第119話、魔女
結局、ヒルデガルトと昼まで寝てから厨房で働いた。
昨日のアクアパッツァを見ていた料理長に腕を見込まれ、同じ見習いの子達に睨まれながらも焼き魚係に任命されてしまった。
松之助にはまだ及ばないが、奴に見本を見せてもらったので今日だけでも確実に腕前は上がったと言える。
ヒルデが指示したのか早めに休みがもらえたので、第二厨房を借りて試作品の研究をし……。
「……どうだろう。個人的な好みだから自信が無くなって来たんだ」
花街の端っこにて、料理長の代わりに試作品Xを遊女さん達に食べてもらう。
さっきカゲハにも食べてもらったけど、気を遣ってか評価がめちゃくちゃ高かったので逆に不安になってしまった。
でも彼女とミストにはもっと別のご褒美をあげないと。昨日の件もそうだが、俺を心配してリリアを王都まで送った後、すぐにここまで飛んで来てくれたのだ。
「……これは、当たるわね。後でレシピ教えてよ」
「美味しいわ。家でゆっくり食べたかったわぁ……」
絶賛。
「……マジで?」
ちょっと良い反応過ぎて、ベタ褒めする遊女さんを疑ってしまう。
「本当本当!」
「美味しいって! このご飯キノコ!」
キノコに主役の座が奪われる。
「キノコの炊き込みご飯だよ。でもありがとう。自信が持てて来たよ」
長椅子に座って特製炊き込みご飯を食べる遊女さん達に、純粋な感謝を伝える。
「よっしゃ、これを明日にでも料理長に食わせようかな。……本当はもっと色んな人の意見を聞きたかったんだけど……忙しそうだね」
「あぁ、今日は難しいやろな」
食堂の夢を持つ遊女さんや役者志望の遊女さんが、疲労を滲ませて言う。
「あのチンピラがいなくなって客が倍増してるのよ、今。だから他の娘達も大忙しなの」
「流石にウチらはもう限界やけどな……。あ〜、すぐ帰って寝たいわ……」
稼ぎ時だったから無理をしていたらしい。
「お疲れのとこ無理言っちゃったね、ごめん」
本当に申し訳ない。
貴重な時間を割いてくれるなんて、なんて温かい人達なんだ。
「夕飯ご馳走してもらったんだから謝らないでよ。こっちこそ感謝してるんだから」
「他の娘達の分も作ってくれたんやろ? ホント、あなたみたいな子が恋人やったらなぁ……」
「……あんた、子供に手を出すんじゃないわよ」
「わ、分かってるて!」
気さくで優しくて、仲間意識が強くて、個人的にもとても好感が持てる人達だ。
「――また出たわよ、犠牲者が」
寂しげな顔で、一人の遊女が脇道からこちらへ寄って来た。
「ひょっとして……顔が?」
「うん。身元が分からないように焼かれてた。しかも、何回も胸を刺されて殺されて……」
不穏な会話に、つい口を出してしまう。
「詳しく聞きたいな。何があったの?」
すると、顔を合わせて言い渋る仕草を見せるもやがて……どちらともなく口を開いた。
「……ほら、あんたも知ってるでしょ? 遊女……まぁ娼婦ね。そういう人が死体で見つかる話。ここでも偶に出るのよ。今日は……顔を焼かれて胸を刺される死体が上がったらしいわ」
「…………」
切り裂きジャックみたいなものなのだろう。
何にしろ気分の悪くなる話だ。
「……ねぇ、それどこで見つかったの?」
「すぐそこの河原よ? 川の物陰に引っかかって見つかるのが遅れてて、さっき兵士さん達が死体を引き上げる算段を立ててたわ」
「ありがとう。ちょっと行って来るね。これ良かったら食べてみて」
新しく来た遊女さんに、炊き込みご飯おにぎりを持たせてから裏道へ歩んで行く。
「ち、ちょっと! あんたが思う程ここらは安全じゃないのよ!?」
「大丈夫だよ。それに誰かが終わりを見届けてあげないと、あんまりじゃないか」
………
……
…
花街から少し外れた連れ込み宿の並ぶ区域。
俺が到着した時には、建物の裏を流れる河原で兵士さん達が遺体を引き摺り上げているところであった。
