第117話、お魚落としたシッジさん

 

 夕暮れ時の神社で、まだ幼い子供達と遊ぶタマキ達。


 俺はそれを見守りながら、夕陽により明暗の美しい神社を眺めて愉しむ。


 日の高い時と違い、どこか幻想的な雰囲気を感じる。


 これから夜に向けて暗くなる日中との境目だから、特別そう思うのかも。


「あとで褒美をやる。欲しいものを考えておけ」

「え、マジで?」


 隣で相も変わらず無駄に胸を張るヒルデガルト。


 黒髪は夕陽を受けて燃え上がるような色合いで、全身を覆うロープ越しにも隠せない愛らしさが滲んでいる。


 どうやら襲撃から子供達を守ったから、会長自ら褒美をくれるらしい。


「ん〜、なら、参考までに魔王を毛嫌いする理由を教えて欲しいな。あと、ちょっとこのあと食材採りに行って来るからその許可ちょうだい。それでいいよ」

「……いいだろう。だが外出は我慢しろ」

「おっけ〜」


 こっそり抜け出しちゃお。


「私が魔王を嫌いな理由か。……この前、魔王は私の元に来た。その時、魔王が私を目にした瞬間に吐いた言葉は何だと思う」

「…………」


 ……なんだったっけ。


「こんにちは、とかかなぁ……」

「“お嬢ちゃん、お母さんかお姉さんは?”」

「おっと、こりゃやべーな……」


 そうだった。商会の会長だとか聞いてたからもっと年配の人をイメージしてて、てっきりヒルデガルト会長の親族だと思って口をついて出たんだった。


 そのあと、殺す気満々の紅い魔力弾を避けつつ交渉する羽目になったんだった。


「いずれ奴も殺す。殺せば王国に恩も売れるからな。貴様は見込みがあるようだから連れてってやる。早く大きくなれ。魔王が泡を吹いて息絶えるところを見せてやる」

「泡吹かす必要ある? どんな惨い殺し方を想定してるんだろう。怖くて訊けないよ……」


 ヒルデちゃんは物騒。


 漫画のタイトルになってしまいそうだ。


「おねーちゃん!」

「…………」


 追いかけっこをしていた小さな女の子が、ヒルデに寄って来た。


「おねーちゃんもやろ!」

「……ふん、私はやらん。お前達に付き合うのはここまでだ。そろそろ帰る」

「えぇ〜……」


 ……とか言いつつ、子供に強請られてたまにムスっとして遊んでいる。


 そしたらもういつの間にかこの時間だ。今日はここで遊び尽くしてしまった。


「これこれ、無理を言ってはいけないよ」


 神主のお爺さんが、腰を叩きながら歩み寄る。


「ヒルデガルトさんはお仕事で忙しいのだ。今日はたくさん遊んでもらっただろう? それで有り難いと思いなさい」

「…………」


 膨れる頬の子供に、続けて神主は諭した。


「いつも言っているだろう? 夜が近くなると、邪な者達が動き始める。だから家に入って大人しくしなくてはならないんだ」

「よこしま……?」


 子供には難しい言葉だろう、神主さん。


「女郎蜘蛛とか、妖狐とか、百鬼とかよ」

「よ、妖怪……」


 カエデさんがヒルデガルトに強請る子供の説得に加勢しに来た。


「後は、――緋色の魔女カラミティ・レッドとか」

「ひっ!?」


 集まって来ていた子供達が、妖怪よりも遥かに現実味のある名に怯え始める。


 皆、教訓として『緋色の大地』の物語を幼い頃から耳にタコが出来るほど聞かされて育つ。


「く、黒騎士がやっつけてくれるもん!」

「勇者もいるよ!」

「黒騎士が一番つえーよ!」


 子供が英雄に希望を見出す。


「賢くなった方がいい。英雄も勇者も助ける者くらい選ぶ。王都には王や王女がいるから現れた。ホントに奴等が王を置いてここまで来ると思うのか? お前達の為に」


 他の子達よりほんの少し大きいだけのラン君の正論に、ポカーンとしている。


「……魔女が来るぞぉぉおお!!」

「わーっ!!」


 ラン君の脅かしに、子供達が我先にと神主宅へと走り去っていく。


「……暗くなって来たな。私達は帰る」

「ヒルデガルトさん、いつもお世話になります。不穏な噂も耳にします。どうか……お気を付けてお帰りください」

「…………」


