第127話、ゴブリンライダー見参
旅は順風満帆であった。
天は穏やかで、連日快晴。
道中に泊まる宿屋の質が高かったせいか、預けた馬の体調も日々万全。走りも快調。
共に旅する高貴な同行者のお陰から、食通の舌を唸らせて来た格式高い一流の食事を口に出来る事も、彼等には幸福の一助となっていた。
更に毎年の事ながら何度と目にしても感嘆させられる、花々に彩られた緑溢れる田舎道、ワインの名所にある有名な葡萄園、長く続く壮大な峡谷。
どれもこれもが少年達の心を癒した。
旅情を多く感じる、文句の付け所のない上質な馬車での旅路。
それでも、それでも何か一つ、不満があるとすれば……。
「――ハァァァっ!!」
白き光刃が、幽鬼の如く平原漂う屍鬼を斬り裂く。
ハクトの大剣は悪臭撒き散らす腐肉を断ち切りながら、その溢れる魔力によって内側から爆砕させる。
振り切られた大剣から魔力が地面に流れ、――ハクトを中心に爆発して舞い上がる。
「…………」
見違えるほどに強力になった己が魔力による派手な舞いに気を取られることもなく、ハクトが屍鬼へ目を向ける。
飛散後もビクビクと蠢く屍の肉片だったが、……やがて不死の呪縛から解き放たれ、沈黙した。
「……ふぅ」
張り詰めた戦闘の緊張感から解放され、腕で額に滲む汗を拭った美少年の表情も綻ぶ。
「よしっ」
「よしじゃなぁ―――いっ!!」
「グヘっ!?」
魔物との戦いに勝利したハクトが、緑髪の少年オズワルドによって蹴り飛ばされ、雄大な草原を滑る。
「……えっ、なんで? オレ、叱られるの……?」
「僕がわざわざ言わなければ分かりませんか?」
ドロップキックを受けた頬を押さえるハクトにも、未だ怒りが収まらない様子のオズワルド。
後ろで纏めた緑髪を爽やかな風に揺らし、しかし喧嘩上等と拳を鳴らし、怒り心頭に発していた。
「オズワルドが怒るのも無理ないよ。ハクトが完全に悪いもん。むしろよくここまで我慢したもんだよ」
「はぁ!?」
「だって、この道で魔物と遭遇するようになってから毎回だもん。グラスだったら二回目くらいでネチネチとお説教してるよ?」
橙色の長髪を靡かせ、うんざりとした面持ちのエリカが歩み寄り、呆れた溜め息混じりにハクトへ言う。
それも無理は無かった。
目的の街へは、後はこの平原を抜けて橋を一つ渡れば到着であった。
平原の右手を見れば、雲を突き上げて尚も高々と聳える“シーバー山”。
中腹からは崩壊した太古の遺跡が、麓を越えて平原半ばにまで及んでいた。
それは緑に染まる草原と合わせて、雄大な大自然の絶景。
行きの旅を締め括る最後の楽しみでもあった。
だが今年は、街道の通る平原を挟んでシーバー山と対面する森から現れた……例年の何倍もの魔物に襲われるという不運に見舞われていた。
「何度も言わせないでください!! たった一体に費やす魔力量じゃないっ!! 背後に控えている僕らが土を被ってるしっ!!」
「め、めっちゃ怒ってる……」
普段は穏やかな友に叱られて、ビクビクするハクト。
「……そりゃ温厚なオズワルドだって怒るよ。私だってさっき言ったでしょ? ダメだよって」
「……もう勘弁してくれっ!!」
「被害者面するの!?」
説教に容易く参ってしまったハクトにエリカがほとほと呆れ始めた頃合いで、その二台目から護衛の一人が出て来た。
「終わったなら早急に支度をして」
「り、リリアさん」
今代の【剣聖】リリア。
特別に仕立てられたメイド服を来た薄い桃色髪の小柄な少女。
かつての見すぼらしさは影も形もなく、愛らしい見た目に反して研ぎ澄まされた気質を纏っている。
「護衛を頼まれた以上、こういう森に近い場所で立ち止まりたくない」
どことなく不機嫌そうなリリアの冷たい眼差しが、三人へ突き立てられる。
「すみませんっ。ほら、ハクト君っ。リリアさんに怒られたら僕らの比ではないですよっ?」
無理矢理にハクトを引き起こそうと、オズワルドが腕を掴んだ。
「……………っ!!」
使命感から急かすように眺めていたリリアが、急に腰にあるカットラスを抜き放ち、ハクト達のいる方向……その背後の森へ向けて構えた。
リリアの唐突な行動を目にしていた三人は、それを不審に思うよりも早く、遅れて異変に気付く。
「さ、下がるぞっ!!」
「言ってる暇なんて無いですよ!!」
森から飛沫のように撃ち出された、矢の雨。
「こんな田舎に山賊!?」
馬車の影に避難した三人は、矢の多さに肝を冷やす。
