第146話、宴はいつか終わるもの

 

 この澄んだ空に相応しい澱みない剣比べは、唐突に穢される。


「……っ、気持ち悪い……なに、あの魔力は……?」


 前のめりで覗き込むリリアが、血の気の引いた顔でか細く呟く。


 ニダイの持つ宝剣グレイから、泥色・・の瘴気が滲む。


 熱に浮かされていた観衆は、醜悪な魔力の気配に瞬きも許されずに凍り付いていた。


「っ……」

「エリカ様、こちらへ。貴女様はここまででございます」


 吐き気を堪えて青ざめるクリストフが、冷静を装って具合の悪そうなエリカへ告げた。


 聞きしに勝る上位の存在。


 人の身では蹂躙されるのみの、形を成した災厄。


 最凶たる悪魔の配下達。その四十三番目の眷属が、その姿を現そうとしていた。


「一応、念の為にと持って来てもらって良かったな……」


 冷徹な目付きのグラスが太刀を地に突き立て、腰元の刀の鯉口を切る。


 師により打たれた、自分のものとは比べ物にならない業物。


 僅かに現れた刀身の輝きは見るものを戦慄させ、無意識に敬意さえも抱かせる。


 刃紋などに遊びはなくとも凄みで黙らせる、鋼色の芸術であった。


「エリカ様、お早く」

「っ、わ、分かったよ……」


 グラスの放つ憤りの気迫に呑まれていたエリカが、ふと我に帰る。


「……クリストフ、少し事情が変わったみたいだが?」

「……?」


 リッヒー伯の言を受け、クリストフがちらりとニダイへと視線を戻す。


「――――」


 瞳の青が、爛々と燃えていた。


 そして突如として、――尖鋭な柄頭を穢れた魔力の蝕む己が左肩へと突き刺した。


 柄に込められた青混じりの魔力が、泥色の魔力を爆散させる。


「…………」


 予想外の出来事に、グラスの歩み始めた足は止まり観衆は目を剥く。


 だがやがて雄叫びでも上げそうな怪異ニダイの荒々しい気配に、グラスにも観衆にもどこか合点がいく。


 怒りだ。


 自分が負けるはずがないと、認めないと。


 その身体に刻まれた記憶が、激怒のままに反応したとしか思えなかった。


「……あぁ、そうだね。はっきりさせよう。俺だって納得してない。正面から打ち勝ってみせる」


 ニダイの炎上する瞳の青炎を目にし、鬼気迫る気質となったグラスが太刀を地より引き抜いた。


 十四分と五十二秒の斬り合いを経て、いよいよ果てが見えて来た。


 是が非でも決する覚悟で、互いに刃を翳す。


「――――」

「っ……!」


 刃先を下ろしたまま駆け出したニダイに応じて、グラスも同じく切っ先を下げて走り出す。


 互いの距離はあっという間に埋まる。


 明確に迫り来る死の気配に逃げ惑っていた者達も、再度目を釘付けにされる。


 ここからが本番にして終局であることが、明白であったからだ。


「――――」

「んんっ!!」


 疾走した勢いを乗せ、示し合わせたかの如く水面を掬い上げる。


 高波がぶつかり合い、一瞬の拮抗の瞬間に振り上げた刃で斬り付ける。


 渾身の剣戟に鬩ぎ合う高波が弾け、湖の上で球状に拡散していく。


 細かな水滴や霧により、七色の虹が生まれる。


 その後、修羅同士が技巧と力を尽くして七度の剣戟を差し込む。見ているものを仰け反らせる気迫で七つ、耳をつんざく激音を生む。


「――――」

「ッ……!? ッ――」


 鍔迫り合いの最中、不穏な気配にグラスが大きく跳び退く。


 それは観衆達の知る由もない駆け引き。


 昨夜の戦闘の中で柄頭での攻撃があったからこそ、グラスは引いた。


 ニダイが同様の技の気配を醸し出し、引かせた。


「――――」


 魔力の宿る長剣を剣舞の如く振り回し…………地に突き立てる。


「……ッ!?」


 太刀を構えていたグラスが、息を呑む。


 ニダイを中心に黒い魔力が盛大に爆ぜ、内包された無数の青き斬撃が四方八方に拡散する。


 明らかに広範囲の敵を一掃する魔力技。


 グラスへ迫る魔力による斬撃の波動が、水面を斬り裂く。


 刹那に寒気が走るエリカやリリア、そして観衆が悲鳴や危機を伝える声は間に合うはずもない。


「――――ッ!!」


 グラスが素早く行動を起こす。


 即座に左手で太刀を突き立てながら、同時に利き手で腰元の刀を鞘ごと引き抜き右手側へ。


 こちらへ迫る殲滅の斬撃は、少なくとも一瞬の内に二つ斬り裂かねばならないと見切っていた。


 故に右手側にてそのまま鯉口を切り、手放す・・・


 手放した直後、鞘のみを後方へ抜く。


 既に途轍もない迫力で眼前にある波動に向け、宙にある抜き身の刀を逆手に掴み――斬り上げた。


 続けて、両手で力強く斬り下ろす。


 裂けた一部分を置いて、斬撃の波動が方々に通り抜ける。


 青の残滓がグラスの両側を通り抜ける……。


 外から観ている側は、グラスが神業によりニダイの奥義を破ったとしか見えていなかった。


「……それが本命か」


 刀を鞘に戻して腰元に差し、太刀を引き抜いたグラスが視線を戻して言う。