 いつも通り、神主さんの言葉を無視して背を向けてしまった。




 ………


 ……


 …





 すっかり日の落ちた竹林に囲まれた裏道を、ヒルデガルトの護衛に張り切るヒデ君を先頭に歩む。


「タケノコを煮物にしたいわぁ……」

「コクト、それ子供がしみじみ呟く台詞じゃない……」


 それもそうか。でも見習いになって料理への意欲が半端じゃない。……いや今はそれよりも。


「君達、近い……」


 お姉さん組が張り付いて離れない。


「つ、強いんだから守ってよ!」

「お、お姉ちゃんがついてるから、コクト君も頑張ろうねっ」


 頑張ろうって……さっきから脚がガンガン当たってるし、歩き難いったらありゃしない。肘とかも持たれて、とっても動き辛い。


「……もしかして自分で言っておいて、妖怪が怖いとか?」

「違う! あたしが恐れてんのは悪漢よ!」


 カエデさんの声がひっそりとした闇夜に響く。


「……まぁ、悪漢に気を付けるのはいい事だよね」


 遊郭に現れた暴漢がいい例だ。


「嘘付き。カエデは【緋色の魔女】の報復を怖がってる」

「ラン!!」


 ヒルデガルトの後ろをぴったりと歩いていたラン君が、カエデさんの秘密をバラしてしまった。


「うるさい……」

「す、すみません……」

「あの程度で怒るような魔女なら、そこら中が燃える結晶とやらで覆われている。後になって後悔するくらいなら口にするな」

「そ、そうですね。そうします……」


 ヒルデガルトの的を射た意見に、カエデさんは少しホッとしているように見える。


「ヒルデガルト様の言う通りだ。あんまりその名を言うな。何より気分が悪くなるし、問題が起きてからじゃ遅いんだぞ」

「……あんたみたいな女っ気のない奴が魔女にすぐ魅了されて問題起こすのよ。コクトに守ってもらってる癖に偉そうに言わないでよ」


 嫌そうな顔でいうヒデ君に、カエデさんがまたキツい事を返した。


「何っ!?」

「うるさいと言っている。まともに会話も出来ないのか、お前達は」


 ちょっとばかし怒り気味のヒルデガルトに、二人は意気消沈してしまった。


「ねぇ……」

「なに、タマキさん」


 控え目な掛け声とは裏腹に、ぐいんぐいん腕を引っ張るタマキさん。


「昼の人って、本当に倒したんだよね……?」

「あぁ、矢の人ね。勿論だよ。かなり強そうだったけど、うちにはサイゾウ君がいたからね」

「サイゾウくん? ……もしかして、あのすっごく強いお師匠様のお弟子さん仲間?」

「あ〜……その通りだよ。兄弟子にあたるね。師匠ほど強くはないけど、師匠よりも大きくて、矢の人を見つけてくれたのも彼だよ」


 アスラの弟子を増やしてしまったが、これで安心してくれるだろう。


 ミストとカゲハの二人なら、あの人にも負ける事はないと思う。


 さっきから気配も感じるし、無事な証拠だ。


 日中にカゲハの気配を感じた時は少し驚いたが、お陰で今日は助かった。仲間に感謝感謝。


「…………」

「そっか、なら安心ね。なんかあんたよりも強そうだし、絶対に倒してくれてるわ」

「良かったぁ……」


 神社の子供達を相手している時も気になっていたのだろうに、そんな事はおくびにも出さず遊び相手を務めていた。


 立派なのだ、カエデさん達は。


 だが、花月亭に帰るや否や問題が発生していた。


「――お断り。あなたには悪いけど、帰って頂戴な」

「そこを何とか。あの日の魚料理一品だけで良いので。お金はいくらでもお支払いします。どうか」

「そう言う問題ではないの。いいから帰って」


 ……松之助さん? いやキチョウさんか。


 どっちでもいいけど、料理長が素敵なイケメン老執事と言い争いをしている。


 温厚な料理長が、申し訳なさそうにしつつもあんなにつれない態度を取るなんて、何者なのだろうか。


「……俺が追い返して来ます」

「お、やっとあんたでも出来そうな役が回って来たわね。あの人には可哀想だけど情に流されんじゃないわよっ」

「おう、任せろ。あのバケモンがいないなら奴等にくれてやるもんなんか一つも無い」


 こっちの四人もどことなく不機嫌さを現している。


