第108話、謁見・前編
カース湿地帯から、カース森林へと名を変えた一帯。
霧はあれど湿気や水気は失われ、魔物は未だ徘徊しているが、以前には見られなかった生物や植物が群生しつつある。
その危険な森の中心に聳える、邪悪な城。
未完成なれど、短期間では有り得ない速度で建設された魔窟の城。
ラルマーン共和国使者団が、その城の薄暗く気味の悪い雰囲気漂う廊下を骨の騎士に続いて歩く。
「……た、隊長、これは罠なのでは……?」
人工魔獣の一体である『弐式』有するザンコック隊が消息を絶ち、このカース湿地帯が変化を見せた。
そして届く、ライト王国に潜り込ませた密偵からの耳を疑う報せ。
――【黒の魔王】が、【沼の悪魔】を手中に収めた……。
ラルマーン共和国はすぐ様カース湿地帯へ偵察隊を差し向け、動向を伺った。
すると、霧はあれども湿地は影も形もなく、中央には建築物が着々と築かれていた。
その上空には、悠々と気ままに旋回する霧の化け物。
「……腹をくくるのだ。罠と言えども我等は引き返せん。『弐式』と例の鎖を何としてもラルマーンへと引き渡させるよう、交渉せねばならん」
「…………」
叱咤するつもりの隊長の言葉ですら、薄寒い恐怖から微かに震えていた。
1週間もの間、魔王を待ち森の中でキャンプをしていた使者団だが、任務に向かう士気は軒並み低い。
あの【沼の悪魔】が、魔王の帰還を待つよりもまずは用件を聞こうという判断を下したらしい。
「…………」
一歩一歩、目の前に見える大きな扉へと歩むごとに重圧は増していき、足取りはみるみる重くなっていく。
だが祖国の為、歩みは止められない。
大扉に到達すると同時に歩みを止める必要もなく……示し合わせたようにゆっくりと開かれていく。
再度、覚悟を決める暇も持たせずに。
「ぐっ……」
「……うっ……」
溢れ出る瘴気の如き魔力。
『……早う並べ。お主等が最後じゃぞ』
それは【沼の悪魔】の持つ魔力の片鱗。
「…………」
怖気付き、堪らず足の止まった使者団が目にした光景は、予想を超えるものであった。
右端には震えて跪くオークの群れ。
中央には肌色の著しく悪い人族らしき女等を連れた、痩せ細ったローブの男。
それらを取り囲む骨の兵士達。
そして、階段を上がった先に設えられた空の玉座。
「……………っ」
我に帰った先頭の使者が無理矢理に足を動かし、空いていた左端のスペースへと進んでいく。
隊長の影に隠れるように、部下達も距離を詰めて集団で付いて行く。
「…………」
行き着いた先で、目を疑った。
階下右端には、濁った深緑の魔力の荒れ狂う異形の骨の魔物がいた。
そこにしか、注目出来ていなかった。
自分達の目の前、階下左端には……姿勢良く佇む褐色黒髪の美女がいたのだ。
「何を見ている。早く跪くがいい」
「ッ……! し、失敬……」
あまりに冷たく見下す美女からの視線に、見惚れていた使者団が膝を突く。
王が不在にも関わらず、謁見の間にて跪かせる。
通常では、立派な国家であるラルマーン共和国の使者相手には有り得ない対応であった。
『……ふむ、では始めようかのぅ。陛下がいつ戻って来るかなど、儂等にも分からん。もうええ加減ちょろちょろと目障りじゃから、儂等でとりあえずの対処をする事にした。まずは……』
骨の指で顎を撫で、脳に直接響く悍しい声音を発する【沼の悪魔】。
胡座をかいたまま宙に浮かび、訪問者を品定めする。
「……では、わたくしから参ろうか」
『……言うてみぃ』
痩せ細った不気味な男が跳ね起き、嬉々として語り始めた。
「わたくしを、【黒の魔王】陛下の軍門に加えて頂きたく!!」
山彦のように『謁見の間』に響いていく男の声。
『……よりによって、陛下でしか決められん類じゃのぅ』
「お前には何が出来る。腕っ節が立つとも、魔力に秀でているようにも見えないが。全ては陛下がお決めになられる事だが、何の才も無いのであれば御前に連れて行く事は叶わん」
