第76話、観戦しながらステーキを嗜む魔王

 

 凄惨な所業により強大となった『弐式』。


 徹底した命令故に加減も知らない、暴乱の怪物。


「……」

「ハナム君。機を逃すなよ。私が命じなければ【沼の悪魔】が死んでしまう。そうなれば我等は破滅だ。責任問題だぞ君ぃぃ」

「……し、少尉」

「なんだね。まさかもう引き上げ時か?」


 だが、遠くから覗き見るハナムが目にしたものは、鼻高々なザンコックの予想を裏切っていた。


『――カッカッカッカ!!』


 沼の王が、陸地の中心で未だ嗤う。


 水辺を隔てて樹木が生える外側にいようとも、カゲハもリリアも邪悪な高笑いに怖気が走る。


『逃した宝物ほうもつが向こうからやって来たわぃ。二度と逃してなるものか。――〈カハンの十球じっきゅう〉』


 十の魔法陣から生まれる銀の球。


 クルクルと、モリーの首元で特大の数珠のように回転する。


「十個!?」

「……」


 リリアもカゲハもあの魔術の脅威を知るからこそ、目を疑う。


 あのように自由自在に操れる物理的に強力な球体が、10。ソルナーダのものより大きく、より滑らかに動いている。


 更に魔力までも込められているのか、緑のオーラを纏って回転していた。


「モリー様は、私などよりも遥かに強く、重く、自在に操れるので御座いますよ。我等が触れれば、パチン!! と気持ちいい〜〜音を立てて弾けてしまいましょう」

「……何が言いたい」

「私は仮に……最悪そうなので本当に避けたいのですが、万が一にも骨粉となったとしても復活しますが、あなた方は違うで御座いましょう?」


 樹が途轍も無いパワーで割られたような破砕音が鳴る。


 カゲハも反射的にそちらへ視線を向ける。


「―――――ッ」

『駆けろ翔けろ。今生の終わりに存分に駆け抜けろ』


 〈カハンの十球〉から逃げる『弐式』が、周囲の樹々の間などを縫うように飛翔する。


 しかし、〈カハンの十球〉は気味の悪い樹々や障害物も構わず蹴散らし、『弐式』へ向けて直線で突き進む。


「うっ!!」

「リリア! この樹に掴まるのだ!!」

「樹もいいですが私も忘れないでください!! 掴んで離さないで! 角が持ちやすいで御座いますよ!?」


 すぐ側の樹を薙ぎ倒して通過していく霧と球体に、小さき者達は凌ぐだけで必死だ。


「――ッ!?」


『弐式』の前方で水面が盛り上がり、不気味な植物が小山のように現れた骨のドラゴンによって左右に倒れる。


 霧の反応に眠りから覚め、食い潰さんと顎門を開けた。


「ッ――」


 霧となって骨竜の口から身体をすり抜けていく。


 が、続いた〈カハンの十球〉は……派手な破壊音を立てる。


 無関心に、無機質に、骨竜の頭蓋骨を粉砕して尚も獲物を追跡する。


「――」


 不吉な球体を引き離す事が難しいと察したのか、『弐式』が樹々のある周囲から中心へ急旋回する。


『才は上等、知恵も高等、されど獣か……』


 座するモリーの尻元から、見覚えのある寒気を覚える文字達がチラリと生まれ、


「ッ!!」


 魔力を抜かれる事を嫌がったのか急浮上する『弐式』。


 そして、羽ばたき一つ。


 以前よりも格段に迫力のある針の雨を放った。


『それはちと骨に堪えそうじゃのぅ。――ほれ』


 〈カハンの十球〉が上空に配置されて高速で回転し、盾のようになってモリーに届く雨を弾く。


 そして、回る球体の速度が落ち、モリーの姿が現れると……。


「……………ッ!?」


 そこには、緑の雷を掌握する【沼の悪魔】が。


『〈トリゴールの雷槍〉』


 一瞬の電光。


 モリーの手にある光を目にしたと同時に、『弐式』が焼かれる。


「――――――ッッ!!」


 耳をつんざく轟音の後に、陸周りの水辺に落ちる魔獣。


 熱せられた魔獣が腐った水に触れ、瞬く間に冷やされる音と共に蒸気が上がる。


「……」

「これが……魔術……?」


