第106話、魔王、出張を前に仕事する

 

 カジノ『アーチ・チー』の厨房の一角で、調理班以外の女性らが楽しげに与えられた仕事に勤しむ。


 容姿の優れた女性達が姦しく会話しながら料理を口にする。


「う〜ん……いいんじゃない?」

「美味しいよ!」

「……えぇ、そうですわね。味付けも悪くないと思いますわ」


 最も舌の肥えた元貴族令嬢からも、新たな看板商品の試作品に合格サインが出る。


「……」

「わ、私の案でしょっ? 黙って持って行こうとしないでくれるっ?」


 マルコが魔王へ用意した女性達であった。


「こら、ダメですわよ。……この子は押さえてるから、クリスさんは早くボスに持って行きなさいな」

「分かったわっ」


 一人のクリスと呼ばれる少女が、試作品の皿を木製の配膳台車に乗せてキッチンを後にする。


「おっ、もう次が出来たのか?」

「は、はい」


 一階の廊下を浮かれる心で急いでいると、支配人室に向かうマルコと出会う。


 普段から強面のマルコは怯えられがちで、未だに臆するクリスの態度にも気にした様子は見られない。


「……機嫌が良さそうですね」

「あん?」

「すっ、すみません……」

「あぁ、いや……」


 受け答えだけで怖がられるのは、マルコでも傷付いてしまう。


「……まぁちょっとな。店の事で良い変化が見えたってだけだ。ボスは何でも出来るらしい。年甲斐にもなく浮かれちまった」

「あの……何で私達をボスのお付きにしたんですか?」


 少女達の誰もが理由を聞きたくて、しかしマルコは怖くて聞けなかった質問。


 機嫌の良い今ならばと、思い切って訊ねる。


「……何つーかぁ……ボスが先代と雰囲気が似てたからだな。お前らは事情が事情なだけに、即娼館送りに出来なかった。向こうも向こうで即戦力にならねぇ生娘は嫌がるしな。かと言って特別扱いして借金免除とはいかねぇ。他の奴等の目があるからな」


『アーチ・チー』での魔王付きになった者は、親に借金の形として売られた者や夜逃げして取り残された者など、本人達ではどうする事も出来なかった女性達であった。


 娼館に送られれば、娼婦としての過酷な未来が待っている。


 上品な客層を狙う【クロノス】の娼館ではそのような心配はあまり無いが、一般的には粗暴な者からの暴力、性病の危険、裏組織への繋がり……中には稀に突如として消息を断つ者や死体で見つかる者までいる。


 他の街でもあれば、ここ王都でも発見される。


 そのような危険と隣り合わせの職なのだ。


「ボスなら悪いようにはしないだろ?」

「しません」


 それだけは分かる。


 ほんの数日、ほんの少しの会話。


 しかし、自分達や他の従業員も含め、多くの者が魔王に心を許していた。


 まるで、魔王の能力により魂を魅了されてしまったかのように。


「だからだ。ボスへの捧げ物なら誰にも文句は言われねぇし、安心して働けや」

「……ありがとうございます」

「おう」


 言葉にし難いぎこちない雰囲気で向かい、無言の2人が支配人室へ入る。


 中には、黒と白のラフな装いをした魔王がいた。


「……少し下がったの?」

「そう言ってんだろ。さっきマルコが柄にもなく浮かれて言ってたぞ」


 大きなデスクで仕事をする魔王と相変わらずソファに横たわる巨体のジェラルドが、仕事についてだろうか、会話をしていた。


 更に……。


(……きれい……)


 祝勝会の後らしく少しばかり露出度の高いドレス姿のセレスティアが、髪も結い上げたまま魔王の給仕をしていた。


 可愛いと持ち上げられて生きて来た自分達とも、更に数段以上も格の違う美。


 マルコから軽く連絡と口止めをされていたが、本当に王国の象徴であるセレスティア王女が魔王の下僕なのだと驚嘆する。


 自分達が今まで生活していた王国。最近になって出現した【黒の魔王】と徹底抗戦の構えを見せる毅然とする王国。


 その不可侵のライト王国が、いつからか既に魔王により内部から侵食されていたのだ。


 しかもあろうことか大陸の宝であるライト王国の象徴セレスティア・ライトが、魔王により籠絡され悪に堕とされてしまっていたのだ。


「……マルコ、本当に下がったの?」

「うすっ、若干です」

「若干、……下がったんだね?」

「若干だけ下がりやした」


 再三マルコへ確認する魔王に、セレスティアが楚々として湯呑みを差し出す。


(凄い……。どんどん売り上げが下降してるって聞いていたのに、1日や2日で若干にまで持ち直すなんて……)


