第80話、古き魔王は揺るがない
「……“クロノ”、ですか? はて、どのような意味があるのやら……」
「流石は魔王陛下、博識であられる。古代文字でしょうか」
村にいた名も知らぬ老人から奪った、ザンコックの新たな剣の鍔に彫られた文字。
悲哀に満ちた魔王の言葉に、疑問や賛辞と言った反応を見せるザンコック部隊。
それに対して……。
「……」
「ッ……」
事態は呑み込めないまでも、その言葉からただならぬ状況であると察する配下達。
息を呑み、主の動向を見守る。
「……君達への
『お呼びか、陛下よ』
直接脳に送り込まれるように響く不吉な音声に、場の空気がまたしても変わる。
「……沼の……悪魔……」
突如として木の陰から生まれた、凶々しい骨の魔物。
山羊骸骨の執事を連れて、胡座をかいたまま宙に浮かび、魔王の元へ寄っていく。
「彼等の尋問は任せたよ。例の魔道具とか、その他諸々を訊き出してくれ。悪いけど……
『……か、カッカッ! 重々、承り申した』
魔王のあまりにも力の込められた瞳と言葉に、骨の身が髄から震える。
モリーは、先程の戦闘がただの遊びであった事を知る。
こうまで人が違うのだから。
超越者としての強さだけではなく、その何ものにも左右されない意志。
悪か正義かなどは魔物の身には縁遠く、惹かれるのはその傲慢なまでに真っ直ぐな精神。
『……ふむ』
そして、ここまで来ればザンコック達でも嫌でも分かる。
【黒の魔王】は、【沼の悪魔】をも従えたのだと。
自分達は……始末されようとしているのだと。
「ま、魔王陛下ッ! 話が違いますぞ!!」
「何の事? ……あぁ、ひょっとしてさっき俺が黙ったから了承したとでも思ったのかな?」
その通りだ。
だが、まるで違うとでも言いたげな魔王に焦りが増していく。
「誤解だよ。あれはただ、この場で裁けない事を嘆いていただけだ。俺自身の手で裁けない事を謝っていただけだ。その前のお話で、君等に村人達を思う心があるか確かめ終えたからね。初めに言ったはずだよ。話を聞きたい。“
出会った瞬間にはもう自分達を罰するつもりであったかのような言葉であった。
「もう言ってもいいね。……俺は初めから君達を見逃すつもりがない。誰一人だ」
「……」
「納得いかないかい?」
納得できる訳がない。
茫然とするザンコック達には、この魔王が目に移る者全てを殺害し、殺戮に悦楽を見出す狂人のように思えて来る。
誰もが、カゲハ達ですら、魔王の思考が読めない。
故に途方もなく恐ろしい。
「魔王陛下! この任務はラルマーンの未来がかかっているのです!」
ザンコックの勇しく張り上げた声が、静寂を切り裂き雪山に木霊する。
その蛮勇による山彦は、いらぬ横槍を齎らす。
「……」
「これからのラルマーン共和国の繁栄やこれから生まれてくる子やその先の世代に繋がる任を受けておるのです!!」
ザンコックは即座に方針を変え、取り引き交渉を試みる事にしたのだ。
生き残る活路はそこにしかなく、これだけ強大な魔王ならば友好関係を築き本国へ帰還した際には恩賞もあるかも知れないと、全身全霊で挑む。
地鳴りが生まれているのも気付かず。
「この任務を成功させた暁には魔王陛下にも有益な……………」
ザンコックの言葉が止まる。
その視線は、魔王の背後……壮観な雪山から駆け下りる自然の猛威。
雪崩れ。
ザンコックの魂の叫びが呼び起こした大自然の裁き。
「……邪魔だね。君達は気にしなくていいよ。アレに君等は裁かせない」
魔王がおもむろに振り返り、手を翳す。
まるでカーテンでも閉めに行く気軽さで、煩わしい雪の波へと向き合う。
この大地の揺らぎすらも、魔王の怒りに震え上がっているのではとすら思わされる。
カゲハ達を含めた全員が、何が起きるのかは分からないが、魔王の超常――
『――何をしておるか』
魔王を含め、全てのものの注意が―――――深緑の魔力を解き放った魔物へと向く。
何事かと。
魔王の機嫌がこれ以上損なわれるのを無意識のうちに恐れて。
『小娘ども』
