第77話、勧誘も一苦労

 

『……舐められたもんじゃのぅ。えぇ? 人族如きが』


【沼の悪魔】がいきどおる。


 深緑のオーラを溢れ出させ、不吉に灯る球体を周囲に漂わせながら。


『この儂を前にして、威勢のいい事じゃのぅ』

「種族蔑視べっしはいけないよ? それに、人族の技も捨てたもんじゃない」


 軽快に降り立ち、漆黒の刀を引き抜く。


 土を落とす為に一振りされたその刀は、曇り空からの微かな陽光を受けて華麗にきらめく。


「……遠慮はいらない。持てる全てをぶつけて来るといい」

『カッ! 威勢だけはいいんじゃ。ここまで来るものは。威勢だけはの。……ならちと試してやろう。やれやれじゃわぃ……』


 重量を感じさせずに気ままに浮かんでいた銀の球が、モリーを取り囲むように回りながら速度を上げる。


 それを見つめながら魔王はおもむろに……半身となる。


 クロノの背後から豪と振られた魔獣の左腕が空を切る。


 狂乱の最中にある『弐式』が、未だ感電する身体で陸地の存在へと襲いかかる。


 そして同時に、十の銀球も整列して曲線を描きながら突き進む。


「入社試験だね。ウチは面接オンリーだから、身嗜みとかだけ……………ごめん、あるがままでいいからね?」

『……今、儂の腰巻きを見て言い直したか? あわれんだんかっ?』


 軽口を叩きながら舞うクロノと、一層の魔力を込めながら魔術を操るモリー。


 暴れ狂う魔獣。


 一つの生き物のように鮮やかに組織立って飛び回る十の球体。


 そしてそれらを相手取る、技巧的なれど天衣無縫てんいむほうに振るわれる漆黒の刃。


「……」

「……」

「なんと、美麗な……」


 観るものがとりことなる。ソルナーダでさえも。


 荒々しい魔獣を闘牛士のようにあしらい、連携した動きで強烈に襲う球体達を無造作に斬り払う。


 軽く振るわれているようにも見えるその黒刀の軌跡はあまりに流麗で、力強く、魔獣や十球と合わせて芸術的と言える光景となっていた。


「……うん」


 しかし、魔王は何処どことなく不服そうで、申し訳なさそうでもあった。


『早う焦げてしまえ。〈トリゴールの雷槍らいそう〉』


 再び握られる、雷の一撃。


「わぁ、綺麗」


 間近で見る雷槍に危機感も無く感想を漏らすクロノが、飛びかかる『弐式』をのけかわした時、それは放たれた。


『雷槍よ、突き進めぃ!』

「右折しまーす」

『カァ!?』


 クロノの差し出した魔力をまとった右手に触れた瞬間、直進していた雷槍が直角に右に曲がった。


 そしてその雷は、何の不幸か魔王を通過した『弐式』と接触する。


「―――――ッ!!」


 2度目の緑雷。


 さしもの強力な魔獣も、沼に落ちてすぐには立ち上がれない。


 その首輪のひびも広がり、今にも砕けてしまいそうだ。


「……君は付いて来れなさそうだね。ダイナミックになるけど、そろそろリングアウトしようか」


 魔王が苦しむ魔獣へ、魔力を込めた指を鳴らす。


 爆風のように一方向に放たれた、魔力の波。


 痙攣けいれんしながらもだえていた魔獣が樹々のひしめく沼地の森へと吹き飛ばされた。


「……魔力ビームとかだと死んじゃうかも知れないからね。ちょっと手が離せないから、これで勘弁してくれ」

『……お主、今何をした?』


 モリーが低い声音でたずねる。


 それは、モリーにとっては重大な問いであった。


「何、と言われても……。薄い魔力の波動をぶつけただけだよ? そんな魔術を使える君が騒ぐようなものじゃないと思うけど」

『……』


 周囲を漂う〈カハンの十球〉を指差すクロノの言う通りではある。


 高度な魔術に比べれば、そこまでの威力は無く、利点は魔力消費が少ない事くらいだ。


 それにしてもだ。魔術として完成させれば、より魔力は省略できる。


 問題は、その魔術並みの技を魔力操作のみで行った事だ。


 先の雷槍を受け流した事と言い、無視できるものでは無い。


『気に入らんのぅ……』

「気に入ってくれ。それより、これで一対一だよ」

『だから何じゃ』

「遠慮は無用だって事だね」

『……』


 宝物を前にして胸踊るように魔術を行使していた時と比べ、目に見えて劣る〈カハンの十球〉の攻撃をクロノは指摘する。


『……人族の玩具がんぐを少しばかり扱えるからと。調子付きおって……じゃが訪問者ならば致し方無し、ほれッ』


