第107話、緋色の伝説

 

 誰もが子供の頃に聞かされる恐ろしい伝承がある。


 忌み嫌われる存在と聞いて、何を思い浮かべるだろう。


 災禍、醜悪、凶悪、様々ある脅威の代名詞。


 だが、災禍でもあり、醜悪でもあり、凶悪でもある、しかも人型の存在と言われて人は何を思い浮かべるだろう。


 誰もが口を揃えて言う。


 それは―――――【緋色の魔女カラミティ・レッド】であると。


 【嫉妬の淫魔】とも呼ばれる、男をどうしようもなく魅了する容姿と色香溢れる躰付きをした魅惑の魔女であったと言う。


 唐突に村や街に現れ、男を誘惑し、恋仲をズタズタに引き裂く。


 奪取すれば後は用無し、また別の男を自らの美貌の虜にする。


 魔女を巡る男同士の争いが生まれようとも、拗れた男女の間に残酷な結末が待っていようとも、それはより魔女を愉快にさせた。


 しかし、その妖艶な容姿に惑わされない真の愛を持つ男女がいた。


 魔女があれこれといくら誘おうとも、男は頑なに拒み、妻を愛し続けた。


 魔女は激怒し、妬み……やがて気付く。


 自分を愛さないのなら、燃やしてしまえばこの世から消える。


 袖にされたその事実すらも、灰にして風に流そう。


 魔女は、己が持つ特有の凶悪極まる魔術を行使した。


 紅蓮の炎を巻き起こす結晶魔術、〈緋結晶〉。


 真実の愛を持つ男女は抱き合い、燃える結晶にその身を焦がしながらも愛を貫き散っていった。


 それさえも気に入らなかった魔女は、更に魔術の領域を広げる。


 村の者達も同罪だ。


 その時にたまたま周囲の森にいた国を守る兵士達も、全て。


 わざと薄く広く、膨大な魔力のままに〈緋結晶〉で大地を覆い尽くした。


 その領域にいた者達は灼熱の業火に灼かれ、地獄の苦しみに悶えながら全員が死した。


 絶大な被害とあまりに身勝手な動機から、人々はこの伝説を代々伝えていく。


 戒めとして、佳い女には気を付けよと。


 そいつは……【緋色の魔女】かも知れない。


 これが誰もが知る忌むべき伝承、『緋色の大地』のお話である。


 しかし……。


 この物語が最も有名であるのには、訳がある。


 まさに、誰の身にも起きうる災厄であるからだ。


 実際に〈緋結晶〉は、およそ五十年前……そして十五年程前にとある国で確認されている。


 そのどれもが、大規模かつ残虐非道な被害を生んでいる。


 だからこそ、人々は怯える。


 現実にどこかに存在する、各地を渡り歩く【緋色の魔女】の誘惑に……。



 ………


 ……


 …



 ♢♢♢



 とある街の最高級宿。


 貸し切りの食堂に、4人の大司教達が集まる。


 円形のテーブルには、数々の高級な料理の数々が。


「あなた達は基本的に何をしても構いません。しかし、ベネディクト様のご指示は“マダムの望みを叶えるお手伝いを”となっています」

「……だから?」


 海老などと野菜を炒めた米料理にがっついていた長身の青年が顔を上げ、赤髪のアマンダに反抗的に返した。


「…………」


 アマンダの糸目が、微かに開かれる。


「仲間にソレは使わない方がいいんじゃん?」


 黄色の長髪を専用の整髪料で前方に飛び出すようにガチガチに固める。


 ベネディクトの前での精悍な青年の姿を消し、掟破りとも言うべき破天荒な雰囲気に変化する。


「……無論、能力を使う気など毛頭ありませんよ。それこそ、ベネディクト様の御命令でもなければ」

「……それで、本題は?……」


 長く歪な形状の杖を椅子に立て掛けた、小柄な老人が問う。


 遥か昔に生息した強力な蜘蛛の魔物から作られた魔導の杖『グラン・ボーチョ』を扱う魔術師である。


 返答を待たずして器用に箸を使い、乾燥させた貝を戻して作った煮物を食す。


「そないな事分かりきってるやん。……ウチはなぁ、巨乳は千歩譲って許せても、美乳だけは許せへんねん」


 アマンダと別のもう一人の女性が、剣呑な気配で口を開いた。


「前から気に入らんかってん、あの娘ぉ。綺麗な形して、しかも見せびらかしとるやろ? なんやねん、腹立つわぁ。協力者のお陰さんで匂いはよぉ覚えてるし、のこのこ来たらさっさと終わらせたったらええねん」


