第8章、魔王軍襲来編・後編

第149話、ギャンとグリュー

 

 その吉報は、肉体的な疲労を理由に馬に乗るのを嫌うレンドやラギーリンさえも、躊躇なく乗馬させる程であった。


「凄い騒ぎだぞ! まさか本当なのか!?」

「そ、そんな……本当に……? あぁっ、こんなに興奮するのはいつぶりだろうか!!」


 爆発的な歓声は鳴り止まず、いつもならば行列のできる屋台通りには客はおろか店主なども含めて人の気はない。


 二頭の馬が護衛も置き去りに宴の会場を走り抜ける。


 するとやがて、湖へと降りる階段のある辺りに密集した人だかりができているのを目にする。


「き、君ぃ!! あれは何という流派なのかね!! 吾輩も是非習いたいのだが!?」

「それよりその剣は刀というやつだなっ? いくらでも金は出す!! いくらでもだ!! どうか私に譲ってくれ!!」


 なりふり構わず我先にと競い叫ぶ貴族や富豪達。


「え〜と、まずこの刀はお売りできません。ただ、私が作成した刀ならばスカーレット商会経由でお売りするつもりです。そちらをよろしくお願いします。あとは……」

「流派だ!!」

「あぁ、そうでした。と言いましても、あれはほぼ我流です。私自身にも使用人のお仕事がありますし、お教えする時間はありません。ですが刀をご購入いただけたならば、取り扱い説明書にでもコツのようなものを、載っけるかも……」