だがその言葉は魔王ではなく、魔王の配下の美女達へと向けられていた。
『このような時の為に
「……無茶を言ってはいけないよ。自然の力は偉大なんだから」
モリーの意外な叱咤の言葉に、魔王が不敵な微笑みを浮かべて反応する。
そして、命じる。
自分以外に大自然と立ち向かえる、新たな配下へと。
「アレは、―――――君くらいにしか任せられない」
出会ってから短い時であったが、確かな信頼を向けられた沼の悪魔。
『――カーカカカカッ!!』
骨の掌を高々と掲げた【沼の悪魔】が高笑いを始める。
『カカカ!! しかと任されたッ』
踊るように膨大な魔力が乱舞する。
次第に死を思わせる魔力の軌跡を描き魔法陣を形成する。
すると、毒々しい緑の魔法陣の上に……嵐が生まれ、無理矢理に圧縮されるように集う。
やがて荒々しく暴れ狂う暴嵐の塊は、巨大な猛々しい雄牛の姿を形作り……。
『――〈フーランの暴牛〉よ。目障りじゃ。蹴散らせぃ』
木々を押し潰しながら競り降りる雪崩れへと放たれた。
暴牛はそんな自然の力に僅かな怯みも見せず、嘶きを轟かせながら突き進む。
荒れる風を纏い、狂乱するような闘志を滾らせ、雪崩れへと真正面からぶつかる。
雪の波が別れる。
雄々しく直進する牛を中央に、左右へ高波のように吹き飛んでいく。
嵐を纏う魔法の猛牛により、巨大な白いカーテンのように巻き上げられてはためく。
自然の猛威を蹴散らす嵐牛に心拍が加速するが、魔王が口を開けば白昼夢から悪夢へと無理矢理に引き戻される。
「こんな自然とも闘って来たんだろう。何年も……」
一層白く染まる景色の中から、そんな声が儚げに聴こえた。
「……あの村の若者はみんな都会に出て行って、君等の言う通り老人ばかりだった」
瞑目した魔王が、語り始める。
無機質に。
中断したザンコックの交渉を聞く耳などないとばかりに、一方的に語る。
「でもね、残った人達は村を何とか復興させようと、昔から村で作っていた、ある野菜を特産品として売り出そうとしてたんだ」
ザンコック達は、そのよくある田舎の話をする意味が理解できない。
そうして何も成す事もできず消えていく村などいくつもある。
それよりも、魔王が何故そのような話を知っているのか不思議に思っていた。
「雪の下でも育つ野菜らしいよ」
ザンコック達は知らない。
「
あの村に、その野菜目当てで訪れた少年がいた事を。
「雪の降る中で帰ろうとしたら、一晩泊まっていくように勧められたよ。自分達だって余裕は無いだろうに」
つい数週間前に関わりがあった事を知らない。
【沼の悪魔】を勧誘しに行く前、カゲハと再会する直前。
「分かるだろう? これからだったんだ。成功も失敗すらも分からない。老人達ばかりで畑を広げて、こんなに大掛かりに育てるのは初めてだからって。丁度……」
魔王の闇色の瞳が、ザンコックから周囲の隊員達へ移る。
「――君達が空き地だと思って踏み荒らしていた辺りだ」
ガタガタと身体は痙攣したように震え、俯いた顔は青く染まり、歯がカチカチと耳障りに合唱を奏でる。
「彼等をあんな風に、無残な状態で放置していい訳がない。俺が許さない」
村の一番西方の家に纏められた村人の死体を思い浮かべ、激憤が渦巻く。
「言ってたよ? これが第一歩なんだって。手や足は凍傷で怪我だらけ。腰も節々も毎日悲鳴を上げてるって、笑いながら話してくれた」
魔王の内なる憤怒が魔力と共に滲み出る。
「踏みにじられていいと思う?」
「……わ、我等はお国の――」
「俺は思わない」
魔王の真っ直ぐな瞳。
「君の言うようにこれらが偉業の一部であったとしよう。―――――興味がない」
揺るぎない意志。
「あの犠牲のお陰で、これからどれだけのラルマーンの人々が救われるか。―――――知った事じゃない」
高まる怒り。
「君らがどれだけの英雄となるとしても、ほんの少しの関心もないよ」
とうとう姿を現した黒き魔力。
荒れ狂う雪崩の残滓を吹き飛ばし、白銀の世界を絶望で埋め尽くす。
「ここに、蹂躙された命がある。そして……」