 おっとりとした面立ちとスレンダーな身体を羨む者も多いだろうに、唯一胸にコンプレックスを感じている彼女は理不尽な怒りを滾らせる。


「……あなたを羨む者は多いと思いますが」


 同じ女性であるアマンダが堪らず感想を漏らした。


 それもそのはず、彼女は2種族のハイブリッドであった。


 更にルルノア以上に大きな胸を誇るアマンダには苦労も多く、彼女の体型を常々羨んでいた。


 老人と呼べる歳になっても、四十歳代程の見た目のアマンダには現在も代われるなら代わりたい体型だとすら思う程であった。


「まぁなぁ。今でこそやけど。でも、あんたもえらいモテるやん? それに無いもんねだりは誰しもにあるもんやろ」

「……分かる気もする……」


 背丈で困る老人は同調を口にした。


「せやろ? 敵になったんやったら、ザクっとやってもええやん?」

「おいおい、若手の俺に任せろってんじゃん?」


 青年の言葉を無視した女の狐耳が期待感に反応し、尻尾がふりふり揺れる。


 不敵の一言であった。


 3人が3人とも、ヒルデガルトの強大さをものともしていない様子である。


 しかし狐耳の女大司教はまた頭一つ抜きん出ている。青年はアマンダに強く出られても彼女には物申せない。


「……ちっ。てか、問題はまだあるだろ。……あのマダム、強くなり過ぎじゃん?」

「……今の内は脅威ちゃうけど……なぁ〜んか危機感は感じるわ」


 魔石を……いや、ここのところは魔道具なども食い漁るマダムは異常な速度で力を得ている。


 大司教の立場にある3人でさえ、未来の脅威と捉える程になっていた。


「再度連絡しておきますが、ベネディクト様からの指示はマダムの願いの手伝いです。ヒルデガルトの処遇は好きにして構いませんが、マダムに関しては余計な事をしないように」