 ニダイの持つ、青と黒の魔力渦巻く長剣。


 これを施す時間稼ぎに、先程の広範囲攻撃は使われていた。


「――――」

「ッ……! ――ッ!?」


 互いに瞬時に踏み込み、激しく刃を合わせるも……グラスが咄嗟に長剣を側面へ受け流した。


 ――水面が割れる。


 ニダイの長剣の切っ先の軌道上が、荒々しく割れた。


「……ッ!!」


 見て分かる通りの威力に、頑丈に作った太刀でさえもう保たないと判断したグラスが、意を決して超短期での決着に臨む。


 二度、三度と、湖が派手に割れる。


 自然と激化する剣比べ。


「…………」

「っ……」


 再びの焦熱に、観衆は晒される。


(あぁ、熱い。これが剣の果てか……)


 嫉妬や羨望を綯交ぜにした感情が、クリストフの胸中で燃える。


 老いた身でさえ、火が付いたように熱くなる。


 ここに二人もいる。


 二人も、あれ程の剣を振るえる者が存在する。


 握り締められた拳が震え、目頭が熱くなる。


 緊張と興奮により、誰も彼もが身体を細かく震わせる。


「――――ッ!!」


 数分もせぬ内に、長剣は太刀に皺を刻む。


 その瞬間を、両者共に見逃す事はない。


 決め事であったように、突きの構えを取る。


 誰もが察した。


 これが最後の駆け引きであると。


「――――」

「――ッ!!」


 思い切り突き出された刃の先端が、ぶつかる。


 下手な小細工もなく、理想そのものの突きが鎬を削る。


 だが限界間近であった太刀が、容易く悲鳴を上げた。


 突きにてニダイに勝る道理など無く、切っ先から儚く、突き進む長剣により砕けていく。


 閃きの内の一瞬の出来事。


 ついに長剣の刃先は完全に刃を破砕し、グラスの鍔にまで到達する。


 あとは鍔を突き破り、グラスの右腕を貫くのみ。


「――オオッ!!」


 鍔の模様の隙間に刃先が入り込んだ瞬間、グラスが鍔ごとニダイの長剣を跳ね上げた。


「――――」

「――――ッ!」


 今の突きにて、互いに出せるものは全て出した。


 この時にあっては最早、なり振り構わず是が非でも勝利を求めるのみ。


 ニダイは跳ね上がった剣を体重をかけて振り下ろし、グラスは――


「――ッ!!」


 手を伸ばす。


 腰の刀ではなく、踏み込みながら左手を伸ばす。


 ニダイと同じく、グラスの経験に基づく勘が囁く。


 この体勢、このタイミング、長剣の距離と速度では、抜刀が間に合わない。


 ならばもう、これしかない。


「――――」


 ニダイの振り下ろした長剣が、グラスの眉間に迫る。


 グラスが手を伸ばす。


 何をするにしても、紙一重の差であった。


 そして――――届く。


「――フッ!!」


 剣の持ち手に手が触れた瞬間に、ニダイが半回転しながら宙に投げ出される。


 時の遅くなった世界で、逆さのニダイと腰元の刀へ手をやるグラスの視線が交差する。


 投げられながらも素早く状況を察したニダイは、宝剣グレイをグラスの左胸へと突き出す。


 しかし地の利は覆し難く――


「――――ッ」


 鯉口が切られる。





 ――――閃――――





 静寂を崩さず、けれど何ものをも斬り伏せる剣気で断ち切られた。


 ニダイの手元から離れた長剣が、グラスのこめかみ辺りを高速で通り抜ける。


 ……右肩から左脇腹にかけて両断されたニダイが、真っ白な塩と化して流れ行く。


 遺灰の如く、風に乗って……。


「…………」


 湖上に一人きりで立ち、残心。


 幾度か刀を振り、静かに納刀。


 コメカミを掠めた長剣により、今更ながら眼鏡が弾ける。


「……ふぅ」


 やっと一息吐くグラスを目にし、全ての者達が決着を悟る。


 信じ難き勝者を確信する。


 時代を超えて二人の剣士を引き合わせた宴が、長き時を経てここに幕を下ろした。


「…………」

「っ……っ!!」


 ……余韻に浸るように目を閉じるグラスへ、クリストフが拍手を送る。


 それに釣られて、少しずつちらほらと幾人かが手を叩き始める。


 すぐにそれらは歓声を伴って伝わっていき、湖が震える程の賛美と化す。


 これはこの決闘への感謝の証であり、敬意の念であり、熱意の大きさを表すものであった。


「…………」


 慣れない状況に居心地の悪くなったグラスが、その場を後にしようと歩み出す。


 ふと、気配を感じて振り返る。


 そこには……気品のある初老の女性と幼い少女、そして……見るからに頑固で寡黙そうな剣士の影が、見えた気がした。


 だが目を疑って目尻を揉み、再度視線を向けるとやはりそこには何もない。


「……まぁ、喜んでもらえたんだと勝手に思おうか」


 困り顔で微笑を浮かべ、こちらへ懸命に船を漕いで駆け付ける村人の元へと歩んでいく。










 ――湖に突き刺さり脈動する宝剣グレイを置いて……。







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