「…………」
「……最悪ね」
付き添いとして来てくれた遊女さんが、弱々しく呟いた。
「あん? ……おい、そこの子供。こんなとこに来るもんじゃねぇ。帰んな」
「知り合いかもしれないんだ。せめて連れて行くまで見届けさせてよ」
「……あんまり見るなよ、本人の為にもな。酷い有様なんだから」
「うん」
兵士さんに取っては慣れたものなのだろう。
一々心を痛めていたらキリが無いのか、作業的に遺体を調べたりしている。
「胸辺りを酷く切れ味の悪い刃物かなんかで刺しまくってるな……」
「その後、そこらの宿から投げ捨てたんだろう。顔を焼いてな……」
切れ味の悪いか。それにしては傷口が……………。
「…………」
「……さっ、もういいでしょ。戻るわよ」
「そう、だね……」
遊女さんが、静かに泣いていた。
「もしかして……」
「……まぁね。たまに大浴場を一緒に使う事もあったし、身体のコンプレックスとか言い合う事もあったのよ。からかったり、冗談言いながら……」
遊女さんが、遺体に視線を向けた。
溢れる涙を拭い、震える声で告げる。
「……あの娘の場合は、お腹にあるアザがそうだった」
「友達だったのか……。ごめん……戻ろう」
涙の止まらない遊女さんの背を押して、帰路に就く。
山賊などにやられた死体を見慣れているせいか、彼女への配慮が足りなかった。反省しなくちゃ。
「金持ちや権力持ってる奴の目には……どう映ってんだろうね、あたし達みたいな弱い立場の人間は……」
「……俺には、そういう人達の気持ちはわからない。ただ、さっきのみたいなのは……」
……気に入らないな。
♢♢♢
自室として使っている花月亭最上階の窓から、ヒルデガルトが満月を見上げる。
その表情は物憂うようで、どこか悲哀を感じさせるものであった。
翠嵐亭の最上階が吹き飛んだという報告。それが例の朝の衝撃で、マダムによるものだとすれば……。
まるで何かを喪失してしまう事を予期しているかのような、酷く悲しげな眼差し。
幼さ残る顔立ち。それに反する艶やかな女性的な肢体。
特注で作らせた赤と黒の着物からは、大きな胸の谷間と白く美しい太ももが覗いていた。
普段の覇気とは別に、すぐにでも消え入りそうな儚さのある姿で、ただ空に浮かぶ満月を眺めている。
「……何か用か?」
「っ……!! も、申し訳ありません!」
その光景に心奪われていたヒデが我に帰り、深々と頭を下げた。
「構わない。用件を言え」
「は、はいっ。……別塔の方に、奴等が……」
「来たか……」
覚悟を固めるようにゆっくりと目を閉じ、……おもむろに立ち上がる。
そして襖辺りに座る子供達に目を向ける。
「……そろそろヒデは外の街へ旅立つ頃だな」
「えっ……」
「旅立つ時には他の者同様に金をやる。やりたい事を見つけて、相応しい者と添い遂げろ」
「い、いえ、俺はまだ……」
「今すぐじゃない。クジョウに留まるのもいい。そろそろ準備を始める頃だと言うだけだ。……お前達も先の事を夢見て強く生きていけ。強くな……」
普段通りの威厳ある可憐な顔付きで、子供達へ告げた。
「…………」
「…………」
自分達とさほど変わらない年頃の少女ながら、そう諭す姿は本当の姉のように思えた。
「……ふん、さっさと始末してやる」
ここで負ければ、少なくとも子供達は再びただの弱者として野に放り捨てられる。
マダムに情など期待できないのだから。
「別塔の客を帰らせろ。予約も全てキャンセルだ。従業員も塔に近寄らせるな」
「ぜ、全員ですか!? 警護の者も!?」
「そうだ。誰一人近付けるな」
「俺らも連れてってくださいっ! 一人じゃ危険です!」
背後のカエデが、また言ってると小声で言うのを聞きつつも強く請う。
「一人の方がやり易い。いや、一人でなければまともに戦えない」
「し、しかしっ!」
