第120話、マダム、めちゃくちゃ人を辞める

 

「…………」


 燃える……。


 何もかもが、紅い結晶の放つ炎により燃えていく……。


 かつて、村や森ごと灰にし、誰もが知る事となる大虐殺を生んだ忌まわしき紅蓮の結晶……。


「……ひ、緋結晶……」

「ぅ、ぁぁ……」


 ヒデの血の気が引いていき、ランが尻餅を突いて怯む。


「ウソ……」

「…………」


 カエデやタマキも、恐れ慄く。


「……マダムさん、確かめてください」


 アマンダの指示に、マダムから大きな氷塊が撃ち出される。


「…………」


 ヒルデガルトの翳した手の上に、火炎を纏う緋色の結晶が生まれ……何気なく放られた。


 大きさからすれば氷塊の半分にも満たないまでも、その結晶は氷塊を粉々に砕き、灼熱の炎で完全に蒸発させてしまう。


「……………ぅ……うわぁぁああーっ!!」


 ランが奇妙な悲鳴を上げながら、逃げて行く。


「っ、まてよぉ!!」


 背を向けて走る。


「っ……!!」

「えっ、お、おいてかないで!」


 ヒデも、カエデも、タマキも、ヒルデガルトに背を向けて、後に続いて走り去っていく。


 目の前の少女は全てを灰塵と化す災厄の魔女、【緋色の魔女】なのだから。


「…………」


 微かに俯くヒルデガルト。


「……穢らわしい」


 解除された結晶が舞い落ちる中、歩み出るアマンダから軽蔑の言葉が吐かれた。


 その表情は、嫌悪そのもの。


「男と見れば、誰彼構わず擦り寄り床を共にする魔女……。……ァァァッ、吐き気がするっ!」


 激憤に彩られていた。


「……言いたい事はそれだけか? なら――」

「選択肢の一つとして、あなたにも魔眼を使おうと考えていましたが……膿ならば世界から取り除かねばなりません」


 不快感からの鳥肌を我慢出来ずにいるアマンダが高く飛び上がる。


「マダムさんもコレの前に沈みました……。彼女ほどの肉体を持たないあなたならば、跡形も残らないでしょう」


 炎上する塔を背景に、魔力の翼を輝かせる。


「……朝のはそれか」

「――〈見放されし者に最後のジウ・ラ・ヘクマ慈悲を〉」


 無慈悲な司教により形成された、三メートルを超える魔力の槍。


 かつて大規模反乱があった。


 それを沈黙させる為に放たれた一投。擬似聖槍を元に開発された特別な魔術であった。


 アマンダの魔眼に次ぐ大技である。


「悪しき魔女に、永遠の慈悲を……っ!!」


 それが、投下された。


「――もう遊びはたくさんだ」

「なっ……!」


 掴み止められる。


 紅い結晶により覆われ、龍の爪のように凶悪な形状となったヒルデガルトの手によって。


「貴様に構っている時間は無い」


 炎を宿した結晶の右手で魔力の槍を燃やし、握り潰して告げた。


「まさか……そんな……何故、魔女如きがここまでの力を持つのですかっ!!」

「喚くな。教えてやる義理などない」


 ヒルデガルトの魔力が昇り、頭上に燃え上がる巨大な紅の球体を作り出す。


「――〈紅時雨べにしぐれ〉」


 球体から小さな欠片が剥がれ、炎の弾丸となって降り注ぐ。


「っ、ハァァァ!!」


 本能的に危機を悟り、翼からありったけの魔力の針を放つ。


 だがそれは、迎え撃つには程遠く、勢いを減らす事もできずに無数の弾丸に打ち砕かれた。


「クッ、ぐぁぁあああ!!」


 一つの弾丸が肩を掠めただけで、焦されて吹き飛ぶ。


「――ウッ! ……っ」


 マダムの巨体に受け止められ、よろよろと起き上がるアマンダ。


 魔女というよりも、魔王の強さを誇るヒルデガルトを憎々しげに睨む。


「……私だけで天誅を下したい思いがありましたが、ここはマダムさんの力を借りるとしましょう。……ガッ!?」


 アマンダの頭部が鷲掴みにされる。


「――あら、あなたと一緒? そんなの嫌よ」

「ぇ……」


 降って来る、怖気の走る声。


「あなたの役目は終わったの。もういい歳なのでしょう? いい加減に逝きなさいな」

「あ、あなた……っ」


 アマンダの顔の真横から、……笑みを浮かべたマダムが死を告げる。


(……ふん、やはりな)


