第124話、エピローグ

 

 ライト王国。


 荘厳に聳える王城の応接間に緊張が走る。


 緊張に冷や汗をかく使用人達が、王都指折りの名店から用意させた茶菓子や最高級品質の紅茶を客人の前に差し出す。


「…………」


 客人は無言。少しの興味も示さない。


 王のささくれだった心を穏やかにするこの紅茶の香りも、その場の張り詰めた雰囲気を緩める事は出来そうにない。


 そして……彼等が一礼し、退室したのを機に、ライト王の隣に座るマートン公爵が慎重に口を開いた。


「…………」

「……この度はわざわざ足を運んで頂きまして、感謝の言葉もありません」


 対面に座す黒のドレス姿をした人物の機嫌を、言動や雰囲気から読み取ろうと必死だ。


「世間話をしに来た訳じゃない。長旅で疲れている私を呼び出すとはいい度胸だな」

「では……手短に終わらせるとしよう」


 招待に応えた割にはすこぶる機嫌が悪いらしいヒルデガルトに、ライト王が毅然として問う。


「クジャーロからも、条件を提示されたのであろう」

「当然だ。お前達も知っての通り、その為に旅をして来た」

「うむ。だが、……マートン」


 ライト王の呼び掛けに、マートンがすかさず用意してあった様々な好条件を――


「いいだろう、この国に付いてやる」

「…………」


 兵士達も見た事のない程の、ライト王とマートンの間の抜けた顔。


 視線も向けずに放たれた、熱々の紅茶を飲むヒルデガルトのあまりに拍子抜けな回答であった。


「よ、よろしいのですか、ヒルデガルト様……」

「…………」


 背後に立つカインも、突然の独断による決定に驚きを隠せずにいた。


「いいと言っている。クジャーロからは完全に手を引く。……ただし条件がある。以前に言っていた特権の他にだ。まず、クジャーロの代わりに他国へ手を伸ばす。良きように計らえ。あとは国の手に入れた情報……特に戦関連や表に出来ないもの、そして魔王に関するものは速やかに伝えろ。必ずだ。破られれば優先契約は破棄されたものとして相応の手段を取る」

「…………」


 難しい話だ。


 仮に帝国で商いをしたいなどと言われれば、それは困難を極める。


 だが……。


「……機密情報に関しては、其方以外には漏れないよう正式な契約を結んでもらう」

「いいだろう」

「うむ、ならばそれで手を打とう」


 これらの条件を一つでも妥協すれば、ヒルデガルトはクジャーロ国へ付くだろう。


「ヒルデガルトさん、貴女の英断に感謝します」

「…………」


 マートンの謝意にも、冷ややかな視線をくれる苛烈な女皇。


 愛らしく幼げな見た目からは、容赦のない威圧感が滲み出している。


「さて、詳しいところを詰めていきたい気持ちはありますが、先に……本題の二つ目です。ヒルデガルトさんも大変であった事でしょう。……クジョウの街で何があったのかお話頂けますか?」

「…………」


 あえて後回しとした【黒の魔王】関連の問い。


「……どうと言う事はない。魔王が現れ、炎の魔術などでマダムや取り巻きを焼き殺した。私の塔ごとボロボロにな」

「……その……魔王は見目麗しい貴女を目的とした行いであったと、そう言う事でよろしいのですか?」

「それ以外に何がある」

「それならば……」


 口にするのをほんの数秒戸惑うマートンだが、訊かない訳にもいかない。


「……貴女は何故、ここにいるのでしょうか」


 これまでの魔王の力、伝え聞くクジョウでの暴虐の数々。


 豊富な魔力を持つヒルデガルトとは言え、このような可憐な乙女を拐わなかった理由に皆目見当が付かない。


「知った事ではない。戦闘の最中に奴の部下が現れ、何か報告をしていた。それを聞くなり何処かへ去って行った。それだけだ」


 素っ気ないヒルデガルトの言葉に、半信半疑の面持ちで王が口を開いた。


「まずは其方の無事を喜ぼう。其方もこの国にはなくてはならない重要な存在だ。其方があの色狂いの魔王の手に落ちれば、この国は一気に窮地に立たされるであろう。まさにセレスと同じく……………」


