第129話、ソーデン家
「……ふむ、“クリストフ”」
「はっ、何か御座いましたか?」
レイピアを腰に差した長身の老執事へ、一人の青年貴族が嬉しさの滲む声音で呼びかけた。
細い釣り上がった目を更に細め、宿の窓から下を通る馬車等を見下ろして問う。
「あれにはセレスティア様がご乗車されていると思うのだが、君の意見はどうだろう」
それに対し、口髭を撫でた執事は即答した。
「領主様の集めた私兵の数は例年と変わりません。いえ、むしろ例年以上。エリカ姫様の為だけの警備にしては、少々厳重。その可能性は濃厚かと」
「まぁ、そうだろうな。気付く者ならば気付く程度だが、レンド君はもう少し上手くやるべきだったかもしれない」
好物のクリストフ特製焼き菓子を摘み、フレッシュな果実ジュースで喉を潤す。
「とは言え……えふっ、えっへんっ! え〜っへん!! んんっ……とは言え、仕方ないとも言える。我等が王国の麗しき姫君をお二人ともお迎えするとなれば、最も避けなければならないのはその身の危険」
焼き菓子で乾いた喉が潤い切れておらず、堪らず咳払いしたのをクリストフに目付きで咎められながらも、青年貴族は気にした様子もなく語る。
「周囲に情報が漏れる危険性よりも当然優先すべきだ。若き当主の彼を責めるべきではない」
「貴方様がお力を貸せば良いだけですからな」
「勿論だとも。名誉ある伯爵位を継承された身として、お呼びがあれば積極的に助力するとも」
「……呼ばれなければ手を貸さないと。それを積極的と言っていいものですかな。“フリード伯”ともあろうお人が」
高名な騎士であった【瞬剣】クリストフの容赦ない物言いにも、青年はどこ吹く風だ。
「退役した後も王国への忠義心が少しも薄れないのは見事だが、心配せずともお呼びはかかる。必ず」
「ほぅ……」
青年の断言に感心するクリストフ。
「……必ずな」
そう言う青年の蛇の如き眼差しは、外の馬車にある真新しい無数の傷を見ていた。
♢♢♢
「――やっと着いたぁ……!」
馬車から飛び降り、猫のように伸びをするエリカ。
オレンジのレンガ造りで、高さの統一されて連なる家々。
古来より続く独特の街並みを抜け、唯一二階以上ある広い敷地を持つ領主邸へ辿り着いた。
「無事のご到着、心よりお待ちしておりました」
「お久しぶりです、レンド」
隣では、セレスティアが現在のソーデン家当主“レンド・ソーデン”に出迎えられていた。
齢二十八にして当主となりレークの町を任され、今年三十を迎える彼の顔には普段見られる事などなかった冷や汗が滲んでいる。
「エリカ殿下もさぞお疲れでしょう。入り用のものはうちの者共に何でもお申し付けください」
「うん、ありがとう」
決まり文句に短く返事し、王女達の美貌にいつもながら驚嘆して固まる使用人達の前を迷わず歩いていく。
「レンド、分かっているとは思いますが、すぐに関係者を集めてください。ここを訪れている貴族等には……あとにしましょう」
「はっ、かしこまりました。……誠に申し訳ございませんでした」
「まだ何とも言えません。とりあえずはこちらで雇ったアスラさんの部屋などの手配も同時にお願いします。私は早速ソッドの顔を見に行きますので」
「準備が整い次第、お声がけ致します」
「はい、それでは」
終始頭を下げっぱなしのレンドに端的に告げ、セレスティアはグラス姿の弟グラズとリリアを連れてエリカに続き、さっさと屋敷へ足を向けた。
「……な、なんの話だ?」
「僕に聞かないでくださいよ……。お姫様とお貴族様の会話は遠回し過ぎて何がなんだか分かりません」
馬車から頭を覗かせ、ただならぬ雰囲気の会話を聞いていたハクトとオズワルド。
「――お〜い、先生。もう一隊いたから倒して来たぜ」
レンドの背後に険しい顔付きで侍っていた眼鏡をしたダークエルフの男性。