「絶対に来るな。カエデ達には言ったが、あの女は甘くない。お前達にも決して容赦はしない」
だからこそ今夜、確実に殺さなければならない。
………
……
…
回廊に囲まれた六階建の塔、『火輪塔』。
普段であれば外側を見上げれば、桜やクジョウの街を眺めながら花月亭自慢の料理に舌鼓を打つ客の姿が見える筈が、今はなく……。
「…………」
貸し切りの場合にのみ中央の中庭に設えられる、特別なテーブル。
手入れの行き届いた松や苔の生えた岩などが、提灯の淡い灯りに照らされる。
「……貴様がアマンダか。奴はどこだ」
テーブルに掛けていたのは、眼帯を付けた修道服のアマンダと言う女であった。
いくつかの傷が見えるも、優雅に食事を口にしている。
「まぁまぁ、まずは穏便にお話をしてみませんか?」
「…………」
朱色の柱で造られた塔の中心で、二人の女が向かい合う。
「私の要求は、スカーレット商会からのあなたの退陣。これ一つです」
「話にならないな。その必要がどこにある」
腕を組んで尊大に告げたヒルデガルトから、紅いオーラが滲み出る。
「お待ちなさい。闘わずとも私達は問題を解決する事は出来ます。あなたの結局の望みは何なのか教えてください」
「…………」
「私が受けた指示は、マダム・リッチンの望みの手助けをする事。……つまりは、あなたの失脚が叶えばそれで良いのです」
平和的な解決と言いつつも自分の主張を曲げるつもりのない事は、ヒルデガルトもこの時点で既に察していた。
「貴様如きが叶えられる望みならば、既に自分で叶えている。そうは思わないのか?」
「聞いてみなければ何とも言えません。教えてもらえませんか?」
「それにだ」
アマンダを無視して続ける。
「マダムがスカーレット商会に戻れば、ここの子供達は間違いなく捨てられる。奴は身分の低い者や子供を嫌っているからな。どのような取り決めを作ろうとも必ず追い出すだろう」
「子供……?」
不思議そうに、と言うよりも意図が全く分からないとでも言いたげなアマンダ。
「……それくらいならば良いのでは?」
「…………」
「彼等は存外に逞しいものですよ。ここでなくとも上手く生きていくでしょう。マダムさんの望みでないなら、そこは私としても譲れません」
「……もういい、黙れ。貴様の声音は酷く不快だ」
妥協点など有り得なかった。
アマンダの無責任な言葉の数々が、交わることのない価値観を確信させた。
「もう一度だけ言うぞ。……マダムはどこだ。最早奴を生かしておく気は毛頭ない」
「…………」
アマンダも僅かなりとも引く気のないヒルデガルトに、瞑目して一つ溜め息を漏らす。
そして――
「――来なさい」
「…………」
アマンダの背後に降った巨影が、地を鳴らす。
「……少し見ない間によく育ったようだな」
肉や骨格から、何から何まで膨張したマダムが虚な目でそこにいた。
特に腹部は異様な程に盛り上がり、着物の下を想像する事すら憚られる。
「彼女は現在、私の傀儡と化しています。強くなり過ぎていたので少々苦労させられましたが」
「傀儡……?」
俄かには信じられないという視線を、反応のまるでないマダムへ向ける。
何らかの能力によるものなのか、確かに命令をひたすらに待っているように見える。
「えぇ、確かに。勿論、手の内は明かせませんよ?」
「ふん、必要ないな。むしろ、手間が省けた……」
ヒルデガルトが手を翳す。
その手には、煌々と紅く輝く魔力が集まっていく。
「……マダムさんも異常ですが、あなたのはもしかすると彼女よりも……」
「死ね」
特大の紅球が放たれた。
「……あの時の判断は正しかったようですね」
糸目が僅かに開かれ、翼が生える。
「マダムさん、お願いします」
アマンダの命令に、マダムが緩慢な動きで脂肪に覆われた口を開ける。
そして―――――特大の火の球を吹き出した。