 より事の詳細を追求し、ヒルデガルトを見極めようとしていた王の言が途切れる。


 その顔は、急激に血色が悪くなり始めていた。


「まさか……魔王が退いたのは……」


 マートンの顔色も悪く、最悪の予想が脳裏を駆け巡る。


 その時、木製の両開きの扉がノックされる。


 嫌な予感の止まらないマートンが入り口付近に控えていた騎士に頷くと、扉を開ける。


「――ご歓談中、失礼致します。至急、陛下のお耳に入れておきたい事が」

「今、そこで言え」


 ヒルデガルトが、許可を得て室内に入りたての騎士へ命じる。


 一介の商人が、騎士として大成したと言ってもいい上級騎士へと。


 本来ならば言語道断と処罰も辞さないであろう。


「…………」


 しかし緊急事態の報を携える騎士は、伺うように王へ視線を向ける。


「……構わん、申せ」

「は、はっ!」


 王の許しを得た騎士は、その部屋の皆に伝わる声量で告げた。


「――例の街へ、魔王軍が進軍を始めたとの事です!」





 ………


 ……


 …







 王達との会談を終えたヒルデガルトが、カインを乗せた馬車でスカーレット商会本部へ。


 緊急会議に大慌ての王城を背に、悠々と帰還した。


「カイン、何か言いたい事でもありそうだな」

「それは……はい」

「言ってみろ。今日は特別だ」


 普段ならば黙って従えと、威圧して上から押し付けるヒルデガルト。


 だが本日の彼女は自室のデスクに楽に腰掛けつつ、目の前に立つカインの主張を許した。


 明らかにいつもとは違った。


「私は……このような大局を左右する事柄を決断するには、時期尚早かと……」

「戦が絡むからか?」

「……はい。ライト王国は大国ですが、ご存知の通りクジャーロには、【炎獅子】がいます」

「…………」


 クジャーロの切り札、【炎獅子】ドレイク・ルスタンド。


 その悪名に、ヒルデガルトも目を細める。


「しかもマダムを失った今、彼女を恐れて傘下にいた者達は商会から離脱しています。ここから更にクジャーロからも手を引くとなると、悪くすれば規模が半分になってしまう恐れも御座います」

