第109話、謁見・後編
真新しくも禍々しい装飾が各所に施された『謁見の間』に、様々な者達が跪く。
恐れ、怯え、野心を内に秘めて。
「……それで、俺に何の用かな?」
唸る階段上の玉座から楽しげに見下ろす青年が、自ら口を開いた。
大いなる魔力で謁見の間を圧迫する、【黒の魔王】。
正に、絶大なる孤高の王。
見た目は平凡な人族そのもの。しかしその服装は王に相応しい上質な素材で、黒い最上位階級の軍服のようである。
魔王の座する玉座から階下左には、座禅姿で宙に浮かぶ刺々しく悍ましい骸骨の魔物。
そして右にはマスク姿の、美女と容易に想像できる褐色肌の女性が腕組みをして佇む。
「…………」
左の肘掛けに頬杖を突いた魔王の仮面越しの視線が、跪くラルマーン共和国の一団、人族の女性達を連れたフードを深々と被る男、そして……無数のオーク達を順に捉える。
語り出すのを待っているのか、無言が続く。
「……ふぅむ。では、私から参ろうか」
怯え震えて声の出ない騎士やオーク達を尻目に、辛抱堪らないと言った様子の痩せ細った男が口を開いた。
『ならん。お主は後回しじゃ』
「…………」
『そこのオーク共から終わらせる。早ぅ陛下に申し上げい』
かの有名な【沼の悪魔】らしき骸骨の魔物の物言いに不服な表情を示すも、大人しく引き下がる。
「……ココ、イタイ」
「へぇ……」
魔王から、感心の声が漏れる。
先頭のオークが、確かに人の言語を喋ったのだ。
通常、ゴブリンもオークも言葉は話せない。
人の形に似ていようとも人程の知能はなく、独特の鳴き声でコミュニケーションを図る動物のような魔物だ。
しかし中には稀に知能が発達した変異個体が現れるケースがあり、率先して群れを統率するなどの例がいくつも発見されていた。
「ここに居たいと言うのは、我が主の下僕として働きたいと言う事か?」
「ゴァ……」
褐色の美女の問いに、オークの長が頷く。
「……何故だ。理由を陛下に申し上げよ」
「ニンゲン、コワイ……。マオウ、マモッテ、ホシイ……」
魔物と言えども魔王と敬称無しで呼ぶオークに、女が殺気立つも……。
「もう少し具体的に……どうして人間が怖いのか理由を教えてくれるかい? ゆっくりでいいから言ってごらん」
優しげな魔王自らの言葉が、女を押し留める。
その口調や声の柔らかさから、使者達に交渉の余地有りとの希望が芽生える。
このように甘さや情のある者ならば、どれだけ強かろうと付け入る隙があるものだからだ。
「……モリ、ニンゲンキタ」
オークの話によると、自分達の集落から一つ離れた森でかつて無い大規模の魔力が発生。
周辺の他の集落のオーク達を集め、恐る恐る発生源へ向かうと、そこには人族の姿があった。
そしてその足元には、奈落まで続く大きな円形の穴が開いていたそうだ。
「…………」
『やるのぉ……。それ程の魔力。放置するにはちと危険かも知れんわい』
強力無比な魔術を駆使する【沼の悪魔】でさえ、油断は出来ないとする。
魔王は無言だ。
無言で静観している。
「コレ……」
「……剣の柄か?」
まだ緊張解れないオークが、現場に残されていた柄を震える手で差し出す。
「……ようこそ、我が【クロノス】へ」
『……良いのか?』
魔王が独断即決で、オーク達を受け入れてしまった。
「タスカル、タスカル……」
先頭のオークが頭を下げる。
「君達の上官は……」
『ソルナーダが良かろうて。儂はまだ手が離せんからのぅ。小娘共もじゃ』
「そうだね。……とりあえず、謁見が終わるまでそこで待ってて。その柄は後で
オークの長が醸し出す安堵の気配を皮切りに、獣のような叫びで狂喜乱舞するオーク達。
『――
深緑の魔力が、『謁見の間』に放たれた。
『いつ、誰が騒ぎを許した。誰が口を開いていいと言った。誰がお主等如きに自由を許した。言うてみい、小粒程の生者共が』
魔王のように威厳を持って畏怖させる類ではなく、力任せに押し潰す暴力的な魔力。
「ッ……」
「おぉ……」
使者団に生まれる騒付き、恐怖にすすり泣く背後の女性達を余所に痩せた男が感動する。
「…………」
「ゴ……」
野性生物としての本能から、姿勢を可能な限り低くして固まるオークの群れ。
「次、お前だ。我等は用件を聞いたが、改めて陛下に申し上げよ」
「無論ッ。では申し上げさせて頂きます」
痩せた男がフードを取る。
こけた頬は青白く、温かみの感じられない姿であった。
「わたくしめも、魔王陛下の軍門に加えて頂きたい!!」
「……お前は死霊術を得手としているらしいが、それはどの程度のものか、陛下に申し上げるがいい。くれぐれも態度には気を付けるように」
