第131話、女神にも見えぬもの

 

 熟練のメイドですら目の釘付けとなる優雅な所作で、会話の合間に紅茶を嗜む。


 作法に口煩い彼女が、王女とはいえ学生の一挙一動に目を奪われる。


「……ふぅ」


 丁度、二杯目が飲み干された。


 それだけの時間をかけたセレスティアの説得も、どこか虚ろなソッドには届かない。


 やれやれといった溜め息が、紅茶の熱気と共に口から漏れた。


「全霊を込めた我が剣は、今はもうあの湖の底へと沈んでしまい申した。剣士としての私は死に、残ったのは穏やかな死を待つ一人の老いぼれ。……どうしてもと仰るならば、あの娘をお連れください」

「キリエですか……。確かに剣の才には目を見張るものがありますが、あの子であってもあなたの代わりは務まりません。……………? あれは……」


 窓の外の人影に意識を向ける。


 その小さな子供は緑溢れる別館の裏庭にやって来ると、やる気を表す微笑ましいポーズの後に、木剣で素振りを始める。


 髪の色は亜麻色。


 代々のソーデン家に見られる濃い茶色ではなく、柔らかな色合い。


「……“ブレン”君は、今年でたしか六歳でしたか。たった一年見ないだけなのに大きくなりましたね」


 ブレン・ソーデン。ソーデン家の末弟である。


 純真無垢な年頃で、単純な斬り下ろしの型で剣を楽しげに振るっている。


「…………」


 思わずセレスティアの表情も緩む、おっとりとした大人しそうな子供の練習風景。


 しかし……それはあまりに拙いもので、才能に恵まれていないのは明らかであった。


「――何をしておるかッ!!」


 突如として豹変したソッドの怒声に、部屋にいたモッブとメイドがびくりと跳ねる。


 外のブレンも驚きにより、今にも泣きそうになりながら悲しげにしている。


「姫様に無様なものを見せるでないわッ!! お前が気を付けておかんでどうする!!」

「も、申し訳ありませんッ。ただちにお部屋にお連れしてまいります……」


 叱り付けられた老齢のメイドが、深々と頭を下げて扉から出て行く。


 その顔には冷や汗が張り付いていた。


「ソッド、頭を冷やしなさい」

「……平にご容赦を」


 息を僅かに荒らげていたが直ぐに整え、細くなった目付きのセレスティアへ謝罪した。


「……未だに認めてあげていないのですか。やはり私よりも余程のこと頑固ではありませんか」

「ソーデン流は強くなくてはなりませぬ。そうして何代も剣聖のお役目を果たして参りました。ソーデン家に生まれた以上、才無き者に剣を持たすことなどできませぬ」


 憤りはまだ治らないのか、眉間の皺は深い。


 やがて窓の外では、苛立ちを表したメイドと……ラギーリンがほとほと困ったという面持ちで俯くブレンへ諭している。


「……あのダークエルフの方には初めてお会いしたのですが、以前から交流があるようですね」

「ラギーリンと言います。もう数十年前になりますか……。数人の研究者達が遺跡やニダイの調査にこの町へやって来ました。その中の一人があやつです」


 ラギーリンがブレンを本邸へ返すのを促す様を見つつ、昔の思い出を語る。


「普段は教師としてこの家に置いておるのです。姫様がお出での際には、遺跡に調査に出ていましたな。奴はあのシーバー山の遺跡に取り憑かれておりますから」

「他の方は去ったのに、彼だけ残ったのですか?」

「……遺跡にて、一部が崩落し……」


 一人のダークエルフを残して、研究者達は消息不明。


 現在は立ち入りが禁止され、内部に詳しいラギーリンのみが仲間の捜索も兼ねて調査の許可を受けていた。


「ここ数年はキリエに剣に打ち込むようにと、ブレンに勉学させようと、研究しつつも世話焼きに苦心しておるようです」

「それは……子供思いな方なのですね」

「ふん、変人なのでしょう」


 鼻を鳴らしたソッドの言に、セレスティアが本棚に並べられたニダイに関する資料へ視線を流す。


 代々、ニダイを討ち取る為だけに研究しているソーデンの者達も、セレスティアには変人の類に思えた。


「…………」


 未だアルトなどとも遜色なく闘えるであろうソッド。