 いくら改造されたカゲハ達と言えど、掠るだけで焦げ炭となる事は容易に想像できた。


 この圧倒的な力は、まるで……自分達の主のような……。


「左様。遥か昔に名を馳せた魔術師達の魔法を持ち、自在に扱う我が主人のお力に御座います。……沼の何処にいても変わらないで御座いましょう?」


 雷雲の中でしか見られない、見上げて恐れるしか無いあの自然の光。


 まさか魔物がその光を手にし、軽々と放つ。


 このような常軌を逸した魔術を、誰が想像できただろうか。


『……鎖を傷付けんようにと、狙ったんじゃが……』


 モリーの視線は、罅の入った『弐式』の首輪へと向けられていた。


「……そんな……」

「ハナム君!! 今の光はなんだね!? 早く報告したまえ!! 責任問題だぞ!!」


 雷に痺れ、沼でもがく人造魔獣。


 あれだけの血肉を得ても届かぬ途方もない【沼の悪魔】の力に、離れた森から監視していたハナムは言葉を失っていた。


『修理せんとならんならば、もう一投……………と思うたが、――ほっ!』


 突然、再び雷槍をその手にしようとしていたモリーが飛び退く。


 陸地を挟んで『弐式』と反対側の水辺へ胡座の姿勢で浮かぶ。


「コッ? モリー様ったら何が――」


 もう何百年もあの場を動かなかったモリーが移動した事に、ソルナーダは不審を抱く。


 陸地の中心に、―――――黒刀が突き刺さる。


 そして、その柄頭に――


「えッ!?」

「あ、あれはッ」

『……何者じゃ』


 人影が降り立つ。


 カゲハやリリアは歓喜と同時に不安を抱き、【沼の悪魔】は興味深そうにその少年・・・・を見定める。


「……やぁ、俺は君をスカウトに来た魔王だよ?」


 不穏な空気を感じ取った空が、曇りつつあった。



 ♢♢♢



 数日前……。


「……………んん? ……おい、ドウサン、ドウサン」


 金剛壁にあるクロノ邸。


 門番としてドウサン、ヒサヒデと共に守護していた動き易く改造された着物姿のレルガ。


 臭いを察知し、寝床としていたドウサンの頭をペチペチと叩く。


 すると燃えるような色合いの大蛇が、不機嫌そうに掠れるような威嚇音を立てて何事かと鎌首をもたげた。


「クロノさまが帰って来た。門のとこ」


 言葉少なに指を指して、運んでいけと指図するレルガ。


 しかし、クロノより世話を頼まれた以上はこの程度は辛抱しようと、先程まで自分の上で昼寝していたレルガとそのまた上のヒサヒデを乗せて、ニョロニョロと這って門へと赴く。


「……あれ? まだカゲハとリリアは帰ってないの? 追い抜いちゃったのかな」


 門から歩いて入って来た少年クロノ。


 その足に纏わり付くドウサン、その上で抱き付くレルガ、頭を擦り付けるヒサヒデを順に撫でながら、2人分の気配が足らない事に驚いた。


「それか言われた通り旅行でもしてるのかな。だったらいいんだけど……」

「やっと帰って来た」

「あぁごめんごめん。ドウサン達といたとは言え寂しかったね。何か不都合は無かった?」

「ドウサンはうるさい」


 クロノに顔から抱き付いたまま、声をくぐもらせて言う。


 蛇なのにうるさいと表現するレルガに、微かに引っかかるものを感じるが……。


 姉妹や兄弟のように3つ連なるトリオを見るに、仲は良いのだろうと判断する。


「う〜〜ん、ヒサヒデ。母ちゃんから何か言伝はない?」


 定期的にクロノは魔人族の里の母とヒサヒデを通して連絡を取っていた。主に田んぼ関係で。


 だが、ヒサヒデはつい昨日行ったが、いつものように溺愛されるくらいで特に連絡を受けてはいなかった。


「そっか……。なら、帰って早々だけど早目にあっちを片付けておくかぁ」

「ま、またどっか行く……?」


 腹の辺りから見上げられ、悲しげな瞳と声で問われる。


「……王には、お供が必要だね」

「……?」





 ♢♢♢





 え……嘘、なんで……?