雪崩れの騒ぎも無かったかのような静けさの中、魔王の感情込められた言葉が皆の魂にまで響く。
「……それを引き起こした元凶が目の前にいる。俺にとって大事なのは、それだけだ」
静かな怒りの眼光が、ザンコック達の時を止めていた。
『……』
「ッ……」
モリーやソルナーダでさえも、魔王の怒りに身体を痺れさせる。
「「……」」
対してカゲハやリリアは……暗闇の中で見出した『黒き光』が正しきものであったと確信していた。
眩しい。
確かに、一時の感情による決断であった。
苦しい時に差し伸べられた温かい手に惹かれた。
暗闇の中で偶然出会った、黒い希望であった。
だが、眩しい。
今なお、眩しくなる一方だ。
あまりに大きな光であるが故に、今も目が眩んでいるのかも知れない。
それでも何ら構わない。
この光の照らす道は、絶対に後悔しない。
そう確信しているのだから。
「モリーが言うには、あの子の増えた魔力はここの村人達だけでは説明できないらしい」
『弐式』をちらりと見た漆黒の眼光が、再度ザンコック達へ向けられる。
「……君達、一体いくつの村を襲ったの?」
恐怖から、誰も何も言えない。
「これで納得したでしょ? 後は……これとその腕輪の魔道具の情報を喋ってもらう」
ポケットから取り出した壊れた『弐式』の首輪と、同じデザインのザンコックの腕輪とを目線で差し、命じる。
「……く、国を、我等が祖国を敵に回す事になりますよッ!!」
「受けて立とう」
ハナムの……ザンコック達の最後の抵抗が、容易く跳ね除けられた。
ラルマーン共和国だろうと、相手取る事に些かな躊躇も無かった。
「俺は魔王だ。目の前にある俺以外の悪を見過ごすくらいなら、国だろうが世界だろうが打ち砕こう」
魔王らしい傲慢さで反逆を語り、ザンコックに歩み寄る。
ザクザクと魔王が雪を踏み締める音だけが、皆の耳に届く。
村人達の屍から、『弐式』の仕業だと知っていた。
新たな配下から、『弐式』に命じている者がいるであろうと聞かされていた。
その村には、『弐式』の首輪と同じようなデザインの腕輪をした者がいた。
「……」
時間が止められたように固まるザンコックの……鞘の取り付けられる手製ベルトから、剣をゆっくりと抜く……。
「これはね、お爺さんのベルトが壊れていたから、一宿一飯の恩として手製のベルトと共にあげた剣なんだ……」
しゃがんだ魔王とザンコックの目が、間近で交差する。
「……」
「……」
黒く、深く……昏い激情を宿した瞳と、後悔も懺悔もなくただただ怯える瞳。
魂を抜き取る儀式のように、沈黙の中で見つめ合う。
「……」
……やがて……魔王は目線を外して立ち上がり……。
「ッ……」
ザンコックに最後の安堵が訪れる。
―――――閃―――――
かつてカゲハやリリア達が目にした中で、最も感情の込められた一振り。
刀の時のような技ではなく、湧き上がる怒りにより振られた剣。
目にしただけで両断されたと錯覚する剣気。
白銀の世界が斬り伏せられたと思わせる閃きを、ザンコックへ振り下ろした。
「……カッ……」
ザンコックのベルトだけが断ち切られ、鞘の重みでシュルリと雪の上へ落ちる。
そして続くように崩れ落ちるザンコック。
「……君に贈った訳じゃない。決して」
失神して倒れたザンコックを見下ろし、憤怒の込められた凍て付く声音で言い捨てた。
それから、これが夢や幻想だという希望に縋り始めた隊員達を見渡し……。
「覚悟するといい……」
いつの間にか、部隊を取り囲む骨の魔物達。
そしてハナムの背後から顔を出す、一際悍ましい沼地の支配者。
死の羽衣で包み込むように、ハナムの肩を抱く。
「ハッ、ハッ、ふッ……」
「ァァ……」
「ハァ、ハァ、ハァッ」
魔王からの絶望と、沼の王からの恐怖により、血も冷え切り、歯が欠けてしまいそうな程に震え上がる。
「――ウチの新入りは、俺のように甘くはないだろうから……ね?」
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