 先程の気迫からそう確信するが、どうやらこの頑なな老人を戦士に戻すことはできそうにない。


「――王女殿下。え〜、……準備が整いましたので、お呼びに参りました」


 扉を開けて一礼したラギーリンが、ぎこちなく報告した。






 ♢♢♢






 ソーデン家の食堂。


 通常であればセレスティアとエリカを迎える華やかな食事会でも行われるであろう食堂には、ぴりぴりと肌を刺す緊張感が立ち込めていた。


「……っ」


 上座付近をうろうろと忙しなく行き来するレンド。


 代々のソーデン家当主の特徴とも言うべき長く伸ばした濃い茶髪の三つ編みが、踵を返す際にマントのように翻っていた。


「……来られたようだ。お前達、傭兵や平民の粗暴さをくれぐれも悟られるな。ご本人がお気にされずとも周囲の騎士達は決して許しはしない」


 切羽詰まった領主レンド・ソーデンの言葉を選ばない物言いだが、部屋の者達に不満の色はない。


 何故ならそれは百も承知の上で、付け加えるならその姿を目にすること自体にも大きな価値があるからだ。


 そんな思いを巡らせ、出迎える為に椅子から立ち上がっている内に、静かに食堂の扉は開かれた。


「――皆さん、お待たせしました」


 セレスティア・ライト。


 旅の装いと言えど天女が舞い降り、その澄んだ声音に一礼も忘れて立ち尽くす。


「っ……」

「…………」


 誰もが息を呑む美しさと神々しさの王女が、金色の髪を靡かせて細長いテーブルの上座に歩み、黒髪眼鏡の使用人の引いた特別豪華な椅子に腰を下ろした。


 その日常的な一部始終さえも、よく完成された劇の一幕を観ているようであった。


「……お、おい、眩しいんだけど。目がチカチカすんだけど。キラキラしてんぞ、なんだアレ……」

「しっ、黙っててくださいよ。これ以上ソウマさんに巻き込まれたくありませんっ」


 護衛騎士と使用人を背後にしたセレスティアの清楚な美貌に、弟子を引き連れた炎の格闘家ソウマや巻き添えを食らった槍使いランスも圧倒される。


 魔王でなくとも、どのような手を使ってでも手に入れたいと思うのも頷ける美しさなのだ。


「さて、では早速始めましょう。この町と皆さんの存亡がかかっていますので、心して臨んでください。私のことも決して外へは漏らさないように」


 セレスティアが発した開幕の言葉に、彼女の完成された美に魅入っていた者達の意識が引き戻される。


 しかしそれでも豊かに実った胸などに視線が吸い寄せられるのを、止められない者もいる。


 やはりかと、それを察して焦るレンドが彼等が正気に戻る時間稼ぎにと……。


「……姫様、その前にこの者等……この町にいた手練れの傭兵達を紹介致しましょう」

「必要ありません。ここまでの道中、あなたの補佐役を務める彼から軽く説明を受けておりますので」


 レンドの気遣いを、セレスティアはラギーリンをちらりと見てから拒む。


「その、傭兵達にも分野で得意不得意がありますから、知っておいて損はないかと……」

「名前と性別以外は、今、実際に目にした情報で補えると思います。例えば……アサンシアさん」


 セレスティアの視線が、未だ立ち尽くすターバンを巻いた日焼けした褐色肌の女性傭兵集団の長へと流れる。


 数日前、荒くれ者共の大規模な乱闘騒ぎを彼女等のみで解決し、その実力をレンドに高く評価されてしまったが為に招集された。


「南方からキハナイ砂漠を越えて来られたようですね。身体付きも立派ですし、あの辺りで有名な二つの曲剣を扱う戦闘民族の方々でしょう」

「……如何にも。剣で有名なこの町には祖母が以前に訪れた事があり、我等も一度は来るべきだとして此度訪問した次第」


 ひらひらと露出度の高い民族衣装から覗く腹筋が八つに割れた、寡黙そうであった【踊る二刃シャラトラ】の棟梁“アサンシア”が、セレスティアへと素直に答えた。


 筋肉質な両腕には独特な模様の入れ墨がびっしりと入れられ、髪も細かく編み込まており、ソウマなどと比較しても十分に渡り合えそうな迫力である。


「ここまで大した怪我もなく辿り着いたあなた方は、正真正銘の高い実力の持ち主です。弓を使える方もいらっしゃるようですし、大きな戦力である事は疑いようもありません。……ね?」