 カース湿地帯まで、レルガとやって来た。


「リリアと、あの女……骨持ってる」

「骨、持ってるねぇ……。君もだけどね」


 匍匐前進の後に、遥か離れた崖から沼地の中心地付近を観察する。


「骨と鳥が戦ってる」

「骨と鳥、戦ってるねぇ……あむっ」


 自分と同じ仕草をする愛らしいレルガの言う事を、九官鳥のように繰り返してしまう。


 焼いた石の皿の上でジューシーな香りと音を立てる分厚いステーキを、ナイフとフォークでキコキコと切り分けて食べながら。


 ちなみにレルガもさっきまで食べていた骨付き肉が名残惜しいのか、いつまでも骨を持ったままだ。


 中心にある陸地で見た事もない強力な魔術を扱う、俺より遥かに魔王っぽい【沼の悪魔】らしき存在と、この前出会った魔物……なんだと思う。


 成長期なのか、やたらと育ってるけど。


 でもそれらは一旦置いておこう。


 問題は、何故リリアとカゲハがいるのかだ。


 俺は言ったはずだ。沼の方は気にしないでいいと。


 つまり……指示を無視している。


「……ねぇ、レルガは何でリリアとカゲハがここにいるんだと思う?」

「そんなの決まってる」


 まさかのレルガが自信満々だ。


「抜け駆け」

「……やっぱそう思うよね。う〜ん……マジか」


 もしかしてだが、……俺より先に【沼の悪魔】を勧誘して、組織内で派閥を作ろうとしているのか……?


 いや、まだ反逆と決まった訳ではない。


 ネガティブはいけない、ポジティブに行こう。


 想像するんだ……、最も俺に都合の良い世界を……。


『ねぇ、ウチの社長凄くない? なくなくなくな〜い?』

『やっぱそう思う? 魔王的カリスマがあるよねぇ。何段階も変身残してそう』

『でもでもてゆぅかぁ〜、社長働き過ぎじゃない?』

『ならわたし達で仕事一つ終わらしちゃう?』


 ……ないな。ポジティブにも程があった。


 しかしよく考えてみれば、クロノ邸に帰還したら彼女達には掃除などの仕事がある。


 クロノ邸の広さから考えて、食料の調達から食事などの支度もあるリリア達だけでは……明らかに人手が足りない。


 ……なるほど。


 だから自分達で部下を誘いにここまで来た、と考えれば合点がいく。


「あいつら、あんな大きい骨持ってる……ズルい……」

「もぐもぐ……」


 お肉の合間に付け合わせの野菜も食べて眺めていると、……あの骨の魔物強くね? と、思って来た。


 何かでっかいパチンコ玉みたいなのを操ってるし……危なっ!? あの2人に当たっちゃいそうだったじゃん!!


 優雅に昼食を頂いていた手を止め、口元をハンカチで拭く。


「……ん? クロノさま、どっか行く?」

「うん。ちょっとお仕事に行って来るから、レルガはあそこの2人と合流してくれる?」


 立ち上がって背後に突き刺さっていた……黒い刀を抜き、曲芸のように遊ばせて準備運動しながらレルガへ指示する。


 エリカ姫に教えている手前、刀ももっと練習しないとと持って来ていたのだが、まさか本格的なお披露目になろうとは。


『黒刀・幕引まくひき』。


 いくつも作った魔王武器シリーズの一つだ。


「……分かった」

「これ、残り物だけど欲しかったら食べていいからね。一応、一口サイズに切り分けておいたから。何なら作ってあった特製チャーハンも食べていいよ」

「分かった!!」


 うむ、いい返事だ。


 早速ステーキを食べ始めるレルガに頷き、沼地の中心付近へムササビジャンプした。





 ♢♢♢





『……魔王じゃとぅ〜?』


 自分の居場所へ突き立った艶やかな色合いの見るも美しい漆黒の刀。


 その上に降り立った小綺麗な格好の少年。


 服の上からでも分かる筋肉などの付いた身体は確かに戦士のようだが、それでも少年。


 それがここまで気配も無くやって来たのだ。


 只者ではない事は明白であった。


(……まさか、代が替わったのかの……?)


「君を勧誘に来たよ。俺と一緒に気持ち良く働こうじゃないか」

『……働くなどと、何を言うとるか。お主、狂人か?』


 モリーが宝物を奪取するのを遅らされ、苛立たしげに魔力を解き放つ。


 深緑の魔力を。


「ぐッ!!」

「ッ……!!」


 重圧と吐き気のする魔力が一帯を埋め尽くし、【沼の悪魔】の危険性を叫ぼうとしたカゲハやリリアの口が抑え付けられる。


 どこかで期待しつつも、【沼の悪魔】の実力を目にして言い知れぬ不安が生まれ、来ては欲しくない気持ちも胸の内に確かにあった。


 あのクロノでも万が一があるのではと、こうしている間も焦りと恐怖が増大していく。


『何にしても付き合い切れんわぃ。珍客など一体で良いわ。ソルナーダにでも――』

「う〜ん、なら……」


 殺意高まる魔物を前に、魔王は言う。


 配下達が、気圧されたクロノから弱気な言葉が出るのではと固唾を呑む中で。


 刀の上で腕を組み、考える素振りをした後に……不敵な笑顔で言い放つ。


「……まとめてかかっておいで? 俺がどっちも相手をしよう」


 沼地の空気が、氷結したように音を立てて張り詰めた。


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