「なら悪くするな。以上だ」

「…………」


 カインが言葉を無くす。


 いつもとは違うという考えが、違っていたようだ。


 何の権限も与えずに商会で飼い殺しにしていたマダムがいなくなるや否や、少なくない数の者達は商会を離反した。


 その埋め合わせを自分に解決しろと命じているのだ。


「ヒルデガルト様、他にも――」

「――私は魔王に付いた」


 冷えた静寂が、広い室内に舞い降りた。






 ♢♢♢





 闇に包まれた天空の衝撃から程なく。


 未だ炎の残る火輪塔から離れた、桜立ち並ぶ小川沿いの橋。


「見てごらん、ヒルデ。川に火の光が反射して綺麗だよ」


 ドンと、魔王の胸元が鳴る。


「…………」

「…………」


 魔王に横抱きにされたヒルデガルトが魔王の胸を殴り、鋭い目付きながら上目遣いで不満を現す。


「も、もう駄目だぁ……」

「あんた……男の癖にダラしない……」


 魔王達の背後には、ぐったりと疲れ切った煤だらけの子供達がへたり込んでいる。


 ランやタマキに至っては、もう既に寝息を立てていた。


「夜桜はなんでこんなにも素敵なんだろう……そうだっ、これから桜の季節は花見をしよう。弁当作って一番いい場所を確保して。いいね、ヒルデガルト」

「……っ」


 問いかけられたヒルデガルトが、どこからともなく取り出した扇子で、魔王の頬をぐいぐいと突く。


「い、一応言っておくけど、俺は初めに魔王だって名乗った筈だよ?」

「……貴様ほど不埒な輩は見たことない。姿形を偽ってまで私の風呂を覗き、布団に潜り込んで――」

「あれよあれよと温泉に放り込まれて、気付いたらここだったんだけど……。大変だ。記憶が混濁しちゃってんじゃん、君」


 口答えする魔王の額を扇子で一叩き。


「そうだ! 君から話を訊きたかったんだ」

「…………」

「今日は疲れてるだろうから、子供達と魔王特製キノコ雑炊を食べて寝て、また明日にでも聞きたいんだけど……」

「…………」


 不機嫌そうに、そっぽを向いて黙り込むヒルデガルト。


「…………」

「……どうだろう、いいかな?」

「…………………………いいだろう」


 是非も無しとばかりに、ふと小声で答えた。


「……ヒルデってホントに可愛いよね」

「っ……!」


 ぺしんと魔王のコメカミが叩かれる。


「ふんっ……………当然だ」


 川を挟み両側を埋め尽くす満開の桜を眺め、穏やかな一時を過ごした。


 満月と炎に照らされた夜桜に、暫し時を忘れて見入っていた。




 ♢♢♢





「……それから翌日に私の話を聞き終えるなり、奴は旅立った」

「ど、どちらへ……」

「知らん。旅立つ時には決まっていなかったみたいだが」


 カインの用意した熱々の紅茶を飲みつつ、機嫌悪そうに返す。


「……魔王と手を結んだ事実は、私達だけで共有した方が良さそうですね」

「好きにしろ」

「至急、サーシャも呼び戻します。彼女にも知らせておいた方が良いでしょう」

「ダメだ。あいつはそのままクジャーロに送り付けてやれ」

「は、は……?」


 耳を疑うヒルデガルトの命令。


 秘書でもあるサーシャを、手を引くと決めたクジャーロ国へ送り出せと指示したのだ。


「クジャーロとは手を切るのでは……?」

「何度も言わすな」

「それなのに、サーシャはクジャーロへ送るのですか?」

「そうだ」


 呆気に取られるカイン。


「……間抜けめ。奴はエンゼ教と繋がっている。加えて私の情報をマダムに漏らしたのも協力したのも全てあいつだ」

「ぇ、……い、いえ、有り得ませんっ」

「他にもあいつしか知らない私の旅程が漏れていた。マダムがクジョウに向かうと言う情報も最後まで入って来なかった。あいつしかいない」

「……そんな……」

「クジャーロにでも送り付けて、身の程を分からせろ」

「……承知しました」


 長年、ヒルデガルトの補佐として働いて来た相棒とも言うべきサーシャの裏切り。


 動揺に鼓動も早くなるが、彼女が覗かせていた野心を知るカインには得心が行くのも事実であった。


「私がマダムを追いやったように、私からこの席を奪うつもりだったらしいな」

「……みたいですね。彼女はあなたのような支配者に憧れていましたから」


 少しばかり寂寥感に苛まれるカインだが、それよりも気になるのは魔王との今後だ。


「それで……我々はどうなるのでしょう。やはり国を支配する為に利用するつもりなのでしょうか。先程の王城での報告の事もありますし……」

「ふん」


 カインの当然の懸念にも、酷く不機嫌なヒルデガルト。


「……さぁな。根無し草の考えなど知った事ではない」

「…………」


 不思議とあのヒルデガルトが寂しさから拗ねた子供ように見えるも、カインはある筈が無いと頭から追いやり、ヒルデガルトの機嫌が治るのをひたすらに待つ。


 この女皇が、魔王より厄介なのは相変わらずのようであった。






 〜・〜・〜・〜・〜・〜

 連絡事項

 はい、七章からは毎日公開できるか分かりません。


ただ……引退とかほざいていた私ですが、改稿だのやっている内に昔の文章に触れたからか、新作が書けてしまいました。


しかも私としてはかなり長い日数の毎日更新が確定しています。今回は異世界系完全コメディです。


面白さの最高点は古き魔王程ではないし、主人公の癖も七天魔導程ではないですが、これはほとんど常に面白いです。最初は抑え気味ですが、ずっとコメディし始めます。


九月一日から、公開しようと思っております。


こちらの九章はぁ……まだ分かりません。区切りまでの流れは当然に決めてありますが、この章や次章程の見せ場が思い付いたらもしかしたら書くかも。

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