第113話、鬼とゴロツキ
「――不遜なり」
重圧がのしかかる。
万物を破壊するとさえ思えたグロブの拳を掴み止めた、大男の言葉一つで。
それは子供とタマキ、その頭上から聞こえた。
「無礼千万。同じ過ちを犯した者と言えど、見過ごせるわけもなし」
グロブよりも大きな影、圧力、迫力。
その実力から若くして大司教に昇り詰めたグロブさえも、小さく縮み上がる。
取り巻く者達も生物として本能により、一様に小さく縮んでしまう。
「だが憂う必要はない。弱者に振るう戟は無し」
片手に漆黒の長物を持つその大男が、竦むグロブを見下す。
「ぐ、オォッ!」
フード越しにチラリと角の見える大男の纏うローブが、怒りに火の着いたグロブの漲る魔力によってカーテンのように大きく靡く。
「おぉォォ……ッ」
拳を掴む鬼族の大男から逃れようとするグロブの腕は膨れ、力みにみしみしと音を上げる。
鬼の拳を握る手の隙間からも、グロブの込めた過剰な魔力が噴き出していた。
だが……。
(……く、クソがッ……! どうなってるッ、少しも動かねぇじゃんッ!)
引けもせず、押せもせず、微動だにしない。
岩と一体化したかのように、拳が囚われてしまっていた。
「憐れだな、小僧。お前は自身の力量を完全に見誤っている」
「あん!? ッ……」
鬼の溢れる闘気が、反発するグロブの口答えもろとも周囲を押し潰す。
その男は、無双の気配で子供達の前に歩み出ながら小さく告げた。
「お任せを」
「うん。もうやりたい放題出来ないようにしてやって」
「承知」
タマキの更に下にいる子供の言を受け、大体の事情を察した鬼は視線をグロブへ戻す。
「コレは潰してしまっても?」
「グッ……!」
鬼の強者の視線に、グロブが気圧される。
「いいと思うよ。彼はあまりに自分本位過ぎる。流儀無き武力はただの暴力だからね」
「至言なり。……なれば」
グロブの拳を掴んでいた男の掌が、何気なく握り締められた。
「ガッ――」
耳にしただけで背筋の凍る、骨と肉の砕ける生々しい音が鳴る。
人の骨がこうも容易く握り潰される光景を、誰が想像出来ただろうか。
「ガァァァああ!? ァァああ……ッ!!」
圧縮されて肉塊へと変えられた拳を抱え、数歩後退りしたグロブが苦悶する。
「……情け無い男だ。一度拳を振り上げたにも関わらず、戦いの最中に叫び喚くとは……。戦士ならば、どれだけ血に塗れようとも死するその時まで勇ましく戦い抜け」
「あんまり血を流したら皆さんの道が汚れちゃうぜ……」
「おい、血を止めろ。公共の往来を汚すな。ここの者共の迷惑となる」
無茶苦茶な男の言も、拳を押さえて呻き悶えるグロブの耳には届かない。
「あ、ああぁぁ……ッ、て、テメェ!!」
「粋がる弱者程よく吠え、よく噛み付くもの。その態度で世を歩くお前は、お前が思うよりも遥かに滑稽だ」
グロブの憎々しげな殺意の視線も、男はつまらなそうに見下ろすのみだ。
「プライド傷付けられちゃ……引き下がれねぇじゃん!!」
「君のそれは誇りじゃないよ。驕りだよ」
ひょっこりと鬼の脇から顔を覗かせた子供が言う。
「うるせぇ! ガキは後だ!! すぐに脳天吹っ飛ばしてやるから待ってるじゃん!!」
引けない闘いに燃え上がるグロブが、魔力の翼を解き放つ。
「ヒゥっ!?」
「ま〜た羽生えたよ。最近よく見るなぁ。……ひょっとして流行りなのかな……」
もはや子供の陰に隠れるタマキだが、周囲の者達も体験する事のない格の違う魔力に苦しむ。
「う、うわぁぁ!?」
「ジューベ様っ、ジューベ様っ」
「ば、馬鹿っ、祈ってねぇで逃げるぞ!!」
花街全体が、グロブの魔力に震える。
「一切合切吹き飛べ……。お前らも恨むんならこいつらを恨みな。今から巻き添えになって死ぬのは、全部こいつらのせいじゃん」