「……構わん。作ってやれ」

「えっ……?」

「作れと言っている」

「い、いいんですか?」


 ヒデ君とカエデさんが固まり、ラン君はあからさまに嫌そうな顔になり、タマキさんまで気乗りしない様子だ。


「どうせあの女の命令だ。いつまでもここに居座られる方が目障りだろう」


 だが……納得のいかない子供達は顔を見合わせて中々動かない。


「……コクト、お前が作れ。松之助のレシピを再現しなくていい。適当なものでいいから早く作って追い払え」

「はい了解」


 どうしよ、何作ろ。アクアパッツァとか作っちゃおうかなぁ。





 ………


 ……


 …





「……じゃ、コクトちゃん。きちんと後片付けするのよ。それと……決して気を許してはダメ。いいわね?」

「うす!!」


 キチョウ料理長が、渋々第二調理場を後にした。


 メインのキッチンは絶賛フル稼働中なので、予備のキッチンでの調理だ。


「……わざわざ申し訳ありません。業務時間外にお手間を取らせてしまって」

「あぁ、いいですよ。材料はあるし、お金も貰えるんだから。料理長も納得してくれましたから気にしないでください」

「助かりました。あなたがご助言くださらなければ、どうなっていたことか……」


 フライパンや材料を用意しつつ、シッジさんとやらと談笑する。


「どうなってたんですか? ……ちょっと小さいフライパンだけど一人前だからいっか……」

「……どうなっていたのでしょうね。私はともかく、ここの美味しいお料理を食べて偏食をお止めになられれば……もしかすると……」


 悲しげに語るシッジさん。


 どことなく、諦めているようにも見える。


「何か事情がありそうですね。えっと……先に味をみて合格なら持って帰るんですよね」

「作って頂く側の言葉ではないのですが、お嬢様にお出しする以上は一定よりも美味しいものでなくてはならなくて……」

「あぁ、構いませんよ。こっちも自信があるから引き受けたんですから。遠慮なく不合格を叩き付けてください」


 よし、まずは魚の下拵えからだ。



 ………


 ……


 …








「……たいへん美味しゅう御座います」

「…………」


 シッジさんが、俺特製アクアパッツァを口にして言う。


「……はっきり言ってごらん」

「そ、その、私としましては文句無しの逸品なのですが……」

「不合格なんだね?」

「…………」


 無言の肯定。まさかの、三皿目も不合格。


 俺も食べたが、身もふっくら仕上がってるし旨味も十分だ。下処理の段階から念入りにやったので臭みもない。魚の皮は香ばしく焼き、料理長に内緒で高価なオイルも使っちゃった。怒られるの確定してるってのにどうしよう。


 これを不合格なんてクレイジーだ。


「……君、舌をニスか何かでコーティングしてんの?」

「あ、あのですから――」

「シャラーップ!! 助言は不要!!」


 くっ、もうアクアパッツァではない料理にするか……。


 唐揚げとかシンプルなものの方がいいのかも。


「……コクトちゃん、無駄よ」

「松之助料理長……」

「キチョウよ!! あたしはクジョウの料理界を優雅に舞う蝶なの! 間違えないで!!」


 声をひっくり返らせて反論する料理長が皿を持ってやって来た。


 煮付けか? ……匂いだけで分かる。


 料理長は、巨匠の域にいる。


 ぐぬぬぅ、羨ましい……。


「まったく……。ほら、これを持ってお行きなさい」

「おぉっ、なんと感謝すれば良いのか」

「いらないわ。コクトちゃんの熱意に負けただけだもの」


 ……松之助さんのめっちゃ美味そうな魚の煮付けを受け取って、勝手に話を終わらそうとしている。


「おいおい、俺は負けてないよ。まだやれる。レシピは全然尽きてない」

「それでも無駄なのよ。この男の主人は野菜を食べないの。野菜らしきものが入っていると、癇癪を起こすのよ」

「どっかの誰かを思い出すぜ!!」


 確かに俺のアクアパッツァにはドライトマトらしきものを入れていた。


 どうりでシッジさんが何か言いたげだった訳だ!