「ご、ご慧眼、見事なり……」


 セレスティアの後光射す眩しい笑顔に、赤面した顰めっ面で頷くアサンシア。


「他にも、かの有名な武術家のソウマさん、突撃槍を扱う旅人のランスさん。単身であちこちを転々と旅できる腕前を持つデープさん。これに私達の用意する兵力を加えれば、きっと良きように対処できるはずです」


 僅かな不安や疑いもなく言い切ってしまうセレスティア。


 噂などを知らなければ、その美があれども世間知らずの姫が何を言うのだと憤慨する者も出たに違いない。


「では、ここにいらっしゃるという事は報酬と引き換えにご協力頂けると解釈しまして、早速本題をお話しします。……現在、このレーク周辺で問題となっているのは、ゴブリンなどの魔物を率いる知能を持った固有種が生まれたであろうと言うこと」

「っ……!」


 アサンシアや知らなかった者達は表情を一変させて騒めき、ソウマ達は頭を悩ます。


「よりにもよって、この端っこの町でなんだよな……」


 若く未熟な者達ならば、ラルマーン共和国などに有名な人間の魔物使いによる仕業ではないかとの疑問も出たことだろう。


 しかしゴブリンが使役されていた事から、この実力派の者達は魔物使いの仕業では無いだろうと勘付いていた。


 ゴブリンは悪童を通り名にされるように悪知恵が働き、非常に扱いにくくその割に弱い。調教したとしても、人などは平気で裏切る。


 故に最も可能性として高いのは、知能を持った魔物の誕生。同族ならば兵士として使役する事も可能だろうという考えであった。


「私達はその固有種が率いているであろう部隊の一つに強襲されました。ですがこれについては、攻め込まれる前に偵察して本隊を見つけ、その固有種を討ち取る。もう既にやる事は見えています」