 猿芝居を眺める眼差しのヒルデガルト。


 彼女だけは、マダムが操られている現状を不信に思っていた。


「あなたは私の魔眼に囚われている筈でしょう!?」

「嫌だわ、あなた程度に負ける訳がないじゃない。何の為にここまで力を付けたと思っているのよ。と言いたいのだけれど……あのグロブとかいう坊やに聞いたのよ。あなたの魔眼の弱点を」


 死神が囁くように、鎌を振り下ろすように、ゆっくりと告げる。


「あなたの魔眼。相手の魔力に干渉する都合上、相手の魔力量が……大雑把に見てあなたの三倍以下で無ければ効かないのでしょう? だから念を入れて初めに戦って魔力を使用させようとしたのよね?」

「だ、大司教の福音を持つ私の三倍など有り得ません!!」


 寒気のする怪しげな笑顔で、マダムは続けた。


「そんな事はないわ。あなたの同僚さんを足せば足りるじゃない」

「…………」


 アマンダが凍り付く。


 まさかと思っていたが、有り得ないと切り捨てた。


「言いたい事は分かるわ。人を人が食べてもうんたらでしょう? ……あたくし常々思っていたの、周囲の者達を見ていて。つまり、それが凡人の限界なのよね。言い訳ばかりで不可能と決め付けて」


 妖しく笑うマダムの腹部の衣服が、内側から破かれる。


「っ……!?」


 ヒルデガルトさえも、気色の悪さから顔を僅かに顰める。


「ねぇ? ――この子・・・が食べてくれればいいのよ」

「……な、に……それ……」


 横目のアマンダが、愕然となるそれは……。


「この子は……」


 マダムの腹に埋まる……大きく悍ましい蜘蛛。


 人面のようにも見える模様の腹部が半分に開き、夥しい牙を見せて開いていた。


 八足の脚や八つ目の頭部なども結合、マダムと完全に融合して一体となっていた。


「……“寄生蜘蛛パルアサン”。特殊な毒で小動物や魔物の精神を乗っとり、宿主と共に他者を喰らい成長する怪蟲……。本当はもっと小さいのだけれど、あなたのところの大司教さん達のお陰でこんなに育ってしまったわ」


