第7章、魔王軍襲来編・前編

第126話、国を滅ぼした剣士、その名は……




 

 長く続く煌びやかな宮殿の廊下。


 一定間隔で並ぶ調度品は、使用人達が手入れをする際に自然と手が震える程の値が付くものばかり。


 ここはライト王国有数の貴族が所有する豪邸。


「――それでは、私はこれにて失礼しますね」


 温和な老人そのもののベネディクトが頭を下げ、貴族達と歓談を楽しんでいたテラスでの食事会を去る。


 黙々と長い廊下を行く。


 響くのは老人と護衛騎士の足音、そして遠のいていく道中で集めたエンゼ教信者の貴族達が上げる哄笑のみ。


「…………」

「…………」


 通路の脇に逸れた侍従のお辞儀にも、丁寧に頭を下げつつすれ違う。


「ベネディクト様、アマンダが死亡した模様です」

「……そうでしょうね」


 歩みを止め、目を閉じるベネディクト。


 長年の側近である彼も、ベネディクトが今どのような感情をもって立ち尽くすのか分からない。


 知る術も、訊ねる意思もない。


「……樹から落ちた果実は腐り行く……。そういう事なのでしょうか」

「マダムや他の大司教達も、【黒の魔王】なる存在の手にかかったようです。ベネディクト様の庇護下から離れた者は終わり行く……仰る通りかと」


 再度、痩せ細った身体を動かし始めた時には、既に気持ちを切り替えたのか、食事会で見せていた温和な顔付きとなっていた。


「こちらを意識されたかもしれません。ここからの行動は急ぎましょうか」

「…………」


 驚きを余儀無くされる。


「……我等が守護していて尚も、その御方は驚異なのでしょうか」

「はい」


 断言。


 さも当たり前と言った様子のベネディクト。


 齢四十六にもなって常識を諭された気持ちとなる護衛騎士に、続けて言う。


「当時の者達……御子等や、古より永き時を生きる強者達ならば、名を聞く事も口にする事もできません」

「…………」


 何人にも傷付けられない筈のベネディクトの表情にも、強張りが見えるようであった。


「という事ですので詳細は省かせてもらいますが、その脅威が野に放たれたのです。全快ではないにしろ、かの存在は姿形を自由に変えられます。どこに潜み、どのように、誰に忍び寄るかも分からないのです」


 その言葉には、初めて護衛騎士が耳にするベネディクトの負の感情による震えがあった。


 ベネディクトや唯我独尊のあの強者達が揃って畏怖する存在だが、彼にはあまりに規格が違い過ぎて想像も出来なかった。


「私共の知る限りでは……あの御方は美しい青年の見た目をされている事が多かったように思えますが……」

「……姿を変えるとはまた異なりますが、クジャーロ国にいたあの妙珍な者を思い出します」


 漂う空気が異様な性質を内包し始めたのを感じた騎士が、柄にも無く冗談を返した。


「ほっほ、あの愉快な方ですね? ドレイクさんにばかり目が行きがちですが、あの方も負けず劣らずの個性をお持ちですからね」

「“ドゥケン卿”、でしたか。【炎獅子】のような計り知れない強さはないにしろ、私には油断ならない人物と見受けられました」

「クジャーロ王陛下も扱いに困る程のようです。無理もありません」


 何が望みかも分からず、何を原動力としているかも不明。


 変装に変装を重ね、素顔さえ見た者はごく僅か。


「…………」


 あの不穏な者の存在、クジャーロ王の独裁性、【炎獅子】の武力。


 クジャーロ国との間に真の友好など有り得ないことを、二人は確信していた。





 ♢♢♢





 湖と湯の街、『レーク』。


 南には長閑な平野、北には有名な湖。


 東には切り立った崖が連なり、訪れる者達を圧倒する。


 周囲には多少の危険な魔物はいれども、一般的と言える範囲の脅威。


 人口は二千人と言った、小さくもないが大きくもない街であった。


 かつて一つの国があったとは思えない程に縮小されたこの街


 だが辺境とも言える田舎にあるこの街には、今年も多くのものが訪れていた。


「……今年も、この時期が来たな」


 青く透き通る湖を眺め、中肉中背ながら筋骨隆々な男が呟く。


 帝国の武王ラコンザと比較して、ライト王国には【双武】と並び称される二人の武闘家がいた。


 その一人、若くして炎と格闘術を合わせた流派を修めた天才“ソウマ・ガン”。


 三十八とは思えない肌の艶と、波打つクセのある赤髪。


 飄々とした性格を現す、不敵な笑みで唇の端を吊り上げ、祭りに心躍らせる。


「あなたは見学だけの筈でしょ? 何故そのように興奮してるのかなぁ……」


 理解出来ないとばかりに溜め息を漏らす、国外から訪れた金髪おかっぱ頭の槍使い“ランス”。


 糸目が下がり困り顔で、突撃槍を肩に担ぐ。


 この二人は宿屋で意気投合し、昼からの催しに先んじて目的の存在を見物しに来ていた。


「ランスは初めてだからだろ。見たら分かる。……あいつの『武』は、未だ俺達の及びもつかないずっと高みにある」

「…………」


 熱のあるソウマの言葉に、ランスの糸目が微かに開かれる。


「……かつて、あの名高き初代剣聖ジューベが修行道中とは言え、唯一敗北した相手……」


 その視線が、湖に立つ四つの塔と……その中央で長い剣を引き摺り徘徊する黒い隻腕の亡霊へと向けられる。


 まだここに一つの国があった古の時代。


 湖の上に建てられた城を単騎で奪い取り、城と共に打たれた宝剣を女王より簒奪した残虐なる放浪の剣士。


 女王は己の命を燃やし、邪なる剣士に呪いをかけた。


 城と剣、その二つと運命を共にすると言う呪いを。


 しかし、剣士は強かった。


 それから二千年間、朽ちていき、とうに自我もなく、変異する身体で、ただの一度の敗北も知らず湖に立つ。


 軍、魔物、剣豪、数多の猛者達……。


 誰一人、かの剣士に打ち勝つ事は叶わない。


 永き時を、長い柄をした片刃血色の剣と共に君臨する国崩しの怪物。


 その名は……。


「……【兇剣】“ニダイ”……」





~・~・~・~・~・~

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