 仕方なしと骨の指をかざした事により、先程よりも複雑かつ俊敏しゅんびんに襲いかかる銀球。


 だが……まだ全力では無いのは明らかであった。


「ふっ、ならこうしよう。――ッ」


 地を踏み締めて繰り出された黒き刀が、九つの球体をモリーへと弾き返す。


『コカっ!?』


 更に、最後の一球へ峰が当たるように持ち替え――


「――ッ!」


 銀球ごと、陸地に打ち下ろす。


 魔王のパワーを受け、陸地が沈み……周囲の水面が浮き上がる。


「樹の上へ!! 急いで!!」

「骨のくせ指図さしずするんじゃない! グゥゥ!」

「ッ!!」


 魔王を中心に生まれた水の壁。


 これから生まれるであろう高波に、衝撃の余波で怯むカゲハ達も四苦八苦していた。


『……お主、本当に人族か?』


 浮き上がった水壁が下り、魔王の姿が見えると共に問いかけるモリー。


 未だ全力では無いにしろ、魔力操作の技量が異常であっても、ここまでの力を見せる少年は今までとはまるで違う得体の知れない何かに見えていた。


「どうだろう。入社した後に少しずつ知ってもらえると嬉しいよ」


 刀で器用に足元の球を浮かび上げ、打ち返す。


『カーッ!!』


 来た時よりも速く返されたそれを、モリーは残りの九つで挟んで止める。


「キャッチボールも楽しいけど、そろそろその気になってくれないかな。俺の実力を試すんだろう? それなりのものが無いと測れないかもよ?」


 カシューやセレスティア達、彼等彼女等よりも強く、見た事の無い様々な魔術を操るモリーに、クロノも胸が躍っていた。


 故に、徐々に・・・実力を測るモリーを急かす。


『儂の術を見せろ、とはの。……後悔する事になるぞ?』

「俺はそうは思わない。君の魔術と俺の刀術。真剣にぶつかり合うからこそ得られるものだってある筈だ」


 刀を突き付けながら楽しそうに語るクロノ。


『定命の人族が吠えるわい。あろう事か儂に向かってじゃ。ならば、これ以上は問わん。その矮小な人族らしいちっぽけな玩具でどこまでやれるか試してみぃ』


 モリーの纏う空気が変わる。


 明確に、目の前の存在を敵として認知した。


 ただそれだけで、沼地に重くのしかかる圧が増大する。


『――〈トリゴールの雷殻らいかく〉』

「ッ!!」


 クロノの刀が閃く。


 今までの劇中であるかのような斬撃とは明らかに異なる、闘いのそれ。


『カッカッカ!! これも凌ぎよるか! 口だけでは無いのぅ』

「十分驚いたよッ!」


 クロノが斬り払い続ける。


 緑雷を与えられ、獰猛どうもうに襲いかかる――〈カハンの十球〉を。


「ッ! ふッ!」


 クロノの予想を遥かに凌駕するスピード。


 雷の恩恵を持って、危険極まりない重量で突き進む。


「ふふっ」

『……何を笑うとるんじゃ、やはり狂人じゃのぅ』


 純粋な闘争を楽しみながら刀を振るう神がかったクロノを眺め、気持ち悪っと骨の魔物が呟いた。


『……まぁええわぃ。お主が選んだ道じゃ。狂ったまま希望もなく死に行け』


 敵と決めたモリーが、容赦無しと新たな魔術を行使する。


「ッ! ん?」


 クロノの左腕に、何かが巻き付く。


 咄嗟にそちらに目を向けたクロノが目にしたのは――


『――何もかも吸い取られてのぅ』


 水の中より出でる不吉な文字群で構成された……呪いの帯。


 黒の魔力が、沼地の中心で噴火する。


「うお!?」

『何じゃあこりゃあ! 何ちゅう魔力じゃ!! 化け物め!!』

「やった本人に言われたくない、よッ!」


 ダムが決壊したように一気に魔力の溢れる左腕をそのままに、雷の球を払う。


「ッ、ぁぁ……」

「ッ……」


 だが、カゲハもリリアも、


「あぁ、気が遠のく……もはや、立つ事すら……………胴体置いて来たのでした……」


 心底なげくソルナーダでさえも、呪いのアザから漏れるだけの魔力で虫の息となっていた。


「ッ!!」


 クロノがすぐ様、高く跳躍する。


 カゲハ達と正反対の空へ。


『逃すものか。お主のような不審な輩はここで仕留める』


 緑の電光で瞬く間にクロノに追い付き、尚も襲撃する〈カハンの十球〉。


「ふッ! ッ!」


 連続の域を超えて同時に襲う凶弾。


 避け、空中で斬り払うが、重い銀球は強く斬り付ける程に自分の身体を上空に打ち上げてしまい……。


(この調子だと宇宙に行っちゃいそうだ……)


