第114話、新入り見習い魔王

 

 静かな朝。


 しかし空はまだ白み始めたばかり。


 空気もひやりとしており、朝露に肌寒ささえ感じる。


 未だ目覚める者は少ないまでも、既に働いている者達がいた。


「おいっ、急げよ! 少し遅れてるぞ!」

「……よし! こっちも出来たぞ! 端から持ってけ!」

「こっちあがりっ」


 まだ朝日も上がりきらない早朝から、厨房で忙しなく動き回る料理人達。


 皆、少年少女ばかりだ。


「料理長、仕上がりお願いします」


 仕上がり確認を求め、一人の少年がお吸い物の味見を求める。


「…………」


 気難しそうな男性料理長が、小皿を受け取り味を見る。


 見渡せば、厨房唯一の大人であった。


「……まぁ、いいでしょ。これで持って行きなさい」

「はい」


 女性じみた口調で合格を告げ、厨房全体を見渡している。


「料理長! 味見お願いします!」

「はいはい……………何これ」

「特製チャーハンです」


 なので俺も料理長に自慢のチャーハンを作ってみた。


「そうじゃないわよ!! あなた新入りでしょ!? 料理なんて100年早いわよ! 何で作ったの!!」

「美味いからです」

「美味いから作っちゃったの!? 朝のこのクソ忙しい時に!? そういえば何かジャッ、ジャッて鳴ってたものねぇ!」


 料理長は驚いているばかりで、チャーハンに口を付けてくれない。


 やはり本物のプロは一筋縄にはいかない。


 新入りはまずコキ使われて根性を鍛えられるのだ。


 だが味を見てもらいたくて辛抱堪らない俺に大事なのは、積極的なアプローチ。


「つべこべ言わず一口どうぞ」

「むがっ!?」


 スプーンでチャーハンを無理矢理に料理長の口に押し込んだ。


「むぐむぐむぐ……あらやだ、これ美味しい」

「ありゃりゃーっす!」


 プロに認められてしまった。口元が自然と綻ぶ。


「やるじゃない……いいわ。あなた、明日から……って違う違う違う!! あたしのバカっ! 危うく騙されそうになったわよ!!」


 スプーンをぶん取られる。


「……あなた、食器の手入れは? まず新入りはそこからなの。早くなさい」

「きちんと終わらせてから作りました」

「えっ……本当に?」

「そのスプーン同様に、他のもしっかり磨いときました」

「……早いわね」


 ピカピカのスプーンを凝視し、文句が付けられなかったのか再びチャーハンを口にする。


「……そうね、味は確かにいいわ。でもこれじゃあダメね」

「え……、気は確かですか……?」

「なめんじゃないわよ、正気よ。……ウチの繊細な味付けには相応しくないわ。これは刺激的な香辛料とお醤油を利かせて炒めているみたいだけど、ウチはあまり炒め物はやっていないし出汁なんかを基本に使っているの。テイストが違うの。お分かり?」

「料理長スゲェぜ……」


 完全に論破されてしまった。一口二口で見抜かれるとは……。


 確かに和食のお膳にいきなりケバブの串ぶっ刺されても、ポカーンだもんな。クジョウ風に合わせるべきだった。


「でもね、腕はありそうだからぁ……………次の新作目玉料理の選考をやっているから試しに作ってみなさいな」

「新作ですか?」


 それは腕が鳴る。


 今度はこっちの食材とか使って、クジョウ流に仕上げたものを食わせよう。


 その勝負、この魔王がもらった。


「そうよ。……おのれ忌々しい。近々、王都でちょっと勢いが出て来たからって、このクジョウにまで新店舗を構えようとしている店があるらしいの。しかも噂では、ここと同規模の店舗で、料理に力を入れているのだとか」