 簡単に言うが、領主のレンドはこれまでも偵察隊を森に放っていた。セレスティアを迎える事もあり、徹底して魔物を見張っていたのだ。


 それが今回、徒労に終わった。


 つまりその固有種が本気になれば、偵察達の目を擦り抜けて本隊を動かせる可能性がある。


「仰りたい事も分かりますが……お伝えしたいのはもう一つの方です」


 セレスティアの雰囲気が、酷く真剣なものに変わる。


 背筋が自然と伸びる傭兵達を前に、セレスティアが告げた。


「覚えておいてもらいたいのは、この中にその固有種と繋がる……内通者がいる事なのです」


 動揺が駆け抜ける。


 知能を得た魔物の仲間が、このちょっとした空間内に紛れ込んでいると言う。


「ソーデン家の使用人なども含め、関係者の誰かが情報を漏らしています。秘密裏に訪問した私を襲撃したタイミングや地点を考えても、間違いありません」

「……何故、殿下を狙っていたと分かるのですか?」


 ランスが当然の疑問を提示する。


「それはね、さっきご丁寧に人族の文字で書かれた羊皮紙がこの屋敷の扉前に落ちていたからだ。かなり読み辛かったが、その中に奴等の要求が書かれていたんだよ」


 難しい顔付きのラギーリンが、深刻な状況を伝える。


「要求は、セレスティア王女殿下と『遺物』らしい」


 ……静まり返る室内。


 幾人かは、予想していた事なのか何の反応も示さず黙り込む。


 複数回、どこからともなく嫌な気を吐き出す溜め息が漏れるのを耳にし、ラギーリンが続けて口を開く。


「無論、引き渡すのはあらゆる意味であり得ない。殿下だけを引き渡したところでこの町がタダで済むはずもなく、逆もまた然りだ」


 ダークエルフのラギーリンは、その長い生での経験から断言する。


 酷く現実的に。


「そもそもライト王国の貴族として、姫様を差し出すなど論外だ」


 苛立ちから口調の強くなったレンドが、釘を刺すように言い放った。


「もう一つ言っておくと、アレ等を頼るのも無しだ。姫様の事も含め、情報を漏らすなよ」

「……【攻城兵団】だろ? 分かってますよ」


 クジャーロ国において、反乱軍に雇われ、たった五人で幾つもの砦を落とした経歴を持つ傭兵集団【攻城兵団】。


 そのリーダー“グンドウ”は、二人しかいないクジャーロ王から直々に勧誘を受けた人物であった。


 一人は誰もが恐れる【炎獅子】。この事からも、他国の者達はその名を聞くだけで震え上がる。


「だが内通者がいるのなら情報を秘匿としても無駄だ」

「アサンシアさんの仰る通りです。ですが一先ずは、皆さんの手を借りて周辺の森を捜索して固有種の発見を急ぎましょう。見つけさえすれば、あとは私が討伐します。内通者に関しては、これから調査を行います。必ずや明日中に暴いてみせます」


 アサンシアの懸念にも、手短に方針を示して打ち切る。


「それまでは皆さん、隣にいる者が魔物へ魂を売った裏切り者と疑って行動してください。皆さんならば心配無用と分かってはいても、確認の意味も込めて指示します。顔見知りだろうと完全に信じないよう徹底しましょう」


 透き通るセレスティアの双眸が、集められた者達を縛り付ける。


「今、この町にはエリカを始め、貴族や観光客なども多く訪れています。大騒ぎになると、それを収める為の人員を割かねばなりせん。その混乱時を狙われると非常に危険です。悟られないように慎重に行動してください。そして、万が一にも魔物達が総攻撃をしかけて来る気配があれば……そちらもご協力をお願いします」


 他国の者達が多いこの場においても、遺憾無く発揮されるセレスティアの威光。


 そのカリスマ性に魅せられ、強者達は手駒へと呑み込まれてしまう。


 だが逃げ場がないこの町の地形から考えても、才能や実戦経験を経て腕利きとなった自分達が手を貸さざるを得ないのは明らかであった。


「そ、その、あの事は……」

「あぁ、そうでした。これも伝えておかなければなりませんね」


 正真正銘の姫を前にし、恐る恐る話しかけた緊張に汗ばむラギーリンの助言に、セレスティアが付け加えた。


「どうやらその固有種達は……【黒の魔王軍】を名乗っているようなのです」






 ………


 ……


 …






 最も実力の高いソウマとアサンシアとを分け、魔王軍捜索の範囲や時間割などを決め、夕刻手前まで会議は続いた。


 それから魔王軍やセレスティアなどの機密を重々言い含められ、王女等は去った。


「……そりゃ、他国の者でも頼りたくなるよね。魔王軍って……。噂の通りなら、自分等もタダですまないよ……。魔術師で有名な【旗無き騎士団】の第一師団長をこの目にするついでの寄り道だったのに。とほほ……」


 その後の食堂で、顔色悪く頭を抱える者達がいた。


 椅子に座り、愛用の突撃槍を支えに前屈みでボヤくランス。


 公国からやって来たただの観光者のつもりが、他国の王女と出会い、町の存亡をかける問題に巻き込まれ、内通者の疑いまでかけられている不運な男であった。


「だからこそ使えるものは何でも使った方がいい。実質、命令されている立場だが、当然だ」


 肥満気味の腹の上で腕組みをする、痩せていれば精悍な見た目であろうと容易に想像できる顔立ちをしたデープ。


 言葉では理解を示しているようでも、その眉間には皺が寄っている。


「しかも内通者だって。順当に行けば、セレスティア王女の訪問を知ってた人達……領主やソウマさんなんだろうけど……。だけど多分、真っ先に疑われるのは……」

「他国出身の私達だろうな。私でも工作員として活動している者の可能性はまず疑う」


 ぐったりと疲労を隠せないランスとデープの神妙な会話。


「姫様と話していたアサンシアさん達は……もう偵察に行ったみたいだね」

「私達は夜でいいらしいな。今の内から寝ておいた方が――」


 渋顔のデープが与えられた客室で一眠りしようと立ち上がる寸前に、


「よう、お二人さん。夜まで暇だからどっか行こうぜ! 弟子のくせしてあいつら寝るんだってよ! 師匠を放って、ツマラねぇ奴等だよな!」


 ラギーリン達と軽く挨拶を交わしていた陽気なソウマが二人の肩を組み、脳天気に外出へと誘う。


 二人のコメカミには、血管が浮かんでいた。







 そして、専属使用人や護衛、そしてレンド達と共に用意された自室へ向かうセレスティアが、部屋を目前に何気なく語り始めた。







「……彼等にはああ言いましたが、魔王軍の戦力も分からず所在すら掴めない今、言葉を選ばずに言ってしまえば私達は不利な状況に晒されています」

「やはり、そうですか……」

「それと……」


 険しい面持ちのレンドへと、淡々と告げる。


「……詳しい説明はしませんが、その魔物と繋がる者は非常に冷酷です。手段を選ばない類の人でしょう。それこそ、町の人間を皆殺しにしてでも目的を達成しようという思考を持っています」