親しい者からは先生と呼ばれるそのダークエルフの優男“ラギーリン”に、馬で駆けて来た名高き武闘家ソウマ・ガンが声をかけた。
「も、もう一隊? その魔物に乗ったゴブリン軍団が更にいたのかい?」
「……頭痛がする。まだまだいるようだ。それらが本隊とは思えない」
ダークエルフは驚愕により眼鏡越しに目を剥き、レンドは片手で頭を押さえてひたすらに嘆く。
「オーガもな。ランスと、このデープがいたから楽に殲滅出来た。並の奴等じゃあっという間に喰われてるな、ありゃあ。いくつか手がかりらしきものも持って来たから安心してくれ」
ハクトとオズワルドの空いた口が塞がらない。
何故なら、ソウマ達は先程の戦闘時に援軍に駆け付けた一団の中にいたのだ。
そして、件のゴブリン軍団の調査の為に周囲を捜索する為に三人だけで森へと踏み入っていった。
それがまさか、この短時間で先程と同規模の魔物達を三人のみで打ち倒し、自分達と同時刻に帰還しようとは思いもしなかった。
武闘家、槍、デープは腰元にあるメイスと盾。近距離戦のみの編成であったことも驚きに拍車をかける。
「ほとんどソウマさんが倒していたけどね。自分を彼と同じ力量と思って無茶を押し付けるような事はしないでもらいたいかな」
「…………」
困り顔のランスの苦言に、太っちょのクールな騎士“デープ”も頷く。
「どちらにせよ、これからの話し合いには参加してもらう。ランス君達は無関係だったが、その特殊なゴブリンと戦ったのなら最早関係者として扱う」
「……ソウマさんに誘われるがままに付いて行くんじゃなかったよ」
そう言うランスの鎧や身体には擦り傷一つなく、かなりの実力があるのは誰の目から見ても明らかであった。
「……ふぅ」
勿論、盾とメイスを装備したデープに関しても同様である。
溜め息を吐きながら、見た目とまるで反する身軽さで馬から降りた。
「まぁそう言うなよ。報酬はもらえるだろうぜ?」
「道を空けろ」
「ッ……!?」
ぞくりと、ソウマの背筋が冷たく震える。
「――ヌォッ!?」
前にいたデープの馬が真後ろに生まれた驚異的な存在に驚き、暴れ出す。
大地を駆け抜ける駿馬の強靭な後ろ脚が、跳ね上がる。
その力は人間の骨を易々と砕き、頭蓋骨を陥没させる馬の蹴り。
無論、爪には蹄鉄も打たれている。
「…………」
だが鋼鉄の蹴り脚は鬼の掌により難なく止められ……鈍い音が響くも鬼は特に何を言うでもなく、唖然とするソウマ達の間を悠然と通り抜けていった……。
「……レベルが違うね。多分、武王よりも強い。多分だけど……」
「俺は……流石にラコンザの爺さんより強いって事はないと思うが……ありゃ俺らにゃ太刀打ちできねぇな」
程度は異なれども、危機感からかランスとソウマにも脂汗が噴き出ている。
「流石は思慮深きセレスティア殿下が雇った護衛だ……」
「ラギーリン殿と言ったか……。それよりもだ。私はあちらの姫殿下が乗っているとは知らなかった。知っていたら断っていたんだが? 私は問題ごとに首を突っ込む性分ではない」
ダークエルフのラギーリンへ、恨めしげなデープが棘のある口調で追及する。
「……予定より遅れていたので、あなたやランス君にもお手伝い頂きたく意図的に伏せたのは事実です。誠心誠意謝ります。ですが、あのセレスティア殿下の馬車に万が一があるのではと考えなければならないレンド様と僕の心情も察してください」
ラギーリンが眼鏡を押し上げて謝罪とは到底呼べない言い訳をつらつらと述べる。
当然、重要な情報を知らされずに連れて行かれたデープの苛立ちは逆撫でされ、眉間にこれでもかと皺を刻む。
「あ〜、デープは知らなかったのか?」
「言っておくと、自分も知らされてなかったよ? ソーデン家と親しくしていたソウマさんだけだったみたいだね、知ってたのは」
「マジかよ……」
デープ程でないにしろ、ランスもソウマに苦々しい視線を向ける。……偶然に宿屋から一緒になった自分と、緊急的に呼ばれて領主館へ向かう道中、その直前にいただけのデープを引っ張って馬に乗せたのだから。
