第79話、雪が降る……

 

 雪が降る。


 如何なる地上に生きる生物の思惑にも左右されず、天の気ままに舞い降りる。


 枝に雲を乗せたように白く染まる細身の木々。


 雪の絨毯に敷き詰められた純白の大地。


 今朝に降る雪は一際白く、明け方の仄暗さと静けさもあって、寒さも忘れて目を奪われる幻想的な光景を作り出していた。


「……『弐式』はまだかね」

「は、はっ。昨夜より度々周囲を見回していますが、影も形も……」

「ちぃッ!!」


 ハナムの返答に、寒気に赤らむ鼻や耳を苛立ちと共に掻き毟る。


 今のザンコックには、この景色を楽しむ余裕など少しも無い。


 一刻も早く情報を国に伝えねばならないが、『弐式』に怯えて使い物にならないと、他の飼い慣らした魔物は連れて来ておらず、書簡を持たせて送り出すラルマーンお得意の方法は取れない。この積雪の中を人間が帰還するのは無謀。


 しかし、積もった雪により足止めを食らっている事もそうだが、何より無視できない問題があった。


(ちぃぃ……帰還の命令は絶対の筈だ。あの鎖に逆らう事は不可能……。ウスノロがッ! 何でだ!?)


 何度も手首の鎖型の魔道具に命じるも、あの雄々しい魔獣の姿は現れない。


 ザンコックの不機嫌も意に介さず、雪はハラハラと降り続ける。


 そんな雪に降られながらも、村から少しでも食料をかき集めるよう命じられた隊員達は、散り散りに方々を捜索していた。


「……全員が戻って来たなら報告したまえ。再びカース湿地帯へ赴く」

「はっ」


 建物へ引き返しながら指示を与え、ハナムの返事を聞くと同時に扉の中へ入る。


【沼の悪魔】の強大さは調査し終えたが、ラルマーンの奥の手とも言える『弐式』が戻らなければ帰還はできない。


 ザンコックの心中に、苛立ちと焦りが募る。




 ………


 ……


 …








 隊員達が空き地へ集まり始める。


 その手には何も無く、一様に探し損といった表情をしている。


「アホみたいに雪の多いこんな辺鄙な村に禄な備蓄なんかねぇっての……」

「老人ばっかだったし、あんま食う必要がねぇんじゃねぇか?」


 つい先日まであった罪の意識は溶けて流れたのか、雪に埋もれたのか、何気なくそんな会話がなされていた。


「たくっ、早くこんなとこから帰りてぇっていうのによぉ……」

「あぁ……」


 隊員達の視線が、気味の悪いものを見るように村の端にある一つの民家に集中する。


 あそこから、一刻も早く遠ざかりたいとばかりの嫌そうな表情だ。


「もしくは別に倉庫か備蓄庫が隠してあるかですね。一旦、少尉に報告をして――」


 白い息を吐きながら思案顔で提案するハナム。


 耳を傾ける隊員の一人が、ある異変に気付く。


「お、おい……」

「ん? アレは……」


 白銀の世界に、ただ一つの異色。


 群青色の……怪物。


「やっと帰って来たかよ……」


 空き地から見える不自然に開けた平原には、霧の翼を噴出させて宙に浮かぶ『弐式』の姿があった。


「……………へっ?」

「あん? どうしたよ」


 ハナムの間の抜けた声に、先輩隊員が何気なく訊ねる。


「あ、あれ……」

「いや、だからどうしたんだよ」


 寒気に赤ら顔となっていたハナムが、一早く小さく……そして途轍も無く大きな異変に気付く。


「く、首輪が……」

「首輪?」


 震える指先の示す先にいる『弐式』が、身体の端から霧散していく。


「……首輪が……ない……」

「そんな……」


 そう、もはや傀儡の身ではない。


 解き放たれた紛れもない、―――――霧の怪物。


「……た、退避ィィ―――ッ!!」

「逃げろ逃げろ逃げろォ!!」

「建物……いやッ!! 霧になって入り込んで来る!! も、森だ!! 森へ走れッ!!」


 訓練された隊員達が瞬時に即断し、遮蔽物となる木々のある森へと撤退を始める。


「何を騒いでいるのかね」

「少尉ッ! 『弐式』に首輪がありません!! その状態でここにいます!!」

「……」


 ハナムの叫びを、数秒の間だけ反芻するように脳裏で繰り返す。


 どれだけの異常事態かを理解したザンコックは一気に血の気が引き、頭の先から凍り付いていくような錯覚を覚える程であった。


「ではッ!!」

「ッ!? ま、まちたまえッ――」


 隊員達の背を必死に追いかけていくザンコック。


 その姿を、上空から蒼き霧が冷たく見据えていた……。





 ♢♢♢




「ハァ、ハァ……」

「もう少し離れるぞ! どこまで追って来るか分からん!」


 雪の積もった森を駆け続ける。