「なんて生意気なんだ……」


 おいおい、どう考えても我等が『花月亭』に勝負を仕掛けている。


 なに考えてるんだ、まったく。


「あなた、どう思う?」

「ナメられてますね。許しておけません」

「その通り」


 料理長の言いたい事は全て理解した。


「だから新作料理を作って、出鼻を挫こうって事なのよ」

「なるほど、これは渾身の一皿を用意しないと」

「物分かりがいい子は好きよ。期待しているわ」

「はいっ」


 そして料理長と悪い顔で笑い合う……。


「……格の違いを見せてやるの。いいわね……」

「……お任せください……」


 そうして一旦大人しく引き下がり、宿泊客などの朝食の時間帯を過ぎた時刻。


 洗い物も終わったが、まだまだ厨房は休憩とはならない。


 昼に向けて、早くも様々な料理の仕込みを行う。


 同じ見習いに混じって、野菜を指定された切り方でカットしていく。


 そんな中でも、俺の頭は新作料理の事で一杯だ。


 本気の一皿を作る事になってしまった。


 だが、既に俺には一つの案が浮かんでいる。


 おそらくこれで勝てると思う。


 問題は、食材のチョイスだ。


「う〜〜む」

「おい、供をしろ。街へ行くぞ」


 突然の浮遊感。


 さっきまで高速で切り刻んでいた野菜の感触がなくなり、包丁がスカスカと空を切る。


 どうやら首根っこを持たれて、吊り上げられたようだ。


「松之助、こいつは連れて行く。こいつの抜けた穴は埋めておけ」

「ちょっと姉さんっ!! キチョウって呼んでよ!!」


 料理長……本名、松之助って言うのか。


「貴様を妹に持った覚えなどない。それよりこいつは連れて行くからな」

「それは構わないけど……気を付けるのよ?」

「…………」


 俺を吊り下げたまま無言で厨房を立ち去ろうとするヒルデガルト。


 松之助さんの思いやりのある言葉も無視だ。


「ヒルデガルト様っ! 供なら俺が! 今すぐに支度をしますので少々お待ち下さい!」

「こいつだけでいい。お前は自分の仕事に専念しろ」


 先輩ヒデさんの提案も即刻拒絶して、仕事中の俺を連れて行こうとする。


「悪いんだけど、俺も仕事中だから遠慮しとくよ。この後も新作の研究をしたいしね」

「そうか、それは残念だ」

「悪いね、また今度誘ってくれ。……………おや、おかしいな。一向に足が地面に付かないじゃないか」


 俺をぶら下げたまま、ずんずんと出口から業務員用の廊下へと出て行ってしまった。


「よし分かった! そこまで言うなら俺も男だ! 君の警護を買って出るよ!」

「初めからそう言えばいいんだ。私もこのような手段に出なくて済む。子供ながらの素直さはいつまでも持ち続けろ」

「……けど降ろしてくれる訳じゃないんだね。オッケー、行こう……」


 信用されてないからなのか、宙吊りのまま運ばれていくボディガード。





 ♢♢♢





 コクトの襟首をぶら下げ、ローブで身を隠すヒルデガルトの去りゆく背を角から覗いて見送る。


「…………」

「あの子……妙にヒルデガルト様に気に入られてない?」

「気に入られてるねぇ〜。ヒルデガルト様にも大人にも物怖じしないし、話し易いから私も好きだよぉ?」


 ラン、カエデ、タマキの接客組が、興味深そうに2人を見送っていた。


「…………」

「ちょっとっ? どこ行くのよ、ラン!」


 小動物の雰囲気のあるランが、こそこそと2人の去った方向へ歩き出した。


「……付いて行く気じゃない」

「う〜ん……。……よぉ〜し! 私も行〜こうっと!」

「えっ! 止めないの!?」


 ヒデに次ぐ年長者のタマキだが、仲良し4人組の中では子供っぽい。


 カエデをおいて、奔放なランに付いて行ってしまった。


「ど、どうしよ……………あっ、ヒデ!」

「……何をしているんだ?」


 厨房から出て来たヒデが、呆然と立つカエデを不審そうに見る。


「あれ、見てみてよ」

「……なるほどな。俺達も行くぞ」

「は、はぁ? ……あんた正気? あたし達には仕事があるじゃない」


 ドの付く真面目なヒデの思いがけない言葉に、意表を突かれる。


「キチョウさんには休憩をもらった。ヒルデガルト様が心配そうだったから、俺も共に行くと言ったら抜け出せたぞ。数は多い方がいいだろ」

「……熱が凄いわね」