「すまないが、ランスもデープも会議に参加してもらう。これは姫様の御命令だ。拒否はできない」
「まっ、そうだろうね……」
レンドの意味深な物言いにも、予想していたデープとランスは仕方なしと諦めている。
「……オズワルド、何がどうなってるんだ?」
未だ馬車の中から、外の剣呑なやり取りを見ていた少年達。
「お恥ずかしながら……僕達には勉強が必要としか分かりません」
「そっか。なら俺らも部屋行って用意して、早速ニダイを見に行くか」
「……そうしましょうか。騎士様方も荷物を持って入り始めましたし、エリカに付いて早く見物にいきましょう」
ハクトと同レベルの答えしか出せない事に、内心で深く傷付くオズワルドであった。
♢♢♢
屋敷と別にある別館一階、庭の花々が見える静かな一室。
「――ご機嫌はいかがですか、ソッド」
ベッドで外を眺めていた茶褐色髪の老人に、静かに入室したセレスティアが声をかけた。
「っ、姫様っ、いらっしゃったのなら出迎えに――」
「そのままで構いません。あなたなら意地のままにそうするでしょうから、私が予め、あなたが無理をしないようにとレンドに言い含めておいたのです」
セレスティアの先々代【剣聖】、ソッド・ソーデン。
歴代最長の期間を剣聖として戦い抜いた伝説の剣士である。
三つ編みの長髪をした、病床にありながら未だ引き締まった筋肉を持つソーデン流剣術の達人だ。
「……ご厚意に甘えなければなりますまい。姫様は私に負けない頑固さでありますからな」
「心外です。あなたより頑固な者など数える程しかいないでしょう」
「その筆頭が姫様なのでしょう」
「……まるでお父様のお小言が始まったみたいですね」
「ふっ、賢王たる陛下と老いぼれを比べてはなりません」
ソーデン家の使用人すら初めて見る、厳格なソッドの口の端に浮かぶ笑み。
目を疑い、目元を裾で拭う者までいる。
「それで、そちらは?」
「そうでした。……紹介します。今代の【剣聖】リリアさんと、使用人のグラスさんです」
セレスティアの綺麗な指先がリリアとモッブを指し、順に一礼してソッドへ挨拶する。
特徴的な黒っぽいメイド服姿のリリアに、疑うような目付きを向けるもやがて合点がいったのか……。
「……グラスとやらはともかく……………リリアとやらはまだまだ強くなりますな」
「流石はソッドですね。見ただけで分かりますか。ですが私もそう思います。旅の間にもまた上達しているようなのです。人を斬った経験がないのが少し不安材料ではありますが、それも追々解決するでしょう」
品定めするソッドの目は、鷹の如く鋭くリリアを突き刺す。
思わずリリアも息を呑むほどの迫力であった。
「“人を斬る”か……。その経験は褒められたものではなくとも、時に才以上に勝敗を分かつ。決定的な場面では特にだ。それを心に留めておけ」
「えっ、あ……はい」
口調の強さよりも諭す思いを感じ取り、素直に返答するリリア。
「殺されるくらいなら殺せ、とでも覚えておくといい。所詮、耄碌した老骨の戯言だ」
「…………」
伝え聞く勇壮な剣豪としての姿はなく、枯れ葉の如き儚さすら感じる。
病と言えど、道中でのセレスティア王女との談話の限りではそこまで重度なものではないと聞いていただけに、気構えていたリリアは肩透かしを食らっていた。
「リリアさん、そろそろ湖に向かう頃合いでしょう。私は心配いりませんので、エリカ達をお願いします」
「……そうですか、分かりました。――それでは」
セレスティアへ一礼し、特に言い残すこともなく去っていくリリア。
その小さな背を見送り、ソッドが改めて口を開く。
「姫様、久方ぶりの談笑もよろしいですが、私に何か御用があるのでは?」
「……危険を冒してここまで赴いたのです。お分かりのはずでしょう?」