 商人の娘であったクリスも唸る魔王の手腕。


 魔王の普段の優しげな雰囲気や商いの才を振るう姿からは、天上の超越者たる面影は全く感じられない。


「……っ!!」


 マルコと共に部屋に一歩踏み込めば、別世界のような圧がクリスにのしかかる。


 それは会議や仕事時の魔王が見せる威厳に他ならない。


「……ふ〜ん」

「クロノ様、何かお気に障る事でもございましたか? どのようなご不満も私に仰ってくだされば、立ち所に解消してご覧に入れます」


 これが本当の彼女なのだろう。無感情にも思える程に薄っすらと酷薄に微笑み、背もたれに寄りかかり天井を見上げる魔王の顔を覗き込む。


 その瞳は冷徹ながら畏敬の念を抱いているようでもあるが、とても愛おしげで恋慕の情溢れるものである。


「いや全然? 不満なんてないよ? 君達は気にしなくていい。少し勘違いをしていただけだから。何も問題は無いよ。あれだから、あのぉ……方向性は間違えてないから。音楽性の違いみたいなものだね。そうやって色々言っても根っこはみんなバンドマンなんだよ。ね、分かるでしょ?」

「……はい、とてもよく分かります」


 否応なく虜にしてしまうセレスティアの微笑の悪戯に、少し汗をかいているように見える魔王は余裕の笑顔と共に早口で捲し立てた。


 この度もセレスティアが微かなれども幸せそうに表情を緩くし、あっさりと絆されてしまったようだ。


「マルコ、別の街に出す新しい店舗の詳細を後で教えてくれるかな」

「うす、すぐに資料を用意します」


 魔王の指示に少しの迷いもなく、マルコは一礼して忙しなく支配人室を後にした。


「……さて、クリス」

「は、はいっ!」


 多忙な魔王が、自分の名を呼ぶ。


 このように凄まじい魔王が、自分如きの名を誰よりも早く覚えてくれていた。


 売られた自分達は、“おい”や“お前”と呼ばれる事が常であるのに。


 仲間内でも、それ一点のみで慕うようになった者も多い。


「うむ、いい返事だ。疲れが取れるよ。それは試作品だよね。持って来てくれるかな。早速頂くよ」

「わ、分かりました! すぐにご用意します!」



 ♢♢♢



 やっべぇ……セレスに任されたのに早速売り上げ落ちちゃったよ。


 本人目の前にして暴露されちゃったよ……、怒られるかもって一瞬ビビってしまった。


 なんでわざわざ本人いる時に言っちゃうんだよ、ジェラルドめ。


 セレスもセレスで“ほら見てみろ”みたいな感じで覗いてきたし! おのれ余裕綽々の笑みで返してやったわ!


 まさに四面楚歌。中々に魔王軍っぽくなって来たじゃないか……。


 普通、進んだ知識使ったら大儲けとかじゃないの? 下がっちゃってんじゃん。店の奥にトイレを設置したり、酒の提供は無料にしたり、色々とやってみたんだけど。


「…………」


 ……まぁ、そっか。専門家じゃないんだから、そんなに世の中甘くないよね。知識って言っても、一般人レベルだもん。


「……あの、如何ですか?」


 不安そうなクリスが、煮込み肉料理を一口食べて黙っていた俺に訊ねる。


「うん? ……うむ、とても美味いね。気になるのは……このくらい手の込んだものなら、もうちょっといい肉を使って値段も上げた方がいいんじゃないかなって事だね」


 後に修正可能なそれっぽい事を言ってから、チラリと横目でセレスを窺う。


「私もそう思います。後はこれよりもコストの低い物も考えた方がいいでしょう。本格的な食事の他に、軽めのものを求める者もいるでしょうから」


 ツラツラと補足説明をして来るじゃないか。今度は本当に下克上かぁ……?


