第138話、グンドウ動くも、アスラは動かず


 アサンシア達【踊るニ刃】と森の魔王軍捜索を入れ替わり直ぐにソウマとデープ達は自室へ戻っていた。


 だがすぐにソウマに与えられた部屋へ、慌てるハクトが駆け込む。


「――ソウマさん!! セレス様がお……呼、び……」


 焦燥感に駆られていたハクトの言葉が尻すぼみになる。


「……あぁ……沁み入るぜ……」


 乱雑に脱ぎ捨てられた民族衣装の道着。


 浮き彫りされた彫刻の如き大胸筋。


 細かく筋肉の筋の見える大腿四頭筋。


 見事に八つに割れた腹直筋。


 全裸になったムキムキのソウマが、窓を全開にして陽の光を身体に浴びて恍惚としていた。


「……徹夜明けだからか、いつもより突き刺して来やがる……。へっ、いい塩梅だぜ…………うん?」

「……」

「うおおおおお!? な、なんだよ!! 常識ねぇのかよ! ここは俺の部屋だぞっ! 勝手に入ってくんな! 恥を知れ!!」


 死んだ目で見ていたハクトに気付いたソウマの絶叫が、ソーデンの屋敷に響き渡った。




 ………


 ……


 …





「――こちらの方に、本日の【兇剣の宴】にてニダイを倒していただくことになりました」


 ……広間が静まり返る。


 本日も眩しいセレスティアの言を受け、昨日から背後にいたグラスが一歩踏み出し一礼し、すぐに下がる。


「実はこの方はエリカ達の剣の師でもありまして、私も彼ならばと参加をお願いしました」


 きちんと服を着て降りて来たソウマも、一睡も出来ておらず不機嫌であったデープも、キリエでさえセレスティアの発言の意図が読めず言葉を失う。


「ね、姉様、なに言ってるの……? だってこの人は…………ん?」


 困惑していたエリカが、グラスを凝視する。


「…………」


 じーっと見つめ、更には駆け寄りグラスの周りから色んな角度で見定める。


「――貴様、名は?」


 ギョッとする一同の目が、背後に集中する。


 集団から外れた端で威風堂々腕を組み佇んでいたアスラが、静寂を打ち破って問いかけた。


「グラス・クロブッチと申します。ライト学園で使用人として勤めております一介の平民ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「……その名、覚えておこう」

「光栄にございます」


 アスラが言葉短く名を覚えると言い、視線を外した。


 自然と嫉妬の感情を覚える武芸者達。


 あのアスラが初めて名を訊ねたのは、使用人であった。


 本業の自分達を差し置いて。


 この使用人よりも劣っていると、明確に突き付けられた気分であった。


「……あんた、本当にあのニダイと闘える気でいるの?」


 鷹の目付きで、キリエが苛立たしげに訊ねた。


「キリエ、控えろ。これはセレスティア様のご提案の元、私も賛同して正式に決定されたものだ。お前が口を挟むことではない」

「…………死ぬと分かっていてもなの?」


 ソーデン家である以上、早々と剣を捨てたレンドとは言えニダイの完全無敵の実力は知っているはずだ。


 父を殺され、あの祖父が敗北したのだから。


「グラスさんは出発の準備を整えておいてください。手筈通りに。くれぐれもよろしくお願いします」

「かしこまりました」


 兄妹の言い争いを余所に、凝視するエリカと共に広間を後にした。


「…………」


 自分もそろそろと、リリアがセレスティアへ一つお辞儀をしてから後に続いた。


「……悪いが俺もキリエ嬢に同感だな。ニダイに勝てる訳がねぇ」

「私もだ。第一、倒す必要もない。今は魔王軍に全力を傾けるべきだろう。その従者殿が実力者なのならば、そちらへ割り当てるのが最善」


 ソウマやデープも、戦士として使用人に劣ると言われていい気分はしていないようであった。


 しかし、ハクトやオズワルドにも二人の言っていることは正論に思える。


「理由ならあるんだよ。一つは言えないけど、もう一つは……昨日の深夜に発生した激震に関係している」


 深刻な面持ちのラギーリンが、眼鏡を取って目尻を揉んでから説明に入る。


「昨夜の騒ぎの後、僕達はすぐにニダイ湖へ調査に向かった。そこで目にしたのは、魔王軍よりも遥かに優先度が高い事態だったんだ」


 まずはと、ニダイの秘密、宝剣グレイの成り立ち、そして対処不可能な悪魔の眷属達についてを話す。


「深夜に何があったのかは分からない。しかしニダイの中からあろうことか、疫災危機と呼ばれるココンカカが飛び出し、結界外に影響を及ばしたのは間違いない。対岸の森の一部が死に絶えていた」

