第123話、邪悪貫く緋刀

 

 炎に包まれた巨大な火輪塔に突如として溢れ出た黒き魔力の噴火が収まる。


「……な、なんなの?」

「どなた……?」


 そこにいた存在を、子供達が不審に思う。


 大人用のものを子供に合わせて長い裾を留めていた紐を千切り、動き易いようボロボロの上半身部分を半分だけはだけさせる黒髪の男。


 先程までコクトと呼ぶ幼い子供がいた場所に、鍛え抜かれた分厚く締まった身体で立っている。


「……魔王……」


 ヒルデガルトが小さく呟いた。


「へ……?」

「ぇ……ま、魔王?」


 魔王なのだという男へ再度視線を向ける。


「…………」

「もしかして、コクトくんなの……?」


 怯えると言うよりも、急転する状況に付いて行けていない。


「……魔王ねぇ、信じられる話だわ。……まさか、あたくしの魔眼が効かないなんて……」

「俺の力は特殊だからね。俺を魔眼でどうこうは諦めた方がいい」


 既に魔法陣の浮かんでいたマダムの額にある九つ目の眼。


 だが、魔王は知っていながら見つめ返す。


「小細工は止めて、さっさとかかってくるといい」

「あたくしに対して随分と上からものを言うのねぇ。たかだか王様風情なのに……」


 薄ら笑うマダムが、地面から巨大な泥のグロブを生み出す。


「…………」

「あたくしの泥の兵隊は本人の性能を正しく反映しているの。それがこの大きさ……、どう言う事かあなたに分かって? ……さぁさぁ、まずはこれくらいは何とかしてもらわないとねぇ、魔王様?」

「なんか、既視感があるなぁ……」


 這い出るように生まれた泥の巨人は、すかさず独特の構えで身体を捻り、塔を押し潰さんばかりの迫力で拳を放つ。


「っ……!!」

「うっ!?」


 魔王に迫る巨拳に、ヒルデガルト達が息を呑――


 ――塔が内側から破裂する。


 そう思わされる程の衝撃が突き抜けた。


「言った筈だ。小細工はいらない・・・・・・・


 拳を打ち出した側である巨人の上半身が、消え失せていた。


 焦げた臭いも熱気も、魔王を中心に吹っ飛ぶ。


「……何をしたのかしら?」


 あまりの衝撃に無様に仰向けとなって倒れ込む泥の巨人だが、マダムの疑問は方法にあった。


「別に隠す事でもないよ。拳が来たから指で弾いただけ」


 向かって来る巨大な拳に、誰にも認識出来ない速度で腕を翳し、中指で弾いただけであった。


「…………」

「……ほんとに、魔王だ……」


 ヒデやラン達も青ざめた顔で、魔王の力に慄く。


「…………」


 しかし当の魔王は……何故か、どことなく険しい表情で塔を見回している。


「なるほどねぇ……。信じ難いけど、真実なら気を引き締めないといけないわねぇ。――ホッ!!」


 少しの狼狽も見せないマダムが蜘蛛の巨体を跳び上がらせ、火輪塔の三階内側の柱へ飛び付く。


 有り余った力と重量により、焼ける朱色の柱に鋭い爪が食い込む。


 細く長い八足を素早く動かし、その重さも関係なく身軽に跳び回り、回廊や柱を高速で上部へ移動する。


「負っていいリスクと回避すべきリスクがあるのをご存知? 万が一があるようだから直接のお相手は遠慮させてもらうけど、よろしくって?」


 最上階付近を忙しなく移動して巨大な蜘蛛の巣を形成しながらも、地面から泥人形の群勢を作り出す。


「……悪いけど、これらとやり合う気はないよ」


 近くの苔の生えた大岩に近寄った魔王が、爪先を庭の侘び寂びを彩る一つの岩の下に差し込み……蹴り上げた。


 大砲の如き速度で射出された大岩は、マダムの魔石が散りばめられた人面腹部に直進する。


「あら、巣作りの邪魔は止めてくださる? 終わるまでその子達と遊んでいらして」


 岩は蜘蛛の背から放たれた雷電や雹の暴風により砕け散り、散弾と化した後も蜘蛛の巣を破る事なく付着した。


 艶のあるマダムの身体は傷一つ付かず、糸は石飛礫や炎にも何ら影響を受けていない。


「厄介だなぁ……。あれ自身も巣も……」


 険しい目付きで上部を蠢くマダムを見る。


 そして、視線も動かさず――


「――――」


 飛びかかった泥人形の頭部を鷲掴みにする。


 さらに頭部を掴んでいた手に黒き魔力を宿し、黒炎を思わせる爆発で葬る。


 続けて次々と襲いかかる泥人形達にも、小さな動きで巧みな魔力による技を使い、易々と打ち倒していく。


(……何故かしら、急に魔力を多用し始めたわねぇ。しかもチマチマと……………っ!?)


