第122話、一人ぼっちの緋色の魔女

 

「――グレースッ!! グレースゥゥ!!」


 帝国兵に捕らえられたマローナが、燃え上がる森林へ叫ぶ。


 夕焼けを思わせる程、高々と夜空を焦がし、どこまでも誇り高く燃え上がっていた。


「黙れッ!!」

「グフッ……!?」


 帝国兵に蹴られたマローナが転がる。


「お、おい! 母さんに乱暴するな!!」

「そんな事よりっ、話が違うじゃないのさっ!!」


 拘束されたままマローナに這い寄るロレンツォを余所に、彼の嫁は帝国兵に詰め寄る。


 周囲には他に多くの村人がいるが、その者以外は拘束されていた。


「――あそこにいる女を連れて行くだけじゃないのかい!?」


 ロレンツォの妻“レジーナ”であった。


 最近のロレンツォの様子がおかしい事から、村長であるマローナがいなくなるなり連日激しく問い詰めて訊き出していた。


 そうして遂に事情を知るなり激情に駆られた妻は止めるロレンツォを振り切りその足で家を飛び出し、村に滞在していた帝国兵の元へ向かい、何もかもを嫉妬と怒りの感情のままに喋ってしまった。


「……どうしますか」


 激しく揺さぶるレジーナに煩わしそうな兵士が、この大軍の指揮官へ問う。


「…………」


 焦りから汗を流す指揮官は難しい顔で考え込んでいたが、やがて口を開いた。


「……村人を殺して、村を焼け。徹底的にな」

「はっ!!」

「なっ!? な、なに、を……何を言って……」


 後退りするレジーナに構わず、指揮官は言う。


「慎重に交渉しろとあれほど厳命しておいたと言うのに……。皇帝陛下には先んじて例の魔術を放たれたと言う他ないな。そして……」


 指揮官の冷酷な視線が、レジーナへと向かう。


「っ、う、嘘でしょ……?」

「愚かな女だ。どこからか任務失敗の噂が陛下の耳に伝わるかもしれない。と言うのに、貴様らを生かしておく訳にはいかないだろうが。……今回は都合の良い事に、あの魔女の炎に巻き込まれて村ごと焼け死んだとすればいいしな」