「…………」
「クジャーロ国との戦が始まる可能性があります。あなたに軍に戻って頂きたく思い、陛下の許可を得てこの町へ参りました」
予想通り……セレスティアの遊びのない言葉選びさえ、ソッドが思い描いたままであった。
一つ、予想が外れているとすれば……。
「……他にも目的がおありなのではとも思いますが、それよりも……魔王の方はよろしいのですかな?」
「魔王に関しては、今のところ打つ手がありません。陛下は秘密裏に対策を進めておりますが、マートンなどは【炎獅子】にぶつける策などはどうかと、実現できるかも怪しい案などを打ち出している始末です」
「あのクジャーロの大将軍に……。……それほどまでの脅威ですか」
存外に深刻な国の実情に、ソッドが難しげに眉をしかめ……瞑目する。
「――私ではお役に立てますまい」
「理由をお訊きしましょう」
静かな室内、老いた身体でするゆったりとした呼吸を三つ。
たったそれだけの時間の内に結論を出し、セレスティアの誘いを断ってしまった。
「単純明快。最早、この手には剣を握る力も覚悟も御座いませぬ」
「……それは二年前にニダイとの死闘に敗れたからですか?」
「…………」
二年前、ソッドは当時の【剣聖】であった息子と共に、二人して『兇剣の宴』へと挑んだ。
全盛期のソーデンが二人して、万全の状態でニダイへと臨んだ。
先祖の国を、城を、奪われた名誉を取り戻さんとして。
事前に聞かされていたセレスティアも、誰しもがあの二人ならば打倒も夢ではない。
と、夢を見ていた。
隻腕で振るわれるニダイの剣は、城の領域へと侵入した異物へと振るわれ、一人を瞬く間に斬殺。
もう一人さえも、剣戟もまともにさせない卓越した剣技で湖へと斬り飛ばしてしまった。
一命を取り留めたソッドであったが……それ以来その手に剣は握られていない。
「ニダイ……。例の能力だけでも人智を超えたものである上に、あの者の剣技はまともには打倒不可能です。真っ向から剣を合わせるのは無謀そのものでしょう。私もあなた達とニダイとの闘いを一度目にしたのみですが、確信してしまいました」
「…………」
「あれは……剣の到達点に極めて近い存在です」
♢♢♢
呪いに蝕まれたその身体は遠く昔に人とは呼べぬ異質なものへと変貌し、ただ一つの目的の為に徘徊する凶剣士。
晴々とした空を埋め尽くす矢や槍が放たれた。
ただ一つの亡者へと向けられた戦争さながらの攻撃。
「…………」
黒々と変質した亡霊の瞳が、青く光る。
領域内への異物を感知した。
骨に皮が張り付いただけの細い隻腕が、それに反して軽快に剣を操る。
湖に浮かぶニダイが、引き摺る槍と見紛う剣を……長い柄を活かして空へ掲げた手元で一回転。
続けて剣の回転による勢いに任せて豪快に二振り。
自我無き身体に潜む技巧は遺憾なく発揮され、最小限の矢と槍を受け流し、玉突きする形で自分へ到達するものを弾き、それでも捌けないもののみを斬り払った。
古代より続く紛う事なき至高の技。
流麗であり、緻密なる剣技。
亡者が振るうにしては、あまりに美麗な剣。
「…………」
そして魔力を宿した剣を突き立てる。
常となっている儀式。
青みがかった黒の魔力は波動となって半円状に広がり、領域内に残った槍や矢を一つ残らず……
何ものの侵入も許すまじと、不可侵を主張する。
「っ……!! ……は、ハクトくん。あれは本当は初代剣聖のジューベなのではありませんか……?」
岸で観戦する自分にさえも迫るのではと、ニダイの魔力に慄いたオズワルドが隣のハクトへ震え声で訊ねた。
「凄いだろ? でも違う。今はもうモンスターみたいなものだけど、あれが唯一ジューベに打ち勝った剣士、ニダイだ」
鳥肌を立たせて、少年は古代より無敵を誇る【兇剣】を熱く語る。
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