 立ち上る黒煙の隙間から真下の戦場を観察していたマダムの眼前に、不意を突いた魔王が瞬時に現れた。


「いい加減に相手をしてもらおうか」

「っ――」


 マダムの人型の肩口を蹴り、地に落とす。


 巨岩が落石したような重々しい衝撃音。


「……油断したわ、でも今ならなんて事ないわね」


 だが蜘蛛の脚で軽々と着地したマダムの肌は、かつてない滑らかさを誇示したままであった。


「ならこれでどうだろう。――ッ」


 右手に魔力を揺らめかせた魔王が、急降下した後に蜘蛛の腹部に掌底を打ち込む。


「イッ!?」


 叩き込まれた黒の波動にマダムの腹部は四方八方に裂け、雷や嵐などの現象を吐き出し、近くの地にいた泥人形達を吹き飛ばす。


「うわぁ!!」

「ち、ちょっと!!」


 波動に揺れる塔に、子供達が怯え驚く。


「…………」


 しかしヒルデガルトの鋭い視線は、マダムを捉えて離れない。


「驚かせないで頂戴……」


 裂けた腹部の割れ目から毒々しい体液が滲み、マダムの蜘蛛の腹部をあっと言う間に修復してしまう。


「…………」

「なっ……!?」


 既に降り立っていた魔王が蜘蛛の前脚の関節を強引に極める。マダムがゾッとするほどに抗い難く引きずり込まれていく感覚で、上半身から全身が流される。


「――ぐえっ!?」


 重い揺らぎを起こし、マダムが顔面から地面へ押しつけられた。


「……あ、あたくしに地べたなど似合わなくてよ」

「そんなことないよ。君にぴったりだ」

「っ……!? やめ――」


 起き上がろうとするマダムの顔面を、魔王が踏み潰してしまった。


「か、勝った……?」

「……魔王が倒したっ! やった――」


 ランが歓喜を口にするよりも一足早く、酸の霧がマダムの死骸を包み込む。


「――あら、お強いこと。侮っていたつもりはないのだけどねぇ……」

「急所は頭じゃないのか……。……今ので倒せないとなると考え物だね」


 回避して近くの岩の上に降り立った魔王が、頭部を生やすマダムを目にしてぽつりと呟きを漏らした。


「……おほほ、オホホホホホホホホッ!!」


 突如として高らかに嗤い始めるマダム。


 子供達は無意識にヒルデガルトの背に身を隠し、怖気に耐える。


「ホホホホホッ!! ……おーっホッホッホ!!」


 余程愉快なのか、魔王達の対面二階の回廊に跳び付きながら尚も嗤う。


「先程から頑なに魔力を使っているからおかしいと思っていたのよ」

「…………」


 黙り込む魔王と、腹部の悍しい人面と共に気味悪く嗤うマダム。


 炎の明暗により、その笑みはより悍しく、凶悪に嗤う。


 完全に同調し、同様に口元を歪めるマダムと寄生蜘蛛パルアサンに、子供達は血の気が引く。


「すこ〜しだけ痛かったから、お返しよ……………ペッ!!」

「っ……!?」


 マダムが大量の毒液を吐き出した。


 ……ヒルデガルトや子供達へと。


「――ッ」


 すぐさまヒルデガルト達の目の前へ移動し、指を弾いて魔力の波動で弾き飛ばした。


「……あぁ、本当に……殴ってしまいたいよ」

「あら、あたくしは構わなくってよ? ただあたくしは未だ成長途中。どんどん強くなっているし早い方がよろしいわね。……その子達が生き埋めになってしまうかも知れないけれど。もしそうなってもあたくしが食べてあげるわ、ねぇ?」


