれね? あれは、ね。ちょっと考えてることがあるっていうか。いくつも策が重なり合って入り組んでるので、まだちょっと探ってるっていうか……、善処はしてるんだよね」
「リリアが必要ならいつでもご命令ください。他の人が嫌がることでも何でもします。何でもですっ」
「うむ、見事な忠誠心だ。流石はうちのメイド長」
これだ。
主に褒められただけで歓喜の波に飲み込まれ、快楽にも似た悦楽が脳を刺激する。
おまけに今のように、日々手入れを怠らないようにしている桃色のショートカットを撫でられたなら、震えてしまう程だ。
更には、知らなかったが自分は名誉ある魔王のメイド長であったようなのだ。
「……魔王軍、ね」
そんなぶんぶんと尻尾を振る子犬の如きリリアは、主の呟きを聞き流してしまう。
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