 凶悪な犯人像もそうだが、そこまで見通すセレスティアに一同は息を呑む。


「緊急連絡用の鳥に文を添えて飛ばしましたが、奇襲や挟撃のしやすい場所も多い道中です。軍が辿り着けたとしても早くて三日です。その間に必ず動くでしょうね」


 王国軍を停留させておける大きな街は離れた場所にある為、三日もしくは四日と予測する。


「ただ、今のところは攻めて来ないでしょう。もしその気なら全軍でとっくに街へ押し寄せている筈ですし、私への奇襲ももっと大勢でやっています」

「……何故なのでしょうか。犠牲を払いたくないと言う訳でもないでしょうし、遺物や殿下はそれ以上に手に入れたい筈ですが……」


 長命種でありソーデン家相談役のラギーリンさえも、不気味に思い理解に苦しんでいた。


「意外とそうなのかも知れませんよ?」

「手勢を減らしたくないと……? いくら知恵を付けたとは言え、魔物がそのような考えをするものでしょうか……」

「魔王の指示とは考えないのですか?」

「……お言葉ですが、魔王こそそうは考えそうもないのではと」

「それもそうですね」


 ラギーリンは今のやり取りで、自分達も疑われていると共にセレスティアに味方と思われていない事実を知る。


「内通者に策でもあるのか、一気に攻め込むと私が単独で逃げるとでも思っているのかも知れませんし……たとえばレンドならば、最悪の場合には私を逃す選択を取るのではありませんか?」

「それは……レークの町を思えば屈指の実力をお持ちの貴女様をお見送りするのは苦渋の決断ではありますが、おそらく私ならばそうご提案いたします」

「賢明なあなたならばそうでしょうね。お父様からも、もしもの場合は最優先すべきエリカともう一人を連れて避難せよと言い付けられています」


 レンド達に浮かぶ疑問。


 セレスティアは言うまでもなく、エリカも分かるが……最優先すべき者がもう一人?


 だがやがて、うら若き乙女の剣聖を思い出して疑問を脳裏から散らす。


「あと理由として考えられるのは……もしかすると、何か予定外の事態に陥ってしまい、慎重になっているのかも知れません」

「予定外ですか……」

「はい。ふふっ、あったでしょう? これ以上ないタイミングで現れた神の采配による奇跡が」


 ソファから立ち上がり、窓へと歩み寄る。


「そう……アスラさんです」


 窓の下で漆黒の戟を槍舞の動きで、ゆっくりと振る……鬼。


 武芸者多いこの町にあっても、実力の底知れない格の違う強者。


 対面するだけで死を予期する、疑いようもなく飛び抜けた屈指の武人。


「彼を上手く運用すれば、魔王さえ出現しなければ魔王軍といえど迎え討つ事は可能でしょう。……アスラさんを遣わしてくださった神に心から感謝してください」


 ほんの少し影のあるセレスティアの艶やかな流し目に、跳ね上がった心臓が痛む。


「冗談です。戯言と聞き流してください。……あなた達もここまでで構いません。とりあえずは、魔王軍に繋がる内通者に警戒しながら行動してください」

「はっ!!」


 気丈に命じ、騎士へ危機感を持たせる。


「はい、よろしい。ソウマさん達とアサンシアさんは必ず分けて行動させてください。それでは、私は少し休みますので」


 年相応の少女らしさへころりと変わったセレスティアが、レンド等や護衛を残して使用人の開けた扉から部屋へと入っていった。


「……なんというか、とんでもない方ですね。あの御方がいれば、本当に万事良いように事が運ばれそうです。一晩、私が書物に囲まれて研究に没頭している間に解決するのでは……?」