過去最高に身体を捻り、力を溜める。
「……なんだそれは。実戦的でないにも程がある。大振りな上に、この間に急所を打たれればそれで終いだ」
「ッ、く、クソがッ!! 試してから言うジャンッ!!」
一周しそうな程に身体を巻いたグロブのコメカミに青筋が浮かぶ。
「テメェら、とことん気に食わねぇじゃんよ……」
グロブの左拳が加速し始める。
竜巻のように拳に魔力を纏い、轟々と勢いを増して行く。
「掴めるもんなら掴んでみる……ジャアアアン!!」
「喧しい……」
子供、タマキ、鬼を周囲の建物ごと破裂させんと突き進んだ魔力の拳が、またもや停止した。
漆黒の戟ではない。掌でもない。
嘆息混じりにそっと突き出された、鬼の人差し指によって受け止められた。
急激に停止した振動は鬼を突き抜け、ローブを粉々に吹き飛ばすが、鬼は山の如く不動である。
対して、グロブは――
「――ッ」
接触の刹那、左拳……中指の付け根から頭の頂点まで電撃が突き抜ける。
一瞬にして左腕の危機を告げられ、冷や汗が激痛よりも早く噴き出る。
「――ィガッ、グやァァああああ!!」
グロブの中指付け根から、肘にかけての骨が尽く粉々に粉砕されてしまった。
「ァァアアッ、ギッ、アアああーッ!!」
力は接する面が小さい程そこに集中する。
剣の刃先、槍の先……中でも針などの先端は突き刺さる際にどれ程の力が込められているか想像を絶する。
ぶつける力が強い程、不動の一点に接触した際の反動は大きい。
グロブの渾身の一撃は男の人差し指に打ち込まれた瞬間、打ち込んだ力が一箇所に集中して返された。
より強大な者を残して、弱者側はその力を一身に受けてしまっていた……。
「グ、ガァァァ……」
「弱い……、たかだかこの程度でこの御方と相対そうとは……。――見苦しいぞ、小僧……」
「ッ……!?」
鬼の苛立ちに、グロブが怯える。
いや、グロブだけでなく、周囲全ての生命が動きを止める。
怒りの矛先が自らに向かないように、少しでも自分に意識が向かないように、瞬き一つせずに身を潜める。
「お前の行いは見るに耐えん。せめて最後は戦士として散り行け……」
鬼の拳が高々と上がる……。
「一切合切を吹き飛ばすと言ったな。それがどのようなものなのか、俺が手本を見せてやろう。冥土への土産話にでもするがいい」
鬼の左腕に力が込められていく……。
グロブよりも遥かに太く、分厚い左腕がみるみる引き締まっていく……。
身も凍る程に……。
異様なオーラを放つ鬼の拳に、この花街の終焉を予期した。誰もがこの地がこの一撃により荒野となる、そう感じていた。
そしてとうとう、鬼が体重を乗せるように拳を落とそうとする。
だが……。
「あのぉ……当たり前だけど、無用な犠牲は出しちゃいけないよ?」
「……ではこれで」
コツン……と、音が鳴りそうな程に軽く拳骨が下された。
しかしその予想を裏切る軽々しい見た目に反して、
「ガハァ!?」
巨大な拳を受けたグロブは、地面を割りながら埋没してしまう。
「…………」
「…………」
強大故に手の付けられなかったグロブをいとも簡単に破壊してしまった大男に、呆気に取られる民衆。
「これはそこらの茂みにでも捨てて参ります。暫しお待ちを」
「うん。何から何まで悪いね」
「滅相もありませぬ」
♢♢♢
偶然の再会を果たしてしまった。
「アスラも一つ食べなよ。君がやっつけたんだから」
「かたじけない」
久しぶりに会うアスラを見上げてお盆の焼きおにぎりを差し出すと、おっきな手で拾い上げた。
大きめに作った筈の焼きおにぎりだが、アスラがデカ過ぎてソラ豆くらいの大きさになってしまっている。
「久しぶりだね、元気にしてた? 髪切った?」