「以前にクロノ様が仰られていたハンバーグやオムライスなどを試してみるのもよろしいかと思います。お話を耳にしただけで食欲が湧いてきましたし、試して損はありません」

「俺が……言ったやつだね?」

「はい。クロノ様の将棋のお相手をさせて頂いていた際に、私の注意を逸らそうとお話くださったやつです。とてもお可愛らしい妨害でした」

「うむ、そうか」


 ものすっごい茶目っけを混ぜて、お話くださったやつ・・なんて言って来る。


 からかうつもりはあっても、手柄を奪うつもりは無いようだ。


「ジェラルドも食べてみな。今回のは特に美味しいよ?」

「…………」


 めんどくせぇ、みたいに視線を向けるもノシノシとこちらへ歩み……ダイレクトに指で肉料理を掴み、一口で食べてしまう。


「誰が全部食えって言ったよっ。俺の差し出したナイフとフォークの虚しさったら無いよっ」

「……食うなとも言わなかっただろうが」


 そして背を向け、ワインを煽った後に再びソファに横たわる。


「…………」

「…………」


 無言でジェラルドと視線を合わせる。


「…………」

「…………何見てんだよ」


 いや……。


「……そりゃ見るでしょ。俺は別に君に酒の肴をくれてやった訳じゃないんだよ。試作品の感想を待ってるんだよこっちは。冗談じゃないよっ」

「量が少ない。腹に溜まらない」

「堪んないのはこっちだよ。もう黙って寝ててくれ」


 セレスがそっと注いだ煎茶をぐいっと飲み、飛び出しそうになる説教の言葉を飲み下してから再びクリスへ向き直る。


「ふぅ……と言う訳で、後で厨房へ行っていくつかレシピを教えるから、それまで休憩しててくれる?」

「は、はいっ、分かりました!」


 一礼し、扉のとこでまた一礼し、閉める前にまた一礼した。


 三顧の礼とでも言いたげだ。


 クリスはいい子だよ。


 さっきからジェラルドに殺気を飛ばしまくってる真顔のセレスはどうしよう。



 ♢♢♢



 ジェラルドへと無言の圧をかけ、セレスティアが外に出て行けと指示する。


「……ふっ、これだからこの女は好かねぇ」

「ん? 何かあった?」

「少し食って腹が減って来たから飯食いに行って来る」

「当てつけ!?」


 声を上げたクロノに反応してジェラルドの無礼に苛立ち、平時は表情に起伏のないセレスティアが眉間に皺を寄せる。


「……おい、出張とか言ってたな。例の街に行くなら“朧組おぼろぐみ”っつう組織には関わるなよ」

「え、何で?」

「狂った奴の掃き溜めみてぇな組織だからだ。数も多けりゃ腕の立つ奴も多い。お前や俺が常駐する訳じゃねぇんだから関わらない方がいいだろ」

「う〜ん……うん、そうだね。分かったよ」


 気にした素振りを見せないクロノとジェラルドは何気なく会話を終える。背を向けてドア向こうへ去るジェラルドを手を振って見送るクロノ。


 やっと二人きりだと、セレスティアの真顔が気持ちばかり綻ぶ。


「……クロノ様、私とエリカ達の旅行が決まりました。傷を癒す目的で温泉で有名な街へ後日旅立つことになります」

「……傷を癒すつもりがあるなら黙って寝てろと言いたいけど……それは学園の行事とか?」

「いえ、静養は名目で、毎年行われる有名な催し物を見物に行くつもりのようです。私にも今後の為に明確な目標がありますし、必要な旅かと」

「ふ〜ん、いいんじゃない? 出張が終わったら少し覗きに行こうかな。なんなら温泉をハシゴしちゃおうか」


 背後からクロノの身体に抱き着き、腹や胸に手を這わせる。筋肉の筋をなぞり、この者の全てを知ろうとするように。


「あとは、【剣聖】への依頼が出ております。内容は例年と同じく――」


 耳元で発せられる平坦な声音は、やがて熱い吐息混じりの囁きとなる。


 触れる度に焦がれる。目にする度に愛する。話す度に酔いしれる。この者の為すこと全てに溺れていく。


 欲しい。自分だけのものにしたい。己の全てを捧げてでも、この頭を自分だけで埋め尽くしたい。


「――以上となります」

「ご苦労。剣聖うんたらはリリアに伝えておくよ。そろそろモリーのとこを様子見しておきたいし」

「かしこまりました」


 燃える愛の昂りにより無意識に、熱く痛む豊満な胸元にクロノの頭を抱え込む。


「む、うん……?」


 旅行に持って行くものをと考え事をしていたクロノも、流石に異変に気付いた。


「必ずや、私だけのものに……」

「うんっ!? それってクロノスのこと!? そう簡単にはCEOは譲らないぞ!!」

「んんっ!! っ……違います……」


 不穏な物言いにムキになったクロノが勢い余って、セレスティアの左胸を鷲掴んでしまう。


「あっ、ごめん。……なら何でもいいや。手に入るといいね」

「はい……。今から、お楽しみになられますか……?」


 半歩だけ離れて意を決して訊ねた。


 見下ろす表情に変化はない。しかし瞳は情欲に支配され、その魅惑的な躰からは淫魔の如き色気が発せられている。


 今すぐクロノに貪られたい。やっとこの身を愉しんでもらえると、爆発する歓喜に震えが走る。


「そりゃそうだよ。だって下でみんなが待ってんだもん。俺の料理が火を吹くよ。見てな? パーティが始まるぜ」

「…………」

「えぇ!? 額を押さえて立たせなくするの何で!? 何で拗ねてんの!?」





〜・〜・〜・〜・〜・〜

連絡

はい、私はおバカです。やらかしてました。なので少しサービス描写を追加してみました。

決めておいたセレスティアのこの変更に気付かず、新第五章を書き終え、書き終えてから何度も見直してもこの話に着手するまで気が付きませんでした。

新五章でアルトが何か熱血漢寄りになっていたと思います。前は感情に波のない無表情寄りの設定でしたが、あれはセレスティアの方がとある設定上都合がいいのではと思って変えたのでした。

なのでこれからセレスティアは表では愛想の良くても、裏では無表情で冷徹な気配の女神さんになります。あんまり違和感がないように書く努力をするので、もしかしたらそんなに変わらないかもです。

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