「……その、ココンカカとやらの特徴はないのか? 何か対策を――」

「無い。対策など存在しない」


 デープの問いをばっさりと断ち切るラギーリン。


「数字が小さくなる程、眷属は強い。つまり二の眷属であるココンカカは、実質最強とみていいだろう。奴がこの町を通り過ぎるだけで疫病が一気に広がり、大地もろとも我等も魔王軍もその瘴気に直接触れる前にはもう死に絶える。場合によっては、殺されずに弄ばれるだろう」


 ラギーリンやレンドはココンカカが結界から出て来れば終わりと、既に諦めつつあるのが手に取るように伝わる。


「しかもココンカカは魔力も魔術も無効化し、更には物理的な攻撃も一切効かない」

「はぁ!?」

「……な、なにを馬鹿な。そのような非の打ちどころのない完全なる生物が存在するわけがない」


 否応無しに騒然とする。


 魔力も物理攻撃も効かない。それは暗に、本当の意味での無敵であることを示していた。


「……あの、その悪魔自身は眷属よりももっと強いのですよね」

「え? あぁ、勿論そうだったろうね」


 国の存亡規模の危機的状況に青ざめるソウマ達を置いて、オズワルドがラギーリンへ訊ねる。


「過去の人達はどうやって倒したんですか? それを参考にすればもしかしたら――」

「おおっ! いいところに気付いたね!」

「ひっ!?」


 人が変わったように嬉々としてオズワルドに歩み寄るラギーリン。


「確かにゾ=ウルトが滅んだ時、その戦いに巻き込まれて眷属の殆どは消滅したと言われているのさ」


 古代の歴史を興奮のままに早口で説くラギーリンに、呆気に取られるオズワルドは硬直してしまう。


 眼前で鼻息荒く語るダークエルフにすっかり後悔していた。


「一説では、皆も一度は聞いたことのある雲霓に棲まうとされるあの龍が倒したとも言われてるけど、ちょっと朧げな記述も多くて実際には――」

「先生っ、それくらいにしておけ!」

「うっ!」


 レンドに厳しく叱責され、ラギーリンが渋々引き下がる。


「だが、先生の言う通りならそんな戦いを生き延びた眷属なのだ。しかも強さでも二番手。だから……分かるはずだ。ココンカカが自由に出られるようになれば…………っ、真の破滅なのだ!!」

「ニダイ湖の周囲を囲む崖も有り得ない規模で砕けていた。いや、消えていた。……おそらく、ココンカカが結界内で暴れ回って起きた何らかの超自然的現象なのかもしれない……」


 額を覆うレンドと、膝を突いて絶望を表すラギーリン。


 そんな二人の様子に呆れたセレスティアは、嘆息混じりに告げた。


「だからこそ、グラスさんにニダイを倒してもらうのです。ニダイという依代がなければ悪魔の眷属とはいえ剣の外には出られないでしょうから。少しでも可能性があるのならと賛同したのはあなた方でしょう」