「……長らくご無沙汰致しまして、面目次第も御座いません。この通り俺は健康そのもの。そして流石の慧眼。髪は確かに4日前に少し切っております」
「へぇ〜、身嗜みに気を付けるのはいい事だね」
遊郭の軒先で、早くも焼きおにぎりが完売してしまった。
遊女さん達が買ってくれたのだ。
「なんでこの街にいたの? やっぱり観光?」
「いえ、この街に武闘派を名乗る者達がいると風の噂で耳にし、御身の元への道中に暫しの寄り道をと。するとそこは一人の若者により既に荒らされており、その者はこの遊郭辺りにいるとの事で、その者を追い今に至る訳です」
「ふ〜ん」
アスラみたいなのが寄るような武闘派集団……たぶん『朧家』だろう。
それを倒した人もいれば、それを狙うアスラがいる。
しかもヒルデガルト自身も危ないが、彼女が狙う悪党もいる。
ここって意外と危険だなぁ……。
「それで、これからどうするの? 修行の旅にまた出るの?」
「いえ、とりあえずの力量は付いたと判断しましたので、かの地へ帰還する道中だったのです。この街と王都に立ち寄った後に向かうつもりでした」
「…………」
金剛壁に帰還と言う割には、遠回りの連続だ。
ぐるんぐるん寄り道してる……。
「王都に何か用でもあるの? 俺に言ってくれれば知り合いが結構いるから便宜を図れると思うよ?」
「用と言いますか……………御身を差し置いて魔王を名乗る輩が沸いて出たようですので、叩き潰しに参ろうかと」
「うん、それ俺だね」
「っ…………」
ここですれ違っても、どうせ王都で会う事になっていたようだ。
「……申し訳ありませぬ。とんだご無礼を……。しかし、黒騎士なる強者の噂も耳にしましたので、何れにせよ王都にはその者の腕試しに寄らねばと」
「それも俺だね」
「…………」
なにがなんでも再会していたようだ。
アスラはどうしてこうまで遠回りしてまで、各地の標的をターミネートして回るのだろうか。そういうプログラムでもされているのかもと思うレベルだ。
「それにしても、最近のチンピラは結構強いんだね。俺、ほんの少しびっくりしちゃったよ」
「先程の奴ですか……。確かに街のゴロツキにしては中々のものでした。そこらの軍にでも志願すれば、そこそこの地位になれたものを……」
アスラがクロノと同じく腕組みをして、若者に蔓延る才能の無駄遣いを嘆く。
「コクト君、売り終わったよぉ」
「お? ……いやぁ、悪かったね。手伝ってもらっちゃって」
焼きおにぎりを配り終わったお手伝いのタマキさんを労う。
「いいよ、このくらい。いくらでもお姉ちゃんを頼ってね? でもぉ……えいっ」
額をコツンとノックされた。
「っ……!?」
「うん? 何かな」
アスラが身構える気配がするが、事前に説明してあるので動く様子は無い。
「この鬼族の方が助けてくれなかったらどうなってたの? 無茶しちゃダメでしょ?」
ぷんぷんと音が鳴りそうになって怒り、腰に手を当てて叱って来た。
「う〜ん、確かに俺が悪かったよね。ちょっと軽率だった。これからはもう少し思慮深い行動を心掛けるよ」
「む、難しい言葉を使うんだね、コクト君」
タマキさんが謎の理由で怯んでいる。
「あのぉ……あんまり叱らないであげてね?」
「えっ?」
遊女さん達が寄って来たかと思えば、タマキさんにそっと言った。
「気持ちは凄く嬉しかったの。あいつ、ホントに好き勝手だったから……。でも信じられないくらい強いし、誰も何も言えなかったのよ」
「そうなんだ。でもウチの……師匠が拳を2つとも壊したからもう悪さは出来ないよ」
勝手に師匠としてしまったら、アスラが何とも言えない顔をしている。
それから焼きおにぎりを遊女さん達が食べ終える間、ちょっとしたお喋りを楽しんだ。
木のベンチに並んで座る遊女さん達を前に、色々と話す内に夢や目標の話になった。