 カエデが引く程のヒデの忠義だが、マダムの事もあってカエデもヒルデガルトが心配であった。


「見失ったら元も子もない。行くぞ」

「……よっし! 行くか!」


 言っても聞かないならと、竹を割ったような性格のカエデは楽しむ決意をしてヒデの後を走り始める。





 ♢♢♢





 クジョウの誇る二大旅館の一つ『翠嵐亭』3階、その一番端の角にアマンダの部屋はあった。


 窓際の上品なアンティークのテーブルに、昨夜から行方不明のグロブを除いた大司教達が茶会を開いていた。


 マダムは最上階にて優雅に昼寝をしており、手の空いた老執事シッジが給仕をする。


「……あんのガキ、どこをほっつき歩いとんのやろ。遊郭辺りにもおらんらしいわ」

「……静かでいい……」

「それはそうなんやけど、勝手やわぁ嫌いやわぁ死んで欲しいわぁ……。あんたらの知らんところで始末しといたら良かったわ」


 不満をこれでもかと現す狐耳の大司教に、大きな杖に小さな体の老人大司教が肩を竦める。


「この街でのお勤めが無事に終えられれば、多少の我儘は寛容に見過ごしましょう」

「そんなもんかなぁ……せやけどぉ」


 そよ風に赤毛を靡かせる涼しげなアマンダだが、突如として対面の女の瞳に危険な光が宿る。


「あれのせいで支障が出るようなら……ヤってもええねやろ?」

「愚問ですね。議論の余地もありません。グロブさん程度なら戦力としては下の下ですから」

「よっしゃ!」


 手を叩き喜ぶ無邪気な姿からは、仲間を殺すと言う発想を持つ者にはとても見えない。


「そしたらむしろ楽しみやわぁ。新参者の癖に目障りやねん、あいつ。はよ問題起こしてくれんやろか」

「……縁起でも無い事を……」


 苦言を溢す老人大司教を余所に、浮き立つ心のまま……ふと窓の下に視線を向ける。


 そこは名物の桜目当ての観光客で溢れ、中には痴話喧嘩のようなものまで起きていた。


「あんた……その女は何よっ!!」


 一人の旅行者の女が、連れらしき男性に怒声を上げる。


 男の腕には、別の女性が腕を巻き付けて親密そうにしていた。


「ち、違う! 誤解だ! この人はたまたま声を掛けてくれただけで」

「声をかけて……く・れ・た……だけ!? 言葉の端々から喜びが漏れちゃってるじゃないのさ!!」

「…………」


 涙目の男性が、鯉のように口をぱくぱくと開けたり閉じたりしている。


 言い訳の言葉が早速尽きてしまったようだ。


「……ねぇ、やっぱりあたしと行きましょう? あなたとこの子は釣り合わないわ」


 絡めていた腕を更に引き寄せ、胸に挟む女。


 クジョウではたまに見かける光景であった。


 観光客を標的にし、同じ旅行者の格好をした遊女が昼間に男を誘って稼ぐ。


 遊女達の中には一刻も早く現状を抜け出したい者もおり、こうして昼夜問わず働く事もあった。


「……えへへ」

「このっ……!」


 だがそれを知らないこの女性は、頭に血が上り……口にしてはならない言葉を叫んでしまう。


「誰か来てッ!! こ、この女、――【緋色の魔女】よッ!!」


 ザワリと騒ぎの波が広がっていき、動揺と嫌悪の感情が一斉に生まれる。


 それは口にするのも憚られる悪名であった。


「な、何言い出すのよ!!」

「…………」


 女は目の前の有り得ない言動に顔を青くし、男は憮然とした表情で叫ぶ女を見ていた。


「衛兵さぁぁん!! 早くこの魔女を捕まえて!! 早くぅッ!!」


 ヒステリックに叫び続ける女。


 だが……。


「…………」

「ちっ、気分悪ぃ……」


 向けられるのは忌々しげな視線と、嫌悪感をぶつかる辛辣な言葉ばかり。


「な、なんでなのよ……。こんなのおかしいじゃない!!」


 それもその筈、遊女が昼間に男を誘惑するのはよく知られた話であり、そのような可能性など万に一つもないのだ。


 故に、女は忌み嫌われる名を叫び、周りの気分を悪くさせただけ。連れの男も遊女も、周囲の者達も、衛兵も……。


「…………」

「邪魔だ、どけッ!」

「キャッ!?」


 自分の置かれた状況を理解して青ざめていた女が、苛立ちを露わにした観光客に突き飛ばされた。


「…………」

「あ……」


 連れの男が、転けた女の元に歩み寄る。


「あ、あの、ごめんなさ――」