褐色の美女が、胡乱な者を見る目で問う。
「よくぞ訊いてくれたっ! わたくしは、死霊術に心得があるのだ!」
『
褐色の女は片眉を顰め、【沼の悪魔】は興味を示す。
往々にして、死霊術は嫌悪される。
現に、人族のラルマーン共和国使者団らは表情に隠し切れぬそれを表していた。
外法として名高い、呪術、悪魔契約、死霊術。
しかしどれも使い方を誤ればの話だ。
何故忌み嫌われるのか、それは悪用される事が多々あり……その質の悪さが人道から外れるものであるからだ。
『……そうじゃな、お主は後でちとその魔術の腕を見てやろう。それから陛下に会わせるか決める』
「合理的だ。異論は無い」
自信を現すはっきりとした物言いで、【沼の悪魔】にも臆さず大人しく待機する。
『次はぁ……………まぁ、此奴らから終わらせよう』
「あの娘が怒っていたからな。数が多く、城の周りに居座られて建築が進まないと」
2人の視線が、オークの軍団へ向けられる。
『……しかしのぅ、分かり切っとるじゃろぅ。このような凡庸極まる魔物など何の役にも立たん。儂の配下で全て事足りとる』
「ならばどうする」
褐色美女の視線や魔力滾る異形に震え上がるオーク達を、再度見定めている。
『追い返したらええじゃろ。一々取り合っとられんわい。流石にこれには陛下とて同じ意見じゃろうて』
この場の上位者である【沼の悪魔】の決定には誰も逆らえない。
自分達ラルマーン共和国の使者団も、オーク達のように門前払いにも似た結果にならないかと心中に不安が渦巻く。
しかし、
「いや、そんな事はないよ」
その一声が、状況を裏返す。
「ッ……!!」
『カッ!?』
驚愕に染まる。
予想外の場所から降って来た新たな声音に、訪問者達に騒めきの波が広がる。
未知の恐怖に身が凍り、全身が酷く粟立つ。
初めて、褐色の美女と【沼の悪魔】にも動揺が走る。
「まずは話を聞いてからだ。きっとそれなりの事情があるんだと思うよ?」
全ての視線は、階上の空の玉座へ。
そこは、誰もが気付かない内に座すべき唯一の存在によって埋められていた。
「…………」
「ッ…………」
ラルマーン使者団の目が、釘付けとなる。
玉座に君臨するは、黒い高級な装いの……仮面の男。
「おぉッ、……あ、あれが……」
オーク達の怯える呻き声など気にも留めず、痩せ細った男がフードの下から濁った瞳で孤高の王を見上げる。
「お、お出迎えも出来ず……ご無礼、平にご容赦を……」
『……驚いたわい』
即座に階上の主へと跪く褐色の女。
今までの冷徹かつ無機質な刃の如き気配は無く、焦りなどの感情がまるで抑えられていない。
「気にしなくていい。さっき戻って来たんだからね」
「寛大なお言葉、痛み入ります……」
深々と従順に頭を下げる配下の女。
しかし、幻の如く姿を現した事を置いておけば、平々凡々な人族の青年にしか見えない。口調も柔らかく、声も陽気にさえ感じる。
更に、身体付きは良さそうだが覇気も魔力も感じられず、影武者や身代わりの可能性を考え始める者もいた。
「うん。じゃあ……」
異質な空間へと変貌した。
「グゥッ……!!」
「ヌッ!?」
玉座の男から発せされる、この世のものとは思えない黒の重圧。
それはあっという間に『謁見の間』を支配する。
ラルマーン共和国、ローブの男、オーク達。
皆、少しの希望もへし折られる程の絶望的な魔力に、抗う事も許されずただ頭を垂れる。
「……君達は俺に用があるらしいじゃないか。聞かせてもらおう。さぁ……続けようか」
魔王が、愉しげに告げた。
目の前の存在は、まさしく【黒の魔王】であった。
見かけや素振りで心の余裕を与え、それを嘲笑うように挫き、愉快そうに玉座より見下ろす。
正に、噂に違わぬ邪悪なる魔王である。
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