 本来ならば、発見する事すら困難な希少な蜘蛛である。


 この蜘蛛は、他の生命の持つ魔力を喰らう事で体内に取り込める特性を持つ。


 運や大金を駆使して手に入れたとしても、自分に植え付けるなど乗っ取られるだけで何の意味もない。


 だが仮に、何らかの加護を受け、それが寄生蜘蛛パルアサンの毒に耐えられるものであるとすれば……。


「ベネディクトさんには感謝しかないわ。この福音のお陰で私とこの子は結ばれたのだもの……」

「っ、あ、あの者らが戦闘経験の無いあなたに敗北するなどっ!!」

「あぁ……あたくしも一人目は苦戦すると思っていたのよ? でも都合の良い事に、大怪我をしていたり、魔力の底が尽きていたりと、何の手応えもなく頂けたわ」


 腹に埋まる寄生蜘蛛パルアサンが、物欲しそうにカチカチと腹部の牙を鳴らす。


「ヒッ!?」


 大司教の福音を持つマダムの影響なのか、喰らったグロブ達のせいなのか、通常では有り得ない大きさとなった異常な寄生蜘蛛パルアサン


「あらあら、まだお待ちなさい。あたくし、もう一つあの坊やから聞いていたの。それを試させてもらうわぁ」


 贅肉に包まれたマダムの顔が、歪に嗤う。


「……おいでなさいな」


 マダムの足元から、泥が発生する。


 波打つように集合し、奇抜な髪型をした青年の人形を数人形作った。


「これは……グロブッ!? ――クァッ!!」


 泥の人形達は、マダムに代わりアマンダを押さえ付ける。


「さぁさ、本当の姿を見せてごらんなさい」

「グゥッ!? や、やめ――」


 近付く分厚い指に、マダムの意図に気付く。


「――ああァァァああぁぁアァアアッッ!!」


 右眼を抉られたアマンダが、激痛から絶叫する。


「あ〜むぐっ。……ホホホホっ、偽りの仮面がもう剥がれて来たじゃない」

「……ぁ、ァァ……」


 叫ぶ力も急激に弱々しいものになり、一気に干からびていくアマンダ。


 眼玉を丸呑みにしたマダムよりも、異様な変化であった。


「……なんだそれは」


 ヒルデガルトも目を疑う程に老け込み、瀕死の老婆と化してしまう。


「ヒュー、ヒュー……ぁ、ぅぅ……」

「魔眼の力よ。魔眼を自身にかけて、自分自身の肉体さえも騙していたの。……エンゼ教最凶の切り札と言うだけはあるわ。ありがとう、アマンダ。そして……」


 呼吸もまともに行えていないアマンダが放り上げられる。


「かひゅッ!?」

「っ、ちぃぃ」


 仲間割れだと静観していたヒルデガルトが嫌な予感から、地を這う緋晶の高波を生み出す。


「邪魔はしないで頂戴ッ!!」


 命じられた泥のグロブ人形達が、火炎吹く結晶へ一斉に拳を打ち込む。


 が、……少しも勢いは衰えず、泥人形達を爆炎で蹴散らしながら尚もマダムへ襲いかかる。


「あぁもうッ! 本当に厄介な子ねッ!!」


 自身で次々と泥の大波を生み出し、生み出し続け、目前で何とか〈緋晶〉を相殺させた。


「ぅあぁ!?」

「はいさようなら」


 そして、アマンダが寄生蜘蛛パルアサンの口に飲み込まれてしまった。


 内側から声にならない悲鳴と、蜘蛛の骨を噛み砕き咀嚼する音が建物を焼く炎と共に微かに聴こえた。


「……あぁ……ああ……やっと最後の食事が終わったわぁぁアアっ!!」

「面倒な……」


 予定の全てを食べ終えたマダムが、恍惚とした表情で黒煙上がる空を見上げる。


「ようやく馴染んで来た……。……あなただけの為にここまで用意したのよ……」

「嬉しくも何ともない。――さっさと燃え尽きろ」


 再び〈紅時雨〉を生み出し、マダムへ撃ち込む。


「ぁぁ……あぁ……」


 降りしきる紅の炎弾をまるで水浴びするように受け続けるマダム。


 皮膚は焼かれ、肉は穿たれ、全身が炎に呑み込まれていく。


「…………」


 それでもヒルデガルトの胸の内から消えない危機の予感。


 そのようなヒルデガルトの心中に反し、マダムはあっという間に黒焦げとなってしまった。


「…………」


 炎上する塔の状況を考えてば、一刻も早く背を向けて立ち去るのが得策だろう。


 しかし――


「――――」

「ふぅ、貴様はしぶといから嫌いだ……」


 マダムが割れていく。


 その中から、―――――下半身が蜘蛛の年若い妖艶な女が、這い出る。


 アマンダのように豊かに過ぎる胸に、引き締まった腹回り。


 その艶やかな上半身が、大蜘蛛の下半身から生えていた。


「あ〜、凄いわぁ……。すっきりして、何だかとても漲るの……。生気も、魔力も、活力も……」


 声には若々しい張りがあり、女の背に二枚、腕にも小さな羽が夥しく生えていた。


 黄色と黒に彩られたその異形は、八つの黒目をヒルデガルトへ向ける。


