第145話、宴は静かに

 

 鬼が去ったグンドウ邸、西側二階の一室。


 その隅には、抱き合って震える二つの小さな影があった。


「や、屋敷がジャンプしなかったか……?」

「…………」


 捕縛されているでもなく大人しく椅子に座るブレンを見つけたハクトだが、屋敷を砕かんばかりの爆音に縮み上がっていた。


「ひっくり返るかと思った……。良かったぁ、ひっくり返ったのが俺たちだけで……」


 壁には亀裂が入るなど、この部屋にもはっきりと影響を及ぼしている。


「は、ハクト君っ、何をもぞもぞしてるんですか!」

「オズワルド……!!」


 右上の窓枠から、オズワルドが顔を出した。


 どうやら持ち前の身軽さで壁をよじ登ったらしい。


「もうこの屋敷はいつ倒壊してもおかしくありません。下手に中を行くより、ここから縄で降りましょう」


 手際良く、降下する為の縄を取り付けていくオズワルド。


「おぉ……流石はオズワルド。それにしても無傷じゃないか。ここの奴等はかなり強かったんだけど、やっぱり魔眼でやっつけたのか?」

「い、いやぁ……それが……」

「うん……?」







 …


 ……


 ………




 ソウマ達が去った後、オズワルドと【弩砲】の戦闘は一方的なものとなっていた。


「――くっ!!」

「キャハハハハハハハッ!!」


 攻城弩弓は矢の装填に時間がかかる。


 当然その隙を突こうと魔眼により百発百中の矢を射ようとするオズワルドだが、【弩砲】はグンドウにより策を与えられていた。


【弩砲】の隣に山積みにされたボウガン。


 オズワルドが矢をつがえる暇も与えず、どんどん消耗して撃ち出していく。


 暇を持て余して一年。


 グンドウや【破城槌】を相手にただこればかりで遊んでいた事もありその早撃ちの速度は中々のもので、付け入る隙が得られない。


 しかし懸命に避けるオズワルドは、やられっぱなしではなかった。


 確かなタイミングを待っているのだ。


 流れる動作でボウガンを手に取る少女だが、線は細い。


 必ず、手間取る時が来る。


「キャハハハハハ、ハッ!?」


 少女の左手から、ボウガンがこぼれ落ちる。


 今だ。


 素早く弓に矢をつがえ――


「――どけ」

「え……えぇっ!?」


 前転して矢を構えたオズワルドの隣には、いつの間にかこちらを見下ろすアスラがいた。


「あ、あの、なんでここに……?」

「ここだな?」

「え……? え、えぇ……ここが【攻城兵団】の拠点ですけど」


 オズワルドがそう言い終わるや否や、


「ど〜〜んっ!!」


 攻城弩弓をセットした【弩砲】が、大矢を解き放ってしまう。


 大矢は城攻めするに十分な威力で突き進み、


「…………」

「キャハッ!?」


 鬼によって掴み止められる。


「……っ、っ……」


 へたり込み、パクパクと言葉の出ないオズワルドの足元に大矢を放り捨て、アスラは一度【弩砲】へその眼光を向ける。


「キャヒッ!? ………………ご、ごめんなさい……」

「…………」


 涙目となって素直に謝ってしまう【弩砲】に何の反応も示さず、当たり前に壁を蹴り砕いて敷地内に侵入していった。


「…………」

「…………」


 二人から、戦意を奪い去って戦場へ赴いて行く。





 ………


 ……


 …






「…………」

「さっきそのアスラさんが帰っていきました。外から見てたらもう凄かったんですから。きっとグンドウも倒してしまったのでしょう」


 唖然とするハクトを余所に、作業を終えたオズワルドがブレンへ向き直る。


「……傭兵なら殺してしまうかもと思っていましたが、無事で良かったです。さっ、帰りましょう」

「…………」


 頭を撫でて言うオズワルドに、ブレンは一人残される前にグンドウからかけられた言葉を思い出す。


『ま、傭兵ですから、任務は遂行せねばなりませんね!』


 そう笑顔で言うグンドウは、ブレンの頭にその大きく分厚い手を乗せて更に続ける。