 あの霧の怪物が、自分達を良く思っているなどという考えは無い。


 当然だ。生まれてから今まであの鎖で縛り付け、道具同然に使い続けて来たのだから。


 部隊全員が、いつの間にか先頭となっていたザンコックに続き……。


 雪に足を取られ、時にはつまずき、時には這いながら……。


 呼吸も苦しく、脚も上がらなくなって来てはいても、歩みを止める訳にはいかない。


 いつ現れるかも、どこに潜んでいるかも分からない。


 今、すぐ背後にいるかも知れない。


 次には、目の前に現れるかも知れない。


 そんな不安と焦りを抱えて隊は前進する。


「ハァ、ハァ、くっ……」


 そして次第に同じような景色の続く、木の迷宮へと入り込み……。










 一人の少年と出会う。









 この雪降る森で、たった一人佇んでいた。


 その黒髪の少年の背に、隊全員が歩を止める。


 辺り一面に及ぶ白銀の世界において、あまりに異質。


 平凡に見える薄着の少年である事が、それに拍車をかけていた。


 誰もがこの状況について様々な推察を頭に思い浮かべ、呆気に取られる中で、ある隊員が寒さにクシャミをする。


「クシュン」


 静かな雪の世界に、それはよく聞こえた。


「――寒いね」


 目の前の雪の景色に映り込む少年が、口を開く。


 背を向けたまま。


「これだけの雪も降るはずだ。……でも……」


 ゆっくりと振り返る。


 空虚に思える漆黒の瞳がザンコック達を捉える。


 深き闇に足を囚われたかのように、隊員達の心の奥底に不安や焦り、恐怖が燻り始める。


「……君達のいた家以外の……村のどの家からも、煙は上がらない。火を起こす気配すらしない。どう言う事だろう」


 何者かは不明。


「何がどうなる訳でもないんだけどね。君達の話が聞きたいんだ」


 しかし、本能だろうか、この場が重要極まりない事は自然と理解できた。


「君ぃ! まずは名乗りたまえ!」

「黙れ」


 目の前の少年ではない。


 側面からの突然の強烈な殺気と共に、女性の硬質な声で威圧される。


「あ、あなたは……」


 一度目にした事のある美女にハナムは更に混乱し、事態の理解を遅くする。


「御主人様の御前。早く跪いて」

「ガルル……」


 唸り声と共に、もう片方の側面からも愛らしい声音で命じられる。


 突き付けられたカットラスが、無機質に煌く。


「……跪けと言っているのだ」

「ギャッ!?」


 ハナムの足が褐色の美女により重く蹴られ、無理矢理に跪かされる。


「た、隊長……」

「……」


 異常事態に固まるザンコック。


 不安の加速する隊員達の視線を一身に集めながらも、跪まずく指示がブライドから口を出ない。


「……あぁ、ご苦労様。わざわざありがとう」


 魔王がふと虚空へ語りかけた。


 すると……。


「そんなッ」

「有り得ない……」


 驚愕するザンコックと隊員達の前に現れた影。


「――」


 魔王の隣に出現しながら降り立った、『弐式』。


「彼に頼んで君達をここに誘導してもらったんだ。……この子は温厚ないい子だよ」


 信じ難い光景。


 鎖の首輪もなしに、まるで飼い犬のように『弐式』の頭を撫でている。


「……」

「ッ、……」


 指示を待てずに自然と膝を突いていく隊員達に、ザンコックも慌てて跪く。


「少尉……」

「なんだねッ」

「この少年は、おそらくあの【沼の悪魔】と戦っていた少年です……」

「何ッ!」


 ハナムとザンコックの小声のやり取りに、隊に動揺が走る。


 ハナムの話が真実ならば、この少年はあの強力無比なる【沼の悪魔】を打ち下した強者なのだ。


「さて、まずは言われた通り名乗ろうか。俺は魔王だ」


 本題へと早く移りたいのか、酷くあっさりとした自己紹介。


 魔王。


 誰しもの脳裏に浮かぶ、【黒の魔王】の存在。


「じゃあ話の続きだ……」


 魔王の雰囲気が変わるのに呼応し、空気が一変する。


 艶やかな褐色の美女や愛らしいメイド達でさえ、冷や汗が流れる。


『弐式』も怯えるように、姿勢低く魔王に首を垂れる。





「――村人を殺したのは……君達?」





 簡潔な魔王の問いに、心臓が乱暴に鷲掴みにされる。


 この問答は、自分達の生死に関わる事は容易に想像できた。


 情の窺い知れない魔王の瞳が、そう理解させていた。


 鼓動ごとに苦しむ胸を押さえ付ける隊員達に、魔王は無表情のまま続けて言う。


「君達はラルマーンの部隊だよね。我が物顔であの村の家を使用していたけど……まさか、屋根の下で寝たいから村人を殺したとか?」