「……待たせたわねぇ、ヒルデガルト。さぁ、じっくりと語り合いましょう? 久しぶりに、ねぇ?」

「…………」

「あぁ、安心なさいな。あたくし、魔女だなんだは興味がないの。別に軽蔑したところで欲しいものが手に入る訳でもないでしょう? 無駄なのよ、馬鹿馬鹿しい」


 気のせいなのか、今もまだ大きくなっているように思うマダムらしき蜘蛛女。


「あぁ……やっとあなたに勝てるわ、全てにおいて。強く、気高く、容姿まで優れているあなたに……。あたくしは何もかもを手に入れたのよ。若さも、美貌も、力も……」

「ふん、所詮は嫉妬していたと言うだけだろ。その結果、醜い化け物に身を堕とした。劣等感など貴様だけで勝手に解決しろ。目障りだ」

「ほほ、口の減らない子ねぇ……」


 余裕のある声音のマダムが、再度グロブの泥人形を一体作り出す。


 泥人形が、捻じ切れんばかりに拳を振り上げ……踏み出す。


「――くっ!?」


 別物の速度でヒルデガルトの眼前へ迫り、拳を叩き付ける。


「燃えろっ」


 炎纏う緋色の爪が迎え撃つ。


「……………っ」


 緋爪が、砕け散る……。


「っ、――邪魔だっ!!」


 膨大な魔力を更に込め、〈緋晶〉の巨山を地より突き出す。


 これまでよりも遥かに強い一撃に、泥人形は跡形もなく吹き飛ぶ。


「……驚いたわ。あなた、まだ本気では無かったの?」

「はぁ……はぁ……」

「用心には用心を重ねて本当に良かったわねぇ……こんな風に……」


 マダムの口が開かれ……、紫色の魔石が顔を出す。


 と、認識した時には放たれていた。


「―――――ッッ!!」


 轟音が鳴る。


 泥人形を消し飛ばした〈緋晶〉は、儚く木っ端微塵に砕け、紫の雷は背後の回廊をも突き抜ける。


「ぐ、ぐぅぅ……」

「認めるわ。あたくしは、あなたの可憐で苛烈な美しさに憧れたの。だから……」


 稲妻の魔石弾の余波に飛ばされたヒルデガルト。


 チラリと目を向ければ、魔石弾の通った後の塔は大きな円形にくり抜かれ、貫通力と威力の絶大さを物語っていた。


 視認すら出来ない速度と威力からして、今も大地を駆け抜けているのかも知れない。


「どこを見ているのかしら」

「っ!? ――くっ!!」


 マダムから吐き出された糸が巻き付き、ヒルデガルトの小さな身体を軽々と振り回す。


「―――――ッ!!」


 腕を〈緋晶〉で包み、炎で糸を焼き切る。


「ッ、ッッ、……ぅ、ッ……」


 遠心力による勢いは強く、小さな身体が跳ねるように地面を転がる。


 既に全身は打ち身や傷だらけ、生まれ変わったマダムに遊ばれ、体力は勿論、魔力も大きく削られていく。


「あら残念……」

「はぁ……はぁ……っ」


 ヒルデガルトの尚も強い真っ直ぐな瞳を、マダムは酷く嗜虐的な眼差しで見下ろす。


「……〈緋塊〉ッ」


 マダムの巨体程もある〈緋晶〉が、撃ち出され……。


「はいはい」


 マダムが虫を払うように手を振る。


 ただそれだけで〈緋晶〉は砕け、マダムの意図せず生まれた強大な鎌鼬が上部の回廊を大きく切り裂いた。


「……気を付けないといけないわねぇ。あたくし、完全に馴染んだら・・・・・・・・どれだけ強くなるのかしら」

「…………」

「……いいわねぇ、ぞくぞくするわ」


 悔しげな表情で苦しむヒルデガルトの様を眺め、愉悦に浸る。


 ヒルデガルトの周囲を、多くの泥人形が取り囲む。


「纏めて死――」

「――お痛は感心しないわよ」

「ッ――!!」


 紅い魔力を練り上げつつあったヒルデガルトの上空を、背筋の凍る熱量の何かが通り過ぎる。


「……………っ」


 恐る恐る振り向くと……、塔の二階から最上階までが縦に抉られていた。


「あらヤダあたくしったら。アレってこんなにも威力があったの? 軽く振ってみただけなのだけれど。あの女が弱過ぎたから勘違いしてやり過ぎてしまったわ」

「なっ!?」


 後頭部真後ろから聴こえた声音に、急激な怖気を感じながら振り向く。


「っ……」

「あなたを超えるにはどうしたらいいのかしら。あなたに追い出されたあの日を上回る屈辱を与えるにはどうしたらいいかしら。……坊やからあの女の話を聞いた時、一つ思い浮かんでいたの」


 糸で逆さとなったマダムの八つ目と、ヒルデガルトの視線が間近で交差する。


「さぁ……」


 泥人形達に押さえ付けられたヒルデガルトの顎を指で上げ、強引に目と目を合わせる。


「ッ、触れるな!!」

「――貴女を頂戴・・・・・?」

「ッ……!!」


 マダムの額中央に、九つ目の眼が浮き出る。


「魔女のお人形さんなんて、素敵じゃない……?」


 ぎょろりとした眼に、魔法陣が描かれた。

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