「ッ!」


 慣れないながらも斬りつけた勢いを利用して避ける。


 そして最大の問題へ素早く思考を巡らせる。


(魔力漏れが止まらない。こういうのは本人をやれば解けそうだけど……それは嫌だな。……ふんッ)


 飛びかかる球体の僅かな隙に試しにと、左腕から魔力の波動を放つも……呪帯によるアザは剥がれない。


『カッカ! 何やら小癪こしゃくな真似をしとるようじゃが、絡繰からくりが分からねばどうしようもあるまいて』


 地上のモリーは朽ち果てるのを待つばかりと、高らかにわらう。


 絶え間なく上から下から正面から背後から、縦横無尽に襲う脅威を斬り払うクロノ。


 だが、経験のない空中での剣術に、服などは雷に食われ、焼かれ、身は無事なれど確かに追い込まれていく。


「……仕方ない」




 ………


 ……


 …





「はぁ、はぁ、あ、主……」

「うぅ……」


 空へ高々と昇った主を、カゲハやリリア達は霞む視界で心配して見送る。


『……』


 上空に不規則な軌道で〈カハンの十球〉が、歪な花火のように煌めく。


 黒いモヤを噴き出す魔王へと執拗に魔術を襲わせるモリーは、ふと最初の契約者の言葉を思い出す。




 ――お前の居場所がきっと見つかる。お前の全てを包み込んでくれる者が、きっと現れる。きっと……みと……。




 まだ貧弱で、下等の使い魔であったモリーへと、死の瀬戸際にあった者から送られた言葉。


『……ふん、カハンよ。儂の居場所はここじゃ。ここが儂の王国じゃ。……………ッ!?』


 地上のモリーに戦慄せんりつが走る。


 その視線は、はるか上空の未知なる存在。


『有り得るのか……?』

「……モリー様?」


 その時、陸地に勢いよく人影が降り立つ。


「「ッ!!」」

「なんと!?」


 逆手に携えた黒刀は少しも陰りのない艶やかさである。


『……』

「……ビックリだよ。こんなところにも吸引力の変わらないものがあるなんて……」


 呪いも、付き纏う球体も無く、不適に微笑む魔王。


 そして続いて……。


『……』

「そんなッッ!?」


 次々と魔王の周りに落下する、両断されて半球となった〈カハンの十球〉。


「正直、焦ったよ。テスト直前に、前日勉強した科目が違った事に気付いた時くらいドキドキしちゃった」

『何をした……』


 モリーが驚愕の色のある声で問う。


『〈カハンの十球〉はいい。この際捨ておこう。しかし……〈ヘムケルの呪帯〉。アレは生半可に解けるようなものではない』


 どちらが異常かと言われれば、〈カハンの十球〉を斬り裂いた事であろう。


 それはモリーをも震える所業だ。


 しかし、〈ヘムケルの呪帯〉は呪い。


 解き方などの知識がなければ決して解呪できるものではない。


 それ以外には、そもそも食らわないか、モリー自身を殺すか……腕を斬り落とすか。


 しかし、目の前の魔王はそれらのいずれかを選択したようには見受けられなかった。


 つまり一切理解できないのだ。


 察知できたのは、モリーですらおののいた異様な気配のみ。


「ちょっとだけ、ズルをしたんだよ」

『答えれば命は見逃してやろう』

「へぇ……まだ勝算があるの?」


 確かにどちらも無傷ではあるが、3つの魔術を破った事によりモリーは負けを認めるのではと予感していた。


 しかし、その様子はなく未だ奥の手を残しているようであった。


「これからが本番みたいだね。かかっておいで」

『……カカッ! 答える気は無し。ならば葬るのみよ。死した後にゆるりと検証するわぃ』


【沼の悪魔】が、水面に骨の手を当てる。


『従僕共よ……目覚めぃ』

「……ん?」


 沼の支配者の呼び声に、魔王の立つ陸地へと……骨に鎧を被せたような武器などを携えた骨の亡者達が上陸する。


「あれは……」

「かつてここを訪れた訪問者様方です。モリー様の最終試験に敗れ、朽ち果てた猛者達。魂は既に召され、成長は無くとも、その身に刻まれた技は健在。紛れもない猛者に御座います」