「お前……いくらなんでも失礼が過ぎるだろ。最低だぞ。……じゃあな、2度と目の前に現れてくれるな」


 普段の優男の影はなく、軽蔑の眼差しで見下ろして吐き捨てた。


 最早、少しの躊躇いもなく、女と共に去って行く。


「……………う、うぅ……」


 往来で泣き出す女だが、助けの手を差し伸べる者はいない。


【緋色の魔女】と言う名は、それ程に忌むべき禁忌であった。


「あ〜あ、やってもうたなぁ。くくっ、あないな男なんかくれてやれば良かったんや。どう見ても上辺だけの小物やん」


 テーブルに肘を突き、窓の下で起こった他人の不幸に愉しげに尻尾を揺らす女大司教。


「それをカチンと来たかて、よりにもよって【嫉妬の淫――」


 ティーカップが弾ける。


「…………」

「…………」


 視線は、怒りのままにカップを握り潰して粉砕したアマンダの元へ。


「……失礼しました」

「それは……ええけど。なんか気に障ったん?」

「いえ、とんでもない。お気になさらず」


 指をハンカチで拭きつつ、アマンダは同僚の問いにもお茶を濁す。


「そんならええんやけど……………ん?」

「どうかしましたか、“ユミ”さん」


 急に外へ視線を集中させる狐耳の大司教ユミに、アマンダが訊ねた。


 すると、艶やかな笑みを浮かべたユミは……。


「いんやぁ? ……部屋に篭ってばっかで疲れたわ。外をぶらぁっとして来るさかい、失礼させてもらいますぅ」

「……人の事を言えない……」


 立ち上がったユミへ呆れた様子の老人大司教だが、構わず足取り軽く……窓枠へ足を掛ける。


「ええやないの。アマンダも言っとったやん。自由でええって。――ほなっ」


 弓と矢筒を背負い、大胆に跳び降りて行った。


 下の方で複数の驚きの声が上がっている。


「…………」


 ユミの実力はグロブなどとは比較にならず、その身の心配は無用であった。


 問題があるとすれば、自分の身を危険に晒す必要がなく一方的に終わらせられる戦闘スタイル故のやり過ぎる点にある。


「アマンダ様、こちらをどうぞ」


 シッジがアマンダへと新しい紅茶を差し出す。


「あっ、申し訳ありません。わざわざありがとうございます」

「構いませんとも。こちらにおしぼりをご用意させて頂きましたので、どうぞお使いください」

「これはこれはっ、有り難く使わせて頂きます……」

「他に何かご用が御座いましたら、何でも仰ってください」


 柔らかで万人受けしそうな笑みで、シッジはアマンダへと告げた。


「……もし何かあれば、その時はお願いします」

「畏まりました。いつでもお気軽にお声掛けくださいませ」


 そして、お嬢様に傅く執事のようにアマンダの背後に控えた。


「…………」


 背後の気配から、背中や後頭部がくすぐったい。


 しかし、年甲斐にもなくこのような……まるで姫のような扱いに不思議な興奮を覚えるアマンダ。


 落ち着かない様子で熱々の紅茶に口を付ける。


「……惚れたんか……?」

「何を馬鹿なっ!」


 過剰に反応するアマンダが小声のまま、続けて反論する。


「何を根拠にっ。いくら同年代と言え、いい加減な事を――」


 アマンダの言葉を踏み潰すように、館が揺れた。


 地震が起きたとしか思えない揺れに、カップの紅茶が溢れる。


「…………」

「今のは、まさか……?」


 アマンダの目が天井へと向く。


 この上は最上階。最も良い部屋が用意されている。


「……お嬢様が私をお呼びになられているのでしょう」

「シッジさん……」

「申し訳御座いません。一度、席を外す他無いようです」


 静かに頭を下げ、老執事は細い背中を向けて部屋を去って行く。


「……強くなり過ぎている……」

「……………そうですね。少々、目に余るようになって来ました。まさかここまでの速度で強くなるとは……」


 今のパワーは人間の域を超えていた。


 昨日よりも遥かに強大となっている。それはアマンダ達でさえ驚く程に常識を逸脱した速度であった。


「これ以上ともなると……私でなければ止められません」

「……残って正解だったな……」

「能力を使わないに越した事はないのですが……」


 そうはならないだろうと、アマンダはこの先の衝突を予感していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る