『しかしまだ十分に見定めた訳でも、期限を設けられた訳でもありません。このままでいいでしょう。それに……君はとてもいい目をしています。将来が楽しみでならない』


 そう語るグンドウは、朧げな記憶の中にある父とどこか似ていた。


「…………」

「では君と僕を紐でくくり付けて一刻も早く避難しましょう。ハクト君は……自分で先に降りてください」


 頷くハクトへ頷き返し、また手早くブレンと自分を紐で固定し始める。


「……こちらは何とか片付きましたね。でも……一番問題なのは多分……」

「…………?」


 事情を全くしらないブレンが、手を動かしながらも険しい表情で憂慮するオズワルドへ小首を傾げた。


 そう、今のオズワルドの頭にあるのは、明らかに不可能と思える難題に挑むあの男にあった。


 まさか本当にセレスティアはあの無理難題を完遂させるつもりなのだろうか。


 この町にいるのかさえ怪しい。


 そしていたとして、いくらあの男でもあのニダイに太刀打ちできるものなのだろうか。


 だが自分がいくら悩んでも、おそらく結果は既に……。







 ♢♢♢






 遠くに聴こえる衝撃は、確かにこの湖にも届いている。


 しかし耳にするのは、興奮する息遣い、小さな悲鳴の合唱、そして……。


「――っ!!」

「――――」


 ……湖に微かに木霊する、苛烈な剣戟音のみ。


 静まり返った崖上から無数の熱い視線を一身に受け、二人はひたすらに思いのままに剣を振るう。


「フッ――!!」


 限界まで研ぎ澄まされた太刀の切っ先が、ニダイの左胸をほんの少し傷付ける。


 ニダイの突きを刃で滑らせながら踏み込み、弾いた後の振り下ろし。


「――――」


 更に斬り下ろしから跳ねた太刀が、正確に刃を見切るニダイの顎付近を空振りする。


 それとほぼ同時に、ニダイはグラスの腹部に片刃剣を薙いでいた。


 掠めて飛んだ服の切れ端が、塩となって風に流れる。


「ッ――!!」

「――――」


 続けてニダイがもう一回転し、追撃するグラスの太刀を弾く。


 数少ないグラスが攻勢に出た一幕が終わり、呼吸を忘れていた観客の多くが、荒く熱い吐息を吐き出す。


 既にグラスの装いはボロボロなのが示す通り、相応の時間が経過していた。


 それだけの時間を、あのニダイを前にして闘い抜いていた。


 しかし二人はそれでも全く足りないとばかりに何ら構うことなく、一瞬の駆け引きが巻き起こる極限の剣戟を続ける。


「…………」

「……っ、……」


 湖の中心で、一歩も譲らずかち合う刃が絶え間なく激音を鳴らす。


 この相手しかいないとばかりに、歓喜して剣を振るう二人。


 呼吸すら憚られる決闘だが、周囲の殆どの者はそれらを正しく認識出来ない。


 辛うじて、幾人かには目で追えてはいる。


 だが何が起こっているのかを正確に知り得る者はいない。


 誰もが分かるのは、想像を絶する程に濃密な数瞬が繰り広げられているということ。鳥肌が常に肌を覆い、背筋が震える美しさだということ。


 しかしそれ以上を知る必要などもない。


 剣同士が散らす火花の煌めきや、閃く刃、そして水面で激しく斬り合う剣士達を眺める。


 この吸い込まれそうな空と同じく、ただ目にするだけで皆一様に魅了される。


 それらは全て命懸け。


 互いの斬れ味冴え渡る得物を一つ食らえばその時点で終わり。


 糸の上を綱渡りで歩いている様を目にしているようであった。


「っ……」


 見ていられない。


 いっそ一息に決着が着けば良いのかもしれない。


 しかし背けようとも目は離せず、終結を拒むように熱い鼓動は加速する。


 ここは、静かな熱狂の坩堝と化していた。


 皆、静寂の中でこの二人に焦がれ、まるで自分の事のように魅入っていた。


「ッッ!!」

「ッ――――」


 刀よりも急な曲線を描く太刀と、呪われた長剣グレイ。


 同等の長さで、己らが最も打ち易い近距離。


『縮地』などで不用意に距離を取ることもせず、小細工のない剣技で相手の精も根も削ぎ落としていく。


 果てもなくどこまでも広がる空の青は透き通る湖に溶け込み、いくつかの気ままな雲もそのまま映す。