健康的な太腿まで大胆に見える装いの褐色美女が態度に気を付けよと釘を刺して問うた。
黒の魔王は、静かに仮面越しに男達を見下ろすのみだ。
「……どれ程、か。……ならば、この者達などは如何でしょうか」
痩せこけた男は気を悪くするでもなく、背後の女性の集団を自信満々に紹介する。
「その者等がどうしたと言う。ただの血色の悪い人間だろう」
「いやいや、何を申すのやら……」
女の問いにも、正直に答えてしまう。
「この者達は、道中の村々でわたくしの身の回りの世話をさせる為に蘇らせた
……魔王の際限なく溢れていた魔力がぴたりと止まる。
「…………」
『…………』
唐突に発せられた悍ましき所業の告白に、突如として黙り込む魔王の配下達。
「……さっきから気になっていたんだ。この場において、彼女達だけ毛色が違う。彼女達だけ、俺と関係なく
「…………」
仮面の奥で、魔王が考え込むように目を閉じた気配を感じる。
その仕草に、魔王が自分の加入を真剣に考えていると確信した男は更に興奮を昂らせていた。
「醜悪な……、死者を冒涜するのか……」
「静かにしろ、波風を立てるな。任務に差し支える……」
ラルマーン共和国の使者団の内から、死霊術師への嫌悪の言葉が囁かれる。
それも無理もない。
まだ死して程ない身体には魂が残る事がある。それは未練や怨みなどが影響し、放置すれば魔物化してグールとなる場合がある。
死霊術師は、まだ魂が乖離する前に魔術によりそれを強引に縛り付け、手足として働く自らの配下と出来る。
更に厄介とされるのは、自然発生したものと違い、新しい死体であればある程、自我が保たれると言う点だ。
また死霊術師の中には、自我を持たせたいと言う一点で鮮度を優先し、その場で殺害してから直ぐにグール化させると言う残虐非道な者までいる。
「…………」
目を開いた魔王の視線が、身を寄せ合うグールとされた女性達の身体に向かう。
「……君、短剣術も使えるんだね」
「な、なんと……!! お、仰る通りに御座います!! わたくし実は、盗賊として数年各地を放浪した経験もあるのです!! あぁ……わたくしの過去まで見通されるとは……」
女性達に一様に見られるのは、唯一の深手であるナイフのようなもので一突きにされた左胸の傷痕。
「……だろうね。物腰でも何となく分かってたよ……うん、決めた」
感極まる死霊術師に、魔王は何かを決意する。
「俺は魔王だ」
「おぉっ、まさに仰る通り。ならばこそ……あなた様の元ならば存分に我が能力を振るえるはずなのです!!」
仰ぐように手を広げ、階上の魔王へ自身を訴える。
対して魔王は玉座に立て掛けられていた剣を鞘から引き抜き、冷たく反射する刃の光を眺める。
「……俺は悪の王だ。だから、俺以上の悪はこの世にもあの世にも、どこにも存在してはならない。そうだろ?」
「誠に仰る通りであります!! あなた様こそが頂点でなければ!!」
「同感だ。よく分かってるじゃないか。君は物分かりがいい」
「おぉ……!」
褒め称える男に、気を良くしてか同調する魔王。
部隊の者達も、軽蔑の感情はあれども此度の任務の容易さに重ね重ね安堵する。
人の王と何も変わらない。
褒めて貢物を差し出し、機嫌を伺いながら本題を頷かせる。
それならば経験して来た会話やおだての技術が発揮出来る。
内心でそのような思惑をする者達がいれども、魔王と男の談話は続く。
「なら……そんな悪の組織の部下には、それなりの者が相応しいと思わないかい?」
刃から死霊術師へ視線が移る。
「まことにっ、まことに仰る通りです!!」
ラルマーンの者達は魔王にも嫌悪を示し、オーク達は退屈に身動ぎする。
そして死霊術師は跪いたまま魔王を仰ぎ、狂信的な崇拝を捧げる。今か今かと、配下となる瞬間を心待ちにして。
「つまりだ……」
――男の口から刃が生える。
「カッ!? カ……ッ!!」
「“
今、まさに今、玉座に悠々と座していた筈の魔王の声音が、死霊術師の側から聴こえた。
「なっ……!?」
「ば、馬鹿な……」
ラルマーンの部隊の者達やオーク達も含め、全ての視線が反射的に……声にならない断末魔を上げた男へと向く。
すると男は後頭部から口へと剣で串刺しにされ、その無残な状態でそこにいた。
「っ……」
『相変わらず凄まじいのぅ……』
しかし、既にそこに当の魔王の姿は影も形も無く……。
「こう言う時によく実感するんだ……」
……その声は、玉座から降って来た。
一瞬にして寒気が駆け抜け、鳥肌が立つ。