「……いや、でもグラスさんは……」


 今は肥料研究の旅の最中……。


 このハクトの心中は数人しか知り得ない。


 騎士達と言えど、まさかグラスの中身が全く別人だとは疑っていなかった。


「姉様、やっぱりあれ弟君の方だったよ? 私の質問にもまともな答えだったし。何考えてるのか知らないけど、絶対止めた方がいいよ」

「エリカ……」


 つまらなそうに帰って来たエリカが、セレスティアへ言う。


「エリカは気にせずリリアさんと宴で大人しくしていてください。優秀な護衛も用意しておきましたから」

「護衛……?」

「えぇ。もし万が一にでもまたその眷属が現れる兆しが見えれば、その方がすぐに避難を手助けしてくれます」

「…………?」


 不可解といったエリカが小首を傾げる。


「――レンド様っ、お耳をっ」


 突然、慌てた様子のメイドがレンドへと駆け寄り、すぐさま耳打ちをした。


「……っ、分かった。…………セレスティア様」

「……何があったのですか?」


 敵の出方を見切ったと疑わないセレスティアが、筋書きにない展開に目を細める。


「ブレンが姿を消しました」

「っ……!?」


 キリエの眉間に険しい皺が寄り、周囲にも動揺が広がる。


 慌しいと言っても多くの私兵や騎士、そして傭兵までいるこの屋敷から子供が姿を消したのだ。


「……拐われたという意味ですか?」

「おそらく……。この者の話では着替えた様子もなく、部屋からブレンだけが忽然と消えていたらしいのです。弱々しいあいつは剣を振って勝手に疲れ、朝食の時間に起きれないなどということもあったので確認が遅れてしまいました」

「…………」


 セレスティアが豊かな胸下で腕を組み、珍しく深く思考する仕草を取る。


 まるで、理解ができないとでも言いたげだ。


「多分、グンドウのとこだと思いますよ?」


 玄関の扉が開き、ランスや付き添った衛兵が外から帰って来た。


 その顔には疲労が伺えるものの、自慢げな色も浮かんでいる。


「ランスっ! どこ行ってたんだテメェ! 徹夜で森を歩き回った俺等の前にのこのこよくも……!」

「はいはい、自分もこの衛兵さん達もそうだから怒らないで」


 詰め寄るソウマを槍で押さえて宥める困り眉のランス。


「ランスさん、何か情報を掴んでいるのなら教えてください」

「はい。実は……昨日グンドウと会った時に変だなぁと思ったので、帰宅したグンドウの屋敷を見張っていたんですよ」


 ランスが言うには、グンドウが森へ向かってからそう時間も経っておらず、【踊る二刃】よりも早くオーガを見つけていたのを不審に思ったとの事だ。


「だからもしかしたら魔王軍と繋がってて、魔物達の居場所を把握してたんじゃないかなぁと思って張り込んでたんです。いやホント、若干気付かれてたんじゃないかと冷や冷やしたり、寿命が縮みましたね」

「それはブレン君とどう繋がるのだ」


 遠回しなランスに苛立ったデープが強い口調で先を促した。


「いやそしたら明け方前に、怪しげな人影が大きな麻袋を背負って屋敷に入っていったんですよ。ひょっとして非合法な物品の取り引きか何かかなと……まさか子供とは思わなかったけど」