 二人は合わせ鏡のような青き空の狭間で、更なる遥か高みに登っていく。


 隔絶された世界で、その手にある並ぶ者なきとする技を振るう。


「……っ」


 異様な緊迫感から息を呑む鼻息荒いクリストフは、いつの間にかエリカの隣に並んでいた。


 従者として背後に控えるべきである筈だが、瞬きの間に刻まれる絶技に吸い込まれるように前のめりとなっていた。


 この場で最も優れた剣士であるクリストフにも、開戦からこの方、理解が及んでいなかった。


 どれ程までに高度で、どれだけの駆け引きがあるのだろう。


 自分はこれを目にする為に剣を目指して来たとすら思えてしまう。


「――――」

「クッ!?」


 鍔迫り合いの中で長剣が太刀を弾き、返す剣がグラスの肩口を掠める。


「……対の先で負けている」


 あまりの熱戦に多量の汗を流すクリストフが、自然と呟く。


 剣術において特に尊ばれる三つの先。


 相手が行動する始まりの気配を捉えて先んじて攻める、先の先。


 相手の行動の後に応じて反撃する、後の先。


 この二つはグラス、ニダイ共にほぼ互角の技量を有しているようであった。


 しかし細かい小手先の技と残る一つ、対の先においてはクリストフが目に見えて分かる程にニダイに軍配が上がっていた。


 先も後も互角ならば、同時に仕掛ける機が多くなる。


 ほぼ同じタイミングにおいて、ほとんどの有利をニダイに取られている以上、如何にグラスと言えど勝ち目はない。


 もう、止めた方がいいのかも知れない。


 クリストフの心中にそのような迷いが生まれた、その時――


「ッ……」


 グラスが僅かに下がり、今一度しかと太刀を構え直す。


 絶え間なく靡いていた黒髪が、深く研ぎ澄まされるグラスの気と共に静まる。


 一夜考え抜いたグラスの出した結論。


 細かな技量により差が出るのなら、その技が入り込む余地のない完成された・・・・・剣撃を見舞えばいい。


 所謂、『型』などがそうだ。


「…………」


 理に適っており効率的で、隙がなく、尚且つ実践的な型の連鎖。


「……――――フッ!!」

「ッ――――」


 湖と同じく空を映す刃が、疾く回り始める。


 一つ、二つ、三つ……数瞬の内に一気に太刀は鮮やかにも大胆に閃く。


 踏み込んで来たニダイが微かな硬直を見せて防御に回らざるを得ない、完成された六つの刀撃。


 一撃と一撃の繋ぎにも隙はなく、受ける事自体も至難の技である。


「っ……!!」


 片時も視線を外さないエリカが、神がかったグラスの刀術にぶるりと震える。


 あのニダイが繊細に小さく長剣を動かし、必死に太刀を受け流す。


 ほんの少しだけ押せば、その太刀は長剣を超えてニダイへと届く。


 手に汗握り固唾を呑んで凝視する誰もが、そう確信する。


 しかし……。


「…………」

「――――」


 一息に繰り出された『完成された六刀』が、終わる。


 六刀目の強烈な一太刀を受け切ったニダイが、その勢いのままに水面を滑り後退する。


 今のグラスに可能なのは、六つまで。


 ニダイに届かすにはあと二太刀ほど、足りないようであった。


「ははっ」


 ここまでやっても届かないのかと、グラスが笑みを溢す。


 その目は変わらず……いやむしろ益々の力強い意志を宿している。


 負ける訳がない。


 劣勢にあろうが、秘策が失敗に終わろうが、己の勝利を信じて疑わない。


 どこまでも不敵。


 その姿にまた、観衆は熱く惹かれていく。


 ……しかし、何事においても人々の期待通りの展開には進まないことがしばしばある。


 ここにも、次に先程の六刀が繰り出されれば危ないとして、水を差す存在がいたとしても何ら不思議はない。


「……来たか」

「あれは……なんだ……」


 冷や水を浴びせられて落胆するグラスと悍ましさと共に恐怖するクリストフ、そして異変に狼狽する観衆の視線は一点に注がれる。


「ッ――――ッッ――」

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