何故ならそれだけ多くの人数が隠れているという証だからだ。
しかも矢は対処が極めて困難で、もし距離を保たれようものなら手も足も出ない。
頑強に造られた馬車に浅く刺さった矢が針山の如き姿となり、馬車を引く馬の多くもやられ、残った馬も暴れて嘶き御者の男達も混乱状態。
敵を振り切っての逃走も困難であった。
「…………」
ハクト達の隣……二台目の馬車の影では、静かにカットラスを構えるリリアは既に戦闘を決めていた。
あとは標的が焦れて森から姿を見せるのを待ち、主から授かった剣技にて斬殺するのみ。
やがて小鳥達の囀りが消え、静まった森に新たに響く物音。
しかもそこまで遠くでは無く、もう姿も見えるのではと予想出来る近さ。
どうやらすぐそこにいて様子を伺っていたが、重い腰を上げて自分達への襲撃を決意したらしい。
「……やっぱり多いな。だが今の大きな音はなんだ?」
「木が折れる音でしょうね。まさか賊が魔物も飼っているのでしょうか。ひょっとしたら岩の甲羅で転がり回る“シェルラーグ”が木にぶつかったのかも知れません。もしそうなら、僕達だけだと硬すぎて時間がかかるかも……」
冷や汗を滲ませるオズワルド。
数年間ライト王国各地を放浪した経験から魔物などに詳しいオズワルドの深刻な表情に、ハクトとエリカの緊張感も一段と上がる。
だが、森からの刺客は予想を裏切るものであった。
「……なんだ、アレは……」
「オーガ……だと……? それに……」
木々の隙間から見えたのは、紛れもないオーガであった。
頭に生えた角、赤黒い皮膚、発達した丸太を上回る腕。力任せに木を薙ぎ、しなやかな身体で俊敏に、鼻息荒くこちらへ向かってくる。
戦闘狂で有名な鬼族の祖先とも言われる程に力の強い魔物だ。
腕力と素早さの突出したオーガは、頑丈で攻撃パターンの単純なシェルラーグよりも遥かに強敵。
だがそれよりも遥かに異様なのは、オーガと共に駆けてくる小さな軍隊の方だ。
「魔物に乗る、ゴブリンだと……」
先導するオーガの背後から迫る狼の大きさを持つ獰猛な犬の魔物『バーゲスト』。
その黒い身体には何かの生物の皮で作られた不格好な鞍が付けられ、なんとそこにゴブリンが騎乗していた。
何より目を引くのは、魔物が持つ筈も扱える筈もないある武器。
ゴブリン達がしかと握る、弓。
彼等は“森の悪童”と呼ばれる程に狡猾で悪意ある魔物ではあるが、棍棒などを振り回すか粗末な罠を仕掛ける程度の脳しかない。
魔物に乗り、弓矢を作り操るなど、通常は考えられない。
まさに異常な事態であった。
「…………」
だが大陸西方の大森林には、知恵持つ固有種として多くのトロールやオーガまでもを束ねるゴブリン王なる存在がいるという。
まさかとの予想が、オズワルドとリリアの脳裏を過ぎる。
新たな固有種の誕生。
人間達の技術を取り込み、魔物達を統率する者の降臨。
その過剰な悪辣さを手に入れたいくらかの固有種は、歴史上において幾度もの大虐殺を招いて来た人類の天敵だ。
………
……
…
戦いは大混戦の模様を呈していた。
初動早く駆けるバーゲストにより逃げる間も無く先制攻撃として放たれたゴブリンの矢は、山賊の常套手段と同じく馬車を引く馬を射り、自分達の脚を止めた。
馬車から降りる事を強いられた護衛騎士達を含め、リリアを主とした人間側はゴブリン達と比べて数も少なく、護衛対象を背にする以上自由には動けない。
オズワルドや騎士達が弓矢で対抗するも、ゴブリン達の乗るバーゲストは素早い。
それでも精鋭である騎士や魔眼により必中の矢を放つオズワルドがゴブリンを少しずつ減らしていく。
だが、それも魔物達の策の内であったようだ。
討たれたゴブリンから解き放たれたバーゲストは、そう訓練されていたのか突如獰猛性を一層昂らせ、生まれ持った凶暴性のままに直接人間に襲いかかる。
そして最大の問題であるオーガ。
本来は種族的に群れる事など無く、むしろ餌として恰好の獲物として目に映る筈にも関わらず、決してゴブリンやバーゲストには攻撃せず、前から二台目の馬車に何とか近付こうと目を血走らせていた。
「クソっ! 数が多い!!」
翻弄されるハクトや騎士に余裕などなく、岩をも砕く一撃必殺のオーガの攻撃から身を躱しながら距離を取るゴブリン等を相手する。
オーガの分厚い筋肉は生半可な刃を寄せ付けず、剣や槍の擦り傷を受ける毎に怒りを増してお構いなしに暴れ回る。
