第130話、謎の筋肉

 

 空の色を正しく反映した湖は、透き通るコバルトブルー。


 突き出る四つの塔を囲む、四隻の船。


 古来より続くレークの町の一大イベントに、住人達の熱意は凄まじく、伝染した観客も含めて皆一様に熱狂していた。


「あ、あつい……」


 湖を囲む白い岩々に設置された特別な観覧席は、降り注ぐ陽光と水面からの照り返しにより、灼熱と化していた。


 湖上を行く船から轟く町の者達の怒号で、一際高い崖に作られた特別席が震える。


「エリカ様、おしぼりをお持ちしました。冷たいですよ、ど〜ぞ」


 屋根があると言えど熱気は防げず、その身には大き過ぎる椅子でぷらぷらと足を揺らしていたエリカの横合いより、冷やされたおしぼりが差し入れられる。


「おぉ、ありがとう。“キリエ”は気が効くね、ふぃ〜……」

「……鈴が付いてるんですね」


 左右に纏めて垂らした豊かな茶褐色の髪が、エリカの視界の端で揺れる。


 手元を覗き込んだソーデン家の長女キリエ・ソーデンを見返し、刀を持ったまま顔や手を拭いていたエリカが苛立ちながら答える。


「旅の前にうちの師匠が失くさないようにって鞘に鈴を付けたんだよ。小さい子供扱いしなくったって相棒なんだから肌身離さないのにさぁ」

「エリカ様の師匠?」


 学園の四年先輩であるキリエはこの催しに合わせて帰省しており、エリカの入学時から顔を合わせてはいなかった。


 だからこそ、御前試合でゲッソに圧勝したことから何から何まで気になっていたのだが……。


「……その人って、そんなに強いんですか?」


 柄の長い長剣を背負うキリエ。


 学園ではセレスティアに次ぐ剣の実力を持つ彼女は、気の強そうな見た目と違い誰とでも親しげに接することからエリカと気の合う友人同士の間柄であった。


 以前より才を感じていたエリカの師だけあって興味をそそられ、祖父譲りの鷹の眼光が細められる。


「ん? まぁ……ものすんごく強いけど、米を見たら興奮するし、サンタとかいう髭のおじさんが好きだし、すっごい変人だよ? あの男は」

「米を見たら興奮する……? 髭のおじさんが好き……? それは紛うこと無き変人ですね……」

「でしょ〜? しかも……これ内緒なんだけど、ズルして学園で使用人してるんだよ。米を広める為に」

「ライト学園に不正してる使用人いるの!? しかもエリカ様それ知ってて内緒にしてんの!?」


 周囲に誰もいないが一応と、こそこそと耳打ちするエリカだが、それを聞いて仰天したキリエは素の口調が出てしまう。


「専属として雇ってあげるって言ってるのに。頑固と言うか、型破りだよねぇ」


 やれやれと肩をすくめるエリカ。


「確かに、法っていう社会の型をばっちり破っちゃてますね……。雇おうとするエリカ様も十分型破りだし……」


 入学以前より交流のあったキリエでさえ理解できないといった視線を向けるも、エリカは気にせずに続ける。


「キリエもタイミングが悪かったね。剣聖と言えばソーデン家なのに、この催しのタイミングでなんて。リリアちゃんの師匠なんてあの黒騎士だし、キリエがいたら剣聖選定会も凄く熱いものになったかも」