「い、いえ、魔王陛下。それは誤解に御座います」


 ザンコックが滑らかに話し始める。


 上司に取り入る能力を伸ばして来た彼は、その高慢さからは信じられない弁舌を見せた。


 瞬時に状況を考察しながら、慎重に言葉を選んでいく。


 何故かこの魔王は、村人達を殺した者に怒っているようだ。


 魔王とは思えない甘い思考だが、ならばと次々に言葉を紡ぐ。


「極秘任務の為の拠点として家屋の使用を頼もうと我々が到着した時には……もう既に村人達は死に絶えていたのです。老人ばかりの村のようでしたし、この猛烈な寒気に耐えられなかったのでしょう……」


 まるで悲しむように歯を食いしばり、項垂れて見せるザンコック。


「……つい最近まで生活していた気配があったよ? まだ薪もあった」

「そ、それは――」

「我々が到着する数日前までは生存していたようでありますッ」


 言い淀む気配を見せたザンコックを引き継ぎ、ハナムが答える。


「薪はあれども、食糧が無くては寒さは乗り越えられません。家々を捜索してみましたが、食べ物の類はありませんでした。老人の身では狩りも難しかったのでしょう。到着した時にはもう……。我々も無念でした」

「……そう。てっきり君達の仕業かと思っていたよ」


 ザンコックは鼻が効く。


 魔王の淡々とした物言いや少しも変わらない無表情から、未だ疑っていると判断し、念の為に先んじて手を打つ。


「魔王陛下。我等は密命を受けし特殊部隊。仮に村を襲撃したのが万が一にでも我等であったとして、しかしながらそれはお国の為です。国の事情ともなれば王たる立場にある魔王陛下が関わられれば、国際問題となりかねません」

「……」


 言外に、どうであれラルマーン共和国の問題であるならば、これ以上はお互いに関わらない方がいいでしょうと提案しているのだ。


 無言でザンコックと視線を交差させる魔王。


「……おい、こいつら殺さないのか?」

「まだ。今は黙ってて」

「主の命を待て」


 こちらへ飛びかからんとウズウズする獣人の少女。


 メイド服姿の愛らしい桃色髪のカットラス使い。


 ジッと注意深く隊を見張り主の命令を待つ褐色黒髪の暗殺者。


 どれも目を見張る美しさだが、こちらへ向ける眼差しは敵意一色だ。


 ザンコックは、この魔王が配下に慕われている様子をも鋭く察知する。


「ましてや証拠や利もなしに我等を処断するのは、魔王たる御身の尊厳に関わるやも知れません」

「……」


 魔王が静かに目を閉じる。


 無念とばかりに……。


「……この場の出逢いは、無かった事に……して頂けませんでしょうか……」


 ここで畳み掛けようとハナムが、意を決して息を呑んだ後、恐る恐る切り出した。


 あくまで下手から。殺気の高まる配下達の気に障らぬように。


「……そっか……」


 魔王が深く呼吸し、息を長く吐き出す。


 とても悲しげな……どこか申し訳なさそうな呟きであった。


 熱い内心を出すような白い吐息が天へと昇り……無念と消える。


 配下の美女達が、怒りを噛み締めて押し殺す。


 ここまでなのだ。


 理性的な主は、正論などで説き伏せられればその力を振るわない。


 その可能性は薄々勘付いていた。


 ザンコック達ですら、そのような魔王の気質を感じ取っていた。


 何とか、すんでのところでこの状況は凌げた。


 だが課題は山積みだ。


 理の外にいるような、強大極まりない魔王。


 彼に心酔する、忠実かつ優秀な部下達。


 更に、魔王に手懐けられた『弐式』。


 ザンコック達は、帰国後に起きる国家規模の大騒動を早くも予感していた。


「……その剣」


 ふと魔王が……ザンコックの腰の剣に目をやり呟いた。


「こ、これですか?」

「いい剣だね」


 別れの前の何気ない会話。


「あ、ありがとうございますッ! まさか陛下程の御方に褒めて頂けるとは!」

「大事にしなよ。それくらいの剣なら、かなり斬れ味がいいだろうから」

「はっ! 有り難き御助言であります!」


 村人から新たに手に入れたお気に入りの剣を褒められたザンコックは、嬉々として返答する。


つばの模様が独特だね」

「あぁこれは……何かの文字なのか、私には読めないのです」

「そうなんだ……」


 ザンコックの持つ剣の鍔に彫られた刻印を見つめる魔王が、平坦な口調で言う。













 それはね……。























 ――『クロノ』って、彫ってあるんだ。












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