本来であれば予め足元を捕らえる罠で転かせてから火や矢を使い、大勢の連携で仕留めるのが定石の魔物であった。
「周りのバーゲストにも注意しろっ!! 常に牽制を―――――ギァァあ!?」
背後に回り込んでいたゴブリンの乗るバーゲストにふくらはぎを噛まれ、鎧と人体の重量も関係なく引き摺られていく騎士。
「――ッ!!」
剣を片手に舞うリリアがバーゲストを乗り回すゴブリンの首を跳ねる。
「シッ!!」
エリカの刀による突きが、残ったバーゲストの眉間を貫く。
「ぐっ、ぁぁ……」
「…………」
脚の傷に苦悶する騎士を目にし、この場の責任者であるエリカにある選択肢が生まれる。
ゴブリンの弓矢に射抜かれ、オーガに薙ぎ払われ、味方の数も減って来た今、いよいよ最終手段に訴えるかという決断にまで差し迫る。
「はぁ……はぁ……くっ、オーガだけでも倒さないとっ」
ハクトの大剣は既にゴブリンやバーゲストの血に塗れ、怪力である筈なのに握る手も筋疲労による痛みを伴っていた。
「ハクト、二人でオーガをやるよ」
「っ、分かった!」
この劣勢のままでは形勢はどこかで一気に傾き、隊の被害は甚大なものとなりかねない。
故に判断を下したエリカが先駆けて走り、ハクトがその後に続く。
浴びるように殺した騎士の血を飲む、傍若無人なオーガへと。
それは誰にも変えられる事のない未来。
森にはあと三体のオーガが控えており、二人がオーガを倒し切る僅かな間に取り囲まれ、無慈悲に肉塊へと変えられる。
騎士も仲間達も、その瞬きの間に何かを為す事などできはしない。
「……未熟」
もし仮に、死の結末を変えられる存在が現れるとするならば、それは大いなる意思によるもの。
「っ……」
――狂乱するオーガの胸から、腕が飛び出した。
相対する戦士達が凍り付く。
重鎧とも言える想像を絶する筋密度を誇るオーガを突き破った、分厚い人間のものらしき腕。
その掌には、オーガの大きな心臓が握られていた……。
「ゴファ……っ」
びくびくと痙攣するオーガが、血を吐く。
闘志によりギラギラと光っていた眼には、既に生気はなく……。
強靭極まり無い野性的な力強さを感じる身体は、もはや脱力状態であった。
(……く、黒騎士……?)
ハクトやエリカなどの幾人かが、乱入者の他を圧倒する存在感に咄嗟に黒騎士と見紛う。
「…………」
腕が引き抜かれ、……事切れていたオーガが前のめりに倒れる。
「うおっ!?」
「っ……!!」
視認していたよりも重量を感じるオーガの倒れ様に、ハクトが尻餅を突き、エリカが身構える。
戦の熱に浮かされ、とある男が乱入した事に気が付いていなかった者達も、オーガの異変や急激にのしかかる重圧を受けて、戦いを置いてそちらへ視線を向け始める。
「…………」
倒れたオーガの背後から、本物の“鬼”が現れた。
徐々に鎮まる周囲の状況に見向きもしないオーガの心臓を持つ大男に、視線が集中する。
「……くれてやる」
「キャンッ!?」
自分に怯えて首を垂れる近くのバーゲストに、心臓を放り投げ、その鬼はハクトへとその鬼気迫る眼光を向けた。
「……白髪、子供。それに……刀を持つ少女……」
「ッ……!!」
汗が噴出する。
魔物との命の取り合いによる焦燥感など最早無く、この鬼族の迫力を前に誰もが全身を痺れさせるのみだ。
「貴様が、勇者か?」
「…………」
震える唇を懸命に動かし、返答しようとするも上手くいかない。
「……もういい、確信はしていた」
鬼の放つ圧力にバーゲストは情けなく震え、情け無く鳴きながら後退りし、ゴブリンは辺りを忙しなく見回して動転を現す。
「俺が用があるのはお前達だ」
「ッ……!?」
闘気漲る鬼に、ハクトが無様に縮み上がる。
魔王や黒騎士と対面し、それでも戦って来た筈の自分が。
いや、歴戦の騎士達でさえ、城壁を前にするかの如き重圧感に動けてはいなかった。
素手でこの破壊ならば、その漆黒の矛が振るわれれば自分達ごと三台の馬車は粉々に散ってしまうだろうと理解はしていても。
指先を動かす事すら憚られた。
しかしこの異常な強さを誇る鬼は、予想外の言葉を口にする。
「いちいち怯えるな、屠るつもりなどない。逆だ。貴様らの護衛をしてやる。対価は……………何でもいいから、とにかく雇え」
「……………へ?」
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