「この実家の手伝いだけは疎かに出来ませんから仕方ないですよ。私は父等ほど剣聖に拘ってませんし。……でも……」


 鷹の眼が、エリカの隣でニダイを食い入るように見るリリアへ流れる。


「黒騎士ですか……。こんな田舎にまで轟く武勇ですし、いつかこの目でその戦い振りを見てみたいものですね」

「…………」


 その何気無く漏らされた小さな呟きに、小さな剣聖がじろりとキリエを睨み上げる。


「えっと……」


 睨んでいたつもりがないだけに、リリアの敵意ある視線にキリエも怯む。


「敬称を付けて。王や王女様なら目を瞑るけど、黒騎士様を知りもしないあなたが呼び捨てなのは気に入らない」

「そ、そうだったんだ。ごめん、気を付ける……」

「…………」


 困惑気味のキリエと、少し言葉に刺があったかもと俯くリリア。


 道中でリリアの貴族嫌いな一面や御主人様大好きな面を知っていたエリカは、藪をつついて蛇を出さぬよう静かに横目にしていた。


「……………はぁ!?」


 そしてふと視線を下へ戻すと……ある一隻の船に取り付けられたものを目にし、驚愕する。


「――キャハハハハハハッ!!」


 船から上がる耳をつんざく少女の笑い声。


 狂気めいたものを内包するその笑い声を引き金に、ニダイへと矢が放たれた。


「ば、大型弩砲バリスタ!? あんなの使うの!?」

「…………」


 エリカもリリアも目を剥く。


 幾らなんでも、攻城を目的とする巨大な矢を放つ兵器を宴に使うなど、予想もしていなかった。


 魔術などは見た事があったが、本格的な兵器の使用は安全面や経費の問題から宴とされた頃より禁止にされたと聞いていたのだ。


 しかし――


「……――――」


 徘徊していたニダイがふと立ち止まり、右方より迫る大矢へと……尖鋭な柄頭を翳す。


 刃は下ろしたまま地面を支えに、ニダイは軽く手を添え、柄を傾けるのみ。


 すると、風を裂きニダイへ疾走していた矢の先端と魔力の込められた柄頭の一点が寸分違わず衝突。


「キャハっ!?」


 剣戟音とも炸裂音とも違う、短く鈍い高音が生まれる。


「……無駄なのに。あんなのニダイに効く訳ない」


 無感情そのものであるキリエの冷めた呟きと共に弩砲の矢はニダイの魔力を浴び、水面へと落ちる前に砂状となりて風に流される。


 やった動作は単純そのもの。ただ剣を傾けただけであった。


 そして再び、ニダイは徘徊を始める。


「…………」

「退け、【弩砲バリスタ】。おめぇじゃ奴さんはヤレねぇべ」


 呆気に取られるクマの酷い病的な少女の背後より、大きな丸い男が歩み出る。


 筋肉質と言うわけではなく、ただ肥満故に大柄なその男。


 だが次の瞬間、男の印象はがらりと変わる。


「ここはオラが行く。……オラッ、オラオラオラァーッ!!」


 大人の頭ほどもある石に油を染み込ませた布を巻いて、火を付けた特製の球を次々と投擲する。


 普段から鍛えている大人と言えど数メートル先にも届かせられないであろうサイズの石を、素手・・でニダイへと。


 矢と変わらない速度で飛んで行く火球はニダイへと降り注ぐ。


「…………」


 ニダイが今一度立ち止まる。


 独特の片刃剣が、青い魔力を宿して回転を始める。


 指や手首で巧みに回される剣は目にも留まらず、その場から一歩も動かぬままに岩の火球を破砕する。


 やがて青色の軌跡を描いた回転は降りかかる全てを砕き、白き砂へと散らしてしまった。


「お、オラの球が……全部……」

「キャハハっ!! 【投擲オナガー】だって失敗した! ダッサぁぁ!!」

「止めねぇか!! その口閉じねぇと痛い目見っぞ!!」

「キャハハハ!!」


 どことなく嫌な気質を持つ男女であったが、例年と一風変わったニダイを目にでき、観客は興奮し歓声を上げていた。


「……もしかして、あれがそうなの?」

「はい。およそ一年前からこの町に住んでいるクジャーロの者達です」


 不信感を露わにするエリカの問いに、これまでよりも遥かに低い声音で返した。


「この町で大きな屋敷を買って、ここに住むと断言されると宴への参加は断れず。兄さんもニダイがやれるやもと、許可してしまいました」

「ふ〜ん。……キリエは嫌みたいだね」


 見上げるエリカの視線に、はっと我に帰り私情を持ち込んだ言を顧みる。


「姉様も言ってたし、バレバレだよ。気にすることないんじゃない? あんな事があったんだし」

「……そうですね。でははっきり言ってしまうと、私は元からこの宴が嫌いなんです。父さんやお爺様の件を別にしても」

「そうなの……?」


 キリエの父がニダイに殺されたが故の不機嫌だと考えていたエリカが不思議そうにする。


「はい。……国堕としの凶人と言っても、こんな晒し者みたいなのは恥ずべき行為ですよ」

「あらら、あのお兄さんが聞いたら間違いなく怒るね」

「アハハっ、でしょうね。兄さんには言わないでくださいね?」


 お茶目に唇に人差し指を当ててウィンクするキリエは、元の明るさが戻っていた。


 そんな二人の会話に見向きもしないリリアは……。


「…………」


 愛らしい顔で目一杯真剣に、ニダイの動きへと注目していた。


 片刃の剣が描く、鮮烈な軌跡。


 無駄に見えるも、酷く効率的。


 豪快に見えるも、神がかった精密さ。


 その唯一無二の卓越した剣は目にしたものを魅了する。


 芸術的に美しく、絶景の如く心動かされる。


 有り得ない、だがどうしても脳裏を過る。


 あれはまるで……。


(……クロノ様みたい……)