 樹の上から自分の事よりも真剣に見守るカゲハの無意識の呟きに、ソルナーダが律儀に答えた。


 刃こぼれした大剣を引きずる骨の魔戦士、錆びた直剣を構える骸骨、斧を荒々しく振るう屍など様々だ。


 それらが群れをなしてカース湿地帯中央の魔王へと群がる。


「ふッ!」


 悪臭をき散らして陸地を侵食する、かつての猛者達。


 迷いの無い魔王の刀がひらめく。


 洗練された刀技で大立ち回りを繰り広げ、次々と斬りさばいていく。


『チィィ!』


 どれだけこれまでの強者が集まろうと、大した時間稼ぎにもならないと察したモリーがもう1段階魔力を引き出す。


 毒々しい深緑の魔力が、高々と燃えたぎる。


 その魔力を感じ取った魔王も、黒刀に炎のように揺らめく魔力を灯し……。


「ふん!」


 一つ、回るように一閃。


 一拍遅れて、黒の波動が円状に広がっていき、周囲の襲撃者達の胴が真っ二つに別れて滅される。


『それじゃ。儂が一番気に入らんのは』

「……」


 この過激な戦場を取り囲む樹々の手前で、消える黒の波動に目をやり腹立たしげに語るモリー。


 完全に制御された魔力操作。


『――〈アクラナガルの宵沼よいぬま〉』

「っ……」


 モリーの魔術により、沼地が緑の深淵に呑まれていく。


 陸地をもが沈んでいき、魔王の足元には新たな骨の魔物達が引き摺り込むように群がる。


『お主の魔力を操る技量の高さは、もはや……魔術への冒涜じゃァァ!!』


 モリーの怒りを現すように、背後から巨大な骸骨の異形いぎょうい出る。


 分厚く、凶悪で、モリーと同じようにトゲや隆起が各所に見られる四つ腕の怪物。


 上半身を宵沼より露出させた体勢で、禍々まがまがしい2つの髑髏がいこつが魔王を捉える。


 モリー唯一のオリジナル、『禍骨公かこつこう・ミラドーン』。


『先程のように受け流せるもんならしてみぃ!! ――〈トリゴールの大雷槍〉』


 ミラドーンのかかげた骨の手に、巨大な雷が発生する。


「クッ!」

「ま、眩しいッ」


 樹の影に身を隠す彼女達だが、その膨大な熱量に直視すら難しい。


「も、モリー様は、この沼地を焼き切るおつもりなので御座いましょうか……」


 それはモリーの雷槍よりも遥かに大きく、圧倒的な熱を放つ大魔術。


「やっと全力が出て来たね。なら、俺も小細工は無しだ……」


 魔王が黒刀を、初めて構えた。


「……これで、幕引きとしよう」


 足元の骸骨兵を完全に無視して、【沼の悪魔】へ向き直る。


『……』

「……」


 緑雷が沼を照らす中で、周囲とは別世界で向き合う魔王と【沼の悪魔】。


 集中力を高めていき、時の遅くなった世界に身を置く。


 速度に自信のあるカゲハや霧の恩恵のあるソルナーダ、そして無礼にも覗き見する不届き者が、苦労しながら見守るのに構わず。


 2人だけの空間で、モリーは魔王を沼地ごと消し飛ばす機を待つ。


 一瞬の内に大雷は放たれ、それにて、終……。


 しかし念には念をと、絶好の機を待っていた。


 そして……ある骨の魔物が、魔王の膝に手をかけたその時――


『――行け』


 ミラドーンから、大雷槍が放たれた。






 濡羽色の剣線。






 雷と共に、ミラドーンの身体が、袈裟懸けさがけに割れる。


「……」


 神速の一太刀。


 沼地の全て、配下達も、盗み見る者も、モリーや雷も置き去りに……魔王の姿は刀を振り切った姿勢で、ミラドーンの背後にあった。


 緑雷を斬り裂き、宵沼からの怪物を両断して。


『……』

「……君の魔術への情熱、誇り……凄く好ましい」


 一刀の元に敗れて呆然となるモリーに、宵沼の失せた沼に足元を浸からせるクロノが語る。


 理解が追いつかずに困惑する観客達を余所に、その黒き瞳をモリーだけに向ける。


「改めて言うよ……」


 差し出されたのは、黒刀ではなく……。


「……俺んとこ来ないかい?」


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