 胸の内にある、初めから皆殺しにするつもりであった旨は秘めて告げた。


「そんな…………ガッ!?」

「っ、レジーナぁぁぁ!!」


 怯えるレジーナが指揮官によって刺殺される。


「喧しい……。こっちはそれどころでは無いのだ。……早く終わらせて撤退するぞ! いつまでもここにいる事を知られる訳にはいかん!」

「はっ!!」


 レジーナへ向けられていた視線は、憎悪から恐れへ変わり、兵士によって作業的に殺されていく。


 家々は、端から念入りに火を放たれ……。


 死体も大きな焚き火に放り込まれていく……。


「うぅ……グレースぅぅ……ごめんよ、グレース……」


 滂沱の涙を流して森の炎へ過ちを悔いる。


「……すまない、母さん……。……グァッ!!」


 しでかした事の重大さを理解したロレンツォごと……マローナが串刺しにされる。


 ロレンツォとマローナの胸部を貫いた刃から、血が滴り落ちる。


「……グレース……ひる、……で……………」

「…………」


 最後の老婆が死したのを確認し、


「よし、こいつらも焼いてしまえ。荷は纏めてあるな、直ぐに撤退だ」


 燃える森林や村に振り向きもせず、帝国兵は真夜中の田舎道を行軍する。


「貴様等も分かっているな?」

「無論です……。目前まで迫りみすみす魔女の捕獲に失敗したと知られれば、我等は全員処されるでしょう」


 馬上で、指揮官と副官が会話する。


「その通りだ。後は……」

「心得ております。……おい、諜報部隊を呼べ」


 諜報員に『緋色の大地』の新たな伝説を広める任務を与え、自分達は悠々と帝都へ帰還する。





 ………


 ……


 …








 朝日が登り、焦土と化した森林。


 未だ〈緋晶〉の火は、地を焼き続ける。


 そんな中……一つの人影が、扉を開けて地下より這い出る。


「……………はは?」


 恐る恐る呟かれた、母親を呼ぶ弱々しい掛け声。


「おぃ……………母……母……?」


 不安や恐怖を押し殺し、何度も呼ぶ。


 母と暮らした家はおろか、森も何もかもが消え失せた周囲に、潤む瞳で呼びかける。


「ぅぅ……っ……………ははァァァアァアア!!」


 悲痛に過ぎる幼い少女の慟哭。


 あまりにも辛い叫びが、焦土に響き渡る。


 そして、いつまでも泣いた。


 どうする事も出来ずに母を思い、ただ泣き続ける。


 だが、何時間も経つとやがて思い出す。


 昨夜の……最後の母との思い出を。


「ぐっ、うぅ……つよく……」


 止まらない涙のまま、よろよろと立ち上がる。


「……つよく……いきる……!」


 母の言葉をなぞって言うヒルデガルトの背後に、――紅の怪物が滲み出る。


「…………」


 気付いてしまう。


 あの強い母は実はどこかに行ったのではないかと、僅かな希望を持っていた。


 だが、今自分の中にある魔術・・の存在がそれを否定しようとする。


『――お前にも分かる時が来る。私のように、先祖達のように……』


 受け継がれる〈緋晶〉。


「…………」


 震える手で、……魔術を使う。


「――ッ!!」


 ……鮮やかな紅の結晶が炎を纏って生成された。


 それはグレースから受け継がれた魔女としての証。


 代々受け継がれていく、この世にたった一つの固有魔術。


 つまりグレースは……。


「っ、っ……」


 小さな体が崩れ落ちる。


 唯一とも言っていい最も大切なものを喪失した悲しみが、幼き身を襲う。


 度の超えた悲しみから声にならない声で嘆く。


「……っ……っっ…………っ………」





 ………


 ……


 …








 ヒルデガルトは、地下に残されていた僅かな金と共に村へ下りる。


 いつまでもあの場にいるのが危険な事は、幼いながらも聡明なヒルデガルトには分かっていた。


「…………」


 だが当てがある訳ではない。


 未だ果てなき悲しみの渦中にある彼女は、自然と近くの村に引き寄せられただけであった。


 全身を覆うローブを被り、たった一人、覚束ない足取りで村を行く。


「――おい、聞いたかよ」


 前から歩いて来る大男達の会話。


「あぁ、【緋色の魔女】だろ?」

「…………」


 ヒルデガルトの足が止まる。


「そうだよ。久しぶりに出たんだってな、あの怪物が。忌々しいったらねぇぜ」

「とんでもねぇよなぁ、しかもすぐ近くらしいじゃねえか。男の誘惑に失敗したからって〈緋結晶〉村ごと焼いたってよ」


 ……ヒルデガルトが歩み始める。


「伝承通りだな。ったく、そんなに男が欲しいなら俺が――」


 男の腕とぶつかる。


「あん? おい、ガキ。気を付けて歩――」

「――――」

「うッ!?」


 フードの中から覗く、尋常ならざる怒気の漲る眼光に大男が気圧される。


 幼女にあるまじき覇気であった。


「お、おい、子供に構うなよ。行こうぜ」

「あ、あぁ……」


 男達が去る。


「……………っ」


 ……立ち止まった小さな体が震える。


 思い切り握った拳や、噛み締められた歯。


 悔しさと悲しさに、再び涙が溢れる。


 しかしどれだけ耐えようとも、助けてくれる母はもういない。






 ………


 ……


 …








 あれから村を転々とするも……どこでも囁かれる【緋色の魔女】への罵詈雑言。


 思わず駆け出し、人のいない森へと逃げた。


 耐えられなかった。


 あの母の事を何も知らないのに。


 優しく、強く、気高いあの母の事を、何一つ。


 それからは、一人で森の中で暮らした。