 アマンダが念を押す、グロブへ向けて。


「手に負えないとなれば、私が奥の手を使えばいい。それだけです」

「……はんっ、ベネディクト様のお気に入りがこの程度の事に関わるってのは、どう言う風の吹き回しじゃん?」


 噂では、ベネディクトから厚い信頼を得るアマンダ自らが、彼の側を離れてこの任務を任せて欲しいと志願したとされていた。


「王都の留守の任を立派に果たせたとは言えませんから」

「……あっそ」


 祭服のまま、食堂を後にするグロブ。


 ベネディクトから目をかけられているアマンダを目の敵にする者は多く、まだ若いグロブもその一人であった。


「若いわぁ……」

「……若いな……」


 精神的に未熟な若者の背を見送る。


「しかしあなた達に及ばないまでも、ある程度の実力はあります。いざ任務となった時に使えれば文句はありません。今のところは好きにさせるべきでしょう」


 年長者組の冷めた視線を知ってか知らずか、グロブが肩で風を切って去って行った。


「……それはそうと、なんやけど」

「はい、まだ何か?」

「いやな……」


 言いにくそうな女性が、ついに切り出した。


「……何で片目に眼帯してるん?」


 アマンダは答えた。


「ベネディクト様に拾って頂いた恩を少しでも報いたいと。後は……保険ですね」



 ♢♢♢



 同街、グロブを除いた大司教達が頭を突き合わせている頃……。


「……あら、いいじゃない」

「あ、ありがとうございます……」


 震える給仕の少年。


 箸の使えないマダムが焼き魚を頭から一吞みにする様に、本能的な恐怖を感じる。


「にしても、あの子の趣味は分からないわぁ。こんな薄汚いそこらの子供ばかりを働かせて」

「…………」


 朱色のドレスを着たマダムの物言いに歯を食いしばる少年。


「あらやだ、一丁前に腹を立てたの? おっかしいわねぇ。お客様なのよ、あたくし」

「……失礼致しました」

「これだからプロ意識の低い子供は使えないのよ。あの子ったらそんな事も分からないのかしら」


 嘆息混じりの嫌味を少年にぶつける。


「あたくしのように、良い男を愛し、邪魔者を潰し、過酷な生存競争を勝ち抜いてもいないのに……あの子には過ぎたるものなのよね、結局」


 以前より遥かに肥大化し巨大化したマダムが、小山が浮かぶように畳みから腰を上げる。


「シッジ、馬車を」

「既に」

「そう、魔石は?」

「……お嬢様、たまには健康的な――」


 乾いた音が鳴る。


 専属の老執事シッジの頬を、特大の張り手が打った。


「魔石は?」

「……既に」

「そう、ならいいわ」


 頬を腫らすシッジを連れ、巨体を揺らして去っていくマダム。


「すぐに飛んでくるでしょう、あの子は。あの子に伝えて頂戴な。首を洗って待ってなさい、と」


 地を揺らしながら去っていくマダムの背を睨みながら見送る給仕。


「ヒデっ! 大丈夫だったっ?」


 すぐに駆け寄る旅館の子供達。


「……あぁ。心配するな、あんな奴に負けてたまるか。とりあえずヒルデガルト様が来られるまでは仕事に専念するしかない」


 最年長のヒデの言葉に、子供達が不安を押し殺して頷いた。


 ………


 ……


 …



 マダムが馬車に乗る。


「……で? 何か御用なのかしら」


 そこには……。


「……あんたに耳寄りの情報を持って来たじゃん?」

「あら、情報は力よ。問題はあたくしにどんな利益をもたらすか……。さて、どんな情報かしら」


 マダムの圧力に屈さず、青年は応えた。


「――魔女の奥の手について、なんてどうじゃんよ」



 ♢♢♢



 ライト王国とクジャーロ国境付近の街。


 そこは富豪の集うオークション会場。


「…………」

「……いかがで――」

「黙れ、全てに目を通していないのにどのような返答が出来る」

「……申し訳ない」


 次々に落札されていく美術品に見向きもせず、手元の資料に手を通すヒルデガルト。


 その席一つ離れた隣に座るは、……クジャーロ国の密偵。


 訓練された密偵と言えども、可憐なヒルデガルトのドレス姿に目が惹かれる。


 愛らしい顔立ち、強気な目付き、不釣り合いな女らしい身体付き、若々しく張りのある肌。


「…………」

「悪くはない。それほど良くもないがな」

「っ、……陛下は、ある程度の要望は聞き届けると仰られていた。何かあれば教えて欲しい」


 素気無く言うヒルデガルトに、彼女に目を奪われ一瞬だけ乱れた精神を懸命に持ち直して問いかけた。


「まずは……」

「…………?」


 クジャーロ側に付く条件を提示する直前に、ヒルデガルトの側近のカインが早歩きで近寄り彼女に耳打ちした。


 それを何か問題でも起きたのだろうと見詰める密偵と、快く思っていない様子で見るヒルデガルトの秘書サーシャ。


「……………分かった。馬車の支度をしておけ」

「畏まりました」


 カインが頭を深々と下げた後、直ちに退出していく。


「交渉はここまでだ」


 続いて立ち上がるヒルデガルト。


「ま、待って欲しい。時間が無いのはお分かりだろう。ここで答えを出しておきたいのだ」

「貴様らの都合など知らん。返答は後日だ」


 視線など一度もくれず、別れの言葉もなく密偵との交渉の場を後にした。


 絨毯を踏み締めて出口へと向かうヒルデガルトに、サーシャが怪訝そうに問う。


「ヒルデガルト様っ、これは重大な局面ですのにあのような立ち去り方で宜しいのですかっ?」

「用意していた諜報員から連絡があった。やはりマダムが動いた。しかもあろう事か……あの街・・・だ。周辺を出入り禁止にしていたが、強硬手段で踏み荒らしているようだ」


 努めて冷静、なれど烈火の怒りを胸に秘め、覇気を撒き散らしながら歩む。


「忌々しい……」


 あまりの迫力に、サーシャは勿論、やり手の富豪達も気圧され道を空ける。


「貴様は一人でここに残れ」

「えっ、ひ、一人ですか!?」

「そうだ。交渉を引き続き行い、クジャーロでの完全な商いの自由を勝ち取れ。他の商人と明確な差のある特権を引き出せ」

「しかし護衛も無しではっ」

「…………」


 立ち止まり、ヒルデガルトの強気な眼差しがサーシャを見上げる。


「――この私に、何度も言わせるな」


 近くの窓が割れる。


 ヒルデガルトの覇気により、別世界のように張り詰める廊下。


 誰しもが思う。


 この者こそが……魔王なのではないかと。


「反論も拒否も、貴様には許されない。私の元にいる以上はな」

「……し、承知しました」


 物理的な力をそのままぶつけられるような眼光に、反抗する心は容易く砕ける。


 そして見送りのサーシャを置いて颯爽と馬車に乗り込む。


「行き先はやはりあの街ですか?」


 後から乗り込んだカインが訊ねる。


「いや、手前の街だ。貴様らはそこで業務をこなしていろ」

「それは……その、ヒルデガルト様はどうされるおつもりでしょうか」


 用意されていたマダムに関する資料に目を通しつつも、憤りを押し殺しながら答えた。


「……ヤツを、殺す」

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