第112話、歩き売りの魔王

 

 夜のクジョウを、ウッキウキで歩いていく。


「ねぇ、コクト君」

「ん? 何?」


 横を歩くタマキさんの問いに立ち止まる。


「どこでそれを売るつもりなのかな。夜に出歩いているから……飲み屋街なんていいと思うけどぉ」

「良い質問だね。……見てくれ。この焼きおにぎりは、酒の後にとっても合うと思う」

「へぇ〜、そうなんだぁ。今度でいいから私にも味見させてね? ……じゃあこっちだよ? 行こっか」


 早まったタマキさんが手を引っ張るが、勘違いしてもらっては困る。


「最後までよく聞いて? 飲み屋で歩き売りなんて事は最早常識。そんなのはみんな百も承知だよ。そこから一歩抜け出すには、もう少し先を見通さないと。……まぁ、まだタマキさんは若いから仕方ないのかもしれないね」

「う、うん、コクト君ほどじゃないけどね……」


 苦笑いの俺に、苦笑いで返すタマキさん。


「考えてもみてくれ。今の俺がわざわざ群雄割拠の飲み屋街に行っても泣きを見るだけだ。新参者の俺が物を売れる程、この業界は甘い世界じゃないよ。行くなら誰も行かなさそうなとこを選ばなくちゃ」