 ………


 ……


 …






 特別に用意された王女エリカと【剣聖】リリアとは別に、ハクトとオズワルドは反対側にある一般席にて『兇剣の宴』を観戦していた。


「……只者ではなさそうな人が混じっていても、何ら痛痒は与えられないんですね……。あれを何とか活用すれば、魔王にも通用するんじゃないですか?」

「正直、剣なら魔王にも勝てると思うんだけど……。呪いであそこに縛られてるし、強くて手が付けられないし、とにかくあそこから動かせないんだよ……」

「……よく考えたら、僕らで思いつくような事は大人達でも思い付くだろうし、できる訳ないってことですよね。だって大昔からここにいるんでしょ? 数え切れない人々が試してるはずですね」

「そう言うことだ。……見ろっ、また始まるぞ!」


 特設された湖を囲む観覧席にて、オズワルドが改めて湖に視線を向ける。


「新入りに遅れを取るなっ!!」

「撃て撃て撃て撃て撃てーっ!!」

「次ぁ槍だ! 担当の奴前にでろやぁぁぁああ!!」


 それは、噂に聞く海戦そのものであった。


 船に乗り込んだレークの町の男達が迸る汗もそのままに、次々に矢を放ち、槍を投げ付ける。


「…………」


 水の上を歩くニダイ、たった一人へと。


「どうだ? 何度でも来たくなる気持ちが分かるだろ? 町の男達が狂気の剣士ニダイ一人と戦をするんだ。あのジューベすら凌いだニダイの剣を見られる数少ない催しなんだからな」