 長い間この町で歴史を研究しており、いつの間にかソーデン家の相談役となっていたラギーリンの面目も丸潰れの頭脳。


「そうでもない……と言ってやりたいが、あながち有り得ない話では無さそうだ」

「……もうかれこれ百年以上学者を名乗っているのに。頭を使う才能ないのかな……」

「嘆いている暇はない。セレスティア様がアサンシアに何やら手紙を渡していただろう。きっと探索や場所に心当たりがおありだったのだろう。先生、私達も手配を急ぐぞ。傭兵に遅れは取れない。手柄を取られてはその分報酬が上がるのだからな」

「馴染み深い町の人達の為と思って……やるかぁ……」


 失意のラギーリンを連れ、山積みの仕事を片付けに向かうレンドであった。




 ………


 ……


 …





「……行ったようです」


 扉越しに、レンドや騎士達の遠ざかる足音を確認したモッブが、セレスティアへ告げた。


 と共に、グラス姿から少女のメイド姿へと変化する。


 この王女が、必要性のない場合に自分がグラスの姿をとるのを嫌うからである。


「そうですか。……楽しみですね」


 言葉の狭間に、セレスティアから表情が抜け落ちる。


「楽しみ、ですか? セレス様が陛下以外に楽しさを見出すのは珍しいですね。内通者がどこにいるのか分からない状況でさえもその冷静さ、感服いたします。我等が魔王陛下もさぞお喜びになられるでしょう」

「…………」


 カーテンの開かれた窓に心待ち軽やかに歩み寄り、世界を酷く無機質に眺めるセレスティアだったが、モッブの素っ頓狂とも言える見解に僅かばかり目が細まる。


「あのアスラなる男は、陛下の配下の方なのですよね。リリアさん同様、私達の事情はご存知ないようですが……。もしや陛下がセレス様にお心を砕かれて遣わしてくださったのでしょうか」

「…………」


 自分の予想とは違う言であったが、抗える筈もなく微かに目元に喜びを表してしまう。


「不安なのは内通者の存在と、魔王軍ですか……。まさか本当に陛下の軍隊という訳でもないでしょうし、裏切り者までいるとなるとセレス様の身が心配ですね」


 淀みない足取りのモッブが、予め部屋に用意されていた紅茶の支度をしながら告げる。


 女神と称されるセレスティアへと用意されただけあり、カーテンや家具、小物に至るまで高品質のものを取り揃えてある。


 やっと落ち着ける、そうモッブが一息吐くタイミングで、セレスティアは嘆息混じりに口を開いた。


「……何を言うかと思えば。内通者ならば、もう三人にまで絞り込めています」


 いとも容易く紡がれたセレスティアの言葉。


「えっ……い、今、なんと?」

「でなければわざわざあのような・・・・・無駄な・・・会議など開きません」

「…………」

「その正体にも見当はついています。相手が起こすであろう今後の展開も大まかに読めていますし、いくつかの仕込みは既に終えました」


 現実に、開いた口が塞がらなかった……。


 セレスティアの頭脳が優れているのは嫌と言う程に経験して来たが、今回は……かの魔王に迫るのではと思う読みの深さと早さであった。


「私達がすべきは今ある戦力を使って騒動を収め、お伝えするのみです。我等の価値を……」


 “神算鬼謀”。いつか主を讃える際にセレスティアが使ったものだが、今のセレスティアは正しくその言葉を体現していた。


 背後の窓からの斜陽によりセレスティアの清廉な美貌は、影により暗く妖しく変貌していく。


 美しい少女の面影はなりを潜め、闇を宿した凍てつく彼女の一面が顔を出す。


 魔の美姫というのが相応しい容貌と智謀。


「逃げ道はなく、どこかに魔物の軍隊。ここには内通者が潜んでおり、手勢には私を敵視する【クロノス】の構成員。……しかし無事にやり遂げられそうですね」


 宝石のように麗しく妖艶な瞳の光は、威光の煌めき。暗がりの中でも鋭く輝き、此度の黒幕さえも利用しようと既に舞台を整え始めていた。


 レークの町にある駒を、手足を動かすが如く操る。


「失敗は許されません。これは、私に相応しい“席”を示すまたとない機会なのです」


(……『席』……?)