「えぇ!? ……うわぁああ!! 何と悪どい!!」


 難なく捌く酷くマイペースな声音も聴こえる。


「なんだこれは……」

「先生っ、それより今はニダイの確認だ!!」


 人垣を迂回し、そのまま馬で無理矢理に人混みの中を突っ切るレンド。


 そして遂に……。


「……ニダイが……いない……」

「…………」


 本心では屋敷に駆け込んで来た兵士の一報を、決して信じてはいなかった。


 だが真実ならば即座に対応しなければならない事があった。だから駆け付けた。


「……事実に理解が全く追い付いていないが、今はとにかくあの使用人に会おうじゃないか。……レンド君?」

「……そうだな、急ごう」


 咄嗟に思案する素振りを見せていたレンドがやっと馬を降り、ラギーリンに急かされるままに先程の群衆へ向かう。


「……い、行くぞ」

「ぼ、僕は待ってる事にするよ…………おぉ!? つ、掴まないで!?」


 ラギーリンの手を取り、強引に身体を滑り込ませて進んでいくレンド。


 しかし急に、自分を囲む人の圧力が増していく。


「な、なんだ!? 急にどうしたんだ!!」


 熱狂の中心付近なれど、気を集中させて耳を澄ませばその原因はすぐに判明した。


「――下がりたまえっ!! エリカ殿下がお通りだ!!」


 リッヒー伯の怒声により、人垣が割れていく。


 その分がレンドとラギーリンに皺寄せとして回って来ていたようだ。


「…………」


 まだ幼さはあれど姫騎士然としたエリカが、楚々としながらも堂々たる振る舞いでグラスの元へと歩んで行く。


 背後からは、リッヒーだけでなく表情険しいリリアや油断なく周囲に気を配るクリストフがいる。


 リッヒーはすぐに満面の笑みでグラスに近寄り、何か耳打ちをする。


「……いえ見た事ならありますけど……エリカ様にですか? 王族ですよ? ご婚約もされているのですよ?」

「何を言うのかね。この偉業を成し遂げた者には相応の誉を。そして王女様には敬意を、だよ」

「言われてみれば……確かにセレス様になら違和感はありませんね」

「うん? いやむしろあの御方だけは決してお許しにならないと思う。しかし、だからこそだよ」


 こそこそと話す二人をエリカは訝しげそうに見つつも、見届けてから口を開いた。


「……グラス、素晴らしい闘いでした。私もこの刀を貰い、あなたから直々に技を習っている身として心から誇らしく思います」

「ならば何の恨みがあって、このタイミングでそれを言うのですか」


 早々に眉根を寄せてしまうグラス。


「教えているのではないか!! しかもまさか殿下の刀は無料でお渡ししたものなのか!?」

「い、いえ、それはあのぅ、いつも贔屓にして頂いております故の、残暑見舞いのようなものでして……」


 とある富豪に詰め寄られるグラスには、先の神懸かり的な気配は微塵もなく。


 そしてだからこそ、クリストフとリリアの目にはそれが異常に見えていた。


「では私も菓子折りに金貨を詰めようではないか! だから指南を――」

「こ~らこらこらこらこらっ! グラスは疲れてるんだから困らせちゃダメでしょっ?」

「で、殿下……申し訳ございませんでしたっ」


 グラスを庇うように位置取るエリカに、富豪は恭しくおずおずと引き下がる。


 もしかしてという思いがあるものの、リリアには単独任務の不安から来る期待がそうさせているのではとも思えてしまう。


「グラス、任せて。あんなに凄い決闘をしたばっかだもん。お礼に伝説は私が引き継ぐよ」

「引き継いじゃうんですか!? 私があんなに頑張ったのに!?」

「い、いやそんな意味じゃないよ!? 勿論だよ! ここは任せろみたいなの言おうとしたの! ちょっと名言みたいなの言いたかったのっ!」

「……どんな聖人でもこのタイミングは狙いませんよ? ここで名言なんてちょっと厳し過ぎますもの」


 いつもの言い合いに発展しそうな雰囲気を察してエリカが胸を躍らせる中で、


「…………」

「おっと、そうですね。礼儀ですものね。ビシッと決めますとも」


 意地の悪そうな顔付きのリッヒーがグラスの腕を叩き、忘れ物を思い出させる。


「――エリカ様」

「およ……?」


 リッヒーの横槍に唇を尖らせていたエリカの手を取り、グラスが膝を突く。


「何はともあれ、労いのお言葉をありがとうございました」


 そうして、エリカの手の甲に口付けをする。


「ふぃ!? っ…………」


 顔色は一気に紅く染まり、身体は硬直してしまう。


 決闘の時とは別種の早鐘打つ鼓動に、エリカの脳内は混乱状態となる。


「ふぃ〜…………」


 茹で上がってしまい倒れかかった幸せそうなエリカをクリストフが抱き止め、更にリッヒーへと鋭利な視線を向ける。


「おっと、別に礼儀として間違ってはいない筈だ。適切であったし、この場にも相応しい。殿下はどうやらグラス君の闘いの熱にやられてしまわれていたようだね。のぼせてしまうのも無理はない」

「後でお話しがございます」

「…………」


 リッヒーの頬が引き攣るのを見届けずして、エリカを連れて割れる人だかりの中をクリストフは行く。


「剣聖殿、私と共にエリカ様の護衛をお願いできますか?」

「っ、は、はい……」


 話しかけようとしていたのか、どことなく後ろ髪を引かれているリリアと共に湖を後にした。


「さて、グラス君。歴史的偉業を成し遂げたとは言え、まずはご報告・・・が先だろう。私達も行こうではないか」

「お待ちくださいっ」


 人混みを抜けて来たレンドが、リッヒーを制止する。


「はぁ……はぁ……。ぐ、グラスとやらに頼みがある」

「……私はもう失礼しようかと思っていたのですが」

「あの危険な剣を放置はできない。我が家に伝わる『封の間』に保管しなければ。ニダイを倒すまでの実力を持ち、あれに見向きもしなかった君にしか護衛を頼めない」


 確かに他の悪党の手に渡れば、ニダイ程ではなくとも十二分な脅威となり得る。


 納得の頼み事に頷きかけたグラスだが、リッヒーはすかさず口を挟む。


「はっきりさせておこう。あの剣は君等の所有物ではない。昔はいざ知らず、今は王家にその権利があるだろうし、百歩譲っても君の家よりはグラス君の方にその資格がある」

「……我々しかまともに扱えないのですよ?」

「だとしてもだよ」


 不穏な空気を漂わせてリッヒーとレンドが睨み合うのを、側で見守るグラス。


「…………」


 それから一度、彼等の足元に情けなく倒れるダークエルフを見て思う。


(ていうか、この人達……誰なんだろうか)


「……君は気付いているかな? 内通者とやらの存在を」

「無論です」


 レンドの耳元に顔を寄せ、周囲には聴こえない声量で告げるリッヒー。


 先ほどにセレスティアが直々にドゥケン卿を見破り、更に撃退したのだから当然に知り得ている。


「どうやら分かっていないようだね。軽くセレスティア様からご説明を受けたのだが、内通者はおそらく……一人ではない」

「っ……」

「君達、ソーデン家の人間は未だ容疑者なのだよ」





 ♢♢♢





 薄暗く悪臭漂よう不潔な空間に、無数の影が蠢く。


 所々に埋まる碧色に輝く鉱石により幻想的に作り出されたその場所は、今や魔窟と化していた。


 いくつもある枝分かれしていく洞窟の如きその場所を、魔の巣窟として潜んでいた。


 まるで巣穴で密集する蟻のように、数え切れないゴブリン達が一帯を埋め尽くす。


 いや、ゴブリンだけではない。


 犬の魔物であるバーゲストや、ゴブリンよりも身体の大きなホブゴブリンなどもいる。


「――オイッ!! “グリュー”の餌はヤッタのか!?」


 その群れの中にあって、明らかに異質な一体のゴブリンが声を張り上げた。


 体格などは何も変わらない。


 しかし知恵ある者らしき言動、短剣や鎧を無理矢理に改造して作った王冠や装いが、他の魔物達より上位の者であると分からせる。


「ゴァ……」

「…………」

「怖イだッテ!? 阿保ドモがぁぁ!!」


 両手の鎌を振り回し、拙いまでもはっきりと分かる人の言語で直属の護衛である双子のホブゴブリン“ボンゴ”と“ブンゴ”を怒鳴り付けている。


「グリューがいなケリャ、人間には勝てナイんだぞ!! 奴等を甘く見ルナ!! 分かッタラ、ソコラで寝テル馬鹿な奴等を食ワセとけ!!」


 二人揃えばオーガとでも戦える恵まれた体躯のボンゴとブンゴ。


 しかし彼等でさえ……いや、オーガも他のいかなる強大な魔物でも恐れて近寄ることすらできない。


 群れの全てが団結しても、その生物に擦り傷すら負わせられない。


 それが、グリューであった。


(マッタく……。……アイツと連絡ガ取れナクナッテ、モウ丸一日。ソロソロ、こいつ等も抑えられナイな。何ヨリ、グリューが暴レてしまうダロウ)


 手近にいたゴブリンを引っ捕まえてドタドタと走り去るホブゴブリンの双子を見送り、人骨でできた玉座に座り思考を巡らせる。


 まるで人間のように。


 人らしき者の頭蓋のコップから血を飲み、早々と決意する。


(後、一日ダケ待つカ……。ケケケッ、戦いデあまり手勢を減らシタくなかったが仕方ナイ。俺の王国ノ為ダ)


 今頃レークの町で暗躍しているであろう人族を思い、【小鬼王】ギャンは欲深く国を求める。

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