 方々に糸を飛ばし、乱暴に焼け続ける塔を崩し始める。


「好き勝手やってくれるっ」


 魔王が飛び出す。


 落ちる瓦礫を蹴り砕き、飛び掛かる泥人形達を魔力による技で蹴散らしながら。


「も、もしかして……」

「あたし達が邪魔になってるみたい……」


 塔はついに崩壊を始め、戦闘や魔王による攻撃の余波でそれは加速していた。


 退路もなく、強引に逃げ道を与えようにもすぐ外には野次馬が集まっている。


「……初めに中に飛び込んだのはカエデ」

「う、うるさい!!」


 いつもと変わらない子供達の言い争い。


「……ふん、こんな時にまでよくやるものだ」


 疲弊し切っていたヒルデガルトが立ち上がる。


 炎の光を受けた黒髪が、燃えるように揺らめく。


「――〈緋晶クリムゾン〉」


 子供達にその小さな背を向け、悪名高き緋色の結晶を発動させる。


「ひ、ヒルデガルトさま……」

「足手まといなどごめんだ。……行け」


 紅の刃が、泥人形に集られる魔王へと飛んでいく。


「っ、――ッ!!」


 魔王が飛来した〈緋晶〉を掴み……、その勢いのまま一周半。


 紅の軌跡が取り巻く泥人形達の首元から始まり、膝辺りにかけて流れるように螺旋を描く。


 遅れて生じる灼熱の業火。


 紅の螺旋を辿り、渦巻いて飛ぶ龍のような炎が生まれた。


「……いい刀だ。これは負けられないね」

「……ふん」


 緋色の刀。


 気高く艶やかな紅い輝きを放つ、〈緋晶〉の刃。


「気に入らないわねぇ……」


 再起したヒルデガルトを見たマダムの不機嫌さを現すように、泥人形達が徐々に激しく魔王を攻める。


 しかし魔王は、右手にある緋の刀を自然体で軽やかに振るい、縦横無尽に寄り付く人形を斬り飛ばしている。


「……えぇ、本当にまったくもって気に入らないわ」


 冷淡に呟いたマダムの口が開く。


 二階部分の朱色の柱から、回避不可能、貫通必至の大技を射出する。


「っ……!! お――」


 ヒルデガルトの叫びも虚しく、紫の雷光が塔を埋める。


 紫電の魔石弾は音も誰の認識をも上回り、魔王、そしてその背後のヒルデガルト達を一瞬の内に消し去る。


「…………」


 ……筈だ。でなければおかしい。


「贅沢な使い方だ……金貨を川に捨てるようなものだよ」


 左手にある紫の魔石を眺め、魔王が一人皮肉を言う。


 雷の弾丸が生む余波により、軌道上の泥人形達は粉々に焼き殺され魔王の周りには誰一人いない。


 背後のヒルデガルト達も唖然としてはいれども、無傷であった。


「掴みとったの……?」

「…………」


 それがどれ程の異常か理解しているのは、勝利を決定させると確信して撃ち出したマダムと、一度その身で体験したヒルデガルトのみ。


「一筋縄にはいかないようねぇ……」

「君はさっきから執拗にヒルデガルト達を狙うね」

「……こんな風に?」


 何の気概もなく腕を振るうマダム。


 巨大な鎌鼬が、子供達へ疾走する。


「…………」


 苛立たしげに紅の刃を振るい、小さく細い黒の斬撃を飛ばして鎌鼬を相殺させる。


「おホホホホホホホホホホホホ!!」


 マダムの繰り出す鎌鼬の嵐により、絶え間なく斬撃がぶつかる。


「キャアっ!!」

「危なっ!?」


 とうとう燃え落ちていく塔の瓦礫に、子供達が身を寄せ合って震える。


 マダムと魔王の間で炎と風が渦巻き、塔の崩壊が更に加速していた。


「…………」

「あらあら、あなたがその子達にトドメを刺す事になりそうねぇ。なんて酷い魔王様なんでしょ」


 嘲笑うマダムが降り立ち、地より生み出した泥の鎌で再び鎌鼬を見舞おうとする。


「〈緋晶クリムゾン〉……」


 強烈な紅き魔力が迸り、塔の内側を〈緋晶〉が覆う。


 塔を焼く炎は一層勢いを増すも、結晶により内部は頑強に補強された。


「おぉ、ヒルデは本当に頼りになるね」

「…………」


 そこには、結晶から逃れる為に大岩の上で必死に身を寄せ合う子供達と、いつもの気丈で可憐なヒルデガルトの姿があった。


 腕組みをして、苛烈な覇気で魔王を見つめる。


「さっさとあのニヤけ面をぶっ飛ばせ」

「よし、そうしようか。俺もそろそろ思い切りやり返したいと思ってたところだから。――ッ!!」


 魔王がマダムの眼前に踏み込む。