 一瞬、ランスの顔から表情が抜け落ちる。


「……【攻城兵団】が五人共、屋敷にいたのは確認していましたし、その人影は一向に出て来ません。……なんか怪しい気がするでしょ?」


 突撃槍で肩を叩きながら、やけに自信ありげに言うランス。


「……え? しない? しないかな? す、するよね……?」


 そして無言の静けさにすぐに自信を無くしてしまった。


「……おそらくランスさんの読み通りでしょう。ブレン君はそこにいます」

「マジかよ……」

「ただ、敵の意図は読めません」


 居場所が判明したと言うも、変わらず思考を続けるセレスティア。


「確かに私は、内通者が誰かを拐うと読んでいましたが、その対象は……エリカです」

「えぇーっ!? ……わ、私、狙われてたの!? 妹狙われてたのにそんな感じ!?」

「……きちんと護るつもりでした。なので何故ブレン君が標的になったのかが理解できません」


 何故なら王女を危険に晒せない以上、最悪の場合にはブレンは……切り捨てられる人材だからだ。


「……これは私共の不手際です。危機的な問題が山積みですし、ブレンは――」

「助けます、必ず。……あなた方の母親には生前によくしてもらいました。あまり他人にはできない相談にも乗ってもらいましたし、その恩をあなた達に返します」

「…………は、はっ」


 少しの妥協もないといったセレスティアに、レンドは諫める言葉を失う。


「王女様、俺が行きますぜ。騎士や衛兵は動かせないだろうから少数で助け出した方がいいだ、ろ……でしょう?」

「自分も行こうかな。言い出したの自分だし、最後まで関わらせて欲しいですね」


 子供を拐った卑劣さに憤るソウマと、純粋に子供を思うランスが手を挙げた。


「待て、誰かは残らなければならないだろう。狙われているのはセレスティア殿下だぞ」

「お前がいるじゃねぇか」

「頼んだよ、デープさん」

「…………」


 なんだかんだと仲良しなソウマとランスに、デープは長い溜め息を漏らした。


「……っ。な、ならオレ達も行くぞっ!」


 ブレンの怯えた表情が脳裏を過ったハクトが声を上げ、オズワルドがやれやれと続いて一歩踏み出そうとする。


「ならん」


 だが迫力ある重くのしかかる一声により、強制的に動きが停止させられる。


「そこの白髪が赴くのは許さん」

「え……」

「死線において緑髪は生き延びる判断が出来るが、こいつにはそれを臨めん」


 アスラが明確にハクトの参戦を禁じた。


 そしてここまでの強者の決定は、現在においては王女と言えど覆せない。


「…………」


 思わぬ評価を得たオズワルドは照れて居心地を悪くしているが、セレスティアは分かりきっている問答を念のために口にした。


「……ではあなたが手伝ってはもらえませんか? グンドウはソウマさんであっても手に負える強さではありません。報酬もお望みの額をお支払いしますので、どうか」

「断る。後から喰らえば済むこと。仮にお前達にやられる程度ならばそれまで」


 警護する者とは思えない、理性があれども獰猛かつ攻撃的な言葉であった。


 武人として興味はあるが、最優先ではない……数人の武芸者達はそのような印象を受ける。


(……やはりですか……)


 セレスティア自身にハクトと共にアスラを強引に参戦させる手段はない。


「……ならば貴公はどう動く」


 護衛を買って出たにしては目に余る身勝手さを見せるアスラに、自然と声の低くなったデープが簡潔に問う。


「動く気などない。自ら死にに行かぬのなら童等も好きにするがいい」


 のしかかる威圧感を醸し出してそれだけ言い残すと、無関心そのものの様子で戟を担いでその場を去っていった。


「ふぅ……仕方ありませんね。では、ハクト君はアスラさんの見える範囲の元で待機。ブレン君救出は、ソウマさんの指揮の元で行なってください」

「了解っす」


 内通者の考えが読めない以上、ハクトをアスラに託す判断であった。


「私は内通者の特定に注力しますので、メンバーの選別も任せます。オズワルド君ならば能力的にも連れて行って構わないでしょう。私も彼の能力に不安はありません。騎士も数名なら連れて行っても構いませんが、必ずブレン君を連れて戻るように。その他の方は予定通り魔王軍に備えておいてください。のちに詳細な命を下します。――では」