「えっと……?」

「だから俺は……」


 より歩き売りが近寄らなそうな場所を狙う。


「……遊郭に出発!」




 ………


 ……


 …








 のほほんとした性格のタマキさんとやらに案内され、夜のお仕事が盛んなクジョウ市の花街へとやって来た。


 王都の歓楽街とは全く異なる文化である。


 木を基調とした建物や、土を舗装した地面だけでも大きく雰囲気が違う。


 灯りにしてもそうだ。王都などの街灯は発光石をランタンに備え付けたものだったが、こちらでは火を使った灯籠や提灯だ。


「あのね? ここら辺は治安も悪いから、端っこの方で早く売ってぇ……え〜っと、売れなかったら諦めようね?」


 怯え気味のタマキさんが子供に言い聞かせるように言って来る。


 子供ながらにムキになって、いつまでも粘って売ろうとするとでも考えていそうだ。


「勿論だよ。でも俺強いから……って言ってもこんな見た目じゃ不安だよね。お言葉通りに安全第一で行こうかな」

「うん、いい子だね」


 頭まで撫でられる始末で、ものすっごい恥ずかしい。


 母ちゃんくらいだぜ、魔王にこんなんするの。


「……それじゃ、……焼きおにぎりいかがっすかぁ〜!」


 何とも言えない顔で、お盆に乗っけた焼きおにぎりの歩き売りを始めた。


 だが少し歩いて本格的に通りに入り込むと、また違った世界を目にする。


「…………」


 時代劇や映画に出て来るような遊郭。


 廓からこちらを覗く高級遊女達。


 街娼らしき遊女を連れた着物姿の旅人や観光客。


 それら遊女達は顔を白くする事はなく、髪型なども思い描いていたものとは異なるなどの相違点もあるが、概ね実際には目にする事のなかった大昔の日本にあった光景。


 少しばかり、日本のお祭りを思い出す。


「この街はいいね……」

「あ〜っ、気に入ってくれたのぉ? 嬉しいぃ。私もこの街が大好きだから、自分の好きなものを良いって言われると凄く心があったかくなるよね〜」

「うん、そうだね。他人にも認めてもらえるって、嬉しいものだよね。……俺の米料理でこの街に爪痕を刻んでやるぜ」


 この和風の街ならば、より米が浸透し易いはず。現に、ここにはいくつかの米料理が既に存在しているらしい。俺の米が最も活きる都市と言っても過言ではない。


 食文化から蝕んでくれるわ、人間共め。豊富な米料理に沈むがいい。


「……あの、コクト君? なんだか悪い顔してるよ?」

「おっと、根っからの邪悪さが漏れてしまっていたよ。生まれ持ったものだから、俺の悪辣さは」

「じ、自分で自分を邪悪って言う人いるんだ……」


 勿論だとも。俺は古き魔王……、この世で最も邪悪な存在なり。


「……焼きおにぎり、いかがですかぁ〜! 今なら、おしんこも付きますよぉ!」


 時代劇の中に入り込んだかのような胸躍る景色の中に、自分も溶け込んでいく。


 楽しい……。


 あ〜あ、刀があったらもっと雰囲気を楽しめただろうなぁ。


「――珍しいもん売ってんじゃんか」

「うん?」


 振り返ると、遊女に肩を回してご満悦そうに連れ歩くニヤケ面の男性が立っていた。


 眩しい金髪リーゼント、着物を押し上げる筋肉、手にはいかにもヤンチャ者がはめてそうなグローブ。


「ん〜〜っ、いいぜ? この俺様が食ってやるじゃんよ」

「は、はぁ、毎度……」


 焼きおにぎりを笹もどきで包んだものを渡そうとするも、男は……。


「はぐあぐあぐっ……」


 お盆にあるものをそのまま雑に解き、手掴みで食べてしまった。


「どうでしょう……」

「…………」


 ドキドキする……。


 特製ダレや特製味噌を塗って焼いた自信作とは言え、お国柄で味覚も変わるから……。


「……美味いじゃんか。ほぅ〜、なんか癖になる味じゃん?」

「そうですかっ、ありがとうございます!」

「あぁ気にすんな。――じゃ」

「はい?」


 安堵したのも束の間、何故か遊女を連れて去ろうとする青年。


「あの、お代をください」

「あん? ……それに金払えって?」

「勿論です。食べられたのですから」

「……ツケといてくれ。じゃ」


 再び去ろうとするリーゼントの青年。


「…………」


 ……う〜ん、背後にタマキさんを連れてるし、これ以上は止めておくか。何か嫌な感じの人だけど、ここは引こう。


「ありゃりゃしたー!」

「え、何て?」




 ♢♢♢




 子供の歩き売りの声を背に、エンゼ教大司教グロブと遊女が歩いていく。


「あ〜、小腹満たしたら眠くなって来たじゃん……」

「それなら何処かで休む?」


 遊女の肩を抱き、歩くグロブは最近は遊郭で好き放題していた。


 街の暴れん坊『朧家』にけしかけて共倒れさせるつもりも、あっさりと壊滅させてしまい、マダムの関係者という事もあり、止めようが無くなっていた。


「どうするか……………おっ!」


 そんなグロブが、他の客に連れられた一人の遊女に目を付けた。


「君、ここまででいいわ」

「は、はぁ?」

「お〜い、あんた。あんたに決めた。俺と行こうじゃん?」

「ち、ちょっと待って! それならお金払ってよ!」


 あろう事か、他の客に付いている遊女を奪おうとする青年。


 だが遊女も何時間も連れ歩かされてタダとはいかず、料金を払おうとしないグロブの腕を掴む。


「あ〜、はいはい邪魔じゃん?」

「キャッ!?」


 軽く払われた遊女が派手に吹き飛ぶ。


 大きな猪の魔物に跳ね飛ばされたように、儚く吹き飛ぶ。


「お〜い、そこの彼女――」

「気が変わったよ」


 遊女が飛んで行った方向からの子供の硬質な声。


「あん?」


 遊女を受け止めていた歩き売りの子供が、焼きおにぎりのお盆を近くの椅子に置き、グロブへ向けて歩いていく。


「ウチはツケはやってないんだった。今すぐ払ってもらおうか。彼女の分と一緒に」

「あ〜……………あぁ、そうね。やっぱもったいないから嫌じゃん」


 考える振りだけして、子供の要求をニヤけて拒否した。


 それもその筈、遊郭で遊ぶと言ってアマンダがエンゼ教の資金を渡す事などない。


 グロブの持つ金は朧家などの腕の立ちそうなものを襲って得たものであったが、遊女と毎晩豪遊できる程に多くはなかった。


「初めから払う気がなかったんだね。そういう人をなんて言うか知ってる?」

「……くくっ、なんて言うじゃ〜ん?」


 おかしそうに笑うグロブが訊ねた。


 子供は迷う事なく答える。


「“人でなし”って言うんだよ?」


 空気の波動が、グロブと子供を中心に広がる。


「キャアーッ!?」

「ゔぅッ!!」


 突風が周囲の者を煽る。


「あん?」


 デコピンをしたグロブの指は痺れ、


「無駄だ。君如きが俺をどうこうしようなんてのは、端から諦めた方がいい」


 少しの恐れも焦りもなく口の端を吊り上げる子供は、何も変わらぬ姿でそこにいた。


「ほぅ〜、今のを耐えんのか。……ガキ、俺んとこ来たらいいじゃん? 連れてってやるよ」

「嫌だね。君はここで痛い目に会った方がいい。誰かを傷付ける為だけにある拳なら、……要らないよね?」

「ああ?」


 挑発の意図はなく、心底からの言葉であるのは子供の揺るぎない瞳を見れば明らかであった。


「何考えてるの!! 相手は子供よ!?」

「ご、ごめんなさいっ、ごめんなさい! この子に悪気はないんです! 少し舞い上がっていただけでっ……どうかご勘弁を!」


 遊女が声を荒らげ、タマキが子供を後ろから抱き締めて許しを乞う。


「ほぅ、そうかい。でもだ、こいつはそうは思ってなさそうじゃん。なぁ?」

「あぁ、勿論だ。君は見逃さない。ここの治安に……いやどこの治安にも良くないかムグーっ」

「ち、ちょっとコクト君!? 私が謝るから静かにしてて! これは違うんです!! これは……っ」

「むぐぐっ」


 謎の余裕を見せる子供の口を塞いだタマキが見たのは、身体を捻り拳を振り上げるグロブの姿。


 筋肉が膨れ上がり、常軌を逸した荒れ狂う魔力が拳に集まっていく。


 賑やかだった遊郭が異常な魔力に一時、静まる。


 寒気に鳥肌が立ち、死を思わせるグロブの拳に一様に恐怖する。


「ぷはっ、……本気で来るといい。それから痛みを知って、存分に後悔してくれ」


 しかし尚も不敵な子供。


 不自然極まり無い自信を覗かせる不気味な子供に、グロブは何か胸に暗いものを抱く。


「……はっ! 口が減らないガキだ。なら望み通り、跡形も残さねぇ……じゃんッ!!」

「ひぅッ!?」


 放たれる死の塊に慄くタマキが強く目を閉じ、子供を必死に抱き締める。




 …………。




 しかし、死の実感は一向に訪れない。


 先程までと何ら変わらない。


 もしやこれこそが死で、神の慈悲故に痛覚などの感覚が取り払われ、もう既に自分達は天へと昇っているのやもしれない。


 だが腕には小さな温かみがある。


 腕の中の子供は身動き一つしていない。先程と同じだ。


 不思議に思ったタマキがおっかなびっくりにゆっくりと目を開けた。


「…………」


 目の前で何故か、驚愕に目を剥くグロブ。


 拳を止められたその姿勢のまま、固まっていた。


「……こんな事もあるんだね」


 それは、タマキに抱き締められていた歩き売りの子供とは無関係。


 子供は微動だにしておらず、湧き上がる魔力に震えていたグロブの大きな拳は……。


「――不遜なり」


 それよりも巨大な掌により、子供の目前で力任せに握り止められていた。

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