 緋刀が空を斬り裂いて発生した炎が遅れて道を作り、魔王を阻もうと立ちはだかった泥人形達が爆炎に包まれ瞬く間に消滅する。


「見えるッ! 見えるわッッ!!」


 完全体間近のマダムの八つ目が、魔王を捉えた。


「魔王を斬れば箔が付くわねッ!!」

「ふっ!!」


 大司教達の魔力により固く練り上げられ、氷雪や雷纏う鎌が、クジョウを両断せんとばかりに一息に振るわれる。


 地を裂き、鎌鼬を巻き起こし、振るわれれば塔の半分は間違いなく粉々に消し飛ぶ。





 ――刃が砕ける。





「っ……!? ……ちぃっ、技か何かねっ?」

「いや、単純に刀の性能だ」


 正面から斬り付けられた緋刀により砕けた鎌の破片が、炎に焼かれて飛散した。


「ヒルデガルトの刀が、武器も戦闘も知らない君が半端に作った鎌に負ける訳が無い」

「何ですって……?」


 マダムの顔から感情が抜け落ちるも、すかさず魔王は刀を逆手に持ち変え、もう一歩踏み込む。


 先程までの速度任せのものと違い、歩幅を変えずに高速で間合いに入る拳闘の踏み込み。


 左脚に重心を乗せ、そのままマダムの腹の下に左拳をそっと添える。


「ふんッッ!!」

「ギィィ―――――」


 打ち上げた。


 マダムの巨大な影が最上階の蜘蛛の巣をも突き破り、左アッパーにより天高く射出される。


「くっ!!」


 木っ端微塵に砕けそうになる〈緋晶〉に更なる魔力を加え、伝わる魔王の力の片鱗に耐える。


「ヒルデ、これを持って待っててくれ」

「はぁ……はぁ……何故だ……?」

「いいからいいから」


 疲労困憊のヒルデガルトの手に、強引に緋色の刀を握らせる。


「じゃ、行ってくるよッ」

「グッ!? ――ぅっ!!」


 マダムを追って跳び上がる魔王により、更なる魔力の消耗を余儀無くされるヒルデガルト。


「…………」


 恨めしげなヒルデガルトの視線が、天井の穴から覗く満月へ向けられる。





 ♢♢♢





 満月に手が届きそうな夜空。


 横を見れば、手が届くなど想像も出来なかったあの雲がある。


 そして眼下には、クジョウの街の全貌が見渡せてしまう。


 地上を見下ろす神にでもなったような感覚の中に、マダムはいた。


「……魔王の坊やには感謝しないとねぇ」


 以前から漠然とあった構想。


 一から自分の王国を作る計画。


「もっと派手な方があたくし好みなの。ごめんなさいね?」


 満月を背にしたマダムの手に、十メートルを超える魔力の槍が生まれる。


「〈見放されし者に最後のジウ・ラ・ヘクマ慈悲を〉」


 ヒルデガルトの手により子供達が湧くようになったこの街を更地に変え、自分の手により高貴な者達だけが住む華やかなる楽園を創生する。


「この破壊により、あたくしの本当の生が始まる。……これで終わりにしましょう」

「いや、まだ終わりには早い」

「ッ……!?」


 自分と寄生蜘蛛パルアサンの結合部分付近にある蜘蛛の前脚が、寒気のする膂力により掴まれる。


「やっと捕まえたよ」

「魔王……っ、いい加減に諦めなさいな!」


 喜悦に悶えていた表情から一変、死神に肩を掴まれたような錯覚に苛立ちを濃く現す。


「ここには君が狙うか弱き者はいない。覚悟してくれ」

「あたくしの身体は生半可な事では傷付かないわ。さっきの傷でさえもう治ってしまっている。無駄なのよっ、何もかもッ!!」


 膨大な魔力を加えられた巨槍が、魔王へ突き出される。


「グッ!?」


 闇夜を焦がしてしまいそうな熱量を放つ槍が、……魔王の右手一つに掴み止められる。


「分かってるさ」

「どいつもこいつも、あたくしの邪魔ばかりッ! もう容赦は無しよッ!!」


 空いた左手からも、〈見放されし者に最後のジウ・ラ・ヘクマ慈悲を〉を生み出し、魔王へと力の限り突き刺す。


「――ッ!! ……なっ!?」


 一本目の槍を親指と人差し指で掴んだまま、……薬指と小指で挟み、二本目の槍も無力化してしまう。


「…… 当然だ。今までみたいな・・・・・・・生半可なものじゃとても足りない」


 鬱積したものを現すように、巨槍を握り潰す。


「ッ……………嫌よ」


 身体の芯を強く揺さぶる振動に、マダムに弱気が生まれる。


 真っ暗な大空の大気さえも、怯えて震えているようであった。


 これまでの魔王とは比較にもならない程の力強さ。