 寝ずに一晩中、魔王軍への対策会議や謎の衝撃に関する指示を与え続けているにも関わらず、少しの陰りもない美麗なセレスティア。


 一息に言い終え、本日の護衛である長剣を背負ったキリエと騎士達を引き連れ、待たせた客人の元へ凛々しく向かおうとする……。


「……エリカ、貴女も着いて来てください。頼もしい護衛を紹介します」

「お? 誰だろ……」


 エリカへ振り返り悪戯っ子のような笑みを浮かべ、その場を魅了してしまう。


「て言うか、私もブレン君が心配だから助けに行きたいんだけど」

「ソウマさん達でさえ危険なのですから、現状では彼等に任せる他ありません。信じて待ちなさい」


 二人の王女が、多くの護衛を連れて去っていく。


「……母、か……」


 冷ややかにも、鋭くも見える目付きのレンドが、その背を見送りながら呟いた。


「――うしっ! じゃあ俺等も行くぞ!」


 手の平に拳を打ち付けたソウマに、ランスが頷く。


「師範……」

「んな顔すんな。ガキを連れて帰るだけだ。正面からグンドウとやり合うわけじゃねぇ。むしろあいつ等だからこそ少数でも何とかなりそうなんだからな」

「…………?」


 不安げな弟子達とのやり取りにも不可解な自信を見せるソウマに、オズワルドは疑問を抱く。


「不思議に思うのも無理はないけど、有名な話があるんだ。彼にはちょっとした流儀みたいなものがあって、グンドウは一人でない・・・・・と戦わない・・・・・んだよ」

「えっと、仲間がいるんじゃないんですか……?」

「詳しくは移動してから話すよ。子供が人質に取られてるし時間がもったいない」

「わ、分かりました……」


 目の下のクマが酷いランスに促されながら、同行が決定していることを最も疑問に思うオズワルドであった。




 ♢♢♢




「――陛下、水出しの緑茶になります」

「あぁ、ありがとう」


 セレスティアの部屋にて、用意されたニダイの剣術に関する資料を脇に積み、何やら手紙をしたためるクロノ。


 メイドのモッブが横合いからワイングラスに注いだ緑茶を差し出した。


「エリカ姫と揉めてたようだけど、大丈夫だった?」

「はい。私をグラス様と疑っていらしたようですが、何故か今晩の献立を聞くなり溜め息を一つ溢して去って行きました」

「ふ〜ん、やっぱ変わった子だな」


 他愛無い会話をしながらもペンを進めること数分……。


「…………………ん、これでいいかな。じゃ、頼んだよ」


 手紙を配下らしき梟に預け、飛び立つのを見送る。


「寂しがり屋さんへの返事はこれでよしと」

「……寂しがり屋さん、ですか?」


 軽く茶器を整理するモッブが、一息吐くクロノと談話する。


「うん。新しく入った子でセレスと同じくらい頼りになって、セレス……より強いんだよね」

「っ……!?」


 突如生まれた動揺により食器が激しく鳴る失態を犯してしまう。


「も、申し訳ありませんっ」

「いや普通びっくりするよ。素の人間が遺物持ってるセレスより強いって、有り得ないもん。もしあの娘にあれしちゃったらもう……ひょっとしたら、ウチで…………」


 その者を思い浮かべているのか、徐々に独り言となっていき、興味深い最後辺りなどはモッブの耳に届くことはなかった。


「……でもセレスもすぐ強くなっちゃうからなぁ。昨日のニダイみたいに何でも斬るようになったらどうしよ」

「あの、陛下……やはり昨夜の衝撃は……」

「んっ!?」


 剣で負けた事実を隠蔽したいクロノは、昨夜はニダイ湖へ足を運んでいないと頑なに主張していた。


「……モッブ、今の発言は忘れなさい」

「……はい。忘れてしまいました」

「よろしい」


 やはり昨夜の大噴火を思わせる揺らぎは、この魔王によるものであった。


 だが以前は恐怖に凍っていたモッブは、魔王と二人の秘密を持てた事実にどこか不思議な感覚を覚える。


「さて、もう少し読み込んだら俺も出ないとね」

「何かご用があれば、何なりと」

「うむ」




 ♢♢♢




「――クリストフっ!!」

「ご無沙汰いたしております、エリカ様」


 豪奢な馬車の近くに立つ二人の人物に気付き、満面の笑みで駆け寄るエリカ。


 一人はライト王国において、由緒正しいフリード家の当主“リッヒー・フリード”伯爵。


 見た目よりも遥かに若くして当主となり、恐ろしい程に頭が切れると早くも噂される人物だ。


 そしてもう一人は“クリストフ・ピアーズ”。現在リッヒーの執事をしている【瞬剣】と称される元騎士であった。


 セレスティアに神速の抜剣を教えた人物である。


 白髪に顔は傷だらけ、腰に差したレイピアが飾りでないことは、服越しでも見て取れる鍛え抜かれた身体付きが証明していた。