火球はヒルデガルトの魔力弾を相殺し、周囲に熱波を広げる。
「正真正銘の化け物に堕ちたか……」
「あなたは彼女の事を言えませんよ? ――っ!」
続けて放たれたのは、アマンダの魔力の翼から無数に射出された魔力の針であった。
「鬱陶しい」
右手に込めた紅い魔力を薙ぎ払い、魔力の波動で纏めて消し飛ばした。
「――――」
すかさず魔力弾をアマンダに見舞う。
「力比べですか?」
対するアマンダも負けじと魔力を手に集める……だが、その瞬間にヒルデガルトが指を鳴らした。
「っ……!? ――グッ!?」
直前で弾けた魔力に驚いた直後、連続して放たれていたヒルデガルトの魔力弾が腹部を直撃。
後方の柱にまで弾き飛ばされてしまう。
「貴様は口を開くな」
続け様に、火球を放とうしているマダムへ速度重視の魔力弾を飛ばし……放たれる前に爆散させた。
「っ、くっ、――っ!?」
「弱いな、特に貴様は」
口元を焦がすマダムに気を取られたアマンダが起き上がり視線を戻した時に目にしたのは、既に指先に魔力を溜め終えたヒルデガルトであった。
明らかに戦闘に慣れていた。
ユミやグロブと違い魔眼に頼って来た自分やマダムなどよりも、遥かに。
大きな魔力だけでなく、単純に戦い自体の実力がかけ離れている。
「まず貴様からだ……」
「クッ!!」
咄嗟に、魔眼を発動しようと右眼を開く。
間に合うかは賭け。しかも間に合ったとしても、アマンダの魔眼にはある条件も伴う。
そんな博打を打とうとした緊迫の一瞬。
「――ヒルデガルト様っ!!」
「ッ……」
背後からのヒデの呼び声に、優位が崩れる。
振り返ったそこには、ヒデ……そしてカエデやラン、タマキまでいた。
ヒデを止めようとしてのか、加勢のつもりなのかは分からない。
だが……。
「……うふふ」
アマンダの唇の端が歪に吊り上がる。
「マダムさん、お嫌いな子供達が来ましたよ?」
危ういと判断したアマンダにより制限されていたマダムの力が解き放たれる。
口を開いたマダム……。
喉が膨らみ、赤い石のようなものが口内に見えて来た。
それは矢よりも速く吐き出され、込められた強い魔力により炎を纏って突き進む。
「――っ!!」
一歩も動く事なくアマンダ等を相手取っていたヒルデガルトの顔付きが変わる。
〈魔石弾〉。
高価な魔石を蓄えた有り余る魔力を込めて撃ち出す、マダムに許された金と魔力任せの大技。
突き進む魔石を目にしたヒルデガルトが直感する。
自分の魔力弾でさえ、これを防げない事は明らかであると。
しかし、背後には子供達がいる。避けるわけにもいかない。
「――っ」
炎を纏い轟々と迫り来る魔石に、ヒデ達が息を呑む気配を感じる。
「……ふん」
いつもよりも、ずっと弱々しいヒルデガルトの口癖が聴こえた……。
マダムを相手にするとなった時、こうなる覚悟は決めていた。
――〈
紅の結晶が、ヒルデガルトの眼前に迫る火の魔石を突き上げる。
魔石は容易く砕け散り、天を衝く小さな山の如き結晶から、塔を焦がす業火が生まれる。
「…………」
暫くの間、誰の耳にも届くのは……炎が塔や中庭を焼く音のみ。
鋭く聳え立つ緋色の結晶。
触れるもの全てを燃やし尽くさんと舞い上がる豪炎。
一目で強大と分かる迫力と凶悪さを見せる魔術を前に、微動だに出来ずにいた。
「……燃える、結晶……」
無意識の内に出たヒデの言葉。
「…………」
塔の中央に渦巻く炎に煽られ、黒髪が陽炎のように儚げに揺れる。
凛々しく愛らしいその少女の背に、紅の怪物が幻影のように浮き出る。
誰もが目を疑う。
子供達は尻餅を突いたまま、目の前の存在をゆっくりと理解していく。
「………ひ、緋色の……魔女……」
か細く怯えを孕んだ幼き声音が呟かれる。
後退る音と共に……。
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