 確かにセレスティアは、席と口にした。


 モッブには心当たりのない言葉であったが、何故か自分も心惹かれるものを感じる。


 甘美なものというよりは、栄誉あるもののような印象を受ける。


「ただ……二、三、無視できない問題も残っています」

「と、言いますと……?」

「まず、時間が足りません」


 いくら魔物が出没したから通行を禁止すると言っても、腕の立つ護衛を雇っている商人などは聞く耳を持たない。


 宴が終われば去ろうとする者は必ず出る。


「『兇剣の宴』は明日が最終日。明日中に全て終息させるのはほぼ不可能です。一つ、強引に延長させる策はありますが、実現は出来ないでしょう」


 目を閉じて思考を巡らせ、集中して憂慮すべき点を述べる。


 エリカもそうだが、自分がここを訪れていることはやがて知れ渡るだろう。


 そこで商人や住民が虐殺されたとなれば、王女の失態とされかねない。


 ここのところの目まぐるしい現状で、それは避けなければならなかった。何故なら、ライト王国と言えど一枚岩ではないからだ。


「もう一つ、アスラさんが私の指示を聞く保証がありません」


 現状、誰も手が付けられない強さを誇る鬼。


「……浅慮かと存じますが――」

「それは最も避けなければなりません」


 モッブの言までをも先読みして返答する。


 自分達の素性を話して協力を仰ぐ、その案を素気無く却下される。


 当然ながらクロノの名を伝えれば、いかにあのアスラであろうと手を貸すであろう。


 しかしセレスティアの中にそれは選択肢の一つとしても有り得なかった。


「あなたは先程から、クロノ様がアスラさんやリリアさんに私達の事を伝えていない点を軽視し過ぎています」

「それはまさか……何か意味があってのことなのですか?」


 確信するセレスティアに、モッブは至急考えを巡らせる。


「私はてっきり、クロノ様がお伝えするのを……………後回しにしているものとばかり……」


 セレスティアの手前、ど忘れという単語を飲み込み、言葉を選び、尚も頭を働かせる。


「クロノ様にそのようなお可愛らしい一面があるのは事実です。ですが今回の場合は、故意に伝達していないと考えると全てが繋がるのです」

「……っ」


 言い表せぬ畏れを感じたモッブが、喉を鳴らす。


「…………」


 それはセレスティアさえも身の毛もよだち脱帽する深謀遠慮であった。


 ここレークの町を舞台に、取り巻く全てを己の意のままに動かす魔王の手腕。


 自分達は大いなる主の用意した盤上にある。


 そこで……。


「……あなたにももう分かるでしょう。これらの問題を解決して、ご期待を上回る結果をお見せしなければなりません。どこかでご覧になられているであろう、我らが主人に」


 浅はかさを自責するモッブが、意図せずして思わず呟く。


「まさか……既に私達の近くに……?」

「その可能性が非常に濃厚です」


 かの魔王は神出鬼没、姿も変化させることができ、いつ何時どこに潜んでいるのか誰も知り得ない。


 屋敷の者に成り代わっていたり、まさに今、部屋の隅の闇より生まれ出でても何の不思議もないのだ。


「きっとすぐ近くで見守ってくださっていることでしょう。退屈な思いをさせるなど言語道断です。……一流の歌劇をも凌ぐものをお見せして、我らでお楽しみいただかなければ」

「……微力ながら、お手伝いいたします」


 再び現れたセレスティアにある魔の女神の側面。


 自らの能力を疑いもせず、自信と使命を胸に艶やかに酷薄な微笑を浮かべる。


 そんな時である。


『姉様―――――っ!!』


 妖しげな雰囲気を打ち壊す快活な声が、扉越しに廊下より聴こえて来た。


 騒々しい足音と共に。


 どうやら本日の『兇剣の宴』より帰還し、その感想を姉へ告げにでも来たのだろう。


 そして許可を取ることもせず、扉を開け放ち踏み入って来た。


「……エリカったら、淑女がそのように――」

「面白い子拾ってきたよ!!」


 まるで道端で拾った子犬を見せびらかすように、抱えていたものを仮面を被り直したセレスティアの前へと突き出した。


「…………」

「…………」


 それは子犬でも子猫でもなかった。


「……ち、ちゅ〜うっ……」


 ぐったりと疲弊した黒髪の子供が、捕獲されていた。


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