「なんでこの町にいるの!? なんで挨拶に来なかったの!? 腰でも悪くしちゃったの!?」

「老体なれど、お陰様で未だ現役にございます。しかし……」


 自分の手を取りはしゃぐ、変わらない天真爛漫なエリカに微かに笑みを浮かべるも、すぐに顔に陰りを見せる。


「ご機嫌麗しゅうございます、エリカ様。この頑固者がご挨拶に赴かなかったのは、ライオネルに原因があるのですよ」

「……なんでライオネルが出て来るの?」


 朗らかなリッヒーの説明に、もはやライオネルには悪党の印象しかないエリカが眉根を寄せる。


「かつては自分の部下だった男が悪事に関わっていたからでしょう。私が朝一番に手紙を送らなければ、顔を見せるつもりはなかったみたいです」

「うわっ。ね、姉様の手紙なんて、来るしかないじゃん……」


 困り顔のセレスティアを一度目にして再度振り向くと、案の定クリストフはそれ以上の困り顔を見せていた。


 普段共にいるリッヒーでさえ、目にしたことのないクリストフの弱った表情であった。


「……セレスティア様、エリカ様。誠に申し訳ございませんでした」

「あなたが謝ることは何一つありません。ライオネルの悪事は本人によるものです。あなたは懸命に国に尽くしてくれましたし、その本人もあの日に既に両断されてしまいました」


 ふんわりとした慈愛の微笑で語りかけるセレスティア。


「もしそれでも気に病むのなら、エリカのことを頼みます。リッヒーもあなたも現状の予想はついているのでしょうが、私も他の者も忙しいので。――それでは、よろしくお願いします」


 キリエや騎士達を連れ、すぐに踵を返して去ってしまった。


 多忙な中、妹を託す為に無い時間を削ったのが分かってしまうだけに、クリストフも決して断れない。


「クリストフなら確かに安心だね! あのお調子者が帰って来るまでお願いするよ!」

「……お調子者というと、新たな護衛騎士に何か問題でもございましたか?」


 類は友を呼ぶのか、ソッドと唯一肩を並べる戦友だけあり厳格なクリストフの目が鋭くなる。


「全く……。エリカ様が宴を楽しまれるという時に君という奴は。馬車の準備が整うまで、小洒落た会話でお楽しみいただくべきだろうに……」

「…………」


 珍しくリッヒーの方から苦言を受ける形になり、クリストフが険しい顔で押し黙る。


「変わらないね、クリストフもリッヒーも。うんうん。それじゃあ、私狙われてるらしいからよろしくね?」

「お任せください。御身には不埒者の指先一つ触れさせませぬ」


 そして、馬車の支度が終わる頃に……リッヒーとエリカによって騒がしくなった馬車に、愛らしいメイド服姿のリリアが居心地悪そうに乗車し、出立した。


「まさか、このようなお可愛らしい少女が今代の剣聖とは。……クリストフ特製の焼き菓子はいかがですかな?」

「結構です。お役目の最中なので」


 素気無く断るリリアに、リッヒーは肩を竦め、クリストフは心中で感心した。


 先程の初対面でリリアのカットラスを確認した時点で、クリストフはリリアに好印象を感じていた。


 剣聖となっても上質な武器に胡座をかかず、しっかりと使い込まれていた。


「……おっ? お〜い、ハクト! 事件が解決したら私に教えに来てね!」

「あ、あぁ……お前の度胸がうらやましいわ……」


 門に身を預けて町の方角を見つめていたハクトに、通り過ぎる間際に声をかけた。




 ………


 ……


 …







 ソウマ等とオズワルドが去り、それから窓から身を乗り出して手を振っていたエリカが見えなくなってしばらく……。


 ハクトは未だ門に寄りかかり、町の方へと視線を向けていた。


 ただ眺める。


 屋敷の端でゆるりと槍舞を舞うアスラを気に留めず。


 分かってはいる。


 ブレンの命がかかっている特殊任務である以上、威力任せで不器用な足手纏いはいない方がいい。


 魔王の時と違い、自分でなければならない理由もない。自分以上の適任がいるのだから。


 それでも……恵まれない環境で来る日も来る日も剣を振る楽しげなブレンの顔を思い出してしまう。


「っ……!!」


 胸に走る鈍痛は、自身への苛立ちに変わる。


 思いのままに左拳を力任せに壁に叩き付け――


「――おっと」

「……え?」


 ぱしりと、乾いた音が鳴る。


「そんなことしたら怪我しちゃうよ? 殴り方もめちゃくちゃだ」


 怪力誇る自分の拳を軽々と受け止めていたのは、どことなく身近に感じる……黒髪の見た事のない男性であった。

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