「へぇ〜、君は玉の輿狙いで遊女になったのかぁ」
「そうよ、普通に生きてたら中々お金持ちと一緒になんてなれないでしょ?」
「確かにそうかも。知り合うだけでも難しそうだもん」
さっきチンピラに突き飛ばされた遊女さんは、遊郭で人気者になってお金持ちと結婚する為に遊女になったようだ。
「あたしは将来食堂を出したいからお金貯めてるのよ。あんたは……」
「……借金よ! 悪かったわね!」
「ウチは舞台役者や! ぎょうさん客の入った舞台に立ちたいんや……。今は遊女しながら練習しとるけど、絶対みんなを見返したるで!」
「わたしはあんまり考えて無かったけど……、わたしも料理のお店とかいいのかもなぁ」
「それならあたしの店で働いたらいいじゃん!」
うんうん、普段のライバル同士がわいわい会話する様は気持ちがいい。
それに俺としても違った職種の話を聞くのは良い刺激になる。
「うしっ! 俺も明日からの料理修行やってやるぞ!!」
「料理修行……?」
おっと、アスラが不思議そうにしている。
しかし丁度いいから、気になっていた問題を彼に話してみようと思う。
「……あれからまたずっと強くなったみたいだし、ちょっと頼みを聞いてくれないかな。君くらい強かったら安心して任せられるんだけど」
「何なりと。どのような強者の首も即座にお持ちしましょう」
「君はどこまでターミネートに拘ってるの……?」
………
……
…
アスラに頼み事をして彼が意気揚々と旅立つのを見送った後、花月亭へと戻って来た。
ゆっくりした後でいいと言ったのに、アスラは直ぐに出発してしまったのだ。
しかしこれで安心だ。何故なら……。
「……何してるの?」
「貴様、何処に行っていた」
帰って来たから帰ったよぉ〜って挨拶しに行ったら、腕組み仁王立ちのヒルデガルトにお出迎えされた。
眠そうだったのでタマキさんには先に部屋に戻ってもらったのだが、いてもらった方が良かったかもしれない。
……凄く機嫌が悪そうだもの。
「どこって、伝えた通り焼きおにぎりを売りに行ってただけだよ」
「だから何処にだ」
「遊か――」
ぺしんと、扇子でシバかれた。
「……ボケてもいないのに何でツッコミを受けたのか理由を聞こうじゃないか」
こちらも腕組みして、徹底討論の構えだ。
「お前に少しでも常識を期待したのが間違いだった。ここまで手のかかるヤツは初めてだ。……んっ」
「んって、……何それ」
冷ややかな顔付きのヒルデガルトが、鉄製の不穏な物を指差して言って来る。
「見ての通り、鉄製の檻だ。お前に自由を与えるのは間違いだと気付いた。だからここで寝ろ」
「人権って知ってる?」
これは流石に文句を言わせてもらう。
「プライバシーもなんもあったもんじゃないよ。丸見えじゃないか」
「昨日の野宿とほとんど同じだろう。騙そうとするな」
「全然違うよ! 夜空っ、自然っ、大地っ。あの時は俺を癒す素敵三拍子があったじゃないか!」
「ここには私がいるだろ」
「知らないよ補えないよ! そんな事で偉そうに胸を張らないでくれよ!」
しかも……自分で言ってちょっと照れちゃってるし。
「人権侵害、プライバシー無視、冷たい床! ストレス三拍子が揃ってるって言ってんの!」
「貴様はまったく……恥を知れ」
「何で!?」
何故か叱られた。
「この檻を運んだ者達の苦労はどうなる。お前が入らなければ徒労に終わるぞ。他人の仕事を尊重出来る大人になれ。分かったな? 分かったら入れ」
「き、君……それで俺が騙されると思ってるの? 俺はどこまでバカだと思われてるの?」
こうして、朝方までヒルデガルトとの徹底討論が行われた。
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