 母から教わった生存術で、一人で生きる。


 数日、数ヶ月、数年……。


 もう絶対に、【緋色の魔女】の話は耳にしたくなかった。


 やがて孤独の寂しさに耐え切れず森を出て、各地を放浪する事になるとも知らず。


 そして、その道中のある出来事から……近くにいても自分に魅了されない『子供』という存在に気付く事になる。


 そこで待っている新たな悲痛と引き換えにして……。


 失意の中で荒野を彷徨い……マダムに拾われる事も含め、今のヒルデガルトにそれら全てをを知る術はない。


「…………」


 つい先日まで母の手で食べさせられた苦手なキノコを頬張り、飢えを凌ぐ。


 まだ森に入って数日。


 常に精一杯であった。


 母のいない日々は地獄というにも生温く、孤独が更なる苦しみを重ねる。


「……うぅ………っ」


 袖で涙を拭う。


 生まれ持った力、受け継いだ魔術。


 それらがあれども、未だ小さな子供であった。


 世間も知らず、唐突に母との幸せな日々を突然に奪われた純真な少女であった。


 辛い。


 悲しい。


 助けて欲しい。


 いや……戻りたい。


 あの日々に戻りたい。


 嘘だと言って、ただあの幸せな日々に戻りたいだけだった。


 優しい母のいるあの日々に。


「母ぁ……」


 涙は止まらない。


 しかし、母は言った。


『ヒルデ、強く生き“諦めていい……”』


 母が絶対に言わないであろう言葉が響く。


 ヒルデガルトの記憶に、刷り込みの魔眼が介入する。


『“諦めていい、ヒルデ……”』


 かつての壮絶な悲しみの記憶に、心の弱り切ったヒルデガルト。


『“あとは私に任せろ。何も考えず、……私に委ねるんだ”』


 身体から力が抜けていく。


 強いのではなく、強がりだったのかも知れない。


 烈火の仮面を被り、膨大な魔力で覆い、壁を作り、威圧し、必死に隠して来た。


 それも全ては、徒労に終わった。


『“世界は私達を拒絶した。お前を愛せるのは、私だけだ”』


 やはりそうだった。


 愛されようと努力しても、強く生きても、全ては無駄だった。


 自分の容姿に魅入られない子供達であろうとも、恐怖に慄き、背を向けて逃げた。


 あの時も、今も……。


 側に居てくれる者などいない。


 どれだけ金を得ても、強くなっても、寂しくても、誰も……誰も……。


 母だけだ。


 やはり母だけだ。


 自分を愛してくれるのは母だけなのだ。母がいたあの頃に戻れるのならば、それだけで……。







 ♢♢♢






「……やっと挫けそうね。魔眼と言っても思っていたより難しいわね……」


 地面を覆う〈緋晶〉の中心で、虚な瞳のヒルデガルトが涙を流す。


 魔眼を行使した直後、防衛反応からか魔術が発動され、燃える結晶がヒルデガルトから周囲に広がっていった。


 だが最早先程までの覇気は無く、誇り高き炎は沈んでいき、今いるのは絶望に呑み込まれた無垢なる少女であった。


 あとは、自分の指示が絶対だという記憶を刷り込むのみ。


『改変の魔眼』。


 正確には、別の記憶を刷り込み、相手を術者の都合の良いものに改変するというものだ。


 やりようによっては、価値観、人格、思考までも別物に仕上げられる極めて凶悪な魔眼である。


「安心なさい。これからはあたくしが飼い主になってあげるわ。誰もに忌み嫌われ否定されるあなたを愛してあげる。穢れたあなたを使ってあげる。可愛らしいお人形さんだもの、当然よ」


 屈服させた愉悦に笑うマダムが、勝利の余韻に浸る。


「…………」


 ヒルデガルトは既に抜け殻なのか、涙を流すのみ。


 既にマダムには先が見えていた。


 より馴染んだ大司教達の福音に、身体も大きく育っている。


 最早この世に恐れるものなど無いとの確信を持ち、マダムの欲望は更に高みへ向けられる。


「どうせならそうねぇ、この子に手伝ってもらってセレスティア王女や黒騎士なんかも――」






 ――あぁ、まったく……最高に気分が悪いなっ……。






 子供らしくない吐き捨てる声。


「は? 何……子供?」


 その声の主は、炎の中から平然と歩んで現れた。


「……あなた、ここは立ち入り禁止よ。食べられる前に子供は帰りなさい」

「君は後だ。黙っていてくれ」

「ッ……」


 有無を言わさない静かに滾る激しい怒り。


 不意を突かれたマダムは、どこまでも昏い子供の瞳に思わず息を呑む。


「ヒルデガルト……多分、君は勘違いをしている」


 ヒルデガルトの後方から〈緋晶〉をものともせず歩み寄った子供が、彼女の背後から……抱き締めるように空虚な目を覆い告げる。


 先程とはまるで違う、澄んだ声音。


 一切の邪念の無い、純心な声。


「…………」

「君は、多くの人に愛されている」


 精一杯の気持ちを込めた、思いを届ける言葉。


「君がくれた優しさは、俺達の中に確かに届いてる」


 これまでの数日を振り返りながら言う。


「心配してくれた。仕事をくれた。叱ってくれた。一緒にいてくれた。導いてくれた……」


 炎上する塔の中心で、穏やかに言葉を贈る。


「不器用だけど、俺達の事をよく考えた凄く温かいものだった。感謝してもし切れないよ。ありがとう、優しい魔女さん」


 胸の内を少しでも伝えようと、反応のないヒルデガルトにゆっくりと語りかける。


「まさか君が噂の【緋色の魔女】だったなんて思いもしなかったよ。……辛く壮絶な日々だっただろう。他人が想像も出来ない苦しみや悲しみを味わったことだろう。それなのに君は……俺達に多くをくれた」