 絶対的なまでに抗えない純粋な力。


「さっきのは子供達の分だけだよ。ヒルデガルトの分はこれからだ」

「ヤメナサイッッ!!」


 殲滅の槍を握り潰した拳に、更なる力が込められていく……。


 どこまでも……。


 どこまでも……。


「あの子があんな泣き方をするなんて、よっぽどの悪夢だった筈だ……」


 黒き熱い眼が、巨大な身体を使い懸命に足掻くマダムから……化け物同士の結合部分へ移る。急所がどこか分からないなら、全てを纏めて粉砕するのみ。


 左手に持った鋼鉄を超える寄生蜘蛛の脚も易々砕け、終幕へ高まる力を示す。


「約束通り、派手に行こうか」

「ヤメッ、ヤメテッッ!!」


 果ても知らずに高められていく力のまま、右拳を構える。


「――砕け散れ」

「ヤッ――――――――」


 天を割らんばかりに、どこまでも力強く放たれた。




 ………


 ……


 …






 夜空に浮かぶ月廻りを気ままに漂っていた無数の雲が、突如吹き飛ぶ。


 満月にあった小さな小さな黒い影を中心に、一切合切が吹き飛ぶ。


 大いなる力による一撃が、夜空ごとクジョウを揺らす。


 天変地異を思わせる衝撃が駆け抜け……。


「……なんだ、あれは……」


 燃え上がる塔に集まった野次馬が……いや、クジョウ中の者達が、空を見上げる。


 粉々に散った魔石の粒子が、消滅した怪物の魔力の残滓と反応し合い、雷や炎などで夜空を彩る。


 それは空に咲く火の花のように、クジョウの者達の目を奪う。


 先の心臓も凍り付く衝撃も忘れ、見入ってしまう。


 そして……。


「――ギィッ!?」


 燃え尽きそうな塔の内部に、小さな影が墜落する。


 それは九つの目を持った頭部。


(……なんなのッ!! アレは!! あれだけ力を手に入れても勝てないなんてッッ!!)


 ヒステリックに叫びたくなる屈辱を秘めたマダムの顔面から、八つの脚が生える。


「……覚えてなさい」


 魔王、ヒルデガルト、クジョウ、子供、全てに復讐を決意したマダム。


 頭一つとなっても、逃亡し、再起を図る。


 そう、マダムは諦めない。


 魔王の超越した力をその身に受けても、彼女の欲望が尽きる事はない。


(あれで足りないのなら……おほほっ、ベネディクトさんや王女の遺物を食べればきっと……)


 マダムは決して諦めたりはしない。





 ………


 ……


 …







「――グゥユッ!?」

「貴様はそういう奴だ」


 魔眼を貫いた緋色の刀により、マダムが地に縫い付けられる。


「ギッ、アァアアああぁぁアィいいいいギィィ!!」


 脳を直接焼き付ける緋の炎に、耐え難き苦痛がマダムを襲う。


 マダムの八つ目がそれぞれ別々の動きで暴れ回り、煉獄の激痛を現す。


「どこまでも自分の望みに貪欲で、邪魔をするしないに関わらず、気に入らない者は必ず排除する。無慈悲に、気の済むまで苦しめて……」

「ヒルデガルトッ!?」


 崩壊する塔の中心で、足元の人面を冷徹に見下ろす少女。


「だからこそ、ここで終わらせよう。私の手で……」

「アあぁぁアア待ちなさいッ!! 今のあたくしには何の力も無いのよ!?」

「貴様は貧弱な人間から、ここまでに至った。次は必ずこれを超えてくる。ここで――」


 刃に、魔力が込められていく。


 熱が高まるように、次第に紅く光り始める。


「――死ね」


 爆発寸前の炎が、刃の内で燻る。


「ま、待って!! あたくし達、昔は仲良くやっていたじゃない!! またあの頃に戻れる筈よ! そうでしょう!?」

「…………」


 かつてのマダムの影はもうない。


『ヒルデガルト、女は強くなきゃ駄目。身なりにも気を付けなさい。他人に舐められてもいい事なんて一つも無いわ。このあたくしが容姿だけは認めてあげているのだから、見込みはある筈よ』


 拾われてすぐの何も知らないヒルデガルトに、気丈に語るマダムの姿はもう無い。


「……貴様は、どこか少しだけ……母に似ていた……」

「ヒルデガ――」


 絶叫じみた呼びかけも、炎に呑まれて消えてしまう。


 紅蓮の炎が、因縁を燃やし尽くす。


 悲しげな魔女により、灰も残さず燃やされた……。















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