無意識にそちらへ視線を向け……玉座へと再び腰を下ろす寸前の魔王を見る。
「っ、っ……」
「はぁ……はぁ……」
理解不能な出来事に気が動転して息が詰まり、極度の危機感により空気を取り込む事すら憚られて呼吸が乱れる。
残された……天へと刃を吐くモニュメントと化した男など既に視界に入らない。
あるのは、全ての視線を嘲笑う魔王への驚愕と心底からの恐怖のみ。
驚愕の比は、先程とは別格。
この場の全員が語る魔王を視認していたにも関わらず、初動すら確認出来ずに見失ったのだから。
玉座から階下へ、階下から玉座へ、移動の一切の描写や時が省かれていた。
そんな事は有り得ない。それがこの世に生きる者の常識の筈だ。
しかし……。
「……やりたい放題は見るに耐えないよ。美学のない力の行使はとても醜い」
どこまでも冷たく昏き瞳が、地上の矮小な生物等を見下ろす。
神を前にしているかの如き無力感に、己の存在が容易く消え入りそうに感じてしまう。
先程までの甘い考えや悪感情はその力により儚く打ち砕かれ、胸の奥底から負の感情に侵食されていく。
「嫌なものを見せちゃってごめんね。さっ、待たせちゃったけど、君達の用件も聞こうか」
「ッ……」
もはや切り替えたとばかりの魔王。その視線が青ざめるラルマーン共和国の使者達へと向けられる。
しかし……。
「……ぅ、ぁ……」
ガタガタと怖気に震えるばかりで言葉が喉元から一向に出て来ない。
聴こえるのは、恐れ慄き必死に身を隠すオークの呻き声ばかりだ。
『……早う言わんか。臆しておっても事態は好転せんぞい。長引けば長引く程にお主らの印象は悪くなるだけじゃ。お主ら如きを待つ身にもなってみぃ』
「で、では……魔王陛下におかれましては――」
『長引かせるなと言うとるじゃろうが。陛下は予定が詰まっとる。人族が陛下の時間を奪うつもりかぁ?』
形式ばった使者団の責任者に、不満を隠そうともしない【沼の悪魔】。
深緑の毒々しい魔力が、骨の身から滲む。
(……く、クソッ! 早く終わらせろなどと……無茶を言うなッ!!)
使者部隊のリーダーが、心の中で悪態を吐く。
何の能力なのか瞬間移動をする魔王の機嫌を損ねれば、なす術なく串刺しにされる。
これでご機嫌伺いもなしに、……『弐式』と首輪の返却を求めるなど、どうしろと言うのだと。
(っ、……まさかとは思うが……時を止めたのかっ!?)
その万物の摂理を覆す能力の予想に至った瞬間、更なる怖気が背筋を走る。
「…………」
「お前達……これ以上の時間の浪費は、私が許しはしないぞ……」
冷静沈着の気質を持っていた黒髪の女までもが、堪え切れない怒りを滲ませ始めてしまう。
その殺気たるや、全身に針を突き立てられているようである。
「……だ、で、ではっ、率直に申し上げさせて頂きます!!」
「っ……」
隊長の言葉に、不安と恐れで胸を満たす部下達が息を呑む。
「お……お預かり頂いている、れいの……例の物を受け取りに参りましたっ!!」
臆病風に吹かれた隊長だが、控えめながら予定通りの返却を要望する。
裏声で呂律の回らない奇妙な発音になっていたとしても、立派に。
「……………誰か何か預かったの?」
「いえ、預かってなどおりません」
『カッカッ! その通り、だぁ〜れもなぁ〜んも預かっとらんのぅ』
部下への魔王の問いかけに、女は忠実に答え、【沼の悪魔】は愉快そうに嗤う。
「そう言う事らしい。きっと君達の方の手違いだと思う。帰って調べてみてくれないか」
「ッ、ッ……………し、しかと、承知致しました」
偵察隊は何度もこの城上空を飛ぶ『弐式』を確認しており、首輪を付けていない事も確定していた。
つまり魔王に返却の意思などなく、自分の所有物だと主張しているのだ。
「それでもまだこちらにあると思うのなら、もう一度おいで。いつでも歓迎するよ。……俺はいるか分からないけどね」
不敵にラルマーン共和国へと告げた。
人族の国など、まともに取り合うつもりなど無いとばかりに。
もはや反論など出来よう筈もなく、むしろこれが上出来だと胸を張れるくらいであった。
しかし彼等に成果が無かった訳ではない。
ラルマーン共和国の使者団は、目の前の存在が紛れもなく……遥か遠く幻の、御伽噺の中にある神話レベルの存在であると、嫌でも認識させられたのであった。
だが、国に戻ったこの使者団からの報告により、後に事件が巻き起こる。
とても、とても大きな事件が……。
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