 黒髪の子供の背後からは、四人の子供の姿が騒がしく追って来ていた。


 水を被ったのか、びしょ濡れ泥だらけの恰好で。


「君が懸命に生きて来たのは無駄じゃない。俺を呼ぶ為に探し回ったあの子達がその証拠だ。――君は、確かに愛されている」

「…………」


 炎の渦巻く花月亭に、命を顧みず再び踏み込んだ子供達。


 ヒルデガルトの加勢ができそうな唯一の戦力を探して走り回っていた。


「君といる時間は俺にとって、本当に楽しい一時だった。かけがえのない思い出だ。ありがとう、ヒルデ……」


 包み込むように思いを伝える。


「次は……」


 そして黒髪の子供の瞳に灯る、闘士の炎。


「――俺達の番だ」


 ヒルデガルトの涙が増していく。


 冷たく凍りそうだった涙を、温かい涙が流し落とす。


「もう一人にはさせないよ。君が悲しんでいるならすぐに駆けつける。君が心を痛めている姿はもう見たくない。君を傷付ける奴がいるのなら……」


 黒髪の子供が、マダムを見上げる。


「……この俺が相手になろう」


 子供らしからぬ力強い視線と熱き言葉。


 これまでに感謝し、これからを守る為に拳を握る。


「……ほほっ。その子の味方をするという事が何を意味するのか分かっているのかしら。それとも子供ってそんな事も分からない程にお馬鹿なの? 興味がないから分からないわ」

「何を意味するの? 言ってごらん」


 ヒルデガルトの前に庇うように立ちはだかり、つまらなそうな視線をくれていたマダムと相対する。


「世界中から白い目を向けられるし、その子と同じく迫害されるわね。今まで親しかった者達からも、石を投げられ罵倒を浴びせられるわねぇ」

「関係ないね。俺は俺のやりたいようにやる。たとえ家族や仲間が敵に回ろうとも、俺は揺るがない。何があってもだ。何があってもこの子の味方だ」

「…………」


 マダムの背筋が寒くなる程の『傲慢』。


 不敵に過ぎるその態度に、天にも届く力を得たとするマダムも無視できなくなっていた。


「誰もが彼女を疎み、世界が災厄として排除を望んだとしても、それは俺が許さない」

「オッホッホ。あなた如きに何が出来るの? 子供と言っても、国に飼われる勇者や英雄は助けてくれないわよ? その女は【嫉妬の淫魔】。厄病神なのだから」

「面白い事を言うじゃないか。……っ」


 目の笑っていない愉快そうなマダムへ、自信漲る笑みで歩もうとした子供の手が取られる。


「…………」

「…………」


 精一杯の力で握るヒルデガルトの小さな手を、ゆっくりと解いて離させる。


「……君の生き方は間違っていない。誰にも否定なんかさせないよ」

「…………」


 柔らかい微笑でそう言い、指でヒルデガルトの涙を拭う。


「俺が証明するよ」

「まて……っ」


 未だ力の入らないヒルデガルトを背に、再びマダムへと歩き出す。


「勇者や英雄が手を差し伸べないなら、俺が掬い上げてもいいだろう?」

「……愚かねぇ」

「愚かであったとしても、ここで戦わないなら俺じゃない」

「あらそうなの?」

「っ――――」


 足元から何体もの泥人形が生まれ、子供に次々と覆い被さっていく。


「ッ……!!」

「コクトっ!!」


 ヒルデガルトの目の前で、泥のグロブに巻き込まれながらドーム状になるまで覆われる。


 カエデの叫びも虚しく、大蛇が固く締め上げるように流動しながら泥に完全に呑み込まれてしまった。


「もうお喋りはいいから苦しみながら死になさいな。さっ、また初めからやり直しましょ」

「貴様……ッ」

「ホホホホホッ!」


 激憤に駆られたヒルデガルトが立ち上がろうと力を込める。


 精神的に衰弱して立つ事もままならないその姿に、ぞくぞくと身悶えるマダム。








 ――暗黒が噴火する。







「何ッ!?」

「グッ!? くぅぅ……!!」


 マダムを泥ごと押し退ける漆黒の魔力。


「彼女を笑わないでもらおうか……」


 跪けとばかりに溢れ出す。


「ッ……!!」

「うぅ……ッ」


 勢い凄まじく、際限なく噴出する。


「ッ……やるわねぇ……」


 やがて収まるとその発生源には、先程の子供と同じ体勢で気を楽に佇む……黒髪の男がいた。


「泣いているヒルデを見て俺はかなり機嫌が悪い。やり過ぎるだろうから、派手に散ってくれ」

「……ほほほっ!! 果たしてあなたに出来るかしらねぇ……?」

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