「…………」


 何度目かも分からないハクトの自慢げな声掛けにも、答えられないオズワルド。


 常識的に考えれば、それは気持ちのいいものではない。


 なんでも、あのニダイは湖に沈んだ旧城跡……今ニダイがいる塔に囲まれた範囲から出られないそうではないか。


 来るものしか迎え討てず、自分からは仕掛けられない。


 己の範囲外からは一方的に攻撃を受けるのみ。


 だが……。


「…………」


 ニダイの瞳に灯る、青い光。


 右腕のみで剣を振るう孤高の怪物は、矢であろうが槍であろうが、城へと立ち入る全てを排する。


 呪縛された身にあるその使命に従い、刻まれた剣技が翻る。


 青みの鮮やかな魔力の刃が、流麗に振るわれる。


 四方八方よりぶつけられる怒号も容赦の無い投擲物も、一切の立ち入りを禁ずる。


「――――」


 乱舞の如き剣を披露していたニダイの体が、僅かに沈み……前のめりに傾いた。


 そう視認した時、その姿が消える。


「消えたっ!! またアレですか!」


 十メートル程の距離を瞬間的に移動したニダイ。


 残した魔力による青色の残滓が、全方位からの射出物を一つ残らず『塩』へと変える。


 それらは旅立つ鱗粉の如く、風に乗って空へ舞い上がる。


 観客が期待していた大自然の絶景にも似た現象、『塩の奇跡』。


「…………」

「えっと、『縮地』だっけか。昔の人の歩法だって前の時にセレス様に教えてもらったんだ。オレ達もいつかあんなのが出来るのかな……」


 開いた口の塞がらないオズワルドへ、ハクトが懸命に解説を試みる。


「――ん〜むっ、勉強熱心なのは良いことですね」

「ッ……!?」


 ぞわりと、嫌な感覚が肌を走る。


 好意的で常識的な口調からは信じられない怖気。


「たいへん喜ばしい。この晴れやかな空にも似た、とても気持ちのいい方々だ。……こんにちは、驚かせてしまいましたか?」


 二人の両肩は岩と紛う重量の分厚い手が置かれ、葉巻を咥えた四角い顔面が背後から覗く。


 にこやかな表情を浮かべたオールバックの男。人の良さそうな垂れ目と厚い眉、口元を覆う手入れされた髭。


「…………」

「うっ……」


 恐る恐る男の身体へ目を向けた二人が見たのは……巌であった。


 アスラ程の背丈はないが、とにかく横へ大きな筋肉。


 今にも弾けそうな白い高価であろうスーツと品のある物腰が無ければ、場所も弁えず悲鳴を上げていたことだろう。


「おおっ、私を目にしても声一つ上げないとは。やはり将来は歴史に名を残す方々に違いない。――隣を失礼しますよ」

「うおっ!?」

「匿名希望のおじさんと、ニダイ見物と洒落こもうではありませんか。……ビスケットでも食べますか?」

「い、いや、いい……って、粉末じゃないか!!」


 いきなりハクトの隣へ腰を下ろした大迫力の男が、内ポケットから取り出した……が、袋の中のビスケットは粉々になっていた。


「ノッホッホッホ!! これは参ったっ。わ、私の胸の筋肉でビスケットがっ、こなに、粉に戻ってしまった! ノッホッホッホッホ!」

「な、何がそんなに面白いんですか。その今にも爆発しそうな筋肉で生きて来たならそうなるのは予想できたでしょうに……」


 男の陽気な人柄に、オズワルドも先程の悪寒は気のせいと会話に参加する。


「いやはやっ、私は世にも珍しい人間とドワーフとの間に生まれた子でして、元来筋肉の付きやすい体質なのですが、まさかビスケットを食べるのに難儀するとは!」

「いえ、管理の仕方に問題があったんじゃないかと……」

「……私が悪いと?」


 凍り付くオズワルド。


 謎の男は笑みを浮かべたまま。口は三日月の如き曲線を描いていた。


 しかしその無機質な瞳は、物理的に押し潰されんばかりの圧迫感を宿している。


 まるで、――アスラのような。


「その通り!!」

「ムギュっ!?」


 オズワルドの手をハクト越しに両手で掴み、笑顔で感激する男。


「私、こう見えて力には少しばかりの自負があるのですが……」

「そ、そうでしょうね。老若男女種族問わず、誰がどう見てもそうです……」

「それ以上にここが弱いのですよ。弱くていけない。単純な思考しか出来ないのです。中々そこを指摘してくれる者がいないので、あなた方とはいい友好関係を築けそうだ」


 自身のコメカミを指で示して戯ける男だが、オズワルドは自身の手に伝わる男の力強さに冷や汗が流れる。


 柔らかく包まれているだけだが、本物の鉱石を思わせる硬さと重さであった。


「ん? おっと失礼っ」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「ん〜、これはいけません。汗だくではありませんか。私の連れが飲み物を買いに行っておりますから、それをどうぞ」

「す、すまない」

「いえいえ、きっとお気に召しますよ? 問題があるとすれば、一口飲んだだけでカーっと熱くなって、人によってはフラフラになりますが――」

「それ酒じゃないのか!?」


 筋肉によりすり潰されかけていたハクトと男が騒がしく会話するも、オズワルドは離れた男のパワーを思い、ふと呟いてしまう。


「……まさか、このレベルの人に一日に二度も会うなんて」

「…………」


 ハンカチでハクトを仰いでいた男の目に、関心の色が浮かぶ。


「誰かとお会いしたのですか? 宜しければ、お教えください」


 顔を見合わせる二人。


「意地悪をしないで、ね? お願いします。今度は本当にお飲み物をお待ちしますので、ね?」


 二人は、調査の為に森に魔物が出て数日町から出られない旨を通達せよと、セレスティアが命令をしていたことを思い出す。


 故にこの男に、凶悪な魔物であるオーガの死に様を伝えても問題ないであろうとして詳細を省き、ある鬼の所業を話す。


「なんとっ! オーガの心臓を素手で……。いやぁ、世の中には破茶滅茶と言いますか、とんでもない事をしてのける方がいるのですね」

「やっぱりあなたでも驚きますよね……」

「ふむ……。えぇ、これは胸躍る面白い話が聞けましたね。帰宅したら仲間達にも聞かせてあげましょう。やはりあなた方に声をかけて正解でした。ノッハッハ!! 愉快愉快!!」


 岩肌を打つような音で膝を叩いて歓喜と興奮を現す男。


 周囲の熱気とは違う類の熱さに浮かれているように思えた。


「スゥ……ムフーッ!!」

「煙たっ!? ケホっ、コホっ」


 昂ったままに葉巻を吸い込み、鼻からハクトを覆うほどの大量の煙を出す。


 陽気な男ではあったが、ここまで機嫌が良くなるものなのかと若干の疑惑が生まれる。


「で、でもまぁ……みんな腰が抜けてたもんな」

「僕も黒騎士と会った時のことを思い出して、脚がガクガクでした。」

「でもなんかエリカと仲がいいみたいだし、もしかしたら一緒に魔王と戦ってくれるかもな」

「僕の見た限りだと仲が良いとは違いそうですが、そう期待せざるを得ませんね」

「……あれ?」


 ふと隣が涼しいことに気づき、目を向けると、


「……いなくなってる。あんなに大きい人なのに、全然気付きませんでしたね……」

「あ、あぁ……それもあるけど結局さ、飲み物もビスケットもくれなかったな……。いや欲しかった訳じゃないけど、なんか腑に落ちない……」


 筋肉の塊のようであった男は、その姿を忽然と消していた。

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