「そ・れ・に……」

「ん……?」

「これ以上、そのオイルを使わせる訳にはいかないわ。ほとんど使ってあなた……」

「……あ、あれれぇ? おかしいぞぉ? 料理してただけなのに、こんなに減っちゃってるよ?」

「当たり前でしょ!!」


 ほぼ空っぽの瓶をチラつかせて、コメカミに血管を浮かべている。


 やっべ……いい年して怒られそうになってる……。


「ほ、ほら、シッジさん。ナイフとフォーク。俺が磨いたやつだから他に負けずにピッカピカだよ」

「有り難くお借り致します。……本当に、心からのお礼を申し上げます」


 新入り見習い魔王は、シッジから報酬を受け取った。


 所持金で笑顔になった。


 松之助が現れた。


 松之助から説教を食らった。


 高級オイルの代金を奪われた。


 所持金を半分以上失った。


 目の前が真っ白になった……。




 ♢♢♢




 予想よりも遥かに遅れてしまったシッジは、馬車を使うよりも近道を使い、マダムの元へ料理を届ける事にした。


 裏道を早足で通り抜ける。


 そこは他の街で言う歓楽街、ここで言う遊郭であった。


「……ふぅ」


 昨日までと違い、グロブのいなくなった花街は常連客などが戻り、更なる活気を取り戻していた。


 よって街娼として張り切る遊女達も多い。


「…………」


 疲労に上がっていた息を整え、意を決して踏み出した。


 すると案の定……。


「ねぇ、おじ様っ。そんなに急いでどこ行くの?」

「っ……!!」


 遊女がシッジの二の腕に軽く手を回した瞬間、皿を入れていたバスケットをするりと落としてしまう。


 丁度左手から右手へ持ち替える瞬間であった。


 籠の中から、煮汁が漏れている。


 中を確認すると……予想通り、皿はひっくり返っていた。


「あっ、ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃなくて! ホントに!」

「…………」

「あのっ、弁償しますから! いくらですかっ?」


 固まるシッジへ、遊女が泣きそうな表情で声をかける。


「……いえ、良いのです」

「ちゃんと弁償します! 大事なものだったんでしょっ? すごくショックを受けてたし……」

「本当に、良いのですよ。きっと……これが定めなのです」

「定めって……」

「きっと、これがお嬢様の運命なのでしょう……。もう、きっと戻れないのです……」


 シッジは消え入りそうな声でそう呟き、機会があれば遊女に愚痴を聞いてもらうという約束で手を打ち、帰路に就いた。


 そして、帰宅後はシッジの考えていた通りとなった。


 シッジが頬を腫らして、翠嵐亭を歩く。


 花月亭の魚料理を持ち帰られなかった叱責を受け、代わりの魔石をマダムへと届けた帰りであった。


「……シッジさん。その頬はどうしましたか?」

「こ、これはアマンダ様、何かご入り用のものでも御座いましたか?」


 柔和な笑みを浮かべて腫れた頬を撫でるアマンダに、シッジが姿勢を正す。


「えぇ、そうなのです。実は……」

「アマンダ様っ!?」


 アマンダが豊満に過ぎる胸にシッジの腕を抱え込み、自室へ連れ込もうとする。


「な、なにをっ!」

「辛い事を忘れるには、お酒が一番です。私も飲みたい気分でしたし、少しだけお付き合いくださいませんか?」


 年齢の半分ほどの見た目をした不思議な女の色香に、弱ったシッジの心は囚われてしまったのかも知れない。


「いつもはあなたの方から来てくださるではありませんか。今宵くらいは私がお誘いしても良いでしょう?」

「…………」


 腕を引かれるままに、シッジはアマンダの自室へ引き込まれていった。


「…………」


 巨